1996年。 八月二日。東京。 気温、今年最高、三十八度。 日本首都、ただいま夏まっさかりです。 「・・・・・・・・・暑い」 「・・・・・・・・・はい、暑いですねえ」 都会の、暑苦しいことこの上ない喧騒の中を当ても無くさ迷い歩く二人の影。 それは、相変わらずジャージ姿の英翔と、 妥協して浴衣姿の貴子であった。 まだ時刻は昼すらさしていないというのに、二人の表情には暑さによる疲労が、ありありと出ていた。 「私たち・・・・どこで選択間違ったんだろ―――――」 「多分、霧恵さんに着いて行かないと決めた時じゃないでしょーか・・・」 話は、少し前。 昨晩に遡る。 「え!?霧恵さん明日実家に一度戻るんですか!」 「はい」 驚く英翔に霧恵は、なんの屈託もない笑顔で答える。 「まさか・・・・結ヱさんも、連れて・・・?」 恐る恐る、霧恵の横に居座っている結ヱを指差して訊ねる。 そして、しれっと、 「はいー。もちろんですよ、結ヱだけ置いていくわけ無いじゃないですか」 「・・・・・そうですよね」 何の返事も出来なくなった英翔を、急に割って入った貴子が引っ張り、小声で怒鳴る。 「ちょっと英翔!どうすんのよ、霧恵は貴方が記憶操作しちゃったから、本当は結ヱちゃんがもう死んでるって事知らないわよ!?」 「そ、それに関しては一応問題ありません・・・!」 「どうして!!」 「内藤さんに頼んで、初塚の本家の方に、いざという時の口裏あわせは頼んであります」 あくまで小声で会話する。 だが「内藤」という名前が出た途端、貴子の表情が、何故か苦虫を噛み潰したように歪んだ。 それは、彼女の整った顔立ちからは想像できないほどだった。 「な、なんでそんな嫌そうな顔になるんですか・・・?」 「私、アイツとはどうも相容れないのよねー・・・」 「・・・それだけですか?」 「うん」 「あのー・・・」 小声で、しかし大きい声で話し込む二人に、霧恵は心配そうに声をかけた。 貴子は振り向くと、なんでもない、と言う風に照れた仕草をしてみせる。 「い、いやー!私たちも明日ちょうど仕事が入っててさー!いやー、一度霧恵の実家にも行ってみたかったんだけど、残念だなー!」 「え、そうだったんですか!?・・・・でも、お仕事じゃ、しょうがないですね・・・」 一瞬喜んだ霧恵だったが、仕事と聞いてすぐに暗い表情になった。 彼女自身、全員で一緒に実家に帰れたら、どれほど良いかと思ったのだろう。 「え、でも私は仕事よりも霧恵さんの実家っもがふほふぁ!」 「いやー、ホンット!残念だわ!また来年行かせて貰うわね!」 余計なことを口走る英翔の口を塞ぎながら、貴子はわざとらしい演技に徹する。 そんな女二人男一人のかけ合いを、霧恵の横に座っている結ヱはただ一人静観していた。 そして、たった一言。 「バカみたい」 とだけ呟いた。 「まさか・・・・今日本当に仕事があったとは思いませんでしたよ・・・貴子さん」 「だあー!ずっと前に国連の非公開プレゼンがあって、その警備にかり出されるって言ったでしょうが!」 「日時は聞いてませんよー」 「非公式なんだから!私たちには知らされないのは当然でしょうが!」 ただでさえ暑い人ごみの中。 今年最高気温という悪魔は、別脈種である二人の身体をじわじわと蝕んでいた。 「ああー。どなったら・・・喉が・・・」 「・・・・貴子さん」 「なぁーにー・・・・?暑いんだから、喋らせないでよもう・・・」 「あそこの、喫茶店・・・入りませんか?」 「なに!?喫茶店!!」 都会という砂漠の中に輝く、金色のオアシス。 先月の入りに開店したばかりのその喫茶店は、貴子の目にはそう映っていた。 「で、でも私たち一応・・・巡回中でしょう?こんな所で油売って良いんですか?」 「背に腹は代えられないのよ!!」 抗議する英翔を引きずり、貴子は喫茶店に向かってまっしぐらに走っていった。 その頃、東京都内にある自衛隊駐屯地。 市ヶ谷駐屯地では、国民には知らされずに建造された大深度地下施設、ジオフロントで、第二の万博が行われていた。 国連主催の、加盟国の最新鋭兵器の非公開プレゼン。 正確な名前は無く、いつもその呼び方は人や時分によりまちまちである。 これは、オリンピックが経済効果を促すのと同じように、各国家の技術発達を促すために開催されている。 何故このようなプレゼンが、技術発達を促進することに繋がるのかと言うと、それはそう複雑な理由ではない。 最新鋭兵器とは、大抵は国が民衆にその存在を隠しながら開発を行うものである。 だが、それでは中々進展せず、 かつ満足のいくデーターも成果も得られないので、開発が滞りがちになる。 だからといって民衆に公開して、堂々と開発するわけにもいかない。 このプレゼンはそんな、先行き不安な最新技術の塊の、「お披露目」の場なのである。 各国の最新鋭技術を互いに披露、比較しあうことで、競争心を生ませる。 それにより、滞りがちな兵器開発に、少しでも喝を入れる。 その他にも、国から研究費用が下りなかった、未知数の兵器案などもある。 これは自国で評価を得られなかった技術者達が、他の国にその技術の支援を求めるというものだ。 そんな、世界の技術の粋が集まる祭典。 会場にはもちろん、各国の首脳や兵器開発の権威などが多数招かれている。 その中には、KOTRTの総責任者である、内藤洸一の姿もあった。 普段と変わらない、真っ黒なスーツに身を包んでいる。 すると突然、会場最前に位置する舞台にスポットが当たった。 突然の事に会場の殆どの人間が、舞台に振り向いた。 「先ずは本日ご来場の方々に、心の底からの感謝の言葉を申し上げましょう。  私がこの度のプレゼンテーションの主催代表である、ウォルター・マクレミッツです」 壇上に現れたマクレミッツが深くお辞儀すると、来賓から拍手が起こる。 「それと如何でしょうか・・・このプレゼンテーションは。素晴らしいものでしょう」 大袈裟なボディーランゲージと共に、このプレゼンの感想を尋ねる。 そのマクレミッツに向かって、会場の片隅にいた内藤は。 「・・・・ああ、素晴らしく反吐が出るよ――――――」 と、誰とでもなく呟いていた。 会場には、来賓が見れるようにと、至る所に見本が設置されてある。 それを、訪れた人々は、酒などを片手に見て回る。一種奇怪な光景。 「ご覧下さい、会場の至る所に飾られている技術の粋を集めた『力』を。  コンピューターやインターネットに代表されるように、現代の最新技術のほとんどは軍事的利用から生み出されました。  そしてこのプレゼンテーションによりそれを促すことで、我々人類はより優れた技術と文明を築いていくのです」 高らかに演説する口調が、急に軽いものに変わる。 「そいうえば・・・確か私の記憶が正しければ、このプレゼンにテロリストからの犯行声明が届いていましたね?  確か、名前は『シグルドリーヴァ』でしたかな?」 その名前が出た途端、会場が不安と焦燥にざわついた。 世界の裏に生きる者なら、誰もが必ず一度は耳にするテロ組織。 あるときは隠密に。 あるときは大胆に。 どんな戦場にも赴き、どんな国の、どんなに強力な特殊部隊をも蹴散らす。 最高にして最強と讃えられた、伝説に近いテロ組織。 それが―――――― “シグルドリーヴァ” 「しかし!ご来場の皆さん・・・・心配することは何一つありません。ご覧になられたでしょう、  この会場に着くまでの厳重な警備!武装!あれだけの守りは、例え伝説的テロ組織でも、敵ではありません。  今ごろ、尻尾を巻いて変える算段でもしているのではないでしょうかな?」 マクレミッツが茶化すと、会場からは笑いがこぼれた。 だが、その時会場の誰一人として知る由は無かった。 これからこの会場が――――、いや。 開催地である市ヶ谷駐屯地のある、この『東京』全域が・・・・・・。 かつてない規模の戦場になろうとは。 そして、上空から様子を伺う数機の大型輸送機に気付いている者も、また皆無だった・・・・。 高度約三千メートル。 その高さを、四機の大型輸送機が航行していた。 大きすぎる機体と、それを支えるエンジンから発せられる熱は相当な物で、 とうの昔に航空自衛隊の防衛もひっかかっていてもおかしくはない。 だが、その四機は自衛隊の、どの防衛網にも全く感づかれること無く。 悠々と東京上空へと侵入していた。 それは、この輸送機にそれぞれ取り付けられた熱電磁光学迷彩があるが故に可能なことだった。 この既存の輸送機より一回り以上大きな機体に取り付けられた最新の科学迷彩。 その装甲は電波を吸収し、レーダーには全く写らない。 巨大なエンジンから出る膨大な熱も、外気と混ぜて排出することにより、殆んどサーマルセンサーに写らない。 その中でも群を抜いて際立っているのは、地上からの視認を完全に不可能にする。光学迷彩。 これらの最新鋭技術を惜しみなく使っている輸送機は、もうすぐ非公開プレゼンが行われている市ヶ谷駐屯地上空にさしかかろうとしていた。 『あと480秒で第一目標上空に到達。各員降下準備に入れ』 操縦席からの通信が、ヘッドセット越しに聞こえる。 それは、この輸送機に乗っている人物全員に向けたものだ。 「聞いたか!あと少しで目標への降下を開始する、各員、それぞれのスーツのバーニアを確認しておけ!」 爆音の響く輸送機内部で、指揮官らしき男が、シートに鎮座している部下達に向かって怒鳴った。 しかし、その部下達は全員、奇妙なスーツに身を包んでいた。 それはもうスーツというよりはもう、装甲服だ。 マットの黒基調で、全身は装甲と防弾素材で隙間無く覆われている。 背中には大きなバックパックを背負い、顔は不気味なマスクで隠れ。 マスクからはホースが伸び、その先端は腰の空気清浄化ファンへと繋がっている。 それは、さながら歩く軽装甲車といった風でもあった。 そしてその各々の手に握られた得物も、その物々しい格好に恥じぬものである。 全体的に武装は黒のAK47・スペツナズβで統一されているが、所々ではチェーンガンやショットガン。 中には対物ライフルを持っている者までいた。 そうして、四機の輸送機は、市ヶ谷駐屯地上空近くにさしかかった。 指揮官らしき男が指示を下す。 「よし!『エンジェル・スノー』を散布しろ!」 その命令と共に、輸送機の腹から、白い粉が一斉にばら撒かれた。 『エンジェル・スノー』の名の通り、それは真夏の東京に舞い降る雪のようである。 この雪のような粉こそが、今回の作戦の要にして、最強の都市制圧兵器なのだ。 粉を散布し終えると同時に、全ての輸送機の後部ハッチが開く。 下にはちょうど、市ヶ谷駐屯地が臨んでいた。 そこに向かって、装甲服を着込んだ部下が後部ハッチから次々と降下していく。 「いけいけ!『あの御方』のためにも、シグルドリーヴァの名を汚さぬためにも、死ぬ気で闘って来い!」 落下していく装甲服を着込んだ男達は、ある程度の高さまで降下すると、そのバックパックに装備されている小型バーニアを噴かす。 相当な出力があるらしく、降下速度はみるみる落ちていく。 「ん?なんだこれは?」 市ヶ谷駐屯地の門前で警備を担当していた一人の自衛官は、自分の鼻の上に落ちてきた粉をはらった。 見ると、今は真夏だというのに雪が降っていた。 しかし次々と降ってくる雪は、地面に落ちても溶ける様子は無かった。 そこで初めて、自分の上から降ってきたものが『雪』では無い『何か』だということに気付く。 地面の上にいながら溶けぬ雪から、視線の再び空に向けた。 「あ・・・・・・・」 その自衛官の目に最後に映ったのは、降下してくる「大きな黒い何か」だった。 それを見極めようとした自衛官は、次の瞬間には下半身だけになった。 黒い装甲服に身を包んだ兵士が、市ヶ谷駐屯地の敷地内に次々と着地した。 見るからに重そうな装甲服を着込んでいるため、着地する際はいくらバーニアを噴かしても、 アスファルトがめり込む勢いで足をつく。 だが、そんなものはこの強固な装甲服を着た兵士達にはなんの苦にもならない。 この装甲服は元々、戦車砲の直撃にも耐えうるように設計されているのだ。 しかしそれは強度だけの話であって、実際に直撃受けたとしたら、装甲服は無事でも中の人間はバラバラだ。 次々と駐屯地内に降下を果たした、総勢二十名の兵士は、プレゼンが催されているジオフロントへと向かった。 彼らが通ったあとには、肉片と血がばら撒かれる。 「・・・・・・・?」 「どうしたの、英翔?」 喫茶店に入って、すでに数十分。 店内に満遍なく行き渡ったクーラーの涼しさの恩恵を享受していた貴子だが、 突然店の外に視線が釘付けになった英翔に首を傾げた。 そして同じように外を見ると、信じられない光景が目に入った。 ――――――それは、雪だった。 八月という夏真っ只中の東京に、雪が降っているのだ。 それを見た途端、貴子は外に飛び出した。 雪が降っているのなら、そともきっと涼しいのだろう。そう思った。 だが。 「え―――――なに、これ?」 外に出ると、気温は相変わらず焦げそうなほど暑かった。 しかし、そんな中でも雪は降っている。 訝しんだ表情で、貴子は道路の舞い下りている雪達を見据えた。 そして、気付く。 (・・・・この暑さの中で、溶けてない・・・?これ、本物の雪じゃないの?) そんな疑問が浮かんだ。 そしてそこに、喫茶店から出てきた英翔も来た。 「貴子さん・・・・!」 「ねえ、これ見て英翔。この雪、こんな暑さの中なのに全然解けてない―――――」 「そんなことよりも、あれを見てください!」 英翔の言葉に誘われるように、貴子は視線を上に上げた。 そこには、ビルの壁に埋め込まれた、街頭用の大きなテレビスクリーンがあった。 普段は色んなコマーシャルが流れているのだが、今は違う。 画面には、アップで映された男の顔があった。 写っている男の顔は整った、凛々しく聡明そうな顔立ちだ。 電波の状況が悪いのか、画面には所々ノイズが混じっている。 それを見た、街行く人々は一様に足をとめ、それに見入った。 所々で、話し声が聞こえる。      「―――――え?なにこれ?テレビの故障――――」  「―――ねーね、なんかあの男の人、めっちゃカッコ良くない?――――――」     「―――――――なんだこれ?ヤローの顔ばっか映してんじゃねえよ―――」    「――――これって、ゲリラ放送ってやつ?マジ?――――」 思い思いの、根も葉もない話ばかりが飛び交っている。 「一体・・・・・これは何なんですか?貴子さ――――っ」 そう言いながら貴子の方を振り向くと、彼女の目はスクリーンを唖然と見つめていた。 それは、驚愕。もしくは歓喜とも取れる、形容し難いものだった。 「どうしたんですか?貴子さん?」 「――――――――まさか・・・・そんな・・・」 しかし、肩を揺すって話しかける英翔にすら、彼女は目を向けなかった。 釘付けられたように、ただスクリーンに映った男の顔を見つめていた。 『全東京都民に告ぐ。これから東京都全域は、我々シグルドリーヴァが占領する』 スクリーンに映った男が口を開いた。 顔つきに見合った、落ち着きがある。響くような低い声だった。 だがその内容は、子供でも分かるほど突飛で無謀なものだ。 東京都全域を占領する。 そんなことは、無理だ。 英翔は動揺すると同時に、心の中でそう思った。 東京都全域を占領するには、それこそ一個師団を持ってくる必要がある。 しかし、こんなゲリラ放送をしているような、どこの馬の骨とも知れぬ組織に、そんなことが出来るはずは無い。 『我々は東京を占領・・・平たく言えば人質にとり、日本政府並びに「真門」に、別脈種の存在の公開を要求する』 「な・・・・っ!?」 その発言に、英翔は目を丸くした。 こんな大勢の一般人の前で、堂々と「別脈種」と「真門」の名を口にした。 おまけに、要求は別脈種の一般への公開である。 「コウタカ・・・・」 「え?誰ですって?」 貴子が一瞬、それも微かに呟いた名前。 それを訊ねようと、英翔は再び貴子の方に手を触れたが、それを再び起きた観衆のどよめきが遮った。 スクリーンの埋め込まれている、ビルの屋上。 観衆の視線は、一様にしてそこに注がれていた。 貴子さんの目も、同様だった。 そこには何時の間にか、一つの影があった。 こんな真夏に、コートを着込んだ男が一人。佇むようにビルの屋上に立っていた。 その視線は、一様にビルを見上げる人々を見下ろしている。 英翔には、それが一目で分かった。 それは屋上に立っている男が、今まさにスクリーンに映って、驚きの発言をした者であること。 そして・・・・その視線が確かに、今自分の隣に立っている女性に注がれていること。 「コウタカ・・・・!!」 突然、貴子さんが屋上に立っている男に向かって叫んだ。 その声は、ざわついていた観衆の中を響いた。 しかし、男は微動だにしない。 代わりに、貴子の叫びに応える様に、ゆっくりと右腕を上げた。 そして、何かを呟いた。 その声は、遠いここからでは到底聞こえなかった。 唇が動いている、という事ぐらいしか分からない。 次の瞬間、観衆の一部がアスファルトごと爆ぜた。 まるで、そこに突然手榴弾が投げ込まれたように。爆発した。 爆風が、離れている英翔と貴子の所まで吹きつけてくる。 方法は分からないにせよ、爆破したのが男であることは明白だった。 そして一拍置いた後。 火が点いた様に悲鳴が上がった。 それは瞬く間に伝染し、ビルを見上げていた観衆は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。 「ここに居ては危険だ」と、本能が告げたのだろう。 押しのけ、踏み倒し、我先にと逃げようとする。 しかし、男は容赦無かった。 必死に逃げ延びようとする観衆に、追い討ちをかける。 背を向けている人々を、次々と爆殺した。 無慈悲に見下し、感情の無い瞳で舞い散る命を見つめている。 「やめろおおおおお!」 堪りかねた英翔は怒号して、ビルの上の男に向かって抜刀した。 それは本来警備のために持ってきていた、エクス・カリバーン。 その刃先を、男に向ける。 エクス・カリバーンを知っているのか、男はそれを見て一瞬怯んだが。 直ぐに、すっと微笑んだ。 その表情を見た英翔は歯を鳴らす。 そして、ビルの屋上に向かって飛翔した。 アスファルトが抉れるほど足に力を籠め、一蹴りで屋上の高さまで跳び上がる。 英翔が瞬時に自分と同じ高さまで昇っても、男のポーカーフェイスは崩れなかった。 相変わらず、無感情に見つめ返してくる。 構えも何もしていない男に向かって、英翔はいきなりエクス・カリバーンを振るう。 刃から、極限まで圧縮された内気の衝撃波が飛び出す。 その威力は、このビルを軽く両断できるほどだ。 例え腕の立つ錬精術師であろうと、この一撃を防ぐことは難しいだろう。 だが。 「むんっ!!」 その凄まじいまでの威力を秘めたはずの衝撃波を、男は右腕のみで受け止めた。 しかし服はその衝撃に耐えられず、右袖の部分だけが、音を立てて引き千切られる。 すっかりと、右腕が露になる。 「なっ!?あれは、まさか――――!」 露出した男の右腕を見て、英翔は驚愕した。 露になった男の右腕。 そこには、赤い回路図のような線がびっしりと走っていた。 それは、英翔の左腕にもあるモノ。それと全く同じ。 かつて昔に、「黒咲」のみが御三家の一つである「真門」から賜った禁術。 変換式以外の、普通の神経を、無理矢理に変換式へと改造するという、身体改造。 その名も『ガンバレル』。 男の『ガンバレル』が、一段と強く輝いた。 そして、鷲掴むように受け止めていた衝撃波を、あろうことか跳ね返した。 跳ね返された力の波は、まっすぐに英翔に向かう。 「ちいっ!」 だが、その衝撃波を英翔はエクス・カリバーンの一薙ぎで打ち消した。 人間の魂を約数千使っているエクス・カリバーンからしてみれば、その一撃は蚊の一刺しよりも弱い。 そのまま体勢を立て直し、英翔は屋上に着地した。 そして、男と対峙する。 本来黒咲にしか伝わらず、この世にひとつしか無い筈の『ガンバレル』を持つ、もう一人の別脈種。 「・・・・・・貴様は、誰だ――――――!」 「・・・・・・コウタカ。苗字は捨てた」 「なぜ一般人を殺した!」 「邪魔だったからだ」 「本当に、たったそれだけの理由なのか・・・・!」 男の、無気力とも取れる感情の無い返事に、英翔は怒りを募らせる。 「私と・・・・テオの再会には要らぬ観客だ・・・・それはお前も同じことだがな」 「ほざけ・・・!!」 こうもぞんざいな理由で人を殺めたことに、怒りが心頭に達した。 そして勢いで、手に握っていたエクス・カリバーンを、目の前の男・・・・コウタカに向かって振るう。 数メートルあった間合いなど、無いに等しいと言わんばかりの勢いで疾走する。 しかし―――――――。 「これでも、私を斬る心算か?」 「なんだと・・・!?」 英翔は、ほとんど振り下ろしたエクス・カリバーンの軌道を強引に逸らした。 いや、逸らさざるを得なかった。 無理に軌道を変えたため、手に持ったエクス・カリバーンが、両の手から抜ける様に離れる。 地に落ちたエクス・カリバーンが、ガラスのように、からんと鳴る。 コウタカと英翔との間に、突如として割って入ったもの。 それはどこから見ても、紛れも無い丸腰の一般人だった。 それが、いきなり間合いの中に入ってきたことにより、英翔はコウタカを斬る事ができなかった。 しかし割り込んだ一般人は、とてもコウタカほ部下には見えなかった。 それどころか、正常にすら見えない。 「ハアアアァァッハヅアア・・・・」 喉から、掠れたように空気を漏らし。 目の焦点は定まらず。口からはだらしなく唾液が垂れ流されている。 「な、なんだこの人は・・・!?」 明らかに異常な一般人の様子に、狼狽する。 その疑問応えたのは、コウタカだった。 「これは我々の新型都市制圧兵器によって操作された一般人だ」 「な、なんだと!」 「この人間はいまや、我々の命令を無意識にこなす傀儡・・・ただの肉塊よ」 混乱する英翔に追い討ちをかけるように、コウタカの背後からさらに一般人が飛び出した。 その数、ざっと十数。 それが群れた狼のように、英翔に向かって襲いかかって来た。 それに、成す術も無く倒されてしまう。 「この力は・・・一体!?」 しかも圧し掛かっている一般人の力は、常軌を逸していた。 別脈種の中でも、賢種と羅種の両方の特性を持つ両極である英翔が、普通の人間の筋力に全く歯が立たなかった。 「我々の兵器によって操作された人間は意志だけで無く、その身体までも操られる事となる。つまり今お前の上に乗っている者どもは、  自分の身体を自分の意思に関わらず、その限界まで筋力を発揮させられているのだ」 「何て事を・・・!そんな事をしたら、脆い人間の身体はすぐに壊れてしまうぞ!」 「知ったことか」 たった一言。 無情に言い放つ。 しかし、そう言い放つコウタカの姿が、英翔には悪鬼に見えた。 「人間など、ただの出来損ないの劣種にすぎぬ。それを優良種たる我ら別脈種が湯水のように使役して何が悪い?」 分かった。 この、コウタカという男の、禍々しいまでの、悪鬼の如きこの威圧感と殺気の正体が。 それは・・・・人間に対する絶対的な憎悪! 「人間」、その言葉を発する時だけ、コウタカの殺気と威圧感はケタ違いに上がる。 それが自分に、悪鬼のイメージとして映った。 しかしこの男は、何故それほどまでに人間に憎悪しているのか。その理由はまだ解せない。 「だが、その人間達の結束からはすぐに脱出することは・・・いくら「両極」と讃えられる貴様でも不可能だろう」 「ああ、『すぐには』な。だが、十秒もあれば、私はこの束縛から逃れることは出来る」 「そう・・・・その十秒が問題なのだ」 すると、コウタカは英翔に背を向けて歩き出した。 その先。 転がっているのは、先ほど自分が手から落とした聖剣。エクス・カリバーン。 エクス・カリバーンの元まで歩み寄ると、コウタカは組み伏せられている英翔に訊ねた。 「貴様が十秒でそこから起き上がるのと、私がこの剣を拾うのと・・・・どちらが早いだろうな?」 「や、やめろおおおおおおおお!!」 咆哮と同時に、全身に力を篭めた。 四肢の筋肉は膨張し、血管は浮き上がる。 そして、十秒もたたぬ間。わずか数秒で圧し掛かっている数十の人間を吹き飛ばし、素早く立ち上がる。 ありったけの力で足を踏み出して、コウタカへ向かって走る。 「正解は、私が先だ」 かつて太古。 北欧の国で、選ばれた王のみに使うことが許された聖剣。 数々の神話と伝説を生み出したその輝かしい刀身と柄、鞘は衰えを知らず。 時を越えて、現代まで受け継がれてきた。 黒咲英翔という、男の許まで。 彼の日に賜った、聖剣。 国さえ滅ぼす、王の剣。 「残念だったな・・・・これはもう、お前のモノではない」 だが、今はコウタカという男の手に握られている。 心が、悲鳴を上げる。 エクス・カリバーンの嘆きが、この耳を劈く。 違う。違う、それはお前のような者が持つべき物ではない―――! それは・・・・私が受け継いだ、私が守られねばならぬモノだ―――! 貴様の手に納まるべきモノではない―――! 深い、怒りと、悲しみ。 それが同時に、しかし晴天の日に渚に打ち付ける波の様に穏やかに、静かに確実に心を侵す。 だが、それでも諦めまいと、英翔はコウタカに向かって走った。 「寄るな。下種」 けれども、それは薙がれたエクス・カリバーンの刃に、脆くも敗れ去った。 貴子は、ただ呆然とビルの屋上を見つめていた。 さっき、英翔が登っていったが、それっきり変化は無い。 ただ、誰も居なくなった街頭に静けさが立ち込める。 「あっ・・・・」 貴子の唇が僅かに開き、声が漏れた。 目を逸らさずに見つめていたビルの屋上から、何かが落下してきた。 落下すると同時に、それは何か液体のような物もバラ撒いている様にも見える。 程なくして、それはボロ布のように地面に叩き付けられた。 その途端、体が貴子の意志に反して動いていた。 放心した彼女には、何が落ちたかなんて、どうでも良かった。 でも、体がそれを拒んだ。 行かなければならない。そう言わんばかりに足が動く。 「・・・・・・英翔」 ビルの下まで行くと、そこには英翔が横たわっていた。 だが、その腹部は横一文字にバッサリと斬り裂かれ、内にある臓物が覗いている。 血は、まるでバケツをひっくり返した様に、取り返しがつかないほど、取り止めも無く流れていく。 半ば開いた目は虚ろで、光を映していない。 多分、意識は無いのだろう。 それは一見死んでいるように見えるが、僅かに上下する胸と、掠れた音を鳴らす喉が、生きていることを告げていた。 このままでは、いくら英翔でも死んでしまう。 手を、伸ばそうとした。 「お前が、こんな男の事を気に病むことは無いんだよ・・・・テオ」 「・・・・・ッ!?」 いきなり背後から話しかけられ、貴子は恐る恐る振り向いた。 その肩は、震えている。 KOTRT内で、沈着冷静な名将として君臨していた彼女が。 この男の前では、ただのか弱い一人のオンナに成り下がっている。 それほどに、この男の存在は貴子にとって・・・大事であり。ある種の恐怖でもあった。 今は亡き筈の、育ての親。 「・・・生きて、いたのですね・・・・・・・・コウタカ」 「ああ、今まで挨拶に来れず、すまなかったな」 そして、貴子はコウタカに歩み寄ると、その屈強な胸に埋もれた。 深く深く、今までも空白を埋める様に。 自然と、頬を一滴が伝い、流れ落ちる。 「テオ」 「はい・・・なんですか?」 「私と一緒に来い。お前の助けが、必要なんだ」 「・・・・・」 コウタカの誘いに、貴子は口を開かない。 だが、その表情が告げていた。 だれも・・・英翔ですら見たことが無いような、無垢な笑顔で告げた。 その答えに満足げな表情を、コウタカは浮かべた。 そして、胸に寄りかかっている貴子―――――テオの肩を強く抱きしめる。 そのまま、音も無く飛び上がった。空へと、高く、高く・・・。 取り残された英翔には、ひたりひたりと、死神がにじり寄っていた。 傷は放置されたまま。 このままでは、もう何分もつかも定かではない。 無い筈の意識の中で、英翔は去り行く貴子の背中を見た気がした―――――――。
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