「どうぞ、この部屋を使ってください」
英翔は店の二階に霧恵を案内すると、階段を上ったところを真っ直ぐ伸びている廊下の一番奥に位置する部屋のドアを開けた。
その部屋の中には、何も無かった。
ただ押し入れと畳と窓と電灯とそれのスイッチがあるだけだった。
あまりの簡素さに霧恵は言葉を失った。
「あの・・・・・・・何も無いんですけど」
「すいません。でもこの部屋が一番清潔なんです、ゴキブリもネズミも出ないのはこの部屋だけで―――」
「この部屋が良いです」
英翔が言葉を終わらせる前に、霧恵はきっぱりと答えた。
たしかに物は無いが、埃っぽさも殆んど無い。部屋の状態も比較的劣化が進んでいないし、女子高生の部屋としては合格ラインだ。
「辛うじて布団だけは押入れに入っていますので、それを使ってください。この前干したばかりなので綺麗なはずですから」
閉てつけのあまり良くない押入れの扉を、物音を盛大にたてながら開けると、英翔は一組の布団を取り出した。
そしてそれを、世辞でも広いとはいえない部屋のど真ん中に堂々と広げる。
「荷物の片付けとかは明日にしましょう。あしたの学校に行く準備ができたらもう寝てくださいね、もう夜も遅いですから」
英翔が自分の腕時計の文字盤を眺めながら言う、その針はもう夜中の四時前近くだった。
「すいませんホントに、なにからなにまでしてもらっちゃって」
「だから構いませんって。それより早く休んで下さいね、それじゃ」
そう言い残して英翔は部屋を出て行った。
そして霧恵が仮の自室に一人残される。
彼女は英翔が纏めてくれた荷物の中から明日のための制服を取り出すと、かける場所がないので仕方なくカーテンレールの上にかけておいた。
教科書なども忘れずに持ってきてあるので、忘れずに学校指定の革鞄の中に入れる。
遠くで、新聞屋のバイクの走る音が耳に届いた。
このままでは流石に明日に堪えるので、霧恵は英翔がひいてれた布団にもぐった。
高屋先輩の押しかけによって妨げられていた睡眠欲は、布団に入って落ち着いたことにより一気に襲ってきた。
霧恵は、数分とせぬうちにすうすうと寝息をたてた。
夢。
夢の中にいる。
また、結ヱがいたころの記憶の夢だった。
なぜそう思ったのか。それは結ヱが自分の目の前に立っていたからである。
成長した自分の姿とは対照的な、あの時からずっと変わらない結ヱの姿。
私は、どうすればいいのか分からずに佇んでいる。
あの時と、全く変わらない。なんの成長も無い。
突然、結ヱが吐血した。
苦しむ動作も無く、まるで垂れ流すかのように口から血をだらだらと流す。
そして、その息苦しさに彼女は咳き込む。
私は慌てて駆け寄ろうとする。だがその足は数歩踏み出してすぐに止まった。
それは、結ヱが自分のことをまっすぐと見据えていたからだ。
まるで私を恨むような目線で見つめていた。
私は気付いたように、自分の手の平を見る。
それはあの時と比べて、なんと大きくなったことか。なんと汚れていることか。
水が、地に落ちて弾ける音が響く。
はっと首を上げると、私は結ヱを見つめた。
すると彼女は口を開いてこう言った。
『はなして―――――――――――――・・・』
「結ヱ!」
夢に出てきた彼女の名前を呼びながら、霧恵は跳ね起きた。
まだ夏に差し掛かるには早い季節だと言うのに、自分の体はびっしょりと濡れていた。
心臓が、未だ早鐘をうっている。
外は今まさに夜明けという時間だった。寝る気になれず、霧恵は布団から起きると部屋を出て、階段を降りた。
店内に出ると、英翔もまだ起きていないようだった。あまり清掃が行き届いているとは言い難い店内は静寂が陣取っていた。
カウンター席をまわって、厨房に入ると霧恵はそこに置いてあったフライパンを手に取った。
いつまでも世話ばかりになっていては立つ瀬がないので、朝食を作ることにした。
幸い、材料と器具は豊富に揃っている。
この店に初めて来たときに、英翔が身につけていたエプロンがカウンターの椅子にかけてあるのを霧恵は見つけた。
手に取り、しばしの間眺める。
そして、少しためらいながらその生地の匂いを嗅いだ。
そのエプロンには、色々な料理の匂いが入り混じってた。そこから、彼がいかに料理をしているかが伺える。
あの整った顔にうっすらと汗が浮き、一心に料理に打ち込む姿はきっと素晴らしいものだろう。
霧恵は考えただけで赤面する。
その雑念を振り払うかのように、頬を一回ぱちんと叩くと、霧恵は料理を開始した。
「こ、こんなもんかな・・・・」
十数分後。完成した料理を前に、疑問符をうかべながら霧恵は呟いた。
それは、良く言えば「まあまあ」。悪く言えば「ちょっと下手」というような出来だった。
内容は、ベーコンハムエッグにトースト、そして簡単なサラダを付けたものである。
そうしてその料理を前に霧恵が頭を悩ませているところに、寝起きの英翔がのろのろと店内に入ってきた。
どうやら、食べ物の匂いにつられたようだ。
「ああ――――、良い匂いだ・・・って、霧恵さん?」
「あ、すいません黒咲さん勝手に厨房借りちゃって。でも、私もお世話になってばかりではいられないので」
半分寝ぼけた頭で、英翔は納得する。
そしてカウンターに座ると、ついさっき完成した霧恵の料理に有無を言わさずにかぶりついた。
そのまま無言でゆっくりと咀嚼する。
いまの英翔は眼は半分閉じていて、動作も全てにおいて鈍い。朝に弱いというのは一目瞭然だ。
「おいしいですねー、一人暮らしだと自分より先に起きて朝ごはん作ってくれる人がいないんで助かりますー」
「あ、ありがとうございます・・・!」
英翔のボケた口調の褒め言葉に、霧恵はお盆で顔を隠して焦り気味で答える。
「霧恵さんは朝ごはんはもう済ませたんですかー?」
「いえ、朝はいつも入らないんですよ」
「そうですか、朝はきちんと食べないと力でないですよー。それと、私が食べ終わったら一緒に学校に行きましょー」
「え?」
その何気ない英翔の一言に、霧恵は唖然とする。
一緒に登校する。
たしかにこんな上物と登校できるのは願ってもない幸運である、しかし二人の間柄はクライアントとガードマン兼探偵である。
それ以前に自分が異性と一緒に登校などしたら、友達になんて言われるか想像もつかない。
「ふええええ!?い、一緒に登校!?」
「はい、登下校中に例のストーカー君が襲ってこない保証はありませんー・・・ですから私と一緒に学校に行き来するのがベストですー」
寝ぼけたことをサラッと言うと、英翔は器用にパンを銜えたまま眠りに落ちた。
霧恵はそれを、フライパンを耳もとで盛大に鳴らすことで覚まさせた。
私立東條高校。県内有数の私立進学校である。
最寄の駅から十分、小高い土地に建てられている。
通っている生徒は、いずれ日本の未来をも担うであろう大物の子供ばかりだ。故に集まる生徒の個性は強烈である。
それに対なるように、東條高校と駅を挟んで位置するところに甲賀高校という公立高校がある。
この校は色んな意味で東條と全く正反対である。
甲賀高校は日本きっての不良校である。そのため学力も最低レベル以下で、おまけに東條の生徒に絡んできたりもする。
東條高校の目下の悩みの種であった。
そして、その東條高校までの長い坂を登る二人の人影があった。
登校時間には少し早いので、通学路の坂道には人影は数えるほども無い。
その朝の冷めた空気の中を、初塚霧恵は頬を上気させながら歩いていた。その原因は彼女の横を歩いている男性にあった。
黒咲英翔。彼は締まりのない呑気な表情で、のほほんと霧恵の横を歩いていた。
しかしそんな呆けた表情からでも、その顔を良さは嫌と言うほどわかった。
テレビなどで見るアイドルも裸足で逃げ出しそうなその容貌は、異性どころか同性まで魅了してやまないだろう。
だが本人に自覚が無いので、周囲のそのような視線は全く気付いていない。
もちろん、霧恵の意味深な視線にも全く気付いていなかった。
(うわ―――――・・・本当に黒咲さんと一緒に登校しちゃった。と、冬小とかに見られたらどうしよう・・・)
横にいるあまり美形な、そして呆けた英翔に、霧恵はずっと心拍数を早めていた。
いつもはそんなに苦にならない坂道が、今日はやけに長く、傾斜が急に感じられる。
「あ、校門が見えてきましたよ霧恵さん」
「はい!」
校門が視界に入るなり、英翔はそう言った。
その言葉に、気が気ではなかった霧恵は過剰反応してしまう。
そんな霧恵に、英翔は心配の眼差しを向ける。
「大丈夫ですか?なんなら授業中も校舎外から監視していましょうか?」
「ふえ!?いえ、けけけ結構です。こんな坂道の上まで付き添ってくれて本当にありがとうございました!それじゃ!」
そう言うが早いか、霧恵は敬礼のようにきりっと手を上げて英翔に別れを告げると、全力で校門まで疾走した。
その背中に、相変わらず頭に花が咲いた英翔が小さく手を振った。
校舎入り口にある下駄箱で、霧恵は肩を激しく上下させていた。朝から体力を使いすぎた。
数回深呼吸して、息と気持ちを整える。
そうして自分のクラス、2−Bに向かって階段を上った。
授業中は、地獄だった。
昨日寝れなかった事と、朝早く登校したことが重なり、授業中は睡魔との必死の攻防戦を繰り広げた。
私立高校なので、授業中に寝るなどということはご法度もいいところである。
霧恵は、なんとか寝ない努力はしたが、授業内容はさっぱり耳に入らなかった。
そうして、うとうとしている間に時間は昼になっていた。
昼食時間を告げるベルが鳴ったと同時、霧恵は気付いたように鞄の中を見た。
今日の朝は、英翔の朝ご飯を作るのに費やしたため弁当を作り忘れたのである。
急いで鞄の中を見ると、そこには一つの包みが入っていた。
その包みを開けると、中には手作りと思われるオニギリが四つ入っていた。そしてさり気なくメモが添えられていた。
それを開いてみると、こう書いてあった。
『今度からは気をつけましょうねー。by英翔』
霧恵はその内容に、しばし呆然とした。
そして心の中で英翔に深い感謝の意を捧げる。
まさか、いつの間にか彼がオニギリを作っていたとは知りもしなかった。
もしかしたら、昨日から仕込んでいた物かもしれない。
手を合わせて、ありがたく頂く事にした。
「おー、今日のお弁当はやけにシンプルだねえ霧恵。寝坊した?」
今にもオニギリにかぶり付こうとした霧恵に話し掛けてきたのは、彼女の親友である琴坂 冬小であった。
「違う、きょうは私が作ったんじゃないの」
「あ、もしかしてあの『何でも屋』の兄ちゃん?」
「あー、やぱっり知ってたのねー!」
うしし、と笑う冬小に霧恵は指をさした。
それは霧恵に「all things(株)」の場所を教えたのが、いま目の前にいる冬小だったからだ。
それが意味すること、それは冬小が黒咲 英翔の容姿を知っていたということを意味する。
それを踏まえたうえで、冬小はわざと霧恵にその事実を伏せていたのである。
「あはは。いやー、つい悪戯心が騒いでね、ごめんごめん」
「もう、あたし本当に焦ったんだからね。あんなカッコイイ人がいるなんて全然思わなかったんだから!」
ほっぺを膨らます霧恵に、はいはいと頷きながら冬小は自分の弁当の中に入っていたタコウインナーを差し出す。
それをオニギリの上に載せてもらうと、霧恵は一旦機嫌を直した。
「それにしても冬小って、なんであんなお店知ってたの?」
「あー、うちの馬鹿義兄貴どもって二人とも『ヤのつく自由業』やってるからさ。あんな店には詳しいんだ」
頬を指先で気まずそうに掻きながら、冬小は答えた。
「・・・・・・・ごめん、聞いちゃいけなかった?」
「いいっていいって。これでおあいこ。ちょうどイイよ」
そう笑い飛ばす冬小につられて、霧恵も笑った。
そうして午後の授業は、比較的睡魔に襲われることなく終わった。
霧恵は特に部活に入っていないので、すぐさま帰宅することにした。
そして校舎入り口の下駄箱で履き替えていると、一人の影が近づいてきた。
それが視界に入り、霧恵は履こうとしていた靴から視線を上げた。
その瞬間、彼女は息を飲んだ。
影の主は、高屋だった。
「登下校にまでアイツを付けてるなんて、大した臆病さじゃないか。初塚」
「た、かや先輩・・・」
霧恵は思わず身構えたが、高屋は霧恵に近づこうともしなかった。
不審に思ったが、それが、彼女には何故か怯えているように見えた。
「いいか?あんなルンペンもどきの護衛をつけただけで安心なんてするなよ?君が僕の女にならない限り安息なんて与えてあげないからね!」
吐き捨てるようにそう言い終えると、高屋は急ぎ足で校舎の中に消えていった。
その背中を、霧恵は首を傾げて見送った。
(くそっ!なんだ、何なんだアイツは!)
生徒会室までの道中、高屋は悪態をついた。
それは、霧恵の背中の遥か後方。
正面校門に立っている人物の視線に対するものだった。その目を思い出し、冷や汗が吹き出る。
高屋は決して目が良いほうではない、しかし霧恵の50メートル以上後方にいた男の視線を確かに見た。
否、見せられた。それは、分かり易く言うなら殺気の篭った視線だった。
いや、実際はそんな生易しいものではなかったのかもしれない。
だが、恐怖に体が凍てついたことだけは事実だった。
(なんて目をしやがるんだ・・・・ちくしょう、あのジャージ男め!!)
薄い夕陽の入り始めた廊下を、高屋は急いだ。
「こっちですよー」
疑問符を頭に浮かべながら校舎から出てきた霧恵に、英翔は校門から大声で手を振った。
その姿を見て、霧恵は苦笑しながら手を振り返した。
それは英翔の服装が、相変わらず上下真っ黒なジャージ姿だったからである。
彼には服装のセンスが無いのだろうか、と霧恵は本気で思った。
「別に迎えに来なくても良かったのに・・・」
「いえ、霧恵さんがまた襲われたら大変ですからね。それについさっきも、あのストーカーさん、近寄ってきてたじゃありませんか」
英翔は相変わらず呆けているとしか言いようがない、呑気な笑顔を返してくる。
霧恵は、校舎を振り返った。
校門から見た、校舎入り口の下駄箱は確かに見える。だが、そこに誰か立っているという事までは確認できない。
霧恵は別に視力が悪いわけではない、それどころか人並み以上に良いと言ってよい。
その霧恵ですら識別困難な距離を、この男は造作も無く見てのけたのだろう。
その事実に、背筋に寒気が走る。
いくらヘラヘラしていても、この男はKOTRTの一員なのである。
人外と称され、畏れられる別脈種の中でも選りすぐられた者のみで構成された特務隊。
ただ「壊す」事のみを念頭におき、固執し、追求し、特化させた異常・異能者の集団。
自分が、そんな組織の一員と一緒にいるということを改めて認識させられる。
そう思い、表情を少し暗くした霧恵に、今度は英翔が苦笑した。
「そんなに、怖がらないで下さい。噛みつきやしませんよ」
「え?」
霧恵はその言葉にハッとした。いま、彼は何と言ったのか。
それ以前に、いま自分は彼のことを何と思ったのか。
心の中に罪悪感が拡がる。
「す、すいません・・・あたしつい――――」
「霧恵――――――っ!」
急いで英翔に頭を下げようとして霧恵の首を、後方から疾走してきたモノがラリアットをかけた。
それは、今日一緒に昼食をとった琴坂 冬小だった。
冬小はラリアットを喰らわせると同時に、霧恵の首をがっちりとホールドすると、そのまま霧恵を引っ張っていった。
「すんませーん、ちょっとこの子借りま―――す!」
「あ・・・」
有無を言わさず、冬子は英翔の目の前から霧恵を颯爽と拉致していった。
坂道を滑るように下ると、英翔とかなり離れた距離のところで冬小は霧恵を解放した。
自由になった霧恵は首をさすりながら冬小に向き直る。
「もう・・・いったい何なのよ。あ、首が・・・・」
「いやー、ゴメンゴメン。アンタに良いもんプレゼントしようと思ってさ!」
冬小はそう言うと、霧恵に二枚の紙切れを差し出した。
霧恵はそれを受け取ると、しげしげとそれを眺めた。
それは、つい最近できたテーマパークの無料入場&フリーパス乗り放題のチケットだった。
そんな物を二枚。
「・・・・どうしたのこれ?盗ったの?」
「な!?性格によらず失礼ねアンタって子は・・・それ、アタシが彼氏と行こうと思ってたやつ。
今日になって急にドタキャンされたから、アンタにあげるの」
「いいの?こんな高そうな物」
「いいっていいって、取っといても腐るだけだし。明日は祝日だし、楽しんで来な」
「へ?」
祝日。その単語に霧恵は、はてなと首を傾げる。
その霧恵の動作に、冬小は呆れた動作をする。
「アンタ、今日のHRの連絡聞いてた?明日は祝日、そんでもって明日は学校ないの。あるのは明後日。わかった?」
「あー、はい」
「はあ――――――・・・アンタって、つくづく天然だねえ。あたしゃ心配だよ」
天然なのは英翔の方であって、断じて自分ではないと霧恵は心の中で呟いた。
「そんじゃま、上手くやんなよ?」
冬小は去り際に、帰国子女でもないくせに霧恵のおでこに軽くキスをした。
しかし、それはいつものことなのであまり動じない。最初の方は火が出るほど赤面したものだが。
そうして、冬小は陸上選手も真っ青な速度で長い坂道を下っていった。
霧恵は、二枚のチケットを持たされたまま、ぽつんと取り残された。
貰ったチケットに、躊躇いがちに視線を落とす。
(これで、黒咲さんと・・・・・・・・・・・・・・デートしろ。って意味なのかな、やっぱり)
そう思うと、チケットを見つめただけで赤面してしまいそうになる。
心拍数が、早くなる。
思考が、だんだんと熱を帯びていくのが分かる。
「あの人、随分と大胆ですねえ」
「ふえ!?」
何時の間にか横に立っていた英翔に、霧恵は思わず奇声をあげてしまった。
心拍数は早まるなんてものではなく、爆発した。
「い、いいいい何時からそこにいたんですか!?」
「?ずっと見てましたよ?いくらあの子の足が速いといっても、所詮は人間レベルですから」
ある意味差別的発言だと思ったのは、きっと気のせいではないだろう。
次の日、早朝。霧恵はまたも熟睡できなかった。
まだ時計の針が、六時に指し始めた時刻だというのに、霧恵は布団の上で座禅を組んでいた。
女子高生が早朝からパジャマ姿で布団の上で座禅を組むという光景は、なかなか奇怪だった。
その理由は、前日の夜に遡る。
「じゃあ、明日はお友達に貰ったチケットで遊びに行きましょうか?」
「ふえ!?」
夜、英翔の作ったプロ並みの中華料理を食した後、ゆっくりと紅茶を愉しんでいた霧恵は、思わずそのカップを取り落としそうになった。
あまりに唐突に話題を切り出してきたので、奇声まで発してしまった。
「だって、今日もらったでしょう?もしかして他に行く人が決まってるんですか?」
「い、いえ。別に決まってませんけど――――――!」
「じゃあ、息抜きも兼ねて行きましょう。あ、もしかして私と行くの嫌ですか?」
「そんなことありません!!」
座っていた店内のカウンターテーブルを思いっきり叩きながら霧恵は力一杯否定した。
補足すると、英翔は「all things」の店内をリビングの変わりに使っているのである。
そういう事情から、三食を取るのは必然的に店ということになる。
過剰な反応を返す霧恵に動じず、英翔は微笑みながら。
「明日は、お弁当持っていきましょうね。霧恵さん」
「・・・・・・・・・・・はーい」
完全に英翔のペースに乗せられる形で、明日。正確に言えば今日、遊園地に行くことが決定した。
そして、布団の上で座禅を組んでいる今に至る。
二階にある霧恵の自室には、一階にある店の厨房で忙しなく作業する音が届いている。
それはもう、かれこれ五時近くから始まっていた。
それを霧恵は、座禅を組みながらずっと聞いている。
そして割腹を覚悟したような、そんな真剣さで布団の上から立ち上がった。
足が痺れていた。
気を取り直して、霧恵は自分の衣服が全て入ったボストンバックをひっくり返した。
そこからデートに向いていそうな服を選ぶ。が。
それに向いていそうなものは、皆無と言って良かった。
(い、いくら彼氏いなかったからって・・・スカートぐらい持っておこうよ、あたし―――――!)
服は、どれも質素なものばかりで中性的な服が多かった。
そして、その中にあるものを霧恵は見つけた。
それを見た瞬間、霧恵の目は輝いた。
そこにあったのは、一つのワンピースだった。
嬉しさにあまりに、思わず抱きしめる。早速試着してみようと霧恵はワンピースを広げる。
サイズが、合わなかった。
天国から一気に地獄を落とされた気分になる。
気付けば、時刻はそろそろ七時になろうとしていた。
英翔は八時ぐらいに出発したいと言っていたから、あまりにぐずぐずしてはいられない。
半ば自棄になり、霧恵は服の山の中から普段着を引っ張り出すと、寝巻きから素早く着替えた。
そしてつい先日英翔に取り付けてもらったばかりの姿見で、服装をチェックする。
それはとても質素な、デートらしからぬ格好だった。
自分の服装の関心の無さに、霧恵は自己嫌悪に陥る。
華の女子高生がこのような体たらくで本当に良いのだろうか。
「霧恵さーん、起きてますかー?」
「は―――い、いま行きまーす」
階段越しに大声で呼びかけてくる英翔、霧恵は普段どおりに答える。
が、精神はかなり堪えていた。
一階の店に下りると、英翔は弁当を既に完成させ、おまけに朝食まで作っていた。
本人は、この遊園地を意外と楽しみにしていたようだ。
カウンターに座ると、英翔は霧恵に朝ご飯を差し出した。それは弁当に入りきらなかったであろうおかずと、一膳分の御飯だった。
小さな声でいただきますと言うと、霧恵は細々と食し始める。
そうこうしているうちに、時刻は八時にさしかかった。
「「あっ―――――」」
祝日の朝早い電車にゆられること数分で目的地に着くと、霧恵と英翔は同時に声を上げた。
遊園地の入り口には、こんな張り紙が貼られていた。
『誠に勝手ながら、本日の営業は延期させて頂きます』
という内容を、なんともご丁寧に書き綴ってあった。
その張り紙に、霧恵は開いた口が塞がらない状態だった。
どうりで、祝日にしては遊園地に向かう人の数が、ほぼ皆無なわけである。
しかしそんな霧恵とは正反対に、英翔は沈痛な面持ちでそれを眺めていた。
それは、まるで幼い子供のようにも見える。
「あの・・・・・どうしたんですか、黒咲さん?」
「え?・・・ああ、いえ別に。ただ、こういう所に来たことが無かったもので、一度は・・・遊んでみたかったんです」
英翔のその言葉に、霧恵は呆然とした。
そして何故彼が、今日をこんなにも楽しみにしていたのかを知った。あまりに遅い。
「すいません、変なこと言っちゃって――――」
「そ、そんなことないです!それに、遊ぶのは遊園地だけじゃないですよ!」
「はい?」
意外そうな表情をする英翔の腕を掴むと、霧恵はそのまま引っ張っていった。
そして、そのまま駅の方面へと疾走する。勢いを殺さずに、一つの建物の中に入った。
「ここで、遊ぶんですか?」
「はい!・・・って言っても、女子高生が楽しいだけなんですけどね」
霧恵が英翔を引っ張って入ってきた建物は、駅前にある大きなデパートだった。
遊園地で遊べなくなったのは仕方がない、ならせめて買い物などで思いっきり羽を伸ばそうではないか。そう至った。
そして霧恵は英翔の腕を掴んだまま、服屋に直行した。
そこは主に女性物の、それも若い世代を対象とした店だった。
英翔はまるで、こんなところ始めて来た、というような顔をしていた。
それに構わず、霧恵はさっそく服を漁り始める。
「あ、このスカート可愛い――。あたしも一着くらいスカート欲しいなあ。あっちのワンピースもこれからの季節になかなか・・・」
等々、いかにも年相応そうな女の子の反応を示しながら、様々な種類の衣服を攻略していく。
夏にはまだ早いが、売り場にはもう水着のコーナーができていた。そんな所も逃さずチェックする。
その後ろを、英翔は黙ってついて行く。
「さすがに、まだ季節早いよねー。あ、あっちのコーナー良さそう」
そうして当初の目的をすっかり忘れて、霧恵は服売り場を散策する。
英翔は物一つ言わず、その後ろを引っ張られる犬の如くついて行く。
霧恵は立ち止まると、一つの服の前で足を止めた。それはショウウィンドウ内に展示された一着のワンピースとカーディガンであった。
高校生には少し早いような、大人びたデザインであったが、それは霧恵のハートをがっちりと掴んでいた。
まるで子供のように、硝子にへばり付いてそれを眺める。
そんな状態の霧に、英翔は後ろから肩を叩く。
「あ、すいません黒咲さん。つまんないとこばかっり―――」
「その服、欲しいんですか?」
「はい?」
英翔の突然の質問に、霧恵はしばし回答不能に陥る。
いま英翔は何と言ったのか。
「ですから、服。買ってあげましょうか?」
「ふえ!?いいえ、けけ結構です、ホントに!」
全力でお断りする霧恵に構わず、英翔はジャージのズボンの後ろポケットから財布を取り出し、中身を確認する。
その際に、何かがひらりと一枚落ちた。
英翔は気付いていない様子だったので、それを霧恵はすかさず拾い上げる。
それは一枚の写真だった。
その中には、今より若干幼さの残る英翔。それと見知らぬ少女が一緒に写っていた。
兄妹なのだろうかと思い、霧恵は本人に直接尋ねる。
「黒咲さん、写真。落としましたよ?」
「え・・・・あ、はい、すいません」
一瞬唖然として、英翔はその写真を霧恵の手から受け取る。
そして、それを物憂げな表情で眺めていた。
「一緒に写ってるの、妹さんですか?」
「はい、唯一の肉親です」
「・・・・すいません」
「いいえ、別に構いません。それに妹は私が生きていることは知りません」
「え?」
「KOTRTに入隊するときに、親類には任務に失敗して死亡したっていう通知を送るんです、隊の性質上。
私は特例的に親類の比較的近くに住めているので、まだ幸せな方です」
英翔は、そんなことを何の苦も無い様に、さらっと言いのけた。
確かにその笑顔は屈託が無かったが、霧恵にはその裏側が見えるような気がしてならなかった。
「そうですか、黒咲さんにも・・・妹さんがいたんですね・・・」
「はい。霧恵さんにもご兄弟が?」
「・・・・・・・・・・・はい、妹が一人」
「へえ、一度は会ってみたいですね」
「その・・・私が、小学校のころに、先に・・・・」
「あ――――すいませ」
「いいんです」
英翔の言葉が終わる前に、霧恵は強引に会話を終了させる。
自分が小学校の頃に先立った妹。結ヱ。
良く一緒に遊んだ。率先して遊びに行く自分の後ろに、結ヱはいつも戸惑いながら付いてきていた。
それが急に、逝ってしまった。
原因は分からなかった。周囲の大人は口々にそう言った、両親もそう言っていた。
だけど、霧恵にはそうは思えなかった。
――――――結ヱは・・・私が、殺した。
その考えが、頭の中に根を張って、脳全体をぎちぎちと圧迫しながら、こびりついて、染みついて、食い込んで、離れない。
放さない。
それは、ずっと夢に見たからだ。
吐血しながら、ずっと自分を見つめる結ヱの姿が。
恨むように、ずっと、ずっと。一瞬も視線を逸らすことなく。一瞬も目蓋を下ろすことなく。
そうして夢から覚める頃に、結ヱは決まって、霧恵にこう言った。
『はなして』
その言葉の真意は、自分には分からない。
一体、なにから彼女は放れたいのか。一体、何が彼女を縛り付けているというのか。
それが、結ヱが死んでから、中学の二年になるまで私が毎日。
間を挟むこと無く見てきた夢。
沈んだ表情になった霧恵に、英翔は堪りかねて声をかける。
「本当に、大丈夫ですか?霧恵さん」
「え、あ、はい。大丈夫です。ただ、その時のことを思い出したら、何か暗い気分になっちゃって・・」
咄嗟に誤魔化して、霧恵は英翔に自分は平気だとアピールする。
そして二人は、デパートを後にした。
電車に乗り、英翔はそのまま直帰するつもりだったが。霧恵はどうしても行きたい場所が一つあると推した。
英翔それに反対せず、それなら是非、と静かに答えた。
そうして駅を四つばかり過ぎた所で、霧恵は英翔を先導して勢い良く改札を抜けた。
改札を出てすぐの所には、大きな公園があった。
豊かな緑が溢れる、大きな国立公園だった。その距離は、端から端まで移動するのに軽く一時間かかるというほどだ。
そのあまりに巨大な公園の、道を挟んだ向かい。
つまり改札を出て、そのままずっと横に進んだところに、それはあった。
『市立緑化センター』と書かれた、錆のきた看板がかかっていた。
霧恵は英翔の腕を引っ張って、センターの中に入った。
その中は、向かいの公園に負けず劣らずなほど、豊かに静謐に整理された緑があった。
このセンターは、市が『市民の憩いとふれあいと癒し』のために建てたものである。
故にセンター内には、図書館から公用のプレイルーム。さらには池や様々な植物を備えた開放庭園まである。
見事な物だ。
それが開放庭園を見た、英翔の感想だった。
開放庭園は洋風エリアと和風エリアに分かれていて、そのどちらもがとても凝ったものだった。
配置には細心の注意を払っているのだろう、光のコントラストまで計算に入れた花の位置は、驚嘆の一語に尽きる。
その他にも、和風エリアでは、盆栽なども飾られていたが、古さを感じさせない神業的な技術で置かれていた。
雑草一本すら、生えることを許さない完璧な、計算されつくした庭園。
「すごいですね、霧恵さん。こんないい場所を知ってるなんて」
「はい、子供の頃は結構良く遊びに来たんです。こういう所に」
そして英翔がふと目を向けると、その先にあまり見かけない建物が写った。
外装は白を基調とし、屋根の上にはシンボルの十字が立っている。
「霧恵さん・・・あれって、教会ですか?」
「あ、あれですか。はい、そうです。あそこのステンドグラスも、なかなか見ものですよ」
その後、二人は庭園をじっくりと見てまわると、駅に向かった。
「all things(株)」に戻ったのは、すっかり陽が落ちての時間帯にだった。
帰宅するサラリーマンやら学生やらで適度に混雑した電車内を、霧恵と英翔は今日の感想を交し合いながら過ごした。
その和やかな雰囲気のまま帰路にいた。
しかし、店の前に着くと、ある一つの異常がはっきりと確認できた。
店の、電気が点いていた。
今日は朝早く出掛けたので、点けっぱなしという可能性は低い。
結論は一つ、中に誰かがいる。
そんな緊迫するべき状況であっても、英翔は顔色一つ変えないでいた。
その事態が、起きていても普通、というような涼しい態度だった。
そして慌てる霧恵に構わず、何の躊躇いも無く店の引き戸を開けた。
「ただいまです・・・・・香坂さん」
店の敷居を跨ぐと、その中に居る人物に英翔は声をかけた。それは親しい間柄の者に使う、優しい口調だった。
気になり、霧恵は英翔の肩越しから店内を覗いた。
そこに居たのは、着物を着た女の人だった。
黒を基調とした生地に、薄い灰色で竹が描かれている質素だが雅な着物だった。
そして、それを着ている人物もまた見事であった。
腰まであろうかという漆黒の長髪に、日本人形を連想させるような、白いひっそりとした、それでいて存在感のある美貌。
同姓である霧恵でさえ、その美しさに目を奪われ、言葉を失った。
「おかえり、英翔・・・・・・・それと、その横の方は一体誰?」
優しく微笑みながら、しかし殺気を孕ませた声でその女の人は尋ねてきた。
「この子はクライアントです、気にしないで下さい」
「そう?ならいいんだけど、英翔にちょっかい出すんなら遠慮ないわよ?」
「そんな喧嘩腰の怖い声で威圧しないでくださいよ、香坂さん」
明らかに見知りの間柄の会話をする英翔に、霧恵は耳打で尋ねる。
「黒咲さん、あの女のひと誰ですか?なんこすごい怖いんですけど・・・」
「ああ、あの人は香坂 貴子って言って。KOTRTの第一席、事実上のKOTRT隊長だよ」
「え!?あの人が」
「聞こえてるわよ」
香坂の容赦無い一言で、霧恵の動きが止まる。
そして、座っていたカウンターの椅子からすっくと立ち上がる。
その動作の一つ一つにさえ、気品や優雅さが漂っている。美しいの一語に尽きる立ち振る舞い。
調子を変えず、ゆったりと英翔と霧恵が突っ立ったままの入り口まで近寄る。
貴子は軽く、英翔を肩に手を置いた。
「いつまでもそこで呆けてないで、お茶の一つでも淹れてちょうだい。長い間待ってたから喉が渇いてしかたないのよ」
「わかりました・・・」
英翔も相変わらず、普段の態度を崩さずに応待した。
そして貴子の希望通り、お茶を淹れるためにカウンター向かいの厨房の奥へと消えていった。
英翔が完全見えなくなったと同時に、貴子はいきなり霧恵の服の襟首を掴んだ。
霧恵よりも少し低い程度の、華奢な身体からは想像もできないような力の前に、霧恵は抵抗することもできず引き寄せられる。
「あなたが何のつもりで英翔と一緒にいるかは聞かないでいてあげるけど、彼は私のだから。それだけは覚えておきなさい」
「な、どういう意味ですか!?」
「あんたのお頭にも理解できるように話すなら、英翔は私の物だから、さっさと引き下がりなさいってことよ」
「い、いきなり上がりこんで来ておいて、そんな態度はないんじゃないですか!」
「な、五月蝿い小娘ね。それを言うならあんただって同じようなもんでしょうが!」
「なによ、着物なんか着ちゃって。童顔なのと身長が低いのをカバーしようとしてるのバレバレじゃない!」
「人が気にしてることを―――!って、それとこれとは関係ないでしょ。あんただって胸無いくせに!」
「あ、人のコンプレックスを言うなんてデリカシー無いんだ!」
「あんたも人のこと言えないでしょうが!」
厨房の奥でお茶を淹れ終えた英翔が目にした光景は、奇怪なものだった。
傍目なので理由は分からないが、何故か霧恵と貴子が口喧嘩の真っ最中だった。
貴子は、KOTRTの第一席であり、事実上の隊長である。
一癖どころか十癖も二十癖もありそうなこの隊を、そのカリスマ的な統率力で指揮してきた。
それ以外にも、冷静沈着で的確な判断を出す名将としても定評がある。
そんな人物が、いま目の前で女子高生と他愛も無い口喧嘩を繰り広げている。やっている本人達にすれば重要なのだが。
思わず笑みの零れそうな光景に、英翔はしばらくの間見入った。
二人がその視線に気付くまで、軽く十分を要した。
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