ごん。
ごん。
ごん。
市ヶ谷駐屯所地下、ジオフロント。
そこにはいま、鐘を突くような重く鈍い音が響き渡っていた。
先程まで、非公開兵器プレゼンが開かれていた会場。
そこは、恐怖や絶望を通り越し、諦めに静まり返っていた。
誰も顔を上げようとせず、ただ無気力に俯いて、その身を運命に任せている。
今回の主催代表、ウォルター・マクレミッツを除いては。
彼はこの会場でただ一人だけ、怯え、涙を流していた。
―『 例え伝説的テロ組織でも、敵ではありません。 』―
先程の自分の発言を、海よりも深く後悔する。
敵ではない。
それは、逆だった。
シグルドリーヴァから見て、私たちが敵ではなかったのだ。
いや、もしかしたら障害ですら無いのかもしれない。
ごん。
もう何回目か分からない、重く腹に響く金属音が鳴る。
それは、このプレゼン会場入り口に取り付けられた、核攻撃にも耐えうるという決まり文句付きの扉から聞こえていた。
だが、核攻撃にも耐えうる扉は、いまはもう原型を留めていなかった。
ぶ厚い鉄で作られた筈の鉄扉は、まるで紙くずのようにひしゃげている。
そして今は、すでに「変形しつつある」から「壊れつつある」という有様だ。
ごん。
ごん。
会場にいる人々の希望は、鉄扉の警鐘が鳴るたびに、削られていっていた。
扉の向こうにいる「シグルドリーヴァ」は、一体どうやってこの鋼鉄の扉を、ここまで湾曲させているのか。
考えるだけで、希望が一つ削られる。
しかし、『外』ではもっと凄惨な事態になっていることを、彼らは現時点では知らない・・・・。
それは、シグルドリーヴァのメンバー二十名が市ヶ谷駐屯地に侵入を果たした頃。
東京都市街では、残りの三十名が、行動を起こしていた・・・。
「退け、退け――――――!」
自衛隊の指揮官が74式戦車の上から歩兵に向かって叫ぶ。
だが時すでに遅く、64式小銃で応戦していたの隊員達は、暴徒と化した民間人の群れに飲まれた。
「ちくしょう!全車両、後退だ!」
大通りを塞ぐように展開していた74式を中心とした戦車隊は、襲い来る民間人に成す術も無く後退する。
このような事態になったのは、わずか三十分前。
あの、謎の白い雪が降った後からだった。
警察から、「一般人が、暴徒となった」という端的な連絡を受け。
自衛隊はそれに対応するため、急遽一個中隊を派遣した。
だが、そこはもう地獄だった。
現場に到着した自衛官全てが、その時直感した。
「ここに来るのは、遅すぎた」。
もう、何もかもが、取り返しの無い状態になっている。
暴走した民間人は幾ら威嚇射撃をしても、怯む様子が無い。
それどころか、逆に興奮して、こちらに襲い掛かってくる。
しかしだからといって、自衛隊である自分たちが、ここでこの民間人たちを撃つ訳にはいかない。
残された道は、撤退以外に無かった。
「おい、在日米軍はどうした!?」
「それが・・・さっきから呼びかけているんですが、全く何の応答もありません!」
「なんだと!?」
「それどころか、本部・・・いえ、東京都内のどこの駐屯地にも、無線が通じません!」
「なんてこった・・・!俺たちにここまま東京都外まで逃げろって言うのか!!」
指揮官が悪態をついた。
だが、それも束の間。併走して撤退していた虎の子の90式が、突然爆発した。
指揮官は、群れて追いかけてくる我を失った民間人の中に、黒い装甲服を着た者を見た。
しかしそれは、続いて発射されたレールガンによって、戦車隊ごと矢継ぎ早に吹き飛ばされた。
シグルドリーヴァは、こうした民間人の影から攻撃することにより、相手に攻撃されるどころか補足される事すらない。
そして、彼らからは撃ち放題。
世界でも高水準のレベルに達するほどの実力がある自衛隊ですら、抗える術は無かった。
そんな地上での地獄絵図を、ビルの屋上から悠々と見下ろす影が三つ。
「うわー、すごいねこりゃ。三ヶ月前に行った中東並だね」
頭にバンダナを巻いた男が、下で繰り広げられている自衛隊と操られた民間人との戦闘を観察しながら呟く。
それに、黒いサングラスをかけたスキンヘッドの屈強な男が答える。
「いまこのトウキョウでは、至る所でこんな戦闘が起きている。さほど珍しい訳ではないだろう、アラタニ?」
「へーへー、そうですねサハリンの旦那・・・でも、好きだぜ。この匂い。音。何より・・・雰囲気が・・!!」
「相変わらず血の気が多な、テメエは」
アラタニと呼ばれたバンダナを巻いた男に向かって、傍らに立っているもう一人の無精ヒゲを生やした男が率直な感想を述べる。
彼らは全員、漆黒の戦闘服に身を包んでいた。
その手には、地上にいる装甲服を着た兵士達同様、AK47スペツナズβが握られている。
「うるせえ、テメエの言えた義理か?マーロフ」
「自分のことは棚に上げる主義なのさ」
その無精ヒゲの男は、アラタニにマーロフという名で呼ばれた。
屋上に佇む三人の男。
彼らの腰から下げられたホルスターに入っているハンドガンは、それぞれ区々だ。
サハリンと呼ばれた、隊長格のスキンヘッドの男は、SIG-P228。
アラタニの腰には、CZ-75のファーストモデル。それも二丁。
そして無精ヒゲのマーロフは、ガバメント1911AIの独自のカスタムモデルが。
ビルの屋上から悠々と佇む。
この三人こそが、精鋭中の精鋭と謳われたシグルドリーヴァの中において、なお「最強」と称された三人衆。
ノーチラス・サハリンをリーダーとし。ソリノフ・アラタニとマーロフ・スフィールで構成されている。
その通り名は、「チェルノボグ」。
ロシア・スラブ系の神話で、「黒い神」という意味の言葉が由来である。
漆黒の武器と戦闘服に身を包んだ、シグルドリーヴァの中に置いても、神として君臨する三人。
それが彼ら、チェルノボグなのだ。
「なあ・・・隊長」
「どうした、マーロフ」
マーロフの言葉に、サハリンは振り向く。
すると彼は、ビルの屋上から、また別の道路を見ていた。
そして、サハリンにも分かるように、ゆっくりと指差す。
「あそこ。七百先のでかい道路で、俺らが操作してる民間人と自衛隊が衝突してる。けっこうな規模だ」
「・・・・・増援だな。どうやらジャップは戦局を見極めることが苦手らしい」
懲りずに、新たな兵を送り込んでくる日本側の対応に、サハリンは笑うことすらしなかった。
戦場で生き残るには、ただ強いだけでは切り抜けられない場面が数多くある。
そこで物を言うのは鋭い洞察力と、長年の経験と勘。
この局面における自衛隊のとる最もベストでベターな選択。
それは無闇に兵を送り込むことではなく、一度撤退して体制を立て直し、良く作戦を練って行動すべきだ。
それに、彼らには頼みの綱である米軍が使えない。
「俺達のスポンサーが米軍を押さえてあるっつうのに、なんだ?この馬鹿な選択は?」
「ジャップはいくら戦力としては強くても、戦術・戦略的には秀でていないのだろう。いや、もしかしたら政治家のせいかもしれん」
「どのみち、このままじゃあの自衛隊ども、全滅するぜ」
ビルの屋上に座り込んでいるアラタニは、上目遣いにサハリンとマーロフに視線を送った。
「なんだ、アラタニ」
「行こうぜ旦那」
「駄目だ。もうすぐ集合の時間だ、そんな余裕は無い」
「でも、あそこには俺らの仲間もいる。遅刻理由には十分だろ?」
「・・・・俺は行かんぞ」
「なら話は早え!行くぞ、マーロフ」
「あいよ・・・」
サハリンの了承を得ると、アラタニは喜び勇んでビルから飛び降り、遠くで繰り広げられている戦場へと向かう。
それにマーロフも続いた。
アラタニは、パラシュートもロープも、およそ高所から飛び降りるための道具は何も持っていなかった。
だが。
ジャケットからアラタニはナイフを取り出すと、それを何の躊躇も無くビルの壁に突き刺した。
しかしそれで止まるわけも無く。突き刺さったままのナイフからは火花が舞い散る。
ゆっくりだが、確実に減速していた。
けれどもそれでは、地上に着くまでに十分失速することはできない。
時速七十キロはあろうかという速度で、アラタニは地上に落下した。
だが。
「ふんっ!」
着地の間際にビルの壁を蹴ると、そのままビルから離れるように跳び、歩道へと前転で着地した。
あれだけの勢いを、なんの苦も無く相殺させる。
常人には決して成せることの出来ない、神業的な動きだ。
アラタニとは対照的に、マーロフは何の減速もせず、そのままビルの屋上から地上まで飛び降りた。
着地の際に、四肢を着く。
アスファルトがひび割れるほどの衝撃だったが、マーロフには何のダメージも無い。
「あ?」
立ち上がると同時に、マーロフは眉をひそめた。
それと同時に、彼らの立っている場所から五十メートルほど先のビルの壁が崩壊する。
ビルの壁を突き破りながら出てきたのは、自衛隊の74式戦車だった。
壁を突き破った一台を皮切りに、次々と戦車が飛び出してくる。
それは、暴徒と化した民間人から必死に逃げているのだ。
「なんだなんだ?俺らが行かなくても、奴さんから来てくれたぜ」
「どっちにしろ、手間が省けていい」
嬉しそうなアラタニとは違い、マーロフは気だるそうだ。
そしてマーロフは肩から下げたスペツナズを構える。
「ハッハァ!こういう時ぐらい楽しまなきゃね」
アラタニは肩からスリングで掛けてあるスペツナズではなく、腰に下げたCZを二丁、手に取る。
そして二人同時に、その照星を戦車達に向ける。
程なくして、戦車が空けた穴から暴徒が群がってくる。
アラタニは、たった二丁のハンドガンを構えただけで、戦車に向かって走り出した。
74式の搭乗員は、暴走した民間人の攻撃で、完全に混乱していた。
だから、今戦車の真正面に向かって走ってくる男を撃つべきか否か。その判断すらできなかった。
あまりに混乱して、銃器を持っている事にすら気付かない。
そしてアラタニは仰向けにスライディングして、並んで走っている戦車の間に滑り込む。
手にもった二丁のCZが火を吹く。それは、一瞬にしてマガジン内の全ての弾を撃ち切った。
発砲音が止むと同時に、二台並んでいた戦車のキャタピラが外れる。
外れる際に、キャタピラは大蛇のようにうねり、暴れ回る。
それでなくても、かなりの重量を持つ74式がキャタピラを失えば、もう動くことは出来ない。
「先ずは二つ!」
戦車の搭乗員は、混乱に拍車をかけられた。
ハンドガン二丁しか持っていない男が、脇にスライディングして滑り込んだかと思うと。急に片側の無限軌道が空回りを始めた。
そこで、キャタピラが外されたと気付く。
だが、しかしどうやって。
あんなハンドガンでは、接射したとしてもキャタピラを外すことなど到底出来ない。
50AE弾なら分からないでもないが、男が持っていた銃はそんな弾を御せるほど大きくは無かった。
では、戦車のキャタピラを外す要因はなんだ。
「もういっちょ!」
片方の無限軌道を失って立ち往生している74式の上に、アラタニは悠々と乗っかる。
既に移動の間にマガジンを素早く交換されていたCZの銃口を、さらに二台の戦車の無限軌道に向ける。
乾いた、頬を打つようにも聞こえる音が、連続する。
そして先の二台のように、狙われたその戦車たちも、キャタピラを巻き上げながら次々と行動不能に陥る。
彼は、一つのキャタピラを破壊するのに、マガジン丸々一個分の弾を使い切っている。
しかし、全ての弾を当てても戦車のキャタピラは普通びくともしない。
だがアラタニは違った。
キャタピラに、ただ当てるのではなく。
キャタピラの弱い節の部分に、全弾を全く同じ場所に当てているのだ。
神業や魔業など、言葉で表現できるレベルではない。
これはもう、奇跡が成せる偉業と言っても過言ではない。
スライディングという不安定極まりない体勢から、寸分の狂いも無い機械のような精密射撃。
何千、何万と撃てば、そんな事が成せるのであろうか。
そして、戦車を二台も行動不能にさせられてから、自衛隊員たちは初めて、あのバンダナの男が敵だと認識した。
砲台の上に備え付けられている機銃で応戦しようと、ハッチから身を乗り出した。
だが、そんな射手をフルオート掃射の嵐が襲った。
堪りかねて、すぐさま車内に身体を引っ込める。
マーロフの、腰だめに構えたスペツナズのフルオート掃射。
そしてその隙に、アラタニは更に二台の戦車を沈黙させた。
動ける戦車の数が、残り一台となってしまう。
この二人の、完璧なコンビネーションは戦車隊を容易く壊滅にまで追い込んだ。
その、戦車相手に圧倒的ともいえる戦闘力は、彼らを最強と言わしめる理由の証拠でもある。
最後の一台は、暴徒の群れに紛れて発射された、電気の尾を引いた高速の弾丸に貫かれ、炎上した。
そして、戦車という「敵」を失って、また新たに「敵」を探し始めた暴徒の群れの中からシグルドリーヴァの戦闘員が出てくる。
それは他の者と変わらぬ、光の無い黒基調の装甲服を身に着けている。
「大丈夫ですか、ソリノフさん」
「ああ、俺一人でも片付けれたぐらいだ。ありがとう」
装甲服のマスクを外して、心配そうに見つめてきた隊員に、アラタニは無事を伝える。
後ろからは、スペツナズを肩にたてかけたマーロフが歩いてきた。
「おい、アラタニ。そろそろ合流の時間だぞ、急げ」
「分かってるって。じゃあお前、ここの処理は頼んだぜ」
「了解しました!」
戦闘員に、キャタピラを破壊されて動けなくなった戦車の後始末を任せると、マーロフとアラタニは合流ポイント目指して走っていった。
その後姿を敬礼して見送ると、戦闘員は鎮座している戦車達に向き直った。
そして、戦車のハッチを一つ一つ丁寧にこじ開けて、その中にスペツナズの掃射を容赦無く叩き込んでいった。
情け無用で、淡々と全ての戦車に行う。
市ヶ谷駐屯地、ジオフロント。
そこはもう、完全なシグルドリーヴァの支配下にあった。
食い止め様と応戦した自衛隊員は、無惨にも全て骸と化し。
敷地内や施設内は、至る所に死体と血痕が散らばっている。
そして、非公開プレゼンが行われていた会場もまた、訪れていた各国の首脳や代表を人質に取られ。
完全に占領された状態になっていた。
会場には、スペツナズを携えた黒い装甲服の男達が、見張りに立っている。
だが、その中に、一人。異様な人物が居座っていた。
会場の中央に設置された大きな丸テーブルの上に椅子を置いて、膝を組んで堂々と座っている。
彼は、この事件を起こしたシグルドリーヴァのナンバー2。名をシルヴァリー・アーモストロネート。
手錠をはめられ、目を塞がれた人質達が横たわる会場内にて、その悠々たる姿は異質そのもの。
だがその異質は、それは彼の本質そのものだ。
世間一般に言われる「普通」などとは、決して相容れない存在・・・・・。
会場の入り口から、足音が聞こえてきた。
入り口は突入の時に、鉄扉が完全に破壊されていた。
子供の身長ほども分厚い筈の鋼鉄の扉は、紙くずのように湾曲させられた後。
何か鋭利な物で、これでもかと言うほどに切り刻まれていた。
そんな無惨な鉄くずの転がる入り口から、三人の男が入ってきた。
この、異質異能最強のシグルドリーヴァの中でも飛び抜けた実力を持つ。
ノーチラス・サハリン。ソリノフ・アラタニ。マーロフ・スフィール。
彼らの戦闘力は、「人間」の中では恐らく敵無しだろう。それは、シルヴァリーもコウタカも認める事実だ。
「遅かったね。“チェルノボグ”」
「すまない」
シルヴァリーに、サハリンは端的に答える。
「なんだよ・・・まだ来てねえのかよ、隊長は」
「さっき連絡があった。じきに来られるさ」
アラタニのぼやきに、冷徹に返す。
そんな言葉の交錯の間に、会場の入り口から、また新たに足音が聞こえてきた。
しかしその数は、二つ。
会場にいる者全員が、一斉に入り口のほうを振り向く。
隊長なら、別におかしくは無い。
だが、足音が二つと言うことはどういうことか。
敵。
そんな事はありえない、いまの日本国内で我らに攻撃できるほどまともに機能している組織は無い。
「・・・・遅くなった」
しかし、そんな杞憂はただの、安堵のため息に代わった。
入り口から悠々と入ってきたのは、案の定。このシグルドリーヴァの隊長。
コウタカだった。
その姿と気迫、いつもと変わらない。凄みのあるモノだ。
「お待ちしておりました・・・・・それと、その横の女は一体?」
シグルドリーヴァは、コウタカに深く頭を下げながら、彼の横に立っている女性を睨んだ。
その目から発せられる殺気は、並大抵ではない。
出している本人からしてみれば、ほんの挨拶程度。
だがその圧迫感は、常人なら立ち眩むだろう。
「紹介が遅れたな、彼女は私の娘・・・・テオだ」
「・・・・!?」
驚いたのは、会場にいるほぼ全員だった。
まさか、あの隊長に子供がいたとは、誰も夢想だにしなかった。
その中で、最も驚愕していたのは、シルヴァリーだった。
貌は、ただ驚きの事実に呆けているだけに見える。
だがその内では、激しい怒りが吹き荒んでいる。
彼は今までシグルドリーヴァ内で、コウタカの片腕として、その役割を立派に果たしてきた。
しかし、それほど忠誠を誓った隊長の横に、あの女は図々しく居座っている。
それが堪らなく憎らしい。
「テオと話がしたい。奥の部屋を借りるぞ」
そう言って、隊長はさっさと会場の置くにある、部屋へと消えていった。
その後を、テオと呼ばれた浴衣姿の女性がついていく。
シルヴァリーの歯軋りが、会場にこだました。
「・・・・・」
最初に目に映ったのは、電灯。それも、ただ吊り下げているというような、簡素な作りの物だ。
辺りには、微かに薬品の匂いが漂っている。
自分はいま、ベッドに寝かされているようだ。
ああ、つまり―――――――。
「目が覚めたかな。黒咲英翔」
私は負けたのか―――――――。
首だけを、辛うじて動かす。
ベッドの脇には、KOTRTの総責任者である男。内藤洸一が立っていた。
その姿は、いつもと変わらぬスーツ姿だ。
だが、今日のスーツは何故か、どこか薄汚れた感じがある。
「・・・・ああ、このスーツの事か。なに、プレゼン会場から脱出するのに手間取ってな」
「脱出・・・?」
「そうか、まだ何も聞いていなかったのだな。すまない」
内藤は、足下に置いていた鞄からぶ厚い書類の束を取り出した。
それを二、三ページめくり、なにやら逡巡する。
「八月二日――――要するに今日、午前十一時ごろ。東京全域に声明が発表される。同時刻、市ヶ谷駐屯地ジオフロントが強襲される。
さらに東京都内では、一部の都民が突如錯乱。市街の破壊を開始」
書類に示されているのは、おそらく今回の事件の全容だろう。
「午前十一時三十七分、警察から自衛隊に出動要請。自衛隊は暴動鎮圧装備にて東京都内に一個中隊を展開、しかし五分後に全部隊からの通信が途絶。
さらに二個中隊を動員するが、これもわずか二十分後に全て通信が途絶。90式から映像により、黒服の拳銃を二丁所持した男などを確認」
「・・・・それで、全部ですか?」
「いや、残念ながら続きがある。約四十分前に、市ヶ谷ジオフロントを占領したテロ組織から、人質にした各国代表の生命の保証と交換に、
世間一般への「別脈種」の公表を要求してきてた。これに国連と日本政府は徹底抗戦の姿勢を見せている」
まさか、あの時東京全域で、そんな事件が起きていたなんて。
英翔は絶句する。
「現在、我々KOTRTは東京都と神奈川県の県境にある大型私営駐車場を徴集し、緊急仮説本部としている。
この事態に集まった隊員は、君を含めて五人だ。うち使えるのは君を含めて四人。いや、三人か」
「・・・東京を奪還するんですか?」
「無論だ、それ以外にこの東京占拠事件の解決法は無い。それに、この事件の三十六時間以内に解決できなければ、
米軍を中心とした暫定国連軍が、武力行使にでるとも言ってきている」
「武力行使・・・?」
「現在、東京湾外に一隻の原子力潜水艦が待機している。もし時間内にこの事件が解決できなければ、その原潜から核弾頭を搭載したSLBMが発射される」
「な・・・!?テロ組織ごと東京を焼き払うつもりですか!!」
「これを決定したのは国連だ。我々は最前線で事に当たるだけだ」
反論する余地もなく、黙ってしまう。
とにかく身体だけでも起こそうと、英翔は手を着いて起き上がろうとした。
「―――――ッ!?」
しかし起き上がろうとすると、腹部に鋭い痛みが走る。
かけられている毛布をめくって見ると、自分の腹部は、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
その瞬間、あの戦闘が脳裏に鮮明に蘇った。
あの、コウタカという男。
そして奴の手に握られた、聖剣エクス・カリバーン。
その威力。
傷の血が、滲む。
自分の不甲斐なさに、舌を噛み切りたくなる。
「まあ、そう落ち込むな英翔よ。失敗なぞ人生に多々ある」
ベッドの上で拳を握って消沈していた英翔の顔が、さっと上がる。
その声は、この仮設本部の中には不釣合いなほど明るい。
「あ―――――、か、哉原の御老公・・・!」
「よっ。久しいな、英翔」
内藤の背中からひょっこりと姿を現した軽薄そうな老人。
彼こそがKOTRTの第二席であり、僧会の元・トップガン。
そして、その強さから別脈種からも恐れられた。
名を、哉原諺該―――――。
かつて、英翔に三大偽神葬具の一つである、『聖剣エクス・カリバーン』を手渡した人物。
現在は隠居して、僧会から足を洗い、KOTRTにもあまり顔を出していない。
「どうして、御老公がこんな所に?」
「そりゃお前さん勿論―――――――孫自慢じゃ」
「・・・・・・・・・・・・・は?」
呆れた声で返事する英翔に構わず、哉原の御老公はベッドに座る。
そして懐から何枚かの写真を取り出す。
「どうじゃー、わしの孫は!もう小学校高学年ぐらいなんじゃがな?わしに似て聡明で顔も良いのよ―――!」
「は、はあ」
手に、無理矢理写真を持たされる。
確かに、そこには一人の小学生ぐらいの男の子が写っている。胸にした名札には、きちんと「哉原」と書いてある。
以前、哉原の御老公が僧会から足を洗った理由を響次に聞いたことがある。
なんでも哉原の御老公は、昔はそれこそ冷血な優れた奇術師であったが、孫が生まれてから、それが一変したそうだ。
孫の出産と同時に、物凄い孫煩悩を発揮し、その勢いで奇術師を辞めたそうだ。
そして孫には、奇術師としての教育を施すことも、しないと決めたらしい。
英翔は、手に持たされた写真を、ぴらぴら扇ぎながら御老公に視線を向ける。
「まさか―――、本当に孫自慢だけに来たわけでは無いでしょう。御老公」
「ひひひひ、当たり前じゃろう。おぬしが消沈しておったから励ましてやっただけのことよ」
「そう言う意味じゃありません。なにが『目的』です、御老公」
「――――っ」
意味深な発言に、哉原の御老公の眉が一瞬だけ跳ねる。
そして、豪快に笑い飛ばした。
「が―――っはっはっはっは!!いやいや参った、まさか昨日まで赤子と思っておったおぬしが、まさかもうここまで成長していようとはな!
そうだ、わしはこんなちゃちゃい事件の為に、わざわざ足を運んできたわけではない」
「一体何が目的ですか?」
「それはまだ言えん。しかし、その時期はそう遠くない。焦るな」
御老公はベッドから腰を上げると、そのまま背中を向けて歩き出した。
「まあ、今回の事件。頑張るのだぞ英翔!」
そうして音も無く、仮設本部の人ごみに紛れて消えた。
一瞬のうちに、気配から何から全てが消える。
元・僧会トップという名は、伊達ではないということだ。
「・・・・話を戻していいか、黒咲」
「はい」
沈黙を守っていた内藤は、ご老公が去ったと同時に、説明を再開した。
「それでは次に、敵の戦力の説明に移ろう。
今回東京都全域を占領したのは、それは世界で最も優れていると称されるテロ組織、“シグルドリーヴァ”」
「シグルドリーヴァ?」
「その構成の大半は、ソ連崩壊時に祖国を追われた特殊部隊「スペツナズβ」の一部だが、それを統制しているのは二人の別脈種だ。
一人は、国際指名手配されてもいる、シルヴァリー・アーモストロネート。罪状は・・・すごいな、あの『学院』を襲撃か」
『学院』
正式な名称は「ベルゼルド・ナッシュ・リンガムド学院」。日本国外に唯一存在する別脈種の機関で、別脈種の統治を目的としている。
そこには、錬精術を学びに来る者も多く、さながら大学のようでもある。
「そしてリーダーは、コウタカという羅種だ」
「・・・・・!?」
心臓の鼓動が、耳の真横で聞こえた気がした。
コウタカ。
その名を聞いただけで、感情のスイッチが切り替わる。
白から黒へと。群雲のように広がっていく。
「・・・・どうした、黒咲」
「私・・・さっき、闘いました。ソイツと――――」
「腹部の傷はその時のものなのか」
「はい」
「その傷と、そのコウタカという男と――――――この中身の無いエクスカリバーンの鞘は何か関係があるのか?」
「それは―――――!?」
内藤が何時の間にか手にもっていた物。
それは紛れも無く、あの聖剣が入っているべき鞘。
あのときコウタカに剣は奪われたが、鞘までは奪われなかったようだ。
不幸中の幸い、というべきか。
「まあいい。この事は不問だ」
「え?本来なら重罪――――」
すっと、内藤の人差し指が、続けようとする英翔の口を制する。
その表情は、いつものポーカーフェイスではない。
何処か、悲しげである。
入隊してから、彼のこのような表情を見たのは初めてだ。
「私は、君に大いに期待しているのだ。こんなつまらない不祥事で、失望させないでくれ」
英翔の膝の上に、鞘が抛り帰される
返す言葉が無かった。
感謝するべきなのだろう。しかし英翔には、何故かその裏が気になってしかたなかった。
何故か・・・。
「また話がずれてしまったな・・・このコウタカという男については、素性は知れていない。全くの未知数と言っていいだろう」
「一つ・・・質問して良いですか?」
「何だ?」
「シグルドリーヴァは一体、どうやって東京を占領したのですか?いくら大規模な組織でも、一千万東京都民を人質に取ることは不可能です」
「普通に考えればな、だが、それを可能にするものが有る・・・・・これだ」
英翔に、内藤は懐から一つの密閉したシャーレーを取り出し、差し出した。
その中には、白い粉が入っている。
「これ・・・・まさか、あの時東京に降った雪・・・?」
真夏の東京に降る雪。
そんな幻想を見せた、正体不明の白い粉。
それがこれだ。
シャーレーに入った白い粉は、今見れば、雪とは程遠い形容だった。
「そうだ。声明発表と同時に東京全域に散布された白い粉。
この粉は、これだけの小ささの中に約二万のナノマシンを搭載した、正真正銘の化学兵器だ。
人間の皮膚に付着すると同時に体内に侵入し、血流に乗り脳に到達。そこで脳内に癒着し、ある端末へと変化する」
「端末・・・?」
「それは、シリコン製の電波受信・変換機。特定の電波のみを受信し変換するこのナノマシンは、受信した電波を電気信号に変換。
人間の脳細胞に直接電気を流して操作する。これによって、シグルドリーヴァは東京の占領を可能とした。
東京都民を、即興の兵にするという事によって。地上に関しては鉄壁の守りだ」
絶句した。するしか無かった。
まさかいま東京で、そんなことが起きていただなんて。誰が分かり得よう。
脳を、直接操作し、簡易兵に仕立て上げる。
悪魔の所業ともいうべき、非人道的な行為だ。
「しかし、どんな人間でも操れるという訳ではないようだ。やはり適正と言うものがあり、
しかも変換式を持つ別脈種には全く効かない。常に身の回りに内気を展開しているからな。それに、服の露出の程度にも、
侵入の確率が左右されるとの報告もある」
「・・・じゃあ、上空から部隊を送って直接リーダーを叩くというのは?」
「無理だ。敵はレールガンを所持しているとの情報が有る。もしこれを対空火器として使われたら、足の遅い輸送機は成す術もない。
犬死だな。爆撃する訳にもいかん。それに、東京上空ではUCAVも確認されている」
「それって、プレゼンの会場に置いてあった物ですか?」
その問いに、内藤は頷いて答えた。
UCAV。
それは、無人の航空機の中でも、攻撃用の物をさす。
人材の養成に長期を費やす有人機に比べて、無人攻撃機は同じほどのコストで、長期の養成を必要としない。
現在では、まだ実用化の段階には至っていない。
「確かにプレゼンの会場に展示されていたUCAVも敵は使ってはいるが、ほとんどは自前のようだ。
そうとう以前から計画を練っていたんだろうな、都市制圧用のナノマシンだけでなく、防空の対策まで講じている・・・。
大体の説明はこれぐらいだ。では失礼するよ、事態が事態で私も忙しいんでね。後でガルボが迎えに来る、指示に従ってくれ」
「了解しました」
英翔は、仮設本部の片隅のベッドに一人残された。
起こしていた身体を、再び沈める。
必ず、取り返す・・・・。例えこの左腕の『ガンバレル』を使うことになろうとも・・・。
横になりながら、その胸に熱い感情をたぎらせる。
一刻も早く、この傷を治して東京に向かいたい。
「ここは一般人は関係者以外立ち入り禁止だぞ!戻りなさい!」
「なー!確かに私は一般人ですけど、関係者ですー!通してください!!」
「駄目だ!」
にわかに、仮設本部の入り口が騒がしくなった。
入り口の警備の自衛隊員と、誰かが口論しているらしい。聞く限り、内容は幼稚だが。
痛む身体にを鞭打って起こし、入り口のほうを覗き込んだ。
そこに立っていたのは、意外な人物だった。
「あ・・・・霧恵さん!」
「英翔さんだ!こっちです、この頭の固いおじさん、早く何とかしてください!」
「あの、大変申し訳ありませんが、彼女を通してもらえますか?」
英翔は隅のベッドから、入り口の隊員に大声で頼んだ。
それを、渋々了承してくれたおかげで、霧恵は何とか仮設本部の中へと入ることが出来た。
その後ろには、引っ付くように結ヱさんが歩いている。
「って!?大丈夫ですか、英翔さん!お腹包帯巻いてるじゃないですか!」
「これは、その・・・・ちょっと」
「結ヱ、お願いできる?」
英翔の腹部の傷を心配そうに見つめながら、霧恵は傍らにいる結ヱに頼んだ。
それに無言で頷いた結ヱは、ベッドに座っている英翔の腹部に、包帯越しに手を触れた。
その瞬間、英翔たちの周りの空気が一変した。
まるで、何か生物の中にいるような感覚。
その感触を、英翔は良く知っていた。
錬精術の、基本中の基本。
(これは――――最適化?)
腹部に当てられた彼女の手の平が、ほんのりと温かくなっていく。
「・・・“内に秘められし命の華よ、我が力を糧にし、その華、いま咲かせん”」
記憶が、蘇る。
昔、母にこうして、優しく手を触れてもらった覚えがある。
さっきまでの腹の傷の疼きは、もう無くなっている。
結ヱが手を離すと、英翔は腹部の包帯を外した。そこにはもう、なんの傷痕もない。
すっかり、塞がってしまっている。
「ありがとう、結ヱ」
お礼を言う霧恵の傍らに、結ヱはいそいそと戻る。
その仕草は、彼女がまだ幼い部分を多く持っているということが見て取れる。
「すごい・・・・まさか結ヱさんに、ここまでの錬精術が出来たなんて」
しかし、英翔は一人驚愕していた。
普通、錬精術の中でも会得が難しいとされるのが。
治癒。
呪い。
などの、イメージをしにくい物である。
呪いなどは、苦労して会得する者は多いが、反面、治癒などの錬精術は学ぶ者が少ない。
現に、英翔も両極でありながら、未だに治癒系の錬精術をマスターしていない。
「ありがとうごさいます、結ヱさん」
「はい、どうしたしまして」
返事をしない結ヱに代わり、霧恵が答える。
「それと・・・・霧恵さん」
「何ですか?」
「錬精術・・・・・習ってみませんか?」
「・・・・・・・・・え?」
英翔の唐突な質問に、霧恵は虚を突かれた。
どう返して良いのか分からず、固まってしまう。
「結ヱさんもこれだけ筋が良いんですから、霧恵さんもきっと良い錬精術師になれると思うんです」
返事は無い。
霧恵は相当悩んでいるようだった。
それもそのはずだ、霧恵からしてみれば、錬精術はあまり印象の良いものではない。
幼いころは学ばせてもらえず。
それによって、自分の大事な肉親を死に至らしめてしまった。
「・・・私、やります。習います、錬精術」
「ありがとうございます」
でも、霧恵も、それだけでは駄目だと学んだ。
ただ、現実から目を背けているだけでは、何の解決にもならない。
闘わねばならない。
錬精術を学ぶということは、霧恵にとっては、ただ一つの学問を学ぶという事だけではない。
力を制御するだけという事だけでもない。
これは、彼女の、過去と、そして内面との戦いになるのだ。
今ままでの自分との、決別。
容易な事ではない。
それを承知で、彼女は錬精術を学ぶと言った。
「じゃあ、この騒ぎが終ったら・・・・一緒に勉強しましょう。霧恵さん」
「はい・・・!」
この時、私も霧恵さんも結ヱさんも・・・。
こんな状況下にあっても、いつかは平穏に戻り。
明日には、きっと今までの生活がある。
そう、信じて疑わなかった。
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