また、昔のことを夢に見ていた。
諦めたときだった。
退院して、彼女と別れたあと。自分は約束を頑なに守っていた。
そのために、年上に食って掛かることも多かった。
そんな自分に周りは一様にして、「入院中になにかあったの?」と訊ねてきた。
だが、彼女のこと。約束のことは秘密にした。
容易く言葉にするような、生易しい物にはしたくなかった。
そのことを話したことがあるのは、亡き祖父だけだ。
彼は、自分の考えにこう言った。
「諦めずに頑張って、その先を見極めなさい」
まだ少年というような年であった自分には、その言葉の真意は判らなかったが。
祖父が応援してくれているという事実だけで俄然やる気がでた。
だが、それは成長するにつれ磨耗していった。
そのピークともいえる時期が、中学校に入学した時期だった。
知識が増え、知恵が働くようになると、自分の思い描いていた理想がどれだけ実現不可能なことかわかり、絶望した。
それでも、必死に守った。
花を折る者がいれば、咎め。
小さな生き物を殺めようとする者がいれば、止めた。
そして、一つの命を守るたびに、現実と理想はすれ違った。
そんなのは偽善だ。
この世に生あるモノは、何かを犠牲にしなければ生きられない。
殺すという行為は、生きている限り逃れられないことなのだ。
幼い心は、すぐに限界がきた。
何もかもが嫌になり、全て投げ出した。
約束も、自分も、彼女も、いっさいがっさい全て。放り出して逃げ出した。
そして、暴走族に入った。
無我夢中に走った。喧嘩もしたし、半殺しなんて日常茶飯事。
体の傷が絶える日などなかった。
無謀ともいえる特攻を、何回も何回も繰り返し。その度に死にそうになった。
警察には何回土下座しても足りないくらいお世話になった。
学校には、当然行ってなかった。
毎日毎日、飽きもせずに喧嘩と酒と女に明け暮れた。
気が付けば、自分は族の中でもかなりの地位に伸し上がっていた。
だが、そんなことには興味はなかった。
ただ、喧嘩がしたかった。
限界ギリギリまで相手を殴打し、死寸前まで追い込む。
そのスリルと、いままで自分のしてきた行為を冒涜する感覚。
快感だった。
そして族に入って数年がたったころに、高志が入ってきた。
本人曰く、その頃の自分は高志にとって憧れの的だったようだ。
実際、族の中でも自分は伝説的存在になったいたらしい。
中坊だてらにナナハン転がして、挙句の果てには特攻隊長。
一度走れば、テールランプの跡に残るは骸の山。
だが、そんな日々の中。
自分は取り返しのつかない過ちを犯した。
その日も、自分たちのシマに勝手に入ってきた他のチームの斥候を追いまわしていた。
徐々に追い詰めて、嬲り尽くしてやろうと思っていた。
そして、それは起きた。
交通事故だった。
自分たちから必死に逃げていた奴は交差点を勢いよく曲がって、猛スピードで走っていたトラックに轢かれた。
目の前だった。
曲がっていったと同時に、肉片になって再び視界に戻ってきた。
その光景に、今まで自分の犯してきた行為が蘇える。
指きり。
握り締めた指は、あんなにもか細かったではないか。
父に受けた暴行を話した時の表情は、あんなにも悲痛だったではないか。
自分との約束に、精一杯応えると言ってくれたではないか。
その後間もなく、族を抜けた。
決意は、更に固くなっていた。
一度は投げ出してしまった。
その事実が重い。
確かに誓ったではないか、守ると。
命も、笑顔も、なにもかも全て。助けて見せると。
なら、もう逃げ道も迷いも必要ない。
進むべき道は、とうの昔に決まっていたのだから。
眩し過ぎる朝日に目が覚める。
軽く羽織っただけの毛布をのけて、体を起こす。
時刻は、ちょうど朝の七時ごろだった。
毛布をたたみながら、自分の真横にあるベッドに横たわっているミホを見る。
その泣き疲れた顔に、悔やんでも悔やみきれない気持ちになる。
あの震えた肩、虚ろな目、凍えた心。
怯えた・・・小さな手。
「あ、起きたんすか先輩」
部屋に入ってきた高志が話し掛けてくる。
「ああ、昨日はすまなかった」
「別にいいっすよ、だって先輩の家使えないんでしょ?」
そう、昨日あの病院からなんとか戻ってきたまでは良かったのだが。
問題はその後だった。
アパートの前には「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープが張り巡らされていた。
どうやらイルとの一戦は、世間に思いもよらないほどの影響があったらしい。
しかたなく自分の部屋に忍び込み、服や医療品などを適当に見繕って取った来ることとなった。
その後、世間一般では自分たちは病院に担ぎ込まれているということになっているのを思い出し、実家に帰ることも出来なかった。
それでしかたなく、無理を承知で高志に泊めてくれるようにたのんだ。
結果。高志は二つ返事で快く了承してくれて、おまけに部屋まで貸してくれた。
そうして現在に至るという訳だ。
「じゃあ先輩、俺これから学校行きますけど、もしものことがあったら携帯に連絡入れてくださいね」
「ああわかった。でもフリースはどうするんだ?」
「フリースの奴なら、昨日から一緒に登校してますよ」
「一緒にって・・・・甲賀高って男子校だろう?」
「あははは、あそこの雰囲気は先輩が居た頃と欠片も変わってませんよ。今更女が一人や二人いるだけでビビル教員もいないし」
現在高志が通っている県立甲賀高校は、県内・・・いや国内でも有数の不良校である。
かつては透も通っていたが、その現状は凄まじいものである。
校内は高志がいるバイクのチームが仕切っていて、それには教員でさえ逆らえない。
壁にはいたるところにスプレーで書かれた落書きが満載で、窓ガラスの八割は喧嘩などの騒ぎによって割れているという有様である。
おまけに男子校のはずなのに、何時の間にか他校の女子が紛れ込んでいるときもある。
しかし教員は生徒からの報復を畏れ、注意できないでいるのが現状だ。
だがそんな甲賀高も今は取り壊しの計画が進んでいて、近いうちに潰れるという噂があった。
「まあ、それもそうだな。でも一応気をつけろよ」
「わかってますって、それじゃ!」
そう言って高志は慌しく部屋を飛び出ると、玄関に向かって走り去っていった。
透はミホと二人きりで高志の家に取り残された。
高志の両親は共働きで、しかも一年に数回しか帰って来ないので、自分やミホがいても支障はなかった。
いまだ眠っているミホの顔を覗き込む。
その頬に、そっと手を伸ばす。
唇にかかった髪の毛をのけて、耳にかけてやる。
涙の流れた跡が、痛々しかった。
(当面の問題は、どうやってミホを立ち直らせるかだな・・・)
そう思うと、アウグストゥスを殺した直後の彼女の姿が浮かぶ。
それは、まるで怯えた子供そのもの。
殺す必要はなかった、でもミホは自分の中の弱さに負けて刀を振り下ろしてしまった。
本人もそれを自覚しているだろう。
だから、余計に責任を感じて立ち直れなくなるだろう。
ふと、ミホの服に視線が向く。
その格好は、あの病院で着せられた検査服のままだった。
昨日アパートで自分の衣服は確保したが、彼女は透のお下がりしかなかった。
つまり、彼女は自分の服を一枚も持っていない。
その事実に、なぜか憤りを感じる。
それはあまりにもミホが可哀想だ、と。
彼女だって普通の女の子なのだ、着飾るのは女として当然の権利だ。
思い立って、懐から携帯を取り出し、電話をかける。
相手は透がかよっている大学の教授だ。
数回の電子音の後、相手が電話に出る。
「こらああああああ!!透、てめえアタシの講義二回もサボったな!いい根性してんじゃねえか!?」
「あー、お久しぶりですタツエさん。相変わらず元気ですね・・・」
受話器に向かってがなり立てる声に堪え、何とか返事をする。
国立甲賀大学・教授、明日川 立江(あすがわ たつえ)。
彼女はわずか二十六歳にして一気に教授になった人物だ、しかし昔は透や高志たちと一緒に走っていた間柄である。
族を抜けると同時に大学に入り、破竹の勢いで大学教授にまで登りつめた。
しかし根は族にいたころと変わらず、言葉使いは乱暴で、よく講義をサボったりする。
最近は研究もせずに、自室の教授室で呑気にパターゴルフをしているところを他の教授に見つかり、たっぷりと油を絞られたそうだ。
「で!ちゃんとした言い訳用意してアタシに電話してるんだろうなあ、ええ?おい!?」
「い、いえ違います。今日はちょっとした買い物に付き合って欲しくて・・・」
「ああ!?買い物だとお、そんぐらい自分で行け!そして帰ってくるな!!」
駄目だ、タツエさん。
抗議二回もサボったことに激昂して我を忘れている。このままでは埒が明かない。
「あのですねえ!教授を一人の女性として頼みたいことがあるんです」
「は?」
「午前十一時に大学前の商店街入り口まで来てください!頼みましたよ!」
「え?あ、ちょ―――・・」
ぶつり。
そこで電話を乱暴に打ち切った。
そして頼む相手が悪かったと後悔する、もっとちゃんとした女性を選べばよかった。
約束の時間までに指定場所に行くために、ミホを起こす。
肩を、ゆっくりと揺さぶる。
「おーいミホ、起きろーー。朝だぞー」
「――っううん・・・」
その言葉に、ミホは目蓋を開ける。
目は、相変わらず虚だった。
眼球こそ透に向いていたものの、視線は透を捉えていなかった。
「おーい、大丈夫か?」
ひらひらと手を振り、意識のを有無を探るが反応が返ってこない。
仕方なく諦める。
透はアパートから回収した自分の衣服の中で、ミホが来ていても違和感が無い物を選ぶと彼女に手渡した。
ミホは、遅くはあるが体を動かして検査服から普段着に着替えた。その間透は俯いて目を閉じ、念仏を唱えて邪念を振り払っていた。
そうして、ぎこちない状態が続きながらも透とミホは商店街に向かった。
「・・・・・・・・・うわあ」
その光景を見て透はそう呟いた。
まだ約束の十一時までに十分ほどの余裕があったが、待ち人はすでに来ていた。
商店街の入り口を占領するように仁王立ちした姿はまるで鬼。
というよりブチ切れたエリザベス女王、近づくと噛まれそうでかなり危険。
しかし、約束の時間に遅れれば状況はもっと悪化するに違いない。ここは意を決して特攻するしかなかった。
「ち、ちーす。タツエ教授・・・」
あくまで平静を装って話し掛ける。
引きつっていても無理やり笑顔を作る。でなければ確実に死ぬ。
「お前が言うから来てやったんだ・・・さっさとすませろ」
「は、はい」
ドスの利いた声はヤクザですら震え上がるだろう、子供なら即気絶だ。
ミホの服の襟を掴んで自分の方に引き寄せる。彼女はバランスを崩さまいと、ててて、と歩く。
「この子の服見繕って欲しいんですよ、俺じゃあわからないから」
「―――――――――――――――――っ!!!!」
脳天に拳骨が直撃。
その威力は対戦車ライフルもびっくりな勢いだ、軽く死ねる。
ていうかよく意識が飛ばなかったという自分に乾杯。
「ミホちゃ〜ん、次はこれいってみよ――う!」
タツエはそう言いながらミホに駆け寄ると、数十着の服をドサドサと置く。
ミホはそれに相変わらず無反応に従う、実に懸命な判断だと透は感心した。
「ていうかあんなに怒ってたのに・・・・・なんでミホの服を選ぶときになると途端に上機嫌になるかな」
きゃっきゃと騒ぎながら、一喜一憂して服を選ぶタツエ教授を見て透はぼやく。
でも、ある意味この人で適任だったのかもしれない。
ミホの服を楽しそうに選ぶ姿は、いい意味でため息が出る。ようするに、リラックスできる。
最近は、『ミホ』の戦いの連続で神経が休まることが無かった。
だから、こんな待ちぼうけの時間さえも心地よく感じる。
それに、心なしかミホも調子が戻ってきたようだ。相変わらず無表情だったが、朝に比べて確かに明るさがあった。
「とおる―――決まったよー!会計!」
「はいはい」
ぼやきながらベンチから立ち上がり、財布の中身を確認する。中には生活費含め計六万、これで金が足りないということはないだろう。
レジ前に立ち、電工表示板を見る。それと同時にレジのお姉さんの声が聞こえる。
「えー、合計五万七千九百円になります」
意識が飛ぶPart2。
なんですか。なんなんですか、服代で五万七千って。
タツエさん、これは当てつけですか?抗議二回はそんなに重いんですか?
骨が軋むような角度で首を曲げてタツエさんとミホの方を見る。
タツエさんは腹を抱えて笑っていたが、ミホは微笑していた。
そんなミホの笑顔に、安心する。
あの想い出の中の彼女との約束を果たせていると実感できる、命も笑顔も守れていると思える。
財布のダイエットに成功した。
「いや〜買い物したねえー、久々にストレス解消できたわ」
「いや〜タツエさんのおかげで財布がダイエットできましたよ、餓死するぐらい」
「あっはっはっは、悪い悪い。そんなに買い込むつもりは無かったんだよ、ホント」
なら財布の体重を返して欲しい。
いくらミホの服代のためとはいえ、五万は痛すぎる。
タツエさんは商店街のベンチにドカっと腰を降ろす。その横にミホを手招きして座らせる。
そしてミホの隣に座ろうとすると・・・。
「アンタはあっち!」
と言ってある店を指差した。それはこの商店街でも有名なクレープ屋で、常に行列が絶えないほどだった。
今の数十人の人が並んでいて、買うのに数十分は並ばなければならない。
「・・・・・・・・・・・・あれに並べと?」
「そう♪チョコバナナ二つね。アンタの奢りで」
「・・・・行ってやるさ、奢ってやるさチクショ―――――――!!!!」
そう叫びながら透は長蛇の列へ突っ走っていった。
涙が光の筋を引く。
「おー、本当に奢ってくれた」
内心ラッキーと思いながらタツエは特攻していった透を眺めた。
そして、本題に入る。透にクレープを買いに行かせたのは、彼女と二人で話がしたかったからだ。
「ミホちゃん、訊いてもいい?」
「え・・・なにをですか」
その声は暗かったが、最初見たときよりはだいぶ明るくなっていた。
最初透に紹介された時には、自殺するんではないだろうかと思ったほど消沈していた。
「アナタ・・・なんでそんなに落ち込んでるの?折角買い物に来たんだし、もっと楽しまないと」
「・・・・私は、過ちを犯してしまったんです。人として、許されない過ちを」
「ふぅ――ん、そりゃ辛いわね。でもさ、アナタなにか勘違いしてない?」
「え?」
意外な発言にミホは驚き、タツエを見つめる。
「確かにさ、間違ってしまったものってしかないよ。でもさ、そんなに落ち込む時間があるなら次のステップに行った方が良くない?
今のアナタにそんな余裕があるなら別にいいけど、私が見たところアナタにそんな余裕ないはずじゃない?」
「・・・そんなことじゃ済まされない、私は・・・・・・最低だ」
「う〜ん、ミホちゃん。間違えてしまったことの、一番正しい対処のしかた知ってる?」
「・・・省みること?」
「それもあるけど、一番大事なのは、その間違いをどうやって背負って生きていくか、どうやって前向きに生きていけるかなのよ」
「前向き」
その言葉は、例えるなら一陣の風だ。
それは、私の心にかかっていた暗雲を、いとも容易く吹き飛ばしてしまう。
間違いは――殺してしまった事実は変えられない。
大事なのは、いかにその間違いと向き合い、いかに次に繋げられるかである。
過ちは、正すことができる。
「おまたせ〜、クレープ買ってきたよ―――」
透は、ふらふらになりながら戻ってきた。並んだ時間は総計約一時間弱、足腰が悲鳴をあげる。
しかも並んでいる間中ずっとクレープの甘い匂いに嗅覚が晒されるため、感覚がおかしくなってくる。
「ありがとー。はい、ミホちゃんのぶん」
「あ、ありがとう。タツエさん」
ミホはそれを嬉しそうに受け取る。
彼女のその表情に目が点になる。自分が並んでいる間に何があったのかは知らないが、ミホはいつのまにか以前の元気なミホに戻っていた。
「おいしいか、ミホ?」
「うん、甘いもの好きだから嬉しい!」
「そうか・・・」
その表情に、笑みに、こっちまで笑顔になる。
きょう、タツエさんと一緒に出かけて本当に良かった。
彼女の笑顔がまた見れた、そのことに涙まで出そうになる。
俺はまだ―――約束を守れているよ。■■――。
「「ただいまー」」
高志の家に帰り着き、玄関を開けるとミホと自分はほぼ同時にただいまを言った。
互いの顔を見合わせる、なぜか笑いがこみ上げて来る。
「先輩・・・・人ん家の玄関で惚気ないで下さい」
今から顔を出した高志が呟く。
「え!?お、俺は別に惚気てなんか―――っ!」
無い、と言い切れない自分が憎い。
なぜだか、言い切れない。
「それより先輩、あした遊園地行きません?」
思考を断ち切るように高志が喋りかけてくる。
「え?ああ、いいな。ってお前学校はどうするんだ?」
「そんなのいつもの事っすよ!」
高志は豪快に笑い飛ばすが、他人から見れば笑えない。冗談抜きで。
居間から更にフリースが顔を出す。
「もうお弁当は作ってますよ――」
そう言いながら彼女は遊園地のタダ券を四枚はためかせる。
こんな戦いの最中に行くところではないだろう、と思ったが。あながちそうとも言い切れない。
こういう神経をすり減らす戦いにこそ、精神の休息は必要不可欠だ。
なにより遊びたい盛りの自分たちに、戦いに専念しろというほうが無理なのである。
「しゃあねえ。そんじゃあ明日は弁当持って、遊園地に行くか」
「おっし!先輩も折れたし、満場一致で可決!!」
本当にこんな事をしている場合ではないのに。
けど、この四人のメンバーで遊ぶのはこれが最初で最後になるなんてことは・・・・。
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