むかし、事故に遭ったことがある。酷い、事故だった。 高速道路でトラックが中央分離帯を乗り越え、反対車線に突っ込んで来た。 先ず反対車線を走っていた軽自動車に正面衝突、その後に玉突き事故を誘発。さらには複数の車のガソリンに連鎖的に火が点き、 道路一つが、黒く堕ちた。 自分の家族は、その玉突き事故とガソリンの爆発に巻き込まれた犠牲者の中の数少ない生存者だった。 両親はICU(集中治療室)に入ることになったが、比較的軽傷だった俺は一般病棟に入院した。 確かに肉体面の傷は浅かったが、事故は心そのものを深く蝕んでいた。 でも、光が見えた。 今はもう、顔も名前も思い出せないが。 確かに、その声は覚えていた。 ――――――おはよう。 透のアパートの帰路の途中、フリースは何度目かの質問を高志に聞いた。 「高志さん、本当にあの人があなたの言っていた『哉原 透』なんですか?あなたの話のイメージとは大分違うように思えたのですが」 「俺がお前に話したのは、まだ先輩が族にいるころのことだけだからな。あの人は今ではあんな腑抜けた感じだけど、 むかしはここら一帯じゃ恐れられたウチのチームきっての特攻隊長だったんだぜ?」 「人とはそこまで変わるものなんですか?」 「いや、あの人は腑抜けた今の方が地だよ。それがどう捻くれて、一つの族の特攻隊長にまでのし上がったか・・・まあ、 今じゃすっかり元通りだがな。むかしホント良く春さんの後に着いていったりしたもんだよ」 そう言いながら高志はポケットに乱雑に手を突っ込むと、くたびれたタバコの箱を取り出し、その内の一本に火を点ける。 咳き込みながら吸う、などといった可愛い頃はもうとっくの昔に過ぎている。 肺に煙が蔓延し、タールが黒々と中を這い回っていく様が脳裏に浮かぶ。しかしそんな思考もニコチンにより塗りつぶされる。 不味いと言わんばかりの貌で、ゆっくりと煙を吐き出す。だが横にいるフリースが副流煙を吸ってもいけないと思い直し、 道脇のドブに放り捨てる。 「それで、透さんとはいつからの付き合いなんですか?」 「―――あの人とは、だいたい三年くらい前からだったと思う」 問いに苛立った声で返答する高志。それもその筈、何故ならフリースが先ほどから透のことばかり聞いてくるからだ。 フリースが先輩の事についてばかり聞いてくるのは、無性に腹がたった。 「なあフリース、なんでお前さっきから先輩のことばっか聞くんだ?」 いずれ敵になる相手のことを聞くのは別に悪いことではない、だが彼女は哉原 透の人格そのものを訊ねてきた。 たしかに人間性も敵を推し量るのには大事な情報だ。だが、もし彼女が『哉原 透』を敵として見ずに尋ねているのなら、それは―――。 「え?ええっと・・・その、なんて言ったらいいんでしょうか。なぜだかわたし透さんのことを見ると拍動が速くなったり、 頭がポーっとしたりして・・・」 「――――それは、お前が・・・先輩に惚れてるってことか?」 「はあ、たぶん」 気の無い、軽い返事で彼女は答える。高志はその言葉に、歯を音がなりそうなほど噛み締める。 「・・・っでだよ」 「え?」 「なんで、お前は俺より先輩のほうが好きなんだって聞いてんだよ!どうしてだ、いずれ戦うことになる相手だろう!?」 「あの高志さん、落ち着いてくださ―――っ」 言いなだめるフリースの肩を高志は強引に押さえつけた、その手にありったけの握力がかかる。 肉に沈み込まんとするほど、指が彼女の肩に食い込む。 フリースの、甲高く短い悲鳴があがる。 「い、痛いです。放して、お願いです高志さん」 目じりに涙を湛えて懇願するフリース。彼女は媒体が脆弱なために普通の人間とあまり大差無い身体能力なのである。 それでも容赦なく食い込む爪。もしここでフリースが高志を殴ろうものなら、そのダメージは全て自分に返ってくる。 無論、高志もそれを承知の上でこの行為に及んでいた。 「どうして・・・・どうしてどうしてどうしてどうしてお前はあぁぁぁ!!」 高志は、絞るように叫んだ。掠れて、声門を裂かんとするような声。 そして、肩の束縛がゆっくりと緩む。完全に手が離れると、掴まれていた部分には血が滲んでいた。 その原因の彼の手にも、わずかに朱色が移っていた。 そっと後ずさるように、高志はフリースと距離をおいた。 「・・・すまなかった。どうかしてたな、俺」 俯きながら、そう呟く彼の声は、どうしようもないほど消沈していた。 そして、声が響いた。 「痴話喧嘩はそれまでかい?お二人さん」 その声にフリースと高志は、後ろに振り向く。そこには暗くなり始めた道と 佇む一人の少女の姿があった。 その顔は、フリースやミホそのものだった。 だが、フリースやミホとは決定的に違う、なぜならその貌は悪魔のように口元を歪めていたからだ。 「―――他の『ミホ』か!」 呟き、苦虫を噛み潰したように高志は顔をしかめる。 それは、未だフリースの傷が全快していないからだ。ここでこの『ミホ』と戦えば、彼女は敗北するだろう。 それは、絶対に避けるべき事態だった。 「かまえないのか?じゃあわたしから先にいくぞ」 そう言って、目の前の少女は急速に接近し、フリースに向かって振りかぶる。 その手には、いつのまにか巨大な槍が在った。 咄嗟にナイフを構え、これを受け流すフリース。 しかし相手は槍、まともに打ち合えば彼女が打ち負けるのは当然の結果だ。 片手で豪快に二メートル強の凶器を振り回す少女、その顔は余裕に満ちていた。 「ほらほらあ!どうした、手傷でも負っているのか!?」 挑発し、フリースの余裕を削る『ミホ』。 フリースも、自分の能力を発動するために必死で間合いを空けようとしていた。 だが、離れられない。 簡単なことだった。少しでも下がれば、あの長い凶器が心臓に穿たれる。 離れれば死。離れなくとも、いずれ体力は磨耗しきる。そうすればこの嵐とも言うべき槍撃を捌けなくなり、結果は死。 このままでは、不味い。 だが槍撃はやまない、ナイフ一本でここまで受け流せたことは神業のそれに等しい。 ギン、と交わる金属音が響く。その音を聞く度に神経が磨り減る。 相手の振りは大きいものの、その速さが尋常ではない。縦一文字に振り下ろしたかと思うと次の瞬間には横一文字で振り払っている。 それも片手でだ。 もし彼女が本気のなり、両手で槍を奮ってきたら・・・フリースには勝機どころか生機すら垣間見ることはできないだろう。 残り四撃で、限界が来る。そう覚悟したとき、高志の叫ぶ声が聞こえた。 「下がれフリース!」 その言葉に敵は不意をつかれたのか、一瞬だけ槍の嵐が止んだ。その致命的ともいえる隙に、フリースは急いで退く。 ここでもし彼女が油断した敵に斬りかかるという愚挙を選んでいたら、彼女の気管は敵の槍に裂かれていただろう。 高志はフリースが退き、がら空きになった敵の目前にビンを己の腕の出来うる限りの力で投げつけた。 そのビンは奇妙なビンだった。中に入っているのはガソリンで、口部分には乱雑に丸められた新聞紙が突っ込まれていて、 その新聞紙には火が点いていた。 俗に言う、火炎瓶という代物だ。 彼はこの戦いが始まってすぐにこのビンを作った、族の先輩などに聞いた秘伝の火炎瓶で、 その威力は軍で使われている手榴弾と同格の威力がある。 ビンは敵の『ミホ』の前ちょうどに落下し、それと同時にいっきに燃え上がる。 高志はその後に続けて更に二本目、三本目、四本目、五本目と次々に投げつける。 いったいどこに隠し持っていたのかというほどに高志は次々と火炎瓶を取り出し、投げつける。 そして、道路は一瞬にして火の海と化した。 「・・・さすがにやったか」 確認の為に近寄ると、炎は容赦なく熱を浴びせてくる。いくら『ミホ』といえどもこの炎の中ではひとたまりもないだろう。 そうして見据えていると、わずかに炎が揺らいだ。 それと同時にフリースの叫び声が上がる。 「だめ!高志さん避けて!!」 「え?」 だが、彼女の言葉は遅すぎた。聞き終えた瞬間、高志の肩に鋭く熱い痛みが駆け巡る。むかし一度や二度は刃物で刺されたことはあったが、 これはそんな物の比にならない。 ただ、痛い。 苦しいというより、辛い。 傷口が熱い。 槍は肩に刺さったままぶら下がっていた、どうやら炎の中から投擲されたようだ。 どうりで、熱いはずだ・・・。 「ふうー、一般人だと思って放っといたら・・・こうな暴挙にでるなんてな。正直びびったぜ」 少女は、炎の海の中から何事も無かったかのように悠然と歩いて出て来た。その服には、煤ひとつすら付いていなかった。 その姿はまるで、炎の産道から出て来た鬼か修羅。 もしくはそれ以上の、殺人存在。 「なんだ?槍が肩に刺さったくらいで怖気づいたのか、肝の浮いたヤツだなあ」 そう嘲笑いながら『ミホ』は高志の肩に刺さった槍にゆっくりと手をかける。そして、あろうことか槍を回転させた。 ぐりん、と一周。そのたった一周で槍は肩の傷口をさらに抉る。 「づうああああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁ!!!???」 意識が断絶される、容赦なく傷と思考が切り刻まれる。 途切れる。寸断される。遮断される。切断される。裁断される。両断される。分断される。破断される。斬断される。惨断される。殺断される。 切り刻まれる。 「―――っうああぁぁ!」 俺のものじゃない声が聞こえる。 だが、それは別の音に遮られる。 ぶづり、音を立てて神経が無残に絶たれる。断たれる。裁たれる。 「―――っうううう!」 また俺のものじゃない声が聞こえる。 そう言えば、この戦いに巻き込まれたときにフリースから聞いた。 枷が傷つけば、『ミホ』も傷つく。 「――――――――――――――っ!!!」 目が見開く、意識がいっきに戻る。神経がクリアになる。 決断する。 垂れていた頭をゆっくりともたげる、敵を見据える、奴は笑っている。 苦しんでいる俺とフリースを見て、愉しんでいる。 喜んでいる。 拳を掲げるために、腕をもたげる。 ゆっくりと振り上げる。拳に力を込める。指が食い込む。皮が裂ける。血管が裂ける。血が垂れる。 ―――構わない。 握力を最大にまで高める、破壊の方程式は。握力足す、腕力足す、スピード。 敵はこの拳に気付いていない、腹が立つ、でも今はそれが好都合だから別に構わない。 ―――振り下ろす。 殴打音。 拳が『ミホ』の顔に食い込む。同時に拳の骨が砕ける、またフリースの悲鳴が上がる。 敵は、呆然としていた。 威力は一般人の域をでないものの、篭った想いは呪いに近い。 つまり、肉体的ダメージではなく精神的ダメージを敵に与える。今の俺の顔は、きっと修羅そのものだろう。 肺に空気を送り込む、肺が空気と活力に満ちる。 声を、吐き出す。 「いまだ、やれ!フリイィースウゥゥ!!!」 その叫び声に弾かれるようにフリースの体が跳ぶ。その衝撃にアスファルトが、民家が、空気が震える。 相手は神速ともいえる速度で迎撃にかかろうとする、それを高志は殴って妨害する。 殴る殴る殴る。 いまは喩えコンマ一秒でも相手の行動を遅らせなければならない、『ミホ』顔が怒りに猛る。 だが、いま『ミホ』には高志は殺せない。そんな暇はない。 そんなことをしていれば上空の敵が目の前の男を殺す瞬間かその直前に自分を絶つ。 だから、無視してでも上に得物を向ける必要がある。 「インビジブル・ダガー(不可知の十字)!!!!」 見えざる刃が煌き、一閃する。 その刃は意思を持つが如く伸び、敵に向かっていく。到達時間は目測で0.01秒以下、 如何なる術を持ってしてもこれをかわすことは出来ない。 挿入音。 見えざる刃は、敵の腹を掠めるに留まった。それは、軽業師もかくやという身のこなしによる結果だった。 高志を挟んで、敵と数メートルほどの距離に降り立つ。 『ミホ』は顔に血管を浮かべるほど激昂していた。 それを見た瞬間フリースは全身の血の気が消えた。それはその貌の恐ろしさのためか、それとも必殺を逃したという失態のためか。 恐らく、両方。 「・・・殺す」 敵の少女は、ただそう一言だけ呟いた。 場が凍る。霜の貼る音が聞こえる。乾燥する、殺気に凍える。 高志とフリースは、死をつきつけられた。 「おい!なにやってるんだカシウス!!」 その殺気に凍死した空間に、場違いも甚だしい声が響く。 『ミホ』はその声のする先に視線を向ける。そこには、学生服をきた何者かが立っていた。 その顔は、暗がりで見えない。 「今すぐこっちに来い、そいつは知り合いなんだ」 少女はその指示に渋々と、殺気を放ちながら従った。 敵がゆっくりと高志たちから離れる。 そして声の主であり、あの『ミホ』の枷である人物が姿を見せた。 愕然と、した。 「おいどうしたんだ高志?俺だよ新藤 勇次だよ。いつも会ってるだろ?」 「・・・お前がコイツの枷だったのか」 さも当然のことのように話す新藤に高志は憎しみを滲ませて吐き捨てる。 その言葉に新藤は、やれやれと肩をすくめる。 「どうやら高志は誤解してるみたいだね、俺は別に高志たちと戦うつもりはない」 「じゃあなんでその『ミホ』は俺達を襲った」 「ああ、これは俺の不手際でね。目を放すとすぐに暴れだす、制御するのが大変だよ」 「制御―――だと?」 「ああ、枷のシステムを使って、聞こえは悪いけど脅迫みたいな感じで俺はコイツを従えてるのさ。俺の望みを叶えるのに必要な力なんでね」 悠然と話す新藤を高志は睨む。 コイツは、新藤 勇次は以前はこんな人間ではなかったはずだ。 気が弱くて、泣き虫で、いつも高志の後に着いてきていた。根が良かったから、男子よりも女子と仲が良かった。 いじめられても、先生にも親にも友人にも黙って耐えていた。変に頑固だった。 だが、いま目の前にいるのは・・・・誰だ? 「とりあえず俺は今日はここで帰らせてもらうよ、じゃね」 そう言って、新藤は夕闇に沈んだ道の先に消えていった。その後を、いぜんとして俺達を睨みながら『ミホ』がついていった。 肩の力が抜ける。 緊張が解ける。 そして俺は、負傷したフリースを背中に担ぐ。 先の戦闘で消耗したのか、彼女はぐったりとしていた。 彼女の体からは未だ血液が零れ落ちていた。このままでは危険だ。 燃え盛る道路に背を向けて高志は、家路を急いだ。 いま、先輩の世話になる気には、なれなかった。 透は、ミホが落ち着くまでの約数十分。ずっと彼女の傍らにいた。 抱えた肩は涙と嗚咽に震え、透はその様子を、ただずっと付き添っていた。 そしてミホがやっと落ち着きを取り戻したころ、時刻はすでに六時前だった。彼女をちゃぶ台の前に座らせ、急いで晩御飯を用意する。 冷蔵庫の中はほとんど空だった。昼に高志たちとの遅い朝食に残っていた食材をほぼ全て使い切ったため、 入っているのはこの前教授にもらったケーキの残りとインスタントだけだった。 台所の引き出しを確認すると、幸いなことにスパゲッティの麺とミートソースの入った缶があったので、手早くミートスパゲッティを作ることにした。 我流で、わずか十五分たらずで作り上げる。とりあえず外見だけはまともなスパゲッティになっている。 味は全く保証できないが。 袋に入っていた麺三人前をいっきに全部ゆでたため、量は相当なものだ。それを豪快に皿に盛る。 ミホが座っているちゃぶ台に、音を立てて大皿を置く。そしてフォークを一本、ずいっと差し出す。 彼女はいきなりの出来事に目を点にしていた。 「食うぞ」 ただ、その一言だけで食事を開始する。取り皿なんて悠長なものは無い。 大皿に乗ったスパゲッティに、フォークを突き刺し、掻き出し、貪るように食す。 最初のほうは、透が一方的に食べていたが。いつのまにかミホも一緒に、同じようにして食べだしていた。 がつがつ、と口にかきいれるように食べる。無言でひたすらに口に運ぶ。 ―――俺が、ミホにやってやれることなんて、数えるほどしかない。 彼女を戦いから解放するなんて大仰なこともできない。彼女を守ることも、一緒に戦うこともできない。 ならせめて、彼女がいつでも万全の状態で戦いに望めるように努力する。 彼女が死なないように、背中を支える。 だから、今は無言で食していた。かきこんでいた。 ただ、食べる。 大皿に乗った大量のスパゲッティは、十分足らずで二人の胃の中に消えた。 「ふぅー、食った食った。腹いっぱいだあ」 食器洗いなどの後片付けを終えると、透はちゃぶ台の前に腰を降ろした。少々食べ過ぎた。 ミホは横になって、お腹をさすっている。どうやら彼女も少し勢い余ったようだ。 「カナハラ、あのスパゲッティ多すぎ・・・おなか苦しい」 「ああ、それは俺も同じだ。ちょっと作りすぎたな、反省してる」 二人して同じようにして、同じ部分をさする。 そんな状態で、幾刻か過ぎた頃。不意に、オンボロのアパートに相応しい、ジリリリ、という古風な呼び鈴が鳴る。 その音に二人同時に玄関の方を向く。そして一拍あとに、互いの顔を見合わせる。 こんな時間に新聞の勧誘もないだろうから、きっと宅配か速達だろうと思い。腰を上げる。 「でてくるけど、絶対に顔だすなよ」 念をおして玄関に向かう。相変わらず呼び鈴が鳴っている。 ドアの鍵とチェーンを手際良く外し、片手で靴箱の上にあるハンコを掴む。これなら宅配にもすぐ対応できる。 「はーい、どちらさ――――っ」 そこまで言って、透は沈黙した。せざるおえなかった。そこには大きな黒いシルエットが立っていた。 そのシルエットがゆらりと玄関に入ってくる。その黒は、黒いスーツを着た大きな男だった。 身長は推定で約二メートル弱、屈強な体つきで、短く刈られた金髪。顔は厳つく、サングラスをかけているため細かい表情は判らない。 透は、そんな突然の来訪者に唖然とした。そして、すぐに明るい表情になった。 「春さん・・・春さんじゃないですか!」 「おう、元気だったか透」 親しげに、慕うように話しかける透に、春と呼ばれた男は笑みと共に言葉を返した。 彼は、透がまだ暴走族にいたころに世話になった人物だった。彼はこの地域一帯を仕切っているヤクザの総長だが、 その年齢はまだ二十八と若い。 組は彼が総長の座についてから順調に勢力を伸ばしていた。そして、次期組員を昔に透が所属していた暴走族から選出していた。 そういう間柄で、春という男と透は良い仲だった。ちなみに春は今も族現役の高志とも仲が良い。 「どうしたんですか?こんな時間に、俺になんか用でも?」 「ああ、ちょっとな。娘ができたんでその報せにだ」 「え!?春さん結婚したんですか!!」 「いや、違う。養子を一人な」 「へえ。で、その子は?」 「ん?いまここにいる」 春は、自分に真横に手を伸ばし。引き寄せた。そして、質素だが可憐な服を着た少女が透の視界に入る。 年齢はせいぜい八歳前後。肩まである黒い髪は絹のように透き通り、目は子供特有のくりんとした物だった。 「この子の名前はイルだ。ほら、挨拶」 春がイルの肩を、ぽん、と優しく叩く。 「あ、イルです。よろしくお願いします・・・」 その仕草は、いかにも幼い女の子といった風で。見るものを思わず和ませる。 すこし戸惑った感じも、また愛らしい要素だ。 だが、透の思考は停止していた。 たしかに、目の前の女の子は可愛らしい。普通なら笑みをこぼしていただろう。 だが、透にとってソレは『普通』ではなかった。 その子の顔は、いま透の部屋のなかにいる少女と・・・。 全くの瓜二つ。 全身の筋肉が、動かなくなる。 揺ぎ無い事実が、現実味を帯びて肩に圧し掛かる。傾いでいく 吐く息が、恐怖と、後悔に震える。当たり前だ。 この戦いは、誰が枷になっていたっておかしくない。現に、高志だって枷だった。 油断のしすぎだ――――。 体が傾く、傾いでいく。壁に音をたてて肩を接する。   「ま、さか・・・春さんも―――――枷」 「?俺はそのつもりでココに来たんだけどな」 「!?」 視線だけで疑問を投げかける透に、春は侮蔑を交えて肩を上下する。 当たり前だ。 そう、言っていた。 「昨日あんだけ堂々と街中で『ミホ』とバイクころがしてんだ、他の『ミホ』に見つかるのは当然だろ。 お前のあの行動はそれを見越した陽動だったんじゃないのか?」 長身を活かして、見下ろすように話し掛けてくる。 ミホは聞こえていないのか、こちらに来る様子がない。このままでは。 まずい。 相手は、この地域一帯で『鳳凰』と畏れられた男。そして、人外の圧倒的な力をもった『ミホ』。 いつ、意識が途絶えてもおかしくない。 だが、相手はしかけてこない。それを言うなら、相手はとっくに必殺の機会を逃している。 春は、透が間抜けにもあっさりとドアを開けた瞬間に問答無用で仕掛けるべきだった。 しかし、相手はそうしなかった。 あまつさえ、敵である透に自分の『ミホ』を紹介した。 「――――俺を、殺しに来たんじゃ、ないんですか?」 「もちろん殺すために来た。だがお前は俺の知り合いだ、あっさり不意打ちなんて真似は外道のすることだ。夢見も悪くなる」 「じゃあ――――――」 「ああ、いまから殺し合う。お前の『ミホ』も殺気立ってる。―――撃て、イル」 春が指示すると、彼の横に立っていた少女の腕が上がる。その手には、黒く光るひとつの凶器。 棒のような、細くシンプルなシルエットをした拳銃。それに透は見覚えがあった。 以前、春に見せてもらったことがある。あれは、彼の亡き兄の形見だ。 小型とはいえ拳銃。その大きさは幼い少女の手には余る大きさだ。 透の眼球に写る。トリガーに、白く小さな指がかけられる。 引き絞る。 発砲音。 血が滴る。玄関前に敷いた小さなカーペットに、それは染みる。 炸裂音は、一回。 しかし体に穿たれた穴は、計六つ。それは神業ともいえる連射。 一瞬の間に放たれた弾丸は、寸分の狂いなく急所に飛んでいっていた。 「――――――ミホ!!」 己の代わりに撃たれた少女に向かって透は叫ぶ。七発もの鉄の玉に身を裂かれ、なお敵と対峙するミホ。 発砲の瞬間と同時に彼女は廊下の死角から飛び出し、透の前に飛び出すと、迫り来る弾丸の軌道を全て刀で逸らした。 しかし、それは急所の直撃をなんとか免れた程度だった。 弾丸は、全てミホの体に当たった。 「これはこれは、たいした『ミホ』だな。イルの弾を全部そらすとはな・・・」 口ではそう言っているものの、顔は笑っていた。本人からしてみれば今のはデモンストレーションのようなものだったのだろう。 そんな春に、イルが話し掛ける。 「ねえ、この子殺していいの?」 「・・・・・・・・・・・好きにしろ」 イルの貌が、狂喜する。照星が再びミホに向けられる。 その瞬間、透の視界の中のミホの姿が揺らぐ。それが、彼女の神速の速攻だということを理解するのに脳の処理がおいつかない。 ミホは肩からイルにぶつかり、吹っ飛ばす。春はそれを身を捻ってかわす。 玄関外の廊下の手すりを突き破り、二階分の高さを落下し道路の飛び出る二人の少女。 透が玄関から飛び出て手すりから身をのりだすと、既に少女たちは己の敵と対峙していた。 玄関から出て様子を確認するまでの時間は実に五秒以下、その間に落下した少女たちは体制を立て直して向き合っていた。 下に降りようと思い体を動かそうとする。だが、動けない。 動けば、それが開始の合図となる。 そう思うと、一帯に満ちた殺気も伴って体を縛り付ける。 「構うな、イル」 合図がなった。 それは透の後ろで悠然と構えた春のイルに対する指示だった。渇いた、甲高い音がなる。 息をもつかせぬ七連射、それは常人からしてみれば避けることの出来ない死。 だが、目の前の『ミホ』はそれを得物の刀で弾いてくる。また七発撃つ。弾かれる。 その光景に、段々と昂ぶってくる。 「あ、はぁ・・・すごおい」 発せられたイルの声は熱を帯びていた。 現に、彼女の頬は既に朱色をしている。 欲情したように体を蠢かす。彼女にとって戦いは命を賭す行為ではなく、性的行為のようなものだった。 撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。 ひたすらに撃つ。 相手の息が上がる様が手に取るようにわかる。あと三回でも撃てば、敵は崩れる。 間を置く。その隙に敵が突進してくる、その姿にむかって撃つ。 敵は舌打ちしながら後退し、弾く。 あと、二回。 敵が後退した直後に、相手はまだ体勢を立て直している時に撃つ。 鉄の重い音が響く。弾かれた弾頭が七つ散る。 あと、一回。 昂ぶる。身が震える。 最高だ、この戦いは最高のプレイだ。 相手は今まで処理してきた雑魚とは比べ物にならない。倒れない。 ここまで撃ちこんでも凌ぐ。耐える。 その姿は見ているだけでイキそうになる。 だが、すでに発砲回数は数十。いくら『ミホ』といえども限界だ。 相手の限界はあと一発。息が上がっても、なおこちらを睨み威圧してくる。 その視線は痛い、篭った殺意が強すぎて刺さる。感じる。 「う、んぁ・・・」 背筋が痺れる。 撃つ。 相手はふらふらになった手で必死に刀を御して弾く。しかし弾丸の勢いを殺しきれずに後ろに倒れる。 「―――――っ!」 相手が息を呑む音が聞こえる。それでも溢れんばかりの殺意は衰えを知らない。 視線と共に刺さる。 良く見ると、敵はボロボロだ。体にはいたるところに銃創や擦り傷が刻まれ。 高速連射された七発の弾丸を数十回にわたって退け続けた代償に、肩が激しく上下している。 腕の筋肉は限界をとうに超えているだろう。 小刻みに震えている腕からは、その様子が良く分かる。 銃を突きつける。 その動作に敵は刀を構えるが、限界を超えた腕の筋肉は言うことを聞かないようだ。 構えた刀には、さっきの凛々しさが欠片もない。 つまらない。だから別の方法で楽しませてもらう。 撃つ。 悲鳴が上がる。敵は撃たれたわき腹を押さえて悶絶している。 今度は一発だけだ。スライドが後退しエジェクションポートから空薬莢が飛び出る。宙を舞ったあと、 それは鈴の音を上げて転がり落ちる。 一発ずつ止め処なく撃つ。 肩。手の甲。二の腕。肘。太もも。膝。爪先。 思いつく限りの『死ににくい』部分に撃ち込む。その度に悲痛な声があがる。 しかし敵は、まだこちらを睨みつけてくる。 その視線に、再び背筋が震える。 それで、全てがふっきれた。最高だ。 この敵は最高だ。いくらくびり殺そうとしても倒れない。 イク。 「あ、あははぁ・・・死んじゃえ」 そう言って敵のわき腹に銃を押し付ける。いや、突き挿す。 ぐじり、と肉の柔らかい感触が銃越しに伝わる。引き金を簡単に引く。 「ひぐぅ―――っ!」 敵の悲鳴が鼓膜を心地よく突く。その音色の身も心も酔いしれていく。 撃つ。 今度は際限なく撃つ。 「あが、ああぁぁ、がはっ―――――っ!」 発砲するたびに愛らしい声が響く。 穿つ。 「うぎいぃあ、ぐあ――――――っ!」 その声に感覚が極限まで高まる。 そしてそれに比例するように撃ち穿つ速度が上がる。 「がっ、うああああっ!」 その声にイク。 達する。実と身が震える。 声すらでない、極限の快楽。あまりの悦楽に心が蝕まれる。 その高尚な残照に浸っている最中、雑音が聞こえた。 「ミホオオォォ―――!!!」 ぱかん、という発砲音が響くたびに耳を覆いたくなる。それに混じってミホの悲鳴が聞こえるからだ。 なら助けに向かえばいい。俺もそう思う。 だが、先の弾丸の乱舞を見た後では絶望感が体を縛る。ミホはなんとか迫り来る凶鉄を凌いでいたが、 凡人の自分があれと向き合えば結果は一目瞭然だ。 一秒もたたぬまに、体は弾痕で覆い尽くされる。 その光景の幻視に思考がふらつく。 しかし、それも彼女の声で確かな決意に変わる。 ただの人間にだって、できることは必ずある。なら俺はそれを見つけて行うだけのこと。 階段を駆け下りようと走り出す透の背中に声が届く。 「おい、透。お前まさかあの中に割り込もうってハラじゃねえだろうな?」 「そうだって言ったら・・・」 「止めはしねえ、存分に犬死しろ。野垂れ死ね。俺は一切気に留めねえよ」 そう冷たく吐き捨てた春に、透は睨む。こんなことは族にいたころの自分には考えられない行為だ。 ヤクザの総長にガンとばす。それは死に等しい行為、それでも透は睨まずにはいられなかった。 「俺はたしかに死ぬかもしれない。でも死ぬなら、それは誰かを助けた後だと自分では決めている―――」 走り出す、背後の春の気配は別段変化はない。追う気も止める気もないようだ。 階段を半ば飛び降りるようにして降りる。そして一直線にミホのもとへと向かう。 「ミホオオォォ―――!!!」 その怒号の叫び声に、イルが振り返る。それを押しのけてミホに駆け寄る。 彼女の体は、真っ赤に濡れそぼっていた。穿たれた傷はあまりに多く、痛々しかった。 抱きかかえると、その体は驚くほど冷たかった。あれほど派手な戦闘の後なのに熱が全く感じられない。 絶望がよぎる。 抱き抱えたまま後ろを見ると、肩を上下させ頬を紅くしたイルが立っていた。 その顔は、みるみるうちに驚愕に変貌する。まるで死人を見たような顔だった。 「そうだ、あなたは――――」 イルがそこまで言った瞬間、抱えた両手から重みが消えた。見ると、ミホがいなかった。 断絶音。 急いで再びイルのいる背後に振り向くと、写ったのはミホの背中だった。そして舞い散る鮮血。 つまり、あの一瞬の間にミホは透の腕から飛び上がり、その後ろにいたイルを一閃したのだ。 イルは、下腹部を横一文字に一閃されていた。臓物が覗き、血は流水のごとく溢れていた。 膝をつく幼き少女。その首にミホは刀を添える。 「ダメだ、ミホ!」 彼女の肩を掴む。しかし彼女は振り下ろすでもなく、構えを解くでもなく、ただ佇んでいた。 彼女は立ったまま気を失っていた。微かに動く首の皮下の大動脈の動きで生存が確認できる。 そして力尽きて、その体がゆっくりと透の胸の中に倒れこむ。それを戸惑いながら抱える。 イルのもとには、いつの間にか春が近づいていた。その周囲には、同じくいつの間にか集まった組員の姿があった。 ため息が聞こえた。 「はあ―――あっ。お前これどうしてくれんだ?ええ?透よお。使い物にならなくなったら責任取れんのか?」 「―――――っ!!!」 その傷つき倒れた少女に侮蔑の言葉しか投げかけない男に向かって透は激昂した。 ミホをそっと寝かせると、突進した。 彼の周りの組員が構える、しかしそれを春は制する。 助走の勢いを拳に注ぎ込み、透は懇親の力で拳を振るう。 それは、見事春の下顎に直撃した。拳に割れそうな痛みが走る。 常人なら完全に脳震盪を起こしていたであろう衝撃に、春は眉一つ動かさなかった。 「終わりか?」 その声と同時に透の鳩尾に衝撃が穿たれる。意識が、暗転する。 どさっと膝をつくのが辛うじて理解できる。薄れ、消え行く意識の中で透はまだミホの身を案じていた。 (すまねえ、俺が―――――) そこで完全に途絶えた。 「―――――透さん!」 がばっと身起こすと、フリースはそう叫んだ。夢の中で、彼が危ない目に会っている様が浮かんだからである。 肩で息をする。 気付けば、自分はいつのまにかベッドの上で寝ていた。たしかこのベッドは―――――。 「起きたか、フリース」 そう、高志の物だ。 彼はベッドの横に椅子を置くと、背もたれを前にしてそれに寄りかかるようにして座っていた。その目は険しかった。 その視線で自分がさっき、無意識とはいえ放った単語に後悔した。 透。 いま、高志の前でこの名前を口にするべきではない。 見ると、自分の体には包帯がぐるぐるに巻かれていた。高志が結んだのか、所々緩みやムラがある。 「ケガがひどかったからな。応急処置程度だけど、お前の回復力なら問題ないだろ」 むすっと話す高志の機嫌は、明らかに悪かった。しかし自分にはどうやって機嫌をとっていいのか分からない。 だが、礼はするべきだ。 「すいません高志さん。ありがとうございます」 その言葉に、高志は顔を赤くして。 べつに、と言いながら後ろを向いてしまった。 実に分かり易い。 外では、なぜかパトカーが忙しなく走り回っていた。 「春さん、こいつどうします?」 組員の言葉に、春は。 「連れて行った嬲り殺してやりたいところだが、サツが近づいているから無理だ。ほっとけ」 その言葉を裏付けるようにサイレンの音が、段々大きくなっていた。 あと一分もしないうちに、この現場まで来るだろう。 「イルを回収したらすぐ引き上げるぞ」 そうして春はアパート裏に潜ませていたベンツの後部座席に乗り込むと、横にイルを寝かせた。その息は荒く浅かった。 その頬を優しくなでる。 さっき彼女を蹴りつけたのは芝居だった。そうすればこちらの手の内を見せずに、懐に飛び込んできた透を難なく倒すことができる 彼は、本当はイルのことをなにより大切にしていた。 兄の形見の拳銃にこの子が受肉した日から、守ると決めた。 それは、死から救ってれた一人の男の真似事。形は違えど、志は同じ。 「がんばれ、もうすぐ良い医者に診て貰うからな」 車が走り出し、春の意識からは透たちのことは除外された。 現場についた警官は、負傷者二名を保護。 そのうちの一人の少女の顔を見て、現場の警官達は困惑した。 それは、彼らに密かに配られていた手配書が原因だった。 その紙には。 「このような特徴の顔をした人物を保護した場合。すぐに厳重拘束すること。万が一の場合には発砲を許可する」 そう書かれていた。 発砲許可。それは重犯罪者にも許可されない、牽制行為。 それを、いとも容易く許可させてしまう手配人物。 警官らは恐る恐る気絶している負傷者を抱え、パトカーに乗せる。 おかしなことに二人の負傷者に血は付着していたものの、外傷はみられなかった。 ゆっくりと、起こさないようにアクセルを踏み。パトカーは現場を後にした。
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