待って。
掴めないとわかっていても、その手を伸ばす。けど届くはずは到底無く、掴むのは虚空。
行かないで。
止まらない、振り向かないとわかっていても声を張り上げる。しかしその声は無情にも霧散。
戻ってきて。
変わらない、もうあの人の心は誰にも動かせない。
逝かないで・・・。
もう、二度と孵らない。
「う、ん・・・」
私はそう唸って机の上で突っ伏すように寝ていた自分の体を起こした。日は既に落ち、あたりは黒に塗り変えられていた。
不覚だ、まさか勉強中に寝てしまうとは。おまけに時計を見ると時刻は午後十時をまわっていた。
「やっばい、五時間以上も寝ちゃった・・・・」
これはもう不覚を通り越して自己嫌悪ものだ。
だが悔やんでも仕方が無い、やってしまったものは取り戻せないのだから潔く諦めよう。
そう思い、椅子から腰を上げた途端、窓から一筋の光が差し込んだ。それは月明かりのように上から射すものではなく、
下から射すものだった。
不審に思い、窓を開けて外の様子を伺うと、その光は二階にあるこの自室の向かいにある蔵からだった。
あの蔵は先々代のころから開けられていない、開かずの蔵だった。
一階の縁側にまで降りて、そのまま蔵まで直行する。
鍵は錆び付いてもうボロボロだったので、私の蹴りの一撃のもとに屠り去ってもらった。
重い鉄扉を開けると、中からは紅い煙が濛々とたちこめてきた。しかしそれも一瞬で、煙はすぐに引いた。
私は、首を傾げながら蔵の中に足を踏み入れた。床は踏みしめると、抜けるのではないか、とおもうほど悲痛な悲鳴をあげた。
ゆっくり、ゆっくりと鳴る床を慎重に踏みながら進んでいく。視界は黒く、蔵の奥は見えない。
「―――なんだったのかしら今の光と煙は・・・」
そう言って戻ろうとした瞬間、私は背中に衝撃を覚えた。しかもその衝撃は尋常なものではなく、ふっとした浮遊感を感じた。
ようするに、あまりに強い衝撃に私の体は成す術も無く吹っ飛んだというわけだ。
「きゃっ―――!!!」
埃まみれの床にごろごろと転がる、それだけで服が真っ白になる。
おまけに気付けばうつ伏せの状態で転がっていた私の腕はいつの間にか誰かに拘束されていた。そして首筋にひやりとした冷たい物が突きつけられる。
「動くな」
私を後ろから羽交い絞めにしている誰かさんはそう静かに呟いた。その声は、若かった。
勿論ただ黙っている私ではない、大声を出して助けを呼ぼうと、肺に空気を送り込んだ瞬間。
後頭部にずっしりとした重圧を感じた、それが後ろから押さえつけている人物の膝だとわかった。
そしてその膝が、私の首を骨ごと破壊しようとしていることもわかった。相手は無言だったが、それは気配・・・というより殺気により伝わった。
しかたなく大人しく押し黙る、すると背中の人物はそれを待っていたかのように口を開いた。
「いいか?これから私が話すことは全て真実だ。それと質問も声も全て後で言うこと、わかったか?」
「―――」
その問いに私は抑えられた首を強引に縦に振って答えた。ここで横に振れば、次の瞬間に私の首は断ち切られることは明確だ。
私は必死に首を動かし、背中を陣取った人物を睨みつけてやろうと思ったが。その強力な抑止の前には無意味だった。
「私は『天際 美穂』という少女の中にある七つの人格の一つだ。私はいま体の主導権を賭けて争っている、君はその戦いにおける私の枷だ。
枷とは我々『ミホ』の障害だ、君達枷が傷つけば私も傷つく。逆の場合は成立しないがな。簡単な説明はこれだけだ」
そういい終えると、背中の人物は私から離れた、要するに質問OKということだろう。どんな面をしてるのかと顔をあげると、私は赤面した。
確かに、目の前に立っている今まで私を押さえつけていた男は美しい、だが・・・・・・・・・・・・・・全裸だった。
「ちょ、ば、なんでアンタ真っ裸なのよーーーー!!!!」
「? ああ、すまない。なにせ受肉したばかりなのでな、許してほしい」
許すも何も、とにかく今はなにか身に付けて欲しいだけだ。私は蔵の隅に転がっていたボロ布を見つけ、それを真っ裸の変態に突き出した。
「とにもかくにも早くこれでも着て!これじゃあ面と向かって会話できないから!!」
「かたじけない」
そう言って男は布をまるでマントを羽織るかのように、ブワっと回転させながら着た。その動きは、とても雅だった。
はっと気付き、私はつい見惚れている自分の頬をパチンと叩き喝を入れる。
「で、あんたって一体何者?」
「それはさっきも言っただろう、私は『天際 美穂』という少女の中にある七つの人格の一つだ」
「じゃあなんであんたは男なのよ!」
「言ってしまえば私は多重人格のうちのひとつだ、それに性別の違いがあるのは別段珍しいことではない」
感情的に喋るわたしとは対象的に、男は淡々と、重く響く声で答える。
「なんでその多重人格の一つがわたしの家の蔵のなかにいるのよ!」
「それは媒介に使った武具がこの蔵の中にあったからだ」
男は羽織った布の隙間からそれを差し出した、それは一本の古刀だった。しかもわたしはそれに見覚えがあった。
古い写真でしか見たことがなかったが、それはわたしの家に古くから伝わる宝刀だった。
日本刀の類であるくせに反りの無い真っ直ぐな刃をしていて、柄には見たこともない装飾が施されていた。
「この刀を媒介に使ったってどういう意味?これ結構大事なものなんだけど・・・」
「私がこの世界に受肉するさいに使わせてもらった。・・・この刀の詳しい情報を教えてくれないか?」
「え?ああ、それ十束の剣とかいう刀の贋作。でもけっこう古い時代の物だからそれなりの値は張るはずよ」
「贋作?これがか?」
私の言葉に、そいつは首を傾げた。だが十束の剣というのは日本神話に出てくる架空の剣だ、実際に存在するわけが無い。
「だって銘が十束の剣よ?架空の剣の名前を刻んでる時点で贋作確定じゃない」
「そうか・・・これは私が受肉する時に現実と非現実のハーフになったというわけか」
「それどういう意味?わたしにもわかるように説明して」
「つまりこの剣は元々は贋作だった。が、私が非現実の十束の剣と、今ここにあるこの贋作の十束の剣で二重に受肉したために存在が実物へと昇華されたのだろう」
「・・・やっぱり分かんないわ」
そこまで会話して。私はあることに気がついた。それは、人が意思を伝え合うためにも必要なこと。
それが何故いままで気付かなかったのだろうか、と内心で自問自答する。
「ねえ、いまさらで悪いんだけど・・・あんたの名前ってなに?なんて呼べばいいか分からないんだけど」
「ん?私の名前か、私の名はナギサだ」
「変なの」
そう即答した私に、男・・・ナギサがむっとした表情を返した。
その仕草がちょっとだけ子供っぽくて、笑みがこぼれる。
「それで、そなたの名はなんだ?いつまでも代名詞では呼びづらい」
「わたしの名前は黒咲、黒咲 理代子」
するとナギサは何に満足したのか、うんうんと頷いている。
こいつ意外と義理固いのかも、外見もなんだか古風な武士といった感じがある。
髪の色はこの暗い蔵の中でも分かるほどの白みのかかった金髪だが、なぜか和風な雰囲気がある。
「それより、外に出ましょう。いつまでもこんなほこり臭いところには居たくないわ」
「それは私も同感だ、それに君の住居にも興味がある」
そうして、私たちは蔵の外にでる。さっきは気付かなかったが、今日は満月が出ていた。
振り返ると同時に、ナギサは黒い蔵の入り口から出てきた。明るみで見るナギサの顔に、私は絶句した・・・。
似ている、そうとしか思えない、それ以外思えない。
なぜあんなにも似ているのか、貌やその雰囲気までもが似ている。
なぜ今気付いたのか、なぜ今まで気付かなかったのか。
それは本当に「気付いた」のか・・・・。
「?どうした、私の顔になにかついているのか?」
「・・・ちがうは、ただ、わたしの兄に似ていたから―――――」
「ほう、同じ腹から生まれた君が言うほどとは。私はそれほどに似ているようだな、そうとなると一度会ってみたいもの――」
「死んだわ」
私はナギサの言葉を最後まで聞かず、遮るように言い放つ。その声は、消沈していただろう。
「・・・すまない、軽率だった。以後気をつける」
「べつに、軽率なのはわたしのほうだったわ。あなたに落ち度なんてない。でもできれば兄の話題はこれきりにしてくれるとありがたいわ」
そうして、私は黒咲家本邸に向かって歩を進めた。その後ろをナギサが、未だ布一枚羽織った状態でついてきた。
「驚いたな―――――――」
それが理代子の家に入ったナギサの第一の感想であった。彼女の家は一言でいうなら豪邸であった。
和風な屋敷で、全体的には質素に纏められた造りになっている。東京ドームもかくや、というような広大な敷地に建てられたこの屋敷は、
実際には全敷地の五分の一程度の比較的小さなものだ。
だがそれでも一般の住宅などとは比べるのも不躾なほど大きなものだった。
「あなたの部屋に案内するから、迷わずついてきてね」
「私にわざわざ私室を与えてくれるのか?」
「だってこの『ミホ』たちの戦いって、少なくとも一週間ぐらいはかかるでしょう?どうせこの屋敷は部屋が有り余ってるんだから、
一つぐらいあなたに明け渡しても支障はないわよ」
「なら遠慮なく借り受けよう」
そうして歩くこと数分の後、ナギサがこの屋敷の広さを呪縛のように感じ始めたころに、二人はその部屋の入り口に着いた。
その部屋は、この屋敷の中で唯一の洋間だった。その証拠にフスマではなく、ちゃんとドアがあり、鍵がかけられるようになっている。
「さあ、ここがあなたの部屋よ」
そういって理代子はその部屋のドアを開けた。その中は酷く質素だった。
広さは、例えるなら学校の教室一つ分は軽くあるのだが・・・あまりにも置いてあるモノが少なすぎた。
端に申し訳程度に置かれたベッドと机、その反対側には三つばかりの本棚がるだけであった。奥には辛うじて窓がついている。
「・・・なんだか寂しい部屋だな、来客専用か?」
「いいえ、ここは数年前まで兄が使っていた部屋よ」
「―――――いいのか?私がそのような大事な部屋を使って」
「ほっといたって埃に埋もれるだけだし、あなたが使ったほうが部屋のためよ」
なら良いが、と呟いてナギサは部屋に足を踏み入れる。一通り中を見回すと、三つある本棚の前で歩みを止めた。
数冊ばかり手にとり、じっと眺める。それに飽きたかと思うと、急にわたしの方に振り向き。
「こっちの一番奥にある本棚はなにゆえ施錠されている、重要な書物なのか?」
「ああそれ?兄が使っていた錬精書よ、わたしは錬精を学ぶ気が無かったから読んだことないけど」
「錬精書だと?君は別脈種の血筋の者だったのか!?」
「ええ、そうよ。もっともわたしは才能が無かったけどね」
別脈種、それは人類が太古から模索してきた既存の生物種とは異なる進化の形態の結果。人間の脳には無い「変換式」といわれる特異神経を保有する者を指す。
そしてそれを大まかに二分するのが「羅種」と「賢種」である。羅種とは変換式によって変換された精神力、
「虚数」と呼ばれるエネルギーを肉体の強化や突出した特異固有能力などに使う者。
賢種は羅種を大きく上回る虚数を生成し、錬精術と呼ばれる「魔法」のような力を使う。錬精術は言語詠唱に虚数を乗せ、
自分の周りにある「マナ」を最適化して様々な現象を引き起こすものである。
言語詠唱において重視されるのは「概念」である、虚数は物質に働きかけるのではなく、霊的なものに働きかけるので、既存の物理概念は必要ない。
上級賢種であれば言語詠唱をしなくとも、汗腺から虚数を放出しマナの最適化が可能である。それには虚数自体に強いイメージを添付する必要があり、
それには一般の賢種の約七倍から八倍の変換式を持たないと不可能である。
そして、羅種と賢種の両方の長所を兼ね備えた者を「両極」と呼ぶ。両極は虚数を用いずとも人外的な身体能力を発揮し、上級賢種すら上回る変換式を脳内に持つ。
また、理代子の兄は両極であった。
「ということは君の兄は賢種の戦士だったのか・・・」
「いいえ、兄は両極だったわ。いまはもういないけどね」
「しかし、それほど有能な者がなぜもう死去しているのだ?病死か?」
「ちがうわ、仕事でへまうって死んだの」
そう吐き捨てる彼女の顔は、冷ややかな貌をしていた。侮蔑でも、失望でもなく、ただ純粋に冷めていた。
「それで、戦いはいつ始まるの?」
彼女は冷めた表情のまま訊ねてくる。しかし、今の彼女の貌には熱があった。
「戦う」という、明確で単純な戦闘意思。
「・・・数なえそれえば今日にでも幕は開く」
「そう、まだ待機ってわけね」
「ああ、だが安心した」
「なんで?」
心底解せない様子で理代子はナギサの顔を覗き込む、その様子にはさっきまでの固さはなかった。
「君が別脈種の血筋の者なら、私たちの戦いに十二分に参加できる。さっき君は自分の兄が両極であると言ったな?なら必然的に脳内にある変換式は上級賢種か、
あるいはそれ以上の数があるだろう」
「へえ、嬉しい褒め言葉だけど。『ミホ』っていうのはわたしでもどうにかできるような安物なの?」
「いくら人外的な能力を保有するからといっても、その身体能力は羅種に及ばん。それに我々も多少の変換式を脳内に持つが、微々たるものだ」
「ふうん、じゃああなたたちって結構大したことない力しかないってこと?それじゃわたし一人で他の『ミホ』全員を倒せると思うんだけど」
そう言う理代子に、ナギサはキッと視線を向けた。微量ながら殺気が向けれる。
・・・そう、微量な殺気なのだ。しかし、わたしの背筋はもう動くことが出来ないというように固まっている。
「だからといって舐めてもらっては困る。私たちは身体能力や変換式の数では別脈種に及ばないものの、我々『ミホ』の持つ固有能力は別脈種のそれを大きく上回る」
「―――――固有能力?」
「そうだ、受肉した武具に依存したものではあるがな。我々は受肉に用いた武具を意匠化した大規模な霊的干渉能力を持つ」
まあそれは実際目の前で体感したほうが早いだろう、と言ってナギサは会話を打ち切った。
部屋の奥に向かって歩き出し、振り返らずに言った。
「全ての『ミホ』は明日にでも揃う、今日はもう寝ろ」
「――――!!」
わたしは何故かその言葉が頭にきて、乱暴にドアを閉めてナギサの部屋を去った。
急ぎ足で私室へ戻り、布団を敷くとまるで倒れこむようにして寝た。
●
わたしは両親の顔を覚えていない。二人とも、わたしが生まれて間もなく死んだ。
兄が、殺した。
それが、黒咲の仕来りであった。我が血筋では、別脈種の血を濃く残すために男と女を産むと、産んだ我が子に殺された。
そうして親密に育った兄妹に、近親相姦をさせる。そうやって何代も何代も色濃い血を残すために、親を殺し、肉親と交わった。
そんな、呪われた、汚物まみれの一族。
兄に聞けば、そんなことは別脈種の家系では珍しくないそうだ。
わたしは強く思った。
ある意味、この家に生まれて良かったと・・・。
目を覚ますと、時刻はまだ七時前だった。今日は土曜なので、急いで学校に行く準備をしなくてもいい。
そう思い体を起こすと、ナギサがいた。
・・・・・・・・こいつ、わたしの寝顔見たな。
「なに?人の部屋に勝手に入ってくるなんて常識あるの?」
「いや、すまない。昨日の夜この屋敷に侵入を試みる不届き者がいたのでな、その報告にきた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それって、もしかして『ミホ』?」
「そうだ」
気まずいというか、なんとなく重い沈黙が流れる。
それにしても、なんでこいつはこういう大事なことをさらっと、さも当然のように言い放つのだろうか。
「・・・もう戦いは始まっているってこと?」
「まだだ、気の早い乱暴者が耐え切れず仕掛けてきただけだ」
ああ、そう。と投げやり返事をする。
そして重要なことに気付いた、昨日こいつはボロ布を羽織ったままの格好だった。
だが今は黒いジーンズに黒のタートルネックを着ている。その格好は彼の白い金髪と対象的で、物凄くマッチしていた。
けど・・・。
「誰が勝手に兄の服着ていいなんて言った?」
眉間に血管を浮かべて言い放つ。それに篭った殺気は異常で、幼児なら卒倒していただろう。
「いや、いつまでもボロ布一枚というのもなんだったのでな。色々と漁らせてもらった」
「・・・にあってるから別にいいか、もう」
そうして、何をするでもなく日は昇り。暮れていった。
ただぼー――――――っとして、折角の休日を過ごした。まったく、これが華の女子高生のする生活だろうか。
これでは居間でくたびれている老人と大差がない。
夕食を食べ、風呂に入り、無意味な一日に終止符を打つかのように眠りにつこうかと思ったころに、私室を訪れたナギサが告げた。
「今宵、全ての『ミホ』が揃った」
幕が、上がった。
彼が来てから、もう六日がたった。
だが、わたしは相変わらず日常を味わっていた。『ミホ』なんて、誰一人として襲撃してこなかった。
わたしが学校に行っている間、ナギサはどこかに出かけていた。
本人曰く、自分はこの戦いにおける管理者なのだそうだ。『ミホ』の動きを監視し、戦いが円滑い進むよう整えるのが彼の役目だそうだ。
だからナギサは他の『ミホ』と五感が繋がっている、それは卑怯なのではないのかと本人に聞いたら。
「どうせ私では勝ち抜けないから問題はない」
と簡潔に答えられた。
それはどういう意味なのかと聞いたら。
「この戦いはただの茶番だ、意味など初めから無い。勝者は既に決まっている」
酷く冷めた言い方だった。
そして、彼は更に言った。
「君の後輩に新藤勇次という男がいるだろう、彼は枷だ」
わたしは別にうろたえなかった、なぜ何も思わなかったのか。自分でも不思議だった。
今夜、退場してもらうことになった。
その細かい内容を聞くと、私は登校した。
わたしの通っている学校、私立東條高校は黒咲の家から地下鉄二駅ぶんほどの距離にある。
駅のホームは、いつも通りに混雑していた。しかしこの駅のホームは一般のそれに比べればかなり広い造りで、ラッシュ時でも少し余裕ができる。
人身事故で少し遅れて滑り込んできた電車に乗り、ドア付近で立つ。座席は前の駅から乗っている人で一杯だった。
鮨詰めもいいところなほどに窮屈な電車のなかで、わたしを呼ぶ声が聞こえた。
「せんぱーい、黒咲せんぱーい」
そうしてわたしの横に強引に人を押し倒すように近寄ってきたのは、学校の後輩であった。
そいつは気弱な性格のくせして、背だけみょうに高く。なぜかわたしに懐いていた。
「おはよう、新藤くん。でもそんなに慌てて人を掻き分けてくることはないわよ」
「あ、すいません」
わたしがそう言うと、彼は頭を下げた。背が高いので、頭を下げた状態でもわたしは彼の顔を見るためには視線を上にしなければならない。
そこがみょうに鼻につく。
こいつが枷かと思うと尚更だ。
『ミホ』の枷になった人間は、憶測だがまず普通の生活はできないだろう。『ミホ』は確実に勝つために、枷を襲う。
人外の存在が脆弱な自分たちを狙って襲ってくる、そう思っただけで精神がまいる。
それは、自分を消そうと躍起になる猛獣が複数徘徊していることと同意だ。
まず、心が耐えられない。
だが目の前の後輩は、何事もないようにここ数日間生活していた。
わたしの記憶のなかの彼は、気が弱く、どちらかというとこの戦いで真っ先に精神が滅入るタイプである。
しかし、実際何事もなかったかのようにわたしの目の前で、呑気に昨日のテレビの話題を持ちかけてくる。
ナギサの情報が間違っているとは思えない、『ミホ』と五感で繋がっている彼がいうのだ。ほぼ確実だろう。
結論は一つ。こいつは今まで、「本当の自分」を他人に見せたことがない――――――――。
こいつは今までずっと、偽って生きてきたのだ。
そう考えると、怒りと同時に親近感がわく。
その生き方は、別脈種のそれと全く同じだ。偽り、隠し、さとられないようにひっそりと逃げ惑う。
新藤と明るく会話しながら、わたしはそう考えていた。
窓には、闇が輝いていた。
「そ、そんな・・・・先輩が、枷だったなんて―――――!」
新藤勇次は、目の前にいる人物。黒咲理代子にむかってそう叫んだ。
いままで憧れていた人物が、殺し合う相手になったのだ。戸惑わない道理などない。
理代子は彼が今日は部活で帰りが遅くなるのをしっていたので、彼がいつも下車するホームで待ち伏せていた。
ホームには少なからず人がいたが、理代子はそんなことは気にも留めなかった。
今日の朝、登校する電車の中で親しげに話した。学校の休み時間には必ず彼女の教室に赴き、他の先輩たちと一緒に談笑した。
だれより憧れていた、だれより尊いと思った、だれより・・・・彼女のことが好きだった。
カシウスの力を使って、彼女を守ろうと誓った。
だが、結果は彼女も枷だった。
「理代子、奴は混乱している。仕留めるなら今が好機だ」
「彼は一応わたしの後輩よ、情けの一つでもかけさせて」
先輩は、後ろに立っている男となにやら話しをしていた。勇次には、そいつが『ミホ』だということが直感的に分かった。
正直、先輩に狎れなれしくする男は殴り倒してやりたかったが。相手は『ミホ』だ、あんな強大な力をもつ化け物に敵うはずも無い。
そうして、狼狽していると。後ろから背中をポンと叩かれた、無言で振り向くと。彼の『ミホ』がいた・・・・・。
「益々まずいぞ理代子、相手の『ミホ』の御登場だ」
先ほどから真っ直ぐに対峙していた勇次の後ろには、何時の間にか一人の女性が立っていた。
身長は百七十センチほどで高めだが、勇次の長身の前では意味が無い。
タンクトップの上からジャージを羽織っただけ、というなんともシンプルな服装をしていた。髪の毛は、肩らへんで乱雑に切り揃えられていた。
その手には、長さが二メートル半ほどの長い槍が握られていた。
しかし理代子には、彼女が得物を持つ瞬間が見えなかった。ずっと対峙しているにも関わらず。
槍は矛先が五つに分かれていて、不出来なフォークのようなシルエットをしている。だが、威圧感は十二分にあった。
「ナギサ・・・あれ――」
「ああ、凄まじい殺気だ。だがあれは相手が無意識に垂れ流しているだけのものだ」
その言葉を聞いて背筋に悪寒が走る。あの『ミホ』から放たれる殺気は、常人なら鳥肌がたち膝が笑うだろう。
だが相手は、それほどの殺気をただ垂れ流しているだけなのだ。
もし本気の殺気をぶつけられた時のことを考えると、本当に洒落にならない。
「君は後方支援を――――。いや、茶でもすすっといてくれ」
しかし、そんな状況でナギサは軽口を叩きながら前へ出る。彼はそうしてわたしにくる殺気を防いでいるのだ。
そうしてゆっくりと腕を上げて指差す。
「あそこに自販機があったな、そこでお茶でも買ってくつろいでいるといい」
そういって、突進した。
一陣の風が吹く、ホームにはまだ人がちらほら見えるが、気に留める必要は無い。
どうせ目撃者はゼロになる。
ナギサの突進に目の前の『ミホ』―――カシウスは己が得物を構える。それは五つの矛先を持つ神の魔槍、「ブリューナグ」。
大きな軌跡を描き、二メートル近い凶器が振るわれる。
対してナギサの持つ得物は刃渡り六十センチほどの直刃刀、打ち合えばどちらが押されるのかは明確だ。
鉄と鉄のぶつかる音色、高くも鈍い旋律。
打ち合う一撃は、常人の必殺並の威力を秘めている。
互いの刃を交えて既に十秒、しかし討ち交えた数は既に幾百。
見えるは刃が残す光の筋のみ。しかしそれすらも速さに見えなくなりつつある。
だがナギサはやはり押されていた、相手は槍でこちらは刀。リーチも戦法もまるで違う。
しかし、カシウスは更に追い討ちをかけてきた。
理代子の背中が、脊髄が凍る。あの『ミホ』はマナを最適化していた。だが、それは最適化というより蹂躙だ。
僅かな虚数でマナを強制的に整え、自己の最善の状態を作り上げる。
「トゥアハ・デ・ダナーン(貫き穿つ五光)!!!!!」
「!?」
ナギサに緊迫が走ると同時に、カシウスの槍から五つの光が放たれる。
唸り、風を巻き上げ、タイルを蹂躙し破壊しながら神速で近づいてくる死の光。
その一つ一つに必殺ともいえる威力が秘められている、それは後方で戦いを見守っている理代子にも分かった。
だから、あれを受ければナギサは死ぬ。だから、せめて回避に徹して勝機を見出すべきだ。
だが、ナギサは不動だった。
まっすぐと迫り来る光を見据え、かすかに口元を歪めて微笑した。
ぼっ、という大気の焼け付く音と共にナギサの刀が振るわれる。
そして、理代子は確かに見た。
ナギサの中の虚数が、一気にマナを汚染していくその様を。
「ソード・オブ・イシュタル(赴く凶神の刃)」
ナギサがそう呟くと同時に、ホームの床からあるモノが突き出してきた。
それは「刃」だった。
無数の刃がホームのタイルを突き破り、所狭しと重なり合い、ナギサは自分の目の前に刃の盾を造った。
その工程は一瞬にして完璧。刃はギャリギャリと引っ掻くような声を上げ、主を守ろうと身を固める。
神速の光が、刃の盾に直撃する。
色々なモノが、爆ぜた。
およそ、言葉では表せない爆発。
爆煙は爆風の有り余る威力により一瞬にして引き、理代子は恐る恐る目を開ける。
そこには無傷で佇むナギサと、驚愕の貌を浮かべている『ミホ』がいた。
「もうこれでお終いにしないか、カシウス」
「!?なんだと!」
余裕が手に取るほど分かる口調で語りかけるナギサに『ミホ』は吼える。
それは姿は完全に勝者と敗者だった。
「お前も薄々感づいているだろう、この戦いが茶番であることに。なら私と手を組まないか?」
「はあ!?なま言ってんじゃねえよ!その余裕ぶった態度ごとぶっ殺してやる!!!」
激昂したカシウスが突きの構えでナギサに疾る、人間では知覚不可能といえる神速。
その矛先は数秒もかからずに、目の前にいる余裕ぶった男の心臓を穿ち、破壊するだろう。
それを、ナギサは真正面から受け止めた。峰に片手を添えて、ブリューナグを真っ向から停止させる。
「貴様ではどう足掻いても私には勝てん!」
彼がそう言い放つと同時に、カシウスがナギサの前から飛び退く。一瞬の出来事に、理代子の脳はまともな知覚が出来ない。
数瞬前までカシウスがいた場所からは、刃が突き出していた。ナギサの口元がまたも歪む。
「追え、蹂躙し、破壊し、汚染し、その鋭利な己が身で犯し尽くせ!」
ナギサのその言葉に導かれるように、刃が伸びる。それは直線的に動き、無機的な刃の蛇を連想させる。
カシウスはさらに後退する、しかも自我を持ったような刃が次々と襲い来るので懸命に払い退ける。
後退すればするほど、刃の数は増えた。最初は二十ほどの数だったが、今は百に届かんばかりの数にまで増えている。
それを紙一重、まさに神業というべき手腕で切り払い、伏せる。だが、少しでも見誤ると刃は容赦なく体を刻む。
そして、絶望的な音が響く。
ぱきん、という風鈴のような透き通った音をたててブリューナグの五つの矛先が一つ折れた。
その音と現実に堪りかねたようにカシウスは上へと逃げる、その跳躍は一瞬にして彼女の体を地下鉄の駅の天井近くまで跳ね上げた。
その位置から見据えた敵の顔は、どうしようもないというように笑っていた。それは、愉悦からくるものだった。
カシウスを追っていた刃が一斉に直角に上へと向かう。
その数実に百十三。加害者には愉悦を、被害者には絶望をもたらす数だ。
その刃は、寸分違わずカシウスの身を刺し貫く。
上空に逃げたカシウスは、ナギサから見れば格好の的以外の何物でもなかったのだ。
まるでビデオを早送り再生しているような速さで、カシウスの体を刃が通過する。勢い余った刃はそのまま天井に突き刺さっていく。
紅い、雨が降ってきた。カシウスは全身を満遍なく串刺しにされてなお息があった。
ホームに、ある音が鳴り響く。それは、刻一刻と近づいていた。
ナギサは足でリズムを取る、それは今近づきつつあるモノとのタイミングを合わせるためだ。
プァーン、という音。
通過電車は勢いを全く殺さずにホームに駆け込んできた、それと同時にナギサはカシウスを線路に投げ捨てる。
カシウスの体が放物線を描きながら、驚くほどゆっくりと落下していく。
激突音。
ぐしゃり、その音は彼女が線路に落下しきる前に聞こえた。電車はブレーキをかける間もなく彼女を轢き壊した。
悲鳴が、聞こえた。
見ると、新藤が私たちに背を向けて急いで逃げ去っていた。
わたしとナギサは、気に留めなかった。
彼がゆっくりと振り返る、それ目掛けて私は缶を投げつけた。
ナギサはそれを呆然と受け取る。
「あんたの分、自販機でさっき買っといたよ」
「・・・ああ、すまない」
プルトップを空ける軽い音が、血と肉にまみれたホームに響いた。
-back-