夢を見ていた。 むかしに遭った事故のこと、入院した病棟での出来事。出会い。 目が覚めると、もう既に一般病棟に移されていた後だった。両親はICUで、肉親ですら会うことが許されなかった。 心が、事故の記憶に蝕まれていて、他の患者と話すことはその時はなかった。 崩れた車内から、気を失った両親を引っ張り出し、呼びかけながらずっと体を揺すった。 それを、レスキュー隊が救助に来るまで延々と続けた。 夜は、本当に怖かった。 事故に遭った瞬間、何もかもが暗くなった。暗転して、自分の存在が希薄になり、生きているか不安になった。 眠るとき、看護婦にいつもこう告げた。 『もし、目を覚まさなかったら。お父さんとお母さんに伝えて』 それは、彼女に出会うまで毎日続いた。限りない闇との生活。 心は痩せ細り、磨耗し、擦り切れていった。 そんな中で、彼女と出合った。 いまでは、もう名前すら思い出せないが。触れ合ったことは鮮明に覚えていた。 彼女の存在に気付いたのは、自分が宛ても無く病院の廊下を彷徨っているときだった。 不意に窓を覗くと、その姿は在った。そこは病院の真ん中に位置する中庭で、車椅子に乗った彼女は看護婦と一緒に花壇を眺めていた。 その時は、そんな光景をさして気にせずにその場を離れた。心は未だ、あの事故の中にいた。 焼けて、爛れて、崩れて、形がなくなるまで黒焦げになる。それを、心の中でずっと繰り返していた。 病室に戻り、いつものように不味い病院食の夕飯を食べていると、気付いた。 入り口に一番近い自分のベッドとは対照的に、窓際のベッドにいた彼女を見つけた。 最初はあの子も同じ部屋だったのか、とぼんやり思っただけで、やはり何も関心は湧かなかった。 次の朝起きると、何か物音がした。何事かと思い、ベッドから起き上がると・・・彼女がいた。 車椅子に乗って、どこかに行こうとしていたのだろう。急に起き上がった自分を見て、彼女は呆然とした。 だが、すぐに微笑み。 「――――――おはよう」 そう話し掛けてきた。 朝日に照ったその微笑、その言葉、事故に遭ってから今まで感じたことの無い――――顔の筋肉の緩み。 確かにそのとき、笑っていた。 なぜだか自然にそうしていた、そうせずにはいられなかったのか。 「おはよう」 言葉を返す。 入院してから、初めて看護婦や医者以外と言葉を交わしたのはこれが最初だった。 それから、彼女との交流は深まった。 朝起きれば挨拶を交わし、彼女の車椅子を押して一緒に中庭の花壇を見に行ったりした。不味い御飯も、 彼女と一緒に食べれば苦にならなかった。 色んなことを話した、事故のこと、両親がICUにいること、つい最近まで他の人と話していなかったこと。 彼女はそれを一つ一つ受け止めて、一緒に悩み、考えてくれた。 年は同じか、やや下、というほどの年齢のような外見をしていたが。彼女は大人のように立派だった。 ある時、彼女がなぜ入院しているのか、なぜ車椅子に乗っているのかと聞いた。 すると彼女はさして苦に感じていないように振る舞いながらこう言った。 ――――お父さんに叱られたの、その時に足の骨が両方とも折られて・・・痛かったけど、別に辛くないよ。     わたしが悪い子だからお父さんは怒るんだもの。 それは、幼い自分にもわかる事実。それでも、彼女は慣れない嘘で自分の気持ちを偽る。 本当は痛い、辛い、泣きたい、でも――――それはできない。 そうすると、叱られる。 うるさい、と殴られる。 この両足を折られた理由も些細なことだった。ただ外で遊んでいて、帰りが少し遅くなっただけなのだ。 ぶたれた、いままでにないほどなぐられた。 そして折られた。 ばきり、という鈍い音と共に両足が歪な方向に曲がった。 そこからの記憶はあまり無い、気がつくと、病院のベッドに横たわっていた。 その話を聞いたあと、自分は深く頭を下げた。ゴメンと、一言告げた。 彼女は慌てて、頭を上げるように言った。そんな必要は無いと。 次の日、彼女のために花を摘んだ。花壇から、看護婦に許可を貰って摘んだ。 白い花、赤い花、黄色い花、色々な種類の花をそれぞれ一つずつ摘み、全部で七つ摘んだ。 急いで病室に駈け戻り、ベッドに横になっている彼女に花を差し出す。 綺麗だろう。 ついさっき摘んできたんだ。 元気出せよ。 そう言うと、彼女の表情は曇った。 花が嫌いなのかとおもったが、以前彼女が花壇を飽きずにじっと眺めていたところを見たことがあるので違うと思った。 それでは、この花があまり好きではないものだったのだろうか。 なにが不満なのか、本人に直接聞いてみた。 だって、わたしなんかのために摘んじゃ・・・花が可哀想よ――――――。 その言葉が、その悲しげな貌が、全てを決めさせた。 彼女には、いつも笑っていてほしい。 笑顔で、楽しげにいてほしい。 じゃあ決めた。俺はどんなものの命も奪わない。 暗く沈んだ彼女の顔に疑問の色が浮かぶ。 その表情に、自分がなんの脈絡もない的外れのことを言ったような気分になる。 ガンカケっていうやつかな?俺はお前にいつも笑顔で楽しくいてほしいから。命を奪うこととか、奪おうとする奴とかを止める。 仁王立ちして精一杯の強がりと決意を告げる。 彼女が笑うなら、なにをしても損ではないと思った。 自分がこの誓いを破らない限り、彼女が笑っているのなら。それは今の自分にとっての最上の幸福に他ならない。 うん・・・わかった。わたし――――どんなに辛い事があっても、笑顔でいられるようにする。 そして自分は約束だ、と言って小指を突き出した。子供の約束の定番。 指きり。 彼女の細く、白い小指が自分の無骨な小指に掛かる。震えていた。 その小指を、消えないようにしっかりと結び。誓いを立てる。 何があっても命を奪わない―――――――。 何があっても笑顔でいる―――――――。 繋いだ指が、誓いが、消えないように。 彼女の笑顔をいつまでも見ていたくて、彼女の悲しみの顔は見たくないから。 しっかりと。 その後、彼女と自分はほぼ同じ時期に退院して。それから一切の連絡はない。 病院のひとに聞くと、彼女は実の父にではなく、他人に引き取られたそうだった。そこで、彼女は笑っているかどうか不安だった。 だけど、この誓いは今でも守っている。 一度は崩れてしまったが。 守り通すと心に決めた。 誓いも、笑顔も――――。 懐かしい匂いがする。 鼻を突く薬品系の匂い、あの白い部屋。 「つ―――――」 腹部に痛みを感じて目が覚める。一瞬、それがなんだか分からなかった。 「ああ、病室の天井か・・・」 さも当たり前のように呟く。入院時代のことを夢に見たせいだろう、記憶が曖昧になっている。 確か、俺とミホは春さんに襲われ――――――――――。 そこまで考えて思考が凍る。 蘇えるのは、悲鳴と銃声。 そしてなにもできずに、ただ無力に立ち尽くしていた自分の愚かしい姿。 自分が春に殴りかかり、それから―――――――。そこからの記憶が曖昧になって混戦している。 微かに見えるは、膝をついた感覚。急に近くなる地面。 押し寄せる、無力感。 「こんなとこで寝てる場合じゃ―――――――」 体を起こす。だが起きない。 「な、なんだこれ!?」 見ると、自分の体はベルトやら何やらで拘束されていた。 むかし入院中に、処置中の患者が拘束されている様を見たことはあるが。これはその比ではない。 検査服から出た手足は、素肌が見えないほどベルトで巻かれ。胴体は鉄の囲いで完全に封じられていた。 指先などはご丁寧なことに、一本一本きっちりと拘束されていた。動かせる体の部位は、首から上のみといった状態だ。 それでも、なんとか抜け出そうと体を動かす。がたがた、と忙しなく音をたてて体を振る。 だが音の派手さに反してベルトは以前健在だった。 「あまり無理はするな、後に障る」 その突然の声に視線を巡らす。そこで気付いたが、自分が寝かされていたのは一般病棟の相部屋だった。 壁際でぞれぞれ一列に並ぶように配置されたベッドがそれぞれ四つ。なんの因果か自分はまた一番ドアに近いベッドだった。 視線を首が動く範囲で向ける。すると、反対側の列のベッドの一番窓側に位置するベッドに、その男は居た。 その姿は、一般人なら言葉を失ったであろう。 なぜならその男は、髪は全て抜け落ち、目は飢餓ではなく病魔からくる痩せに窪んでいた。 血色も悪く、うっかりしたらすぐにでも逝ってしまいそうな患者。そんな男が、なぜ自分と同じ病室にいるのか・・・。 否、なぜ自分はこの男の病室にいるのか。 「あんた誰だ、ここはどこなんだ。説明してくれ」 「いきなりキツイ口調だな、まあ無理もないか。いいだろう、教えてやる。ここは君の住んでいた町から数十キロ南方に位置する大学病院だ、  君は先日路上で女性と一緒に倒れているところを警官に保護された。外傷はないものの、血痕の付着が激しく。  警察はこの二人を厳重に保護した――――――というのが世間一般の話だ」 「どういう意味だ」 「つまり君たちは『ミホ』とその『枷』だったから、警官に保護された後に私のところに連れてこられたのだよ」 『ミホ』。その言葉を聞いて体が跳ねる。 この病人は、『ミホ』たちについて知っている。しかも話の内容からすると、警察もすでに『ミホ』の存在を知っている。 「警察の人間か、あんた。警察はもう『ミホ』たちのことを知っているのか」 「本来ならば特秘事項に触れるので話せんが、君には特別に教えてやろう。なにしろ『枷』なのだからな」 「御託はいい」 楽しげに話す病人に話を急かす。 いまは、こういう人を舐めた態度の人間に殺意を覚える。 その姿を見ていると、春を思い出し腹が煮え繰り返る。 奴はむかしからの付き合いだった自分を、あっさりと切り捨てた。 「残念ながら私は警察のものではないし、警察も『ミホ』のことは知らん。私はただ『ミホ』の顔をしたものを連れて来いと命じただけだ」 「命じたって・・・国家権力にか?あんた何者だ」 「ふむ、どうせお前も私と同じ道を歩むことになるだろうからな、教えておいてやろう。私は内閣府直属の対別脈種用特務隊『K.O.T.R.T』の隊員だ」 対別脈種用特務隊「K.O.T.R.T」。 それは完全実力主義のもと集められた超異能戦闘集団。ただ壊し、殺すことのみに特化し、固執した欠損者の集まり。 隊は全十二名で構成されており、そのうちの約半数は別脈種である。 日本国内で起こる別脈種関連の事件に関わり、その出動権限を持つはその時分の内閣総理大臣のみである。 自衛隊にも警察にも該当しない全くの個別組織で、その存在を知る者は日本国内でもごく少数である。 そしてこのような対別脈種用の部隊や別脈種で構成された部隊を編成・保有することは国連で禁止されており、日本は特例的に保有許可を受けている。 その理由は、日本国内にける別脈種の生存数にためである。 全世界における別脈種の種族数は約2000。そのうちの七割、つまり1400もの別脈種が現在日本に生息していると言われている。 全世界のほとんどの別脈種が生存。それが対別脈種用特務隊編成の理由であり、この国の現実である。 「・・・・・さっぱりわからん」 「頭の固い童だな、つまり今の日本には人の形をした化け物が大量にいるということだ。そして私のいまいる隊が作られた」 沈黙が流れる。 透には別脈種がなんであるのかなどは全く分からない。だが、みょうに引っかかるものがあった。 人外の力を持った人ならざる人。それは、なにかに似ていないか? 「もしかして『ミホ』たちもその別・・なんちゃらっていうモノなのか?」 「別脈種だ。・・・安心しろ、『ミホ』は脳内の変換式は持っているが、厳密には別脈種とは言えない」 その言葉に胸を撫で下ろす。 男の話が本当なら、ミホは別なんとかより人間に近い。 「さて、余計なお喋りはここまでにして本題に入ろう」 男はそう言いながらナースコールを押す。 本来なら看護婦が来るはずなのだが、病室の中に入ってきたのは軍服を着込んだ屈強な男達だった。 どかどか、と病室に入り込んでくる。そして、最後に『変なもの』が入ってきた。 それは、ミホだった。 しかし、すぐに彼女だとは判別できなかった。彼女の体は拘束具で固められ、台のような物に乗せられて入ってきた。 口の自由が利かないようにボールギャグをはめられ、上半身の拘束衣は必要以上に長い袖を着用者の手の腹側にまわして固定する古典的なタイプだった。 足にも足枷や指錠を取り付け、さらには鎖やベルトで徹底的に固定されていた。 「痛ましい姿ではあるが勘弁してもらいたい。なにせ彼女も『ミホ』だ、油断すればこちらが死ぬ。お詫びにと言ってはなんだが、  彼女のあの状態を保持する代わりに君の拘束を解こう」 病人の男が指示すると数人の軍服を着た男がこちらに近寄り、拘束を手際良く解いていく。 あまりにもがんじがらめに拘束してあったので、作業が終わるのに一分近く掛かった。 そしてゆっくりとベッドから立ち上がり、体の調子を確認する。 五体満足にちゃんと動く。筋にも骨格にも異常はない。 これなら、少なくともミホに対する足手まといとしての負担は減らせる。 「こっちに来てくれ、そんな所では話し難かろう」 「・・・わかった」 言葉に従い近寄る。 そしてミホの横を通る時に、さり気なく呟いた。 もう少し我慢してくれ、と。 男のベッドに近づく。近くで見れば見るほど男は病気に蝕まれている様が分かった。 「さて、あれだけ話したあとに言うのもなんだが自己紹介がまだだったな。君の名前はなんと言うのかね?」 「哉原 透だ。あんたは?」 「私の名は上条 遼だ。さて、本題に入ってもいいかな?」 「ああ」 「君たちをここに招いたのはわけは、君たちにこの戦いが終わるまで『K.O.T.R.T』に拘束されていてほしいからだ」 そんな言葉には頷けない。 ミホがこの戦いから降りるわけないし、第一自分がこの戦いに参戦した理由は『ミホ』たちとの戦いで出る犠牲者を少しでも少なくするためだ。 そのためには、こんな所で拘束されているわけにはいかない。 だが、相手はこちらを拘束しようとしてここに招いた。 即ち、断るということは戦うしかないということでもある。 でも、こんあところで立ち止まるわけにはいかない。 「答えはもちろん『NO』だ、心変わりする気も無い!」 「そうか、残念だな・・・。出番だ、アウグストゥス」 「え―――――――――っ?」 遼の言葉と共に、彼の真横にある窓がサッシを滑る音が響く。 透の視線はその音を聞いても、以前遼に向けられていたままだった。 とても、首が動かなかった。 「ああ、お前達は下がっていろ。死人が多くなる」 しかし遼はそんな透に気付いていないという風に、軍服の男達に指示を出す。 固定されたミホを残して、男達は皆下がった。 首を動かす。それだけで向けられた殺気が神経に刺さる。 視界に入ったのは、やはりミホと同じ顔をした少女。その髪は、踝まであろうかと言うほど長かった。 少女は、器用にサッシの上に腰を落とし。身の丈ほどもあろうかというほど大きな和弓を構えていた。 それに構えられた矢は、血のように紅かった。 否、血で出来ていた。 「まだ撃つな。透、これでもお前の考えは変わらないのか?お前の『ミホ』はいまは行動不能なのだぞ?」 「―――――――――」 言葉が返せない。 この男の言っていることは正しい。ここでまだ抵抗するなどという考えはまさに愚の骨頂である。 だけど、立ち止まれない。 だったら自分は、愚の骨頂にでもなんでもなってやろうではないか。 笑顔を守ると決めたんだ。 拳を握り、言葉を紡ぎ出す。 汗が滲む。殺気に、絶対の死の予感に。 「俺は―――絶対に、逃げない」 「残念な結果に終わってしまったな。心が痛むよ」 矢が、放たれる。 直視する。 目前に死が迫っても、指先一つ動かない。完全に全身が凍っている。 殺気という冷気と、絶望的差という寒気に筋肉と骨が髄まで凍てつく。 体に、衝撃が迸る。 気がつくと、目の前に見えたのは床。それは物凄い速さで流れていく。 本当は、自分が流れている 背中に床がぶつかる、その勢いは物凄く。少しだけ意識が飛びかける。 本当は、自分がぶつかっている。 「―――っはあ゛」 衝撃に呼吸が苦しくなる。肺に空気が行かない。 ショックで呼吸器系統がイカれている、口を懸命に瞬かせても、空気が入ってこない。 しかし、すぐに呼吸は回復した。 次からはもっと上手く落下できるようしなければ。 ゆっくりと頭をもたげる。見ると、アウグストゥスと対峙するミホの姿があった。 そこで理解した、先の衝撃はとっさに自分を庇おうとしたミホの行為だったのだ。 あの距離では、下手なことをしていたら間に合わない。だから突き飛ばすのが最善の策だ。 先の一瞬で彼女は拘束具を全て破壊し、三メートル弱ある距離を一息もせぬ間に駆け抜けたのだ。 彼女が拘束されていた台を見て、絶句した。 それは、内側から爆破されたように。 「破られた」のではなく「爆ぜた」痕があった。圧倒的筋力。 まさに、鬼神。 アウグストゥスは空になった弓に矢を補給する。自分の胸に、勢い良く指を突き入れる。 ずぶり、という生々しい音共に彼女の指が胸に沈み込む。鮮血が滴る。 そして、常人ならば麻酔無しでは気絶するような傷から、ゆっくりと指を引き抜く。 そこに掴まれていたのは、矢だった。 真っ赤な血で出来た矢。 その矢を、手際よく弓に構える。 狙うは、目の前にいる『ミホ』の心臓。引き絞る。だが―――――。 先手を打ったのはミホの方だった。 弓を引き絞っている途中のアウグストゥスに、ミホは自分の得物である刀を問答無用で投げつけた。 真昼の中を銀光が劈き飛ぶ。弓を構えた少女はそれを、まさに紙一重で頬先を掠めるに止まらせる。 その一瞬の隙を突いて、ミホが再び駆ける。そのまま勢いを殺さず、アウグストゥスに肘鉄を喰らわせる。 破砕音。 窓枠に乗ったアウグストゥスを押し出す形で、ミホは一緒に落下していった。 そして、透の耳にミホが喰らわせた肘鉄の音が残留した。 遠くからでも分かった。あれは、骨の砕ける音だ。しかも音の大きさが尋常ではない。 恐らく、あの『ミホ』は胸骨を粉砕骨折しただろう。そしてその下にある肺も相当なダメージを被ったに違いない。 もしかしたら、死んだ―――――――。 駆け出していた。最悪の事態が脳裏を過ぎった瞬間に、脳ではなく脊髄が反応する。 わき目も振らずに病室を飛び出し、階段を探しながら走る。 病室のベッドで横たわっている男のことなど、頭から吹き飛んでいた。 「やれやれ、どいつもこいつもせっかちだな・・・」 遼は、やれやれと肩をすくめると、自分の腕に繋がっている点滴のチューブを引き抜いた。血が数滴したたる。 体を動かすのは、久しかった。動かすと関節がバキバキと音を立てる。 だが、運動能力はすぐに回復した。いくら病魔に侵されているとはいえ、彼の身体能力は全く衰えを知らない。 ベッドからゆっくりと降りると、さきほど駈けていった青年の跡を追った。歩きで。 ミホは空中で舌打ちした。 この『ミホ』を窓枠から叩き落して空中で捕らえたまでは良かったが、いかんせん高さが足りなかった。 これでは必殺を狙えない。 頭から落ちるように、相手の顎を掴む。当然のように抵抗してくる。 だが先ほどの肘打ちが効いているのか、抗う腕に大した力は無い。 落下音。 まるで木槌でコンクリートを思いっきり叩いたような轟音。相手の顎を押さえつけた腕に衝撃が走る。 だが、落下したのは花壇だった。柔らかく整地された土に落下の衝撃のほとんどが吸収される。 相手は落下の衝撃で半ば気絶していた。そんな状態の敵に、ミホは容赦なく己が拳を叩き込む。 骨が骨を叩き、穿ち、破壊せんとする音が着弾と同時になる。 顎を重点的に狙い、脳震盪を起こさせようとする。が・・・。 ずん、という鈍い衝撃がミホの腹部を貫く。そして、そのまま軽がると吹っ飛ばされる。 宙を舞っている最中に見えたのは、激しく蹴り上げた姿勢のままのアウグストゥスがいた。 あの『ミホ』は、自分が激しく殴打されている状況で攻撃に転じたのだ。 人間ではありえない。否、成し得ない行動。 着地と同時に、後ろに転がり衝撃を殺す。 起き上がって体勢を整えると、敵はすでに得物を構えようとしていた。 周囲に目を配り、先ほど自分が投げた得物を探す。幸いにも刀は自分のすぐ真後ろにあった。 引き抜き、構える。相手もすでに準備は整っていた。 対峙。 しかし相手は、なんの躊躇もなく弓を放ってきた。空を切り裂きながら矢が走る。 ミホはそれをギリギリまで引き付けて、寸前でかわす。髪が一、二本散る。 貫通音。 「え―――――?」 見ると、ミホの太ももには矢がそそり立つ様に刺さっていた。 矢を伝って鮮血が零れていく。 確かに避けた。第二射も無かった。だが、矢は刺さっていた。 訳が判らない。なぜ回避したはずの矢が刺さるのか。 そんな逡巡を遮るようにアウグストゥスは第二射めに移る。己が胸に指を突き入れ、紅き矢を引き出す。 (今はとにかく避けなければ!) ミホが走る。その速さは既存の陸上生物の速度を遥かに超えている、まさに風の如き疾走。 しかしアウグストゥスはそれの寸分の狂いも違いも無く矢を叩き込む。それを今度は避けるのではなく、叩き落す。 血の矢は硝子のような音を立てながら打ち落とされた。ミホは走りながら相手を見据える。 その姿勢は、撃ち終えてままだった。そこには、先ほど落とした矢以外を放った様子は無い。 だが。 今度も矢はそそり立ちながら左肩に刺さる。それをすぐに太ももに刺さったままの矢と一緒に引き抜き、投げ捨てる。 今のは確かに軌道が見えた。上からだった。 たしかに先ほどから刺さっていた矢は全て上を向いていた。すなわち、敵は上に向けて矢を放っている。 しかし、自分以外に向けて矢を放った動作は無かった。 どれも、まっすぐに自分へと向かってきた。 一向に近づくことができないまま、ミホはアウグストゥスを睨む。 しかし、アウグストゥスはそれを気にも留めずに新たに矢を構える。 紅き矢は真っ直ぐとミホの心臓を狙っていた。 指から矢が離れる。 ほんの一瞬で高速の出来事だった、だが確かに見た。 空中を飛ぶ矢が、二つに別れる瞬間を。 矢は、確かに一本しか放たれていなかった。 しかし、それは半分だったのだ。相手は元々自分の血液から矢を生成している、 そして放った後もコントロールできるのならこのような離れ業の説明がつく。 心臓を穿つために飛んでくる矢を容易く打ち落とし、上空を見据える。そこには矢が あるはずだった。 だが、ミホが見据えた先には何も無い。ただ青い空が広がるだけだ。 もう半分は何処へ行ったのかと視線を必死に動かす。だが見つからない。 いくら空中を疾走しているからといっても、人間とは比べ物にならない身体能力を兼ね備えているミホに矢が視認できないはずはない。 空を切る音が聞こえた。 とっさに身を捻ってそれを避ける。すると、背後から矢が飛んできた。 いまの反応が少しでも遅れていれば、確実に背骨をやられていただろう。 誤算だった。 相手は矢の形状だけでなく、軌道までをも大規模にコントロールできる。つまり、物陰から撃とうが真逆の方向から撃とうが、 確実に当てることができるのだ。 その事実に、目の前が暗くなる。 こっちは近接戦専用の得物で、向こうは超長距離の射程をもった百発百中の得物だ。 圧倒的不利。 だが、この状況をなんとか打破せねばならない。こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。 考えを巡らせていると、あるモノが目に入った。それはアウグストゥスの横でキラキラと光を反射している。 相手が射の体勢に入る。迷っている暇はない。 素早く刀の柄を逆さに持ち替えて、投擲体勢に入る。 そして、両者はほぼ同時に放った。 少し助走をつけて、十分に振りかぶってから刀を投げつける。 狙いを存分に定めてから、致命の一撃を放す。 矢が、迫る。だがミホはそれを避けるどころか、逆にそれに向かって突進した。明らかな自殺行為。 しかしミホは全力疾走という視界が安定しない状況の中で、自分に向かってくる矢を真っ直ぐに捕らえる。 それは、点だった。あまりにも真っ直ぐに自分に向かってくるので、矢じりが点になって見える だが、それを屈んでやり過ごし。足蹴にして粉砕する。矢が砕ける。 アウグストゥスは、自分に刀が飛んできても微動だにしなかった。それもそのはず、刀は自分のいる位置より少しズレて飛んできたからだ。 あれでは絶対に当たらない。 矢が砕かれても動じない。いま相手に武器はない、仮に隠密のニ撃目が弾かれても直に次弾を撃てばいい。 そう、思っていた。 刀がアウグストゥスのすぐ横に着弾する。それと同時に、彼女の右目が唐突に停電した。痛みが走る。 「――――――っ!!!!」 何事かと思い、すぐ横脇に着弾した刀を見る。それは、さきほど窓から落下した際に割れた窓ガラスが散乱していた上に刺さっていた。 ぞくり、とする。 相手は直接刀を投げつけては弾かれると判断し、この硝子の跳弾を狙ったのだ。 そして出来た一瞬の隙を衝き攻撃す―――――。 そこまで考えてようやく敵の意図が掴めた、これは隙を作るための攻撃。 なら、相手はすぐに向かってくる。迎撃しなければ。 振り向けば、遅かった。 振り向いたと同時に、顔面に衝撃が走る。残っていた左目の光が消える、これでは残っていたニ撃目の操作が出来ない。 殺される。 ミホは相手の両目を完全に失明させた。目視によって矢をコントロールしていたのなら、相手はもう手も足も出ないはずだ。 アウグストゥスが倒れたところに馬乗りになり、情け容赦なく殴打する。 突然、ミホは自分の膝を思い切りアウグストゥスの太股にぶつける。その一撃で骨と筋肉が断線する。 念の為に、ともう片方の足も膝をぶつけて潰す。アウグストゥスの声にならない悲鳴が上がる。 声門がかすれ、風きり音の様な枯れた音しか出なかった。 数十発にわたって、ミホは殴り続けた。 重点的に殴られた顔面は無残にも潰れ、失明した目からは良く分からない液体がこぼれ出している。その他にも色々な部分を殴られた。 鎖骨は折られ、肩も拳の一撃で関節が外されていた。全身至るところから生傷や抉れた傷ができ、その凄惨さは筆舌に尽くし難い。 だが、そんな姿にミホは全く動じず。横脇にささっていた得物を引き抜く。 それを、失明して状況の把握できない同胞に向ける。 喉に、寸前で刀を突きつける。後は振り下ろすだけで殺せる。 だが、そうしようとすると透の言葉が頭を過ぎる。 『だけど、殺したら・・・もう二度と戻れないところにまで行ってしまうことになるぞ!それで良いのか、そこにお前の望む『普通』は有るのか!?』 腕に力を篭める。殺さなければ、自分が死ぬ。 『お前の望む『普通』は有るのか!?』 また過ぎる。 篭った力が微かに抜ける。 ――――――あると信じて、いる。元の体に戻ればきっと・・・。 刀を一段と高く振り上げる。 「ぅあ―――」 その動きを空気の流れで感じ取ったのか、アウグストゥスが反応する。 迷いは無い。無いと思いたい。 確かにこの前は殺しは嫌だと、彼の胸の中で泣いた。 でも今はそんなことは言ってられない。 殺す。 なにかが駆け寄ってくる音が耳に届く。彼だ、透がもう来たのだ。 だが、躊躇は出来ない。 ここで、振り下ろす。 音が、大きくなる。ほどなくしてこの現場に着くだろう。 その前に――――――――。 「ミホッ!!!」 一閃。 ぐずり、という肉を貫く感触。刀越しに伝わってくる。 肉と刀の隙間から血が泡を立てて溢れ出る。気持ち悪さに、慌てて刀を引き抜く。 血が、吹き出た。 最初は、まるでホースで水をかけられているのかと思った。それほどに血液の噴射の激しかった。 着せられていた、質素な白い検査服が朱に染め変わる。 呆然と、刀を構えたままソレを見つめる。もう死んでいるのか、まだ生きているのか。分からない。 「ミホ!なにやってるんだ!!」 後ろから肩を掴まれる、それにゆっくりと視線を向ける。だが、視界が上手く定まらない。 目を擦ろうとして、やめた。手には、べったりと満遍なく血が付着していた。 「なぜ刺した」 透が真っ直ぐに自分を見据えて話し掛けてくる。 「なぜって・・・殺さなければ、殺されていた。ただ・・・・・・それだけ」 「――――っバカ野郎!」 フリースを傷付けた時のように、頬を叩かれる。しかしそれすら今の自分には実感が無い。 ―――――――死んだ。 一撃で、ただ喉を突き刺しただけで、呆気なく、簡単に、消えた。一つの命が。 両手を見つめる。 確かにこの手で刺したのだと、血に塗れているのをみて実感する。 「・・・わ、わたしだって本当は殺したくなかった、だけど殺さなきゃ殺される。  だから先に、殺される前に、痛い思いをする前に、傷つく前に、怖いと思う前に」 「お前はそうやって、何もかも他人のせいにして・・・・全ての可能性を奪うのか・・・!」 「え?」 「あの死体の顔を見ろ、あれが・・・しかたなくやったことか?本当は、和解の道があったんじゃないのか?そうやって全部蔑ろにして、  殺さずに済む方法を全て放棄していくのか!?」 その言葉に、壊れそうになる。 殺さずに済む道・・・確かにあったかもしれない。 でも、あの戦いの最中にそんなモノを見つけている余裕は無かった。 自分が殺されないように、殺そうとするだけで精一杯だった。 「それ以上その嬢ちゃん責めるな」 その声の主に、ミホと透は振り向く。 そこには、相変わらず病弱そうな上条 遼の姿があった。しかし、いま彼は自分の足で立っていた。 その貌に、色は無かった。 「殺さなきゃならない状況だってある。それを――――」 「でも誰も死なずにすむ方法があったはずだ、絶対に」 「・・・・・・・・そんなのは偽善だ、滑稽だ、矛盾だ・・・・・・・・・・・・・・・愚直すぎる」 「それでも、命を奪うことはダメだ。いけないことだ、いけないんだ!!」 それは、昔に誓った事。守ると決めたこと。 命も、笑顔も、全て。 いつまでも、笑顔でいてほしい、笑っていて欲しいんだ。 「自分の理想に人を巻き込むのは良くない・・・それに現実はそんなに甘くない。そんな都合の良い願いは無意味だ」 「違う、それはただの諦めだ!救える方法は必ずある!」 「じゃあお前にはそれができるというのか!誰をも、全てを救えるというのか!?」 「俺はそう信じて生きてきた!」 「そんな妄信では何一つ守れん!大事なものも・・・すぐに失う!必然に!!」 遼が着ていた寝巻きの上半身部分を脱ぎ捨てる。 その下にある体躯を見て、透は絶句した。 ソレは、体中に刻まれていた。至るところに、びっしりと。 「それは・・・」 「これは幾たびに渡る戦いと・・・手術のあとだ」 「あんたいったい・・・何者なんだ」 「改めて言おう。私は上条最後の生き残りにして、最強の戦士。別脈種の頂点に立つものだ」 遼が構える。 いま、ミホは戦える状況じゃない。なら自分が戦うしかない。 拳を握り、構える。 殺気が押し寄せる。それは、まさに津波。 立っているだけで押し負ける。数分と保てない。 しかし、やるしかない。 ここで、自分が倒れたら、今の彼女をいったい誰が助けてやれるっていうんだ。 双方共に、じりじりとにじり寄る。 その距離じつに三メートル弱。まだ、仕掛けない。 「一つ良い事を教えてやろう」 その最中、遼は口を開いた。 「『K.O.T.R.T』は、二体の『ミホ』を捕獲した」 二体の『ミホ』をすでに捕獲済み。その言葉の真意を探る。 結果は明瞭にして単純。つまり、相手はもう一体の『ミホ』を持っている。 「汚ねえ野郎だ・・・いまさらもう一体別の『ミホ』をだそうっていうのかよ」 「違う、我が組織で捕獲した『ミホ』は確かに二体。だが、そのうちの一体はすでに死亡している」 「なぜだ」 短く簡潔に問いかける。 その声には、怒りと殺気が篭っている。 「私が、殺した」 『ミホ』を殺す。 それの指し示す意味。 ようするに、目の前の男は『ミホ』たちを上回る戦闘能力を持っている。 その事実に、構えた拳が揺らぐ。 勝てる、はずがない。 自分は、『ミホ』たちの戦いを後方から見守る事だけでも命がけなのだ。 そんな自分が、『ミホ』上回る力を持つ者に勝てる道理など無い。 「先の質問をもう一度しよう。このまま大人しく『K.O.T.R.T』に拘束されろ、命は保障してやる」 答えなければならない。 それは、相手の質問に答えるからではない。 自分の信念を、ここで自分自身に示すのだ。 彼女を、命を守るために、戦うと。 あの約束・・・指きりは、偽りではないと。 「その質問の答えは・・・・・・いつだって『NO』――――だ」 引き返せなくなる。 ここが、最後の逃げ道だ。惜しいのなら、今すぐ尻尾を巻いて逃げるべきだ。 頭を下げて、命を請うべきだ。 だけどもう、決めた。 例え、二度と引き返せない、泥沼の中であっても。 守り抜くと誓ったではないか。 示す、時だ。 「では参る」 遼が間合いを詰める。 彼の疾走の前には、三メートルの間合いなど無いに等しかった。 目を瞬く間に距離を詰め、一気に仕掛ける。 とっさに顔前で両腕を交差させ、防御する。 遼の、無慈悲な一撃が見舞われる。 「ぐあっ――――!!」 そのまま成す術も無く後方に吹き飛ばされる。そして受身もまともに取れないまま、無様に落ちる。 今の、たった一撃で腕の感覚が全て無くなった。きちんと繋がっているか、骨は折れていないか、確認できない。 転がり、喘いでいると、容赦なく首を鷲掴みにされた。 呼吸が、出来なくなる。 「―――っはぅぐ!!」 そして、首を掴まれたまま体が宙に浮く。持ち上げられている。 それも、首を掴んだ、たった一本の腕のみで。 さらに気管が締まる。 「愚かな、ことを急ぎすぎだ。お前にはまだ、明るく、安穏と、平穏に暮らすことも選べたろうに。哀れよ」 掴んだ腕を必死に外そうとする。だが、微動だにしない。 そして、遼の拳が振り上げられる。振り下ろせば、透の頭蓋を叩ける状態になる。 その拳が、握力でぎゅっと縮まる。 振り下ろされれば、死。 肺に酸素が行き渡らない、意識が霞む。 まともに思考が働かない。 その状態で、なんとか言葉を発する。掴まれた腕に、その言葉までもが潰れそうになる。 「―――守る んだ。 絶対に なにがぁっても――――ミホを」 「ほざくな・・・・・・・・!」 遼の腕に、力が篭る。 絶対に守る―――――。 その言葉が、遼の脳内に反芻する。 蘇えるのは、遠い日の懐かしい記憶と。 樹の、声――――。 彼女と一緒にいた、ほんの僅かではあったが、満たされていた日々。 もう一人の自分が過ごしていた日々。いつも、眺めていた。 自分も、いつか遼似のように暮らしたいと思っていた。 しかし、樹が殺されてから遼似は消えた。消えてしまった。 自分は、守りたいと思っていたものを、全て失った。 飢餓衝動で、家族を。 上条という名で、もう一人の自分と、惚れた女を。 してやれたことは、復讐だけだった。 守ることは、できなかった。 「――――――まも、る」 再び、透の喉から言葉が発せられる。 その言葉に、力が緩む。振り上げた拳も、首を掴んだ腕も。 ここで、こいつを殺せば・・・きっと同じになる。 自分から遼似と樹を奪った、あの男と一緒になる。 放す。 「がっあ――」 透は、首を掴んでいた腕をいきなり放されたため、尻餅をつきながら落ちた。 痛みと、呼吸が急に戻った苦しさに。咳き込み、痙攣し、まともに生命活動が維持できなくなりそうになる。 一通り落ち着くと、透は遼を見上げた。 「なんで、はなした」 「お前、絶対に守ると言ったな」 「え?」 すると、遼は屈んで透を同じ視点になる。そして、透の肩を勢いよく掴んだ。 その震動に、体が揺れる。 「守れよ」 「ま、守るって――――」 「あの嬢ちゃんのことだ。お前、俺に首掴まれながらそう言っただろ!?」 「あ、ああ」 「じゃあ誓え。絶対に、死んでも守ると」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もとからそのつもりだ」 真っ直ぐに問い掛けてくる遼に、透は答える。 問われなくても、それはとっくの昔に決めていた答えだ。 守ると――――――。 それはミホに会う以前。あの、記憶の中の彼女と約束した日から、命あるものは守ると誓った。 たとえ、それが茨の道であっても。 「じゃあ、行け。守りぬけ」 そう言って。遼は透から離れ、病室に戻ろうと歩き始めた。 その背中に透が問い掛ける。 「見逃してくれるのか!?」 「ああ、俺もむかし・・・お前みたいに守りたいものがった。俺はそれを守りきれなかったが、お前ならやれるだろう」 遼は振り返らずに答える。 そして、その背中は蜃気楼のように行ってしまった。 透は、黙ってミホに歩み寄り。その体を抱き上げる。 意識はあったが、目は虚ろで、何も写してはいなかった。 歩き出す。 いまは、慰めの言葉もでない。 ミホに殺されたアウグストゥスの方を見る。 顔は何回にも渡って殴打されて、無残に変形し。 折られた両足は、普通なら向いてはいけない方向に曲がっていた。 そして喉には、死因の傷が深々と抉られている。 腕の中で、彼女は震えていた。 殺したという事実に、身が震えていた。 虚な目から、涙が止め処なく溢れる。 ただ、抱きしめてやることしか出来なかった。
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