これは、何かの罰なのだろうか。 愚か過ぎる自分への 無力過ぎる自分への ただ、見ているだけで、なにもしなかった・・・自分への。 なら、素直に私に罰を下さい。 罰すればいい。 罰するべきである。 罰せられる必要がある。 あの時、ただの傍観者として居た自分への罰を、下さい。 罪に汚れた、この体を、罰で切り刻んで下さい。 だから、これいじょう・・・・・・・結ヱを苦しませないで下さい。 「くっ――――!」 ビルの屋上と屋上を飛び渡りながら、英翔は苦しげに声を漏らした。 それは、霧恵の通っている学校に近づけば近づくほど、身体に纏わり付く重圧は増していたからだ。 大気中に蔓延している内気の拡散具合から、英翔はおおよその最適化範囲を割り出した。 それは、信じられない結果だった。 半径20キロ。 普通、最適化が可能な範囲は、どんなに内気の密度を下げても、1キロが限界である。 高等な術者でも、精々10キロ。同じく密度を下げてでの話である それの二倍を、内気の密度を全く下げずにやってのける。 その、あまりに桁外れな変換式の出力に、英翔は背筋が震えた。 大気中に展開された内気は濃密である、故にその発現地が容易に発見しやすい。 最適化は、発現地が悟られぬよう、密度を均等に散布するのがセオリーである。 しかし、いまこの一帯を覆っている内気は、ただ垂れ流しているだけ。 したがって、自然と発現地の方が濃い内気が占めているというわけだ。 だが、あまりに強大すぎる内気は、発現地が分からなくなりそうなほど、濃い。 そして、神経を周囲に張り巡らせながら、英翔はそれを必死に探していた。 早く見つけなければ、何もかもが手遅れになるかもしれない。 彼の頭の中にある、仮定が正しければの話である。 程なくして、内気の発現地が霧恵の学校ではなく、その正反対の繁華街の方であることがわかった。 建物が密集していて、探すのは困難に思えた。 しかし、その問題もすぐに解決する。 繁華街の、学校に近い側から、濃密な内気に負けず劣らずな、濃密な匂いが流れていた。 血の、匂いだ。 内気の濃さ、それと血の匂いの濃さを頼りに英翔はビルとビルの間を縫う様に進む。 すると、ある路地裏から、特に強い匂いと濃さが感じられた。 一旦地面に降りると、その路地裏に慎重に近づく。 その路地裏は、昼間だというのに、嫌に暗かった。それと同時に、むせ返る様な血の匂いが充満している。 灯火のように微かに差し込む日差しで、辛うじて中の様子は見ることが出来た。 奥に、誰かがいた。 英翔は真っ向から近づかず、一旦路地を挟むように建っているビルの屋上に跳躍した。 上から、路地の中をさらに詳しく観察する。 そこには案の定、彼が守るべき対象の、初塚霧恵の姿があった。 霧恵が一先ず無事なのを確認して、英翔は安堵の息を漏らす。 しかしその安堵も、すぐに緊張に息が止まった。 霧恵の見据える先に、正体不明な「何か」がいた。 遠目から見て、その「何か」の形容を把握する。 胴体は、ビルの屋上から見ているので判別し辛いが、英翔の目に間違いが無ければ、それは真円だ。 一切の歪みもない、完全な球体の胴体。 しかしその「何か」から生えている手足は、その非自然的さを孕んだ完璧な球体とは対照的に、蟲のような、 硬い外骨格に覆われた節くれだった無骨なものだ。 そして、英翔の認識が間違っていなければ、彼の眼下にいる「何か」には、口までもが形成されている。 しかも、肉食獣的な、鋭い歯が揃った武器のようなものではなく。 人間と全く同じだった。 唇があり、口の中には、人間特有の平たい歯までがある。 何より信じられないのは、その生物の形を模った「何か」の背中に生えているモノだった。 一切の陰りの無い、純白の翼。 神話などによく見える、天使のような、白く無垢な翼。 生理的嫌悪感を誘う形容とは裏腹すぎて、違和感だけが残る。 だが、なぜか、嫌悪以外の鳥肌が立った。 畏怖なのか。 あまりに次元の違う存在が目の前に居ることに、生物的な畏れを抱いているのか。 その考えを、頭から追い出そうとする。しかし出来なかった。 それは、見てしまったからだ。 自分の真下にいる、「何か」の中に渦巻く、人智の外の量の内気を。 その根源が、何処なのかを。 腰に手を伸ばす。そこには、ズボンの間にたさばんでいる、一本の小刀があった。 それを、鞘ごと、ズボンの後ろから引き抜く。 黒光りするその小刀を、慎重に鞘から出す。 そう長くない、しかし引き締まった刀身が姿を現した。 煌く銀に、うっすらと紫がかかった刃。 『黒天昇』 三大偽神葬具の一つに数えられる「凶つ月」を模して作られた刀。 その性能はオリジナルの十分の一も無いが、偽神葬具としての質は高い。 英翔は『黒天昇』を掲げるように構えると、ビルの屋上から、その下にある路地裏目掛けて跳んだ。 耳元に空を切る音が満ちる。 「ギキ・・・キキィ・・・・」 目の前の黒い生物は、何かを訴えてくるようにすすり鳴いていた。 それを見つめる霧恵は、その鳴き声が結ヱの悲鳴のように聞こえた。 しかし、霧恵はそれになんの反応も返せないでいる。 ただ、驚いたように呆然としているだけであった。 頭が、真っ白になっている。 そして自分が、二度と繰り返すまいと誓った過ちを再びしている。 傍観しているだけ。なにもしない。 見ているだけ。 そんなことは無力なことは、もう終わりにした筈ではなかったのか。 もう、そんな惨状は見たくないと願ったのではなかったのか。 けれども、凍りついた頭は理想とは反対に、少しも動かない。 そんな無反応な霧恵に、黒い生物が、のそりと近づき始めた。 その時だった。 「たあああああぁぁぁ!!」 霧恵と黒い生物の対峙する頭上から、突如として怒声が降ってきた。 その声に、やっと霧恵は我を取り戻した。 しかしその時には、怒声に素早く反応した黒い生物が、迎撃体勢を整え 攻撃された後だった。 『黒天昇』を構え、突如として飛来した英翔の一撃を喰らい、黒い生物は鞠のように吹き飛ばされ、悶絶した。 落下の勢いと、突出した筋力を乗じた一撃。 軽装甲車なら、その威力の前に成す術もなく砕け散ったことだろう。 英翔は小刀を振るい終えた体勢から素早く立ち上がると、跳ね飛んでいった黒い生物には目も繰れずに霧恵に向かった。 「霧恵さん、だいじょうぶですか!?怪我は、怪我はありませんか!!」 「えう・・?あ、はい。だいじょうぶです」 いまいち状況が把握しきれていないのか、霧恵は曖昧な返事を返す。 そんな状態の霧恵に英翔は不安を膨らませ、しっかりと霧恵の手を握り、意識の確認をする。 「ギキャアアアアァァァ!!」 突然、何時の間にか立ち上がった黒い生物が背を向けている英翔に猛烈な勢いで迫ったきた。 一瞬の、出来事だった。 英翔が握っていたはずの手からは、何時の間にか温もりが消え、自分を真っ直ぐ見つめていたはずの彼は、 今は背を向けている。 決して霧恵の知覚が鈍いわけではない。 しかし彼女は、その残像どころか、空気の動きさえ感知できなかった。 英翔は、黒い生物が振り上げた無骨な甲羅に覆われた足を、無慈悲の一撃の下に切断した。 小刀を振り切った位置で、柄を逆手に持ち、そのまま本体に突き刺す。 刃は、簡単に刺さった。 黒い生物の、悲鳴があがる。 「キイイイイイィィッ!?」 悲鳴が上がった次の瞬間、英翔さえ予想しなかった事が起こった。 つい先ほど切断した足が、腐ったようにぼとりと音をたてて剥がれ落ちた。 そしてその直後に、新たな足がずるりと生えてくる。 その恐るべき自己再生能力に、英翔の心の中に一瞬の迷いが生まれた。黒い生物はその隙を逃さない。 自分の体に刺されたままの『黒天昇』に、再生されたばかりの足を向けた。 そのまま器用に柄を掴むと、圧倒的な筋力のもとに握りつぶす。 「なっ!?」 英翔に焦りの表情が浮かぶ。彼の愛刀である『黒天昇』は無惨にも、柄はへしゃげ、刃が割れる風鈴のような音が鳴る。 急いで後方に飛び退くと、英翔は霧恵を抱え上げ、大きく上に跳んだ。 その後を黒い生物も追うべく、その背に冠した翼を広げる。 だがその動作は、くぐもった銃声に制止させられた。 「・・・ピギャアアァ!?」 黒い生物の背中が、爆ぜる。 それが発砲によるものだと気付くのに、英翔は数秒を要した。 背中から、ぶすぶすと煙をあげた状態の黒い生物は、ゆっくりと路地裏の入り口を振り向いた。 そこには、逆光の影が一つあった。 「英翔、危ないから霧恵を連れて早く帰りなさい。ここは私が引き受けるわ」 「貴子さん!?」 突然の救いの手は、香坂貴子であった。 相変わらずの着物姿だが、その両手には禍々しい得物が握られていた。 スパス12。セミオートとポンプアクションを選べるという特性を持ったショットガンである。 そのあまりの威力から、アメリカの一部の州では販売が禁止されている。 「返事はいいから、早くお逃げなさい!」 「わ、わかりました。気を付けてください!」 「・・・・すぐに追いつくわよ」 そう微笑みながら、貴子はビルの屋上へと消えていく英翔と霧恵を見送る。 姿が見えなくなっても、しばらくの間見つめていた。 そして、目の前にいる黒い生物に向き直る。その険しい表情からは、先ほどの微笑みは完全に消え去っていた。 対峙するは、正体不明の醜い・・・『何か』。 「キイイイイ・・・・・キキキ」 「笑ってるつもり?」 およそ、既存の生物には無さそうな、摩擦時に起こるような鳴き声をだす。 その声に、貴子は不敵な笑みと共に腰だめに構えた二丁のスパスを向ける。 一切の躊躇もなく、その引き金を引いた。 爆発のような発砲音。 銃身からはショットシェルの中に内包されていた粒子が高速で飛び出し、標的を射殺さんと飛来する。 発砲に反応しきれなかった黒い生物は、その直撃を受ける。 「キギイイィ!!」 体から、血が滴り落ちる。 だがそんな傷を無視し、黒い生物は足でアスファルトを抉り、その破片を貴子に向けて思い切り投げた。 しかしその先に、生物の求める標的はいなかった。 勢い良く投擲された破片は、虚しく路地裏から飛び出し、その先の道路を走っている軽自動車に直撃した。 横から追突されたように車は横転し、炎上する。 「キキ!?」 黒い生物は困惑し、周囲を見回す。 「何処を向いてるの?」 突然、背後から声がした。 その声にすかさず反応し、黒い生物は後ろ足で背後の敵を蹴り付けようとするが、その足に激痛が走った。 貴子は自分に向かって蹴り上げられた足に向かって、スパスを発射する。 12ゲージのショットシェルの前には、生物である限り外骨格でいくら身を固めても無意味だ。 この絶大ともいえる威力を防ぐには、相当な硬度の金属でなくてはならない。 足を吹き飛ばされ、バランスが崩れた黒い生物は、尻餅をつくように後ろに倒れる。 その動き辛い状態を、貴子は逃さず攻撃する。 生物の真上に飛ぶと、そこから容赦無い連射を浴びせる。 残っている弾を全て、仰向けになっている黒い生物につぎ込んだのだ。 生物の皮膚は飛来する粒子に次々と削られ、その内にある肉や血を撒き散らした。 貴子は着地すると、撃ち尽くしたスパスを一丁、黒い生物の露出した傷口に埋め込む。 肉に埋まる、ぐずりとした感触が銃のフレーム越しに感覚器官を刺激し、不快な気分になる。 そして露出した傷口に突き刺さったスパスを更に、足蹴で深くに突き刺した。 「キギャアアアアアアアァァァ!!」 貴子は、この醜い生物にも痛覚があったのかと、その反応をみて感心した。 だがその余裕は、黒い生物の傷口から這い出た者により吹き飛んだ。 紅い傷口から、紅に染まった何かが出て来たので、貴子は凝視した。 それは、少女だった。 恐らく、十代にも届いていないであろう年齢の少女が、何の因果か、黒い生物の傷口から這い出て来たのである。 あまりの異常な光景に、貴子は一歩後ず去った。 間合いは、おおよそ三メートル弱。 貴子は、その少女を見つめていた。 そしてその少女の異常な点に気付いた。 その少女に、内気が流れ込んでいっていたのだ。 (どういうことだ!?) 元来、内気というものは、術者が外気に向けて放つものである。 しかし目の前の少女は、その放出すべき内気を外部から供給されている。 つまり、この界隈一帯に張り巡らされた最適化は、この少女が外部からの供給によって成しているものである。 そしてさらにもう一つ。 少女の体は、実体が無かった。 簡単に言うならば、魂だけの状態である。 だが、そんなことは原理的に不可能だ。 魂とは、肉体という殻に入っていなければ、数分と現界していることは出来ない。 そこまで考えて、貴子は更に目を凝らした。 少女に供給されている内気を、一身に見つめる。 それは、ただの供給ではなかった。 内気は少女の体に流れ込むと同時に、少女をこの世に縛り付けているのだ。 だが、内気も元を正せば霊的な物体。魂と同じようなものである。 その内気を、肉体の変わりに出来るほど密度を高める。 あまりに桁外れな技術と内気を消費する。いや、それ以前に、そんな常識はずれなことは出来るはずがない。 いくら論理的には可能でも、それに見合うエネルギーなど存在しない。 そんな天文学的な出力は、実際に生成できるはずなどないのだ。 常識外れもいいところの大出力。 これほどの大出力を出せる者は、貴子の記憶にもニ・三人いるかどうかである。 神経を集中させ、一体どんな人物の内気なのか、その気配を探る。 内気は、個人個人によって、指紋のように違う点がある。 貴子や英翔ぐらいの高等な術者になれば、その違いを感覚的に調べることも可能ではある。 しかし、いくら違いを感じ分ける事が出来ても、その術者を特定することは、確率に任せるしかない。 「・・・・・・・・・・・え?」 頭の中に浮かんだイメージに、貴子は唖然とする。 そんな筈はない。 あの子にそんな力は無かった。 仮にあの子が別脈種だったとしても、これほどの力量なら気付かないわけがない。 否定の言葉しか、浮かんでこない。 それほど、いま自分の頭の中に出て来たイメージは有り得なさすぎる。 絶対に、有り得ない。 そんな可能性、認めない。 『・・・・・ふふふ』 「――――ッ!?」 貴子が考え込んでいる姿に、少女は笑った。 その声で、貴子は我に帰る。 そして、自分が戦いの最中に考え込んでいたという不甲斐なさに、舌打ちした。 彼女の意識を戻したそれは、普通の子供の笑い声である。 だが、いまは何故かそれがとても不気味なモノに聞こえる。 とても、無邪気なものとは思えない。 少女は、その西洋人形のような白く整った顔に笑みを浮かべながら、ふっと膝を曲げた。 普通、自然の法則に則るなら、その少女は地に落ちるはずである。 しかし少女はは空中で膝を曲げた姿勢で、静止していた。 そして、再度笑い声をあげる。 『ふふふ―――――』 その瞬間、貴子は後方に飛ぶように退いた。 何故なら、空中に静止した少女のすぐ後ろに、目一杯開口した黒い生物の姿があったからだ。 先ほどの短時間の間に回復した黒い生物は、浮遊していた少女を、喰いつく様に己が口の中に入れた。 しかし生物は、咀嚼も嚥下もしない。 「このぉ・・・!化け物め!!」 動揺から、貴子はスパスに素早くショットシェルを装填すると、目の前に悠々と佇む黒い生物に銃口を向け。 連射した。 連続して、爆ぜるような発砲音が鳴り響く。 ポンプアクションによる手動の排莢に切り替え、先ほどのセミオートとは比べ物にならない連続発射。 「ああああぁぁぁぁ!!」 怒号と共に、チェンバー内に装填された七発のショットシェルを、ものの数秒で撃ち尽くす。 絶え間ない粒子の雨に、黒い生物の周りには着弾時に発生した煙が濛々と立ち込めた。 風の中に、微かに生き物の焼ける匂いが混じっている。 だが、貴子は攻撃の手を緩めるということはしなかった。 新たに、ショットシェルを装填する。慣れた手つきで、すぐに七発の充填を完了した。 そして先ほど同様、煙の中に居るであろう黒き生物に向かって撃つ。 絶え間ない発砲音。連続して続く。 「はぁ・・・はぁはぁ。やったか・・・・・・?」 呼吸を乱して肩で息をしながら、先の乱射で立ちこめた煙を見つめる。 そして、こんなにも視界が悪くなるまで撃ち続けた自分の浅はかさを呪う。 これでは、何も確認できない。 死んだか。 まだ、生きているか。 集中して、煙を眺める。 すると、煙の中に一瞬光が走った。 ぱちり、ぱちり。 途端、貴子は身を伏せた。 上空に逃げては無理だと、瞬時に判断した。 貴子が地に伏せ終えた瞬間、その上を高熱の光が猛烈な速度で通過した。 あまりの熱とその衝撃に、着ていた着物が裂けていくのが分かる。 路地裏から飛び出したそれは、先の騒ぎで駆けつけていたパトカーを蒸発させ、さらにその向かいの建物をも融解させた。 煙の中から発射された光は、上空から見ればその全様が良く分かったであろう。 ショットシェルの嵐の後、黒い生物が撃ち出した光。 それは、超高速に加速された荷電粒子。 分かり易く言うならば(多少ニュアンスは違ってくるが)、ビームである。 黒い生物は体内で陽電子系の荷電粒子を生成。それを口腔内で細胞による発電で加速。 十分に加速し終えたあと、目の前にいるターゲットに向けて放った。 人類が何十年かけても実現できなかった加速器の小型化を、この黒い生物は先の一瞬で成し得たのである。 その他にも陽電子の生成や、細胞による大量発電。 それは、生物の範疇を遥かに超越している。 もはや自己のより高度な組織化という進化の過程からも外れた、異常成長。 そして黒い生物の放った荷電粒子が通過した跡は、アスファルトが黒々と抉られている。 荷電粒子はパトカーや建物を破壊しただけには留まらず、さらに二キロ先の射軸上にあるもの全てを蒸発させた。 一部では、対消滅まで起こしている。 そして、目前で荷電粒子を撃たれた貴子は、発射から約数分後に、立ち上がった。 彼女が伏せていた辺りは、アスファルトが十センチほど融解し、まだ熱に赤い。 そんな凄まじい熱風と衝撃が襲ったであろう通過点から、貴子は悠々と立ち上がったのである。 発射前にあった着物は熱に消し飛んでいた。 代わりに、その下に着ていた服が顔を出していた。 「あー――・・・よくもやってくれたわね。あの着物けっこう高いのよ!それに、あたしこの格好あんまり好きじゃないのよ!」 消し飛ばされた着物のことをぼやきながら、貴子はその下に着ていた服に憤慨した。 彼女が着物の下に常に着ていた服。それは現在KOTRTが開発中の特殊強化防護服であった。 核戦闘下や熱帯、極寒地域での行動を可能にしたそれは、来年度から正式に採用が決まっている。 貴子はそのプロトタイプを私的に入手し、着用していた。 ワンオフ故の高性能は素晴らしいものだが、そのデザインを貴子は気に入っていなかった。 ダイバースーツのようにぴっちりと密着し、体のラインが浮き彫りになる。 さらには、スーツの手足がノースリーブなのだ。 つまり、体の胴の部分しか防護されていないのである 形容をより分かり易く言うならば、ワンピースの水着だ。 腰や胸の部分には追加の防弾装甲やラッチなどが追加されていてタクティカル性をアピールしているが、 それでも貴子の不満は解消されない。 ちなみに採用が決定している特殊強化防護服のデザインは、ベストタイプである。 技術開発班曰く、プロトタイプの形状が水着風なのは、技術的にまだ問題があったからだそうだ。 「女の服引っ剥ぐなんて・・・・それがどれだけの罪か、その体にたっぷり刻みな、このダニもどき!!」 激昂の宣誓と共に、貴子は防護服に備え付けられているナイフを構えた。 これもKOTRTの技術開発班が開発した、超振動ナイフである。 ナイフの刃を超高速で振動させることにより、対象の切断を容易にしたものである。 原理的に言えば、チェーンソーで木を切るのと変わりない。 グリップに付いてあるスイッチをオンにする。 すると、聞き取り辛いが、微かに重低音が響く。 超振動ナイフは刃を振動させるというその特性ゆえに、刃の劣化が激しい。 そのため通常運用が可能なのは三十分間だけである。 「キキャキャキャキャ・・・!」 黒い生物は貴子の怒り狂った表情に満足したように嗤うと、背にある純白の翼を高らかに広げる。 そして、数回羽ばたくと、足で思い切り地を蹴って勢いをつけて飛んだ。 衝撃に、アスファルトがひび割れる。 「待てコラァ!!」 貴子も負けじと、地を蹴り飛翔した。 景色が、一瞬のうちに移動していく。 あっという間に、高く聳え立つビルの屋上を見下ろすほどの高さまで到達した。 「キキキ・・・」 そこには、羽ばたきながら不敵に嗤う黒い生物の姿があった。 貴子も足場に、内気で反重力を生み出して滞空する。 「・・・太陽に近づきすぎると、羽が溶けるわよ?」 冗談を交えながら、貴子は挑発の言葉を放つ。 真っ直ぐに黒い生物を見据えながら、体中の神経を研ぎ澄ませた。 余分な思考は全て追い出し、集中する。 イメージを。    −『集え。動け』− 全身の汗腺から、内気を開放する。 強力なイメージ添付を施された内気が、大気を染め上げていく。 そして、ざっと風が吹く。 「キイイイイィィ!?」 黒い生物が、周囲の異変に気付いたときには、もう遅かった。 目に見えない何かが、黒い生物の周りを取り巻き、圧した。 みるみるウチに、正体不明の力に圧縮されていく。 骨が軋み、皮膚が裂け始める。 「キキャアアアアア!!」 咆哮するが、それは貴子の耳には届かなかった。 簡単なことだった。 黒い生物の周りの空気は、固まっていた。 正確には、あまりの圧力に押し固められているだけであるが。 音とは、空気を振動させて伝わるもである。 しかしその振動するはずの空気が固形化していては、音が届く道理などない。 異変は、それだけに留まらなかった。 徐々にではあるが、黒い生物の周りの空気の温度が上昇し始めたのである。 だが生物はそれに気付くはずもなかった。それほど、温度はじわじわと上がっていた。 貴子の唇の端が、微かにつり上がる。 その瞬間、黒い生物の周囲の空気の温度は爆発的勢いで上昇した。 あまりの急激な変化に、黒い生物は体を動かそうと試みるが、周囲の固形化した空気はそれを許さない。 貴子がした操作は二つ。 一つは、大気圧の屈折。 黒い生物の周囲にある大気圧を捻じ曲げて、圧し潰す様に力がかかるようにした。 二つ目の操作は、原子、分子の動きである。 原子・分子を激しく動かし、熱エネルギーを強制的に、局地的に発生させた。 この二つにより、黒い生物は気付かぬうちに堅牢な熱の禁固にはめられたのである。 「・・・・そのまま、逝け・・・!」 手を緩めることなく、貴子はさらなる圧力と熱をかける。 内部にかかっている圧力は、戦車を缶ジュース程度に圧縮できるほどである。 熱については、蛋白質の凝固温度をとっくに超えている。 しかし、それでも黒い生物はその中で耐えている。 途端、黒い生物の口が開いた。 内部には先に述べたとおり、想像を絶する圧力と熱がかかっている。 そんな環境下で、あの生物は動いたのである。しかも、開口。 その開かれた口の中には、光が渦巻いていた。 轟音と共に、圧力の牢が砕け散った。 だが光は牢を完膚なきまでに打ち砕くと、すぐに空気の中に霧散していく。 黒い生物はあの状況で開口し、荷電粒子砲を撃ったのである。 ビームがすぐに大気との対消滅を起こした事から推測すると、恐らく先の光は陽電子の加速粒子ではない。 反物質粒子ビームだろう。 ・・・反物質。 その単語が頭に浮かび、貴子は背筋が凍る。 反物質。即ちあの黒い生物は、核をも凌駕するこの世で最高のエネルギーを手中に収めたことを意味する。 陽電子の生成。 細胞による大量発電。 それらを用いた粒子加速、しかも口腔内にて。 それだけでも、十分生物の域から逸している。 しかしそれだけに留まらず、今度は反物質まで手に入れたというのか。 「・・・・・・キイィ・・・」 口から白い煙を吹きだしながら、黒い生物は鳴いた。 そして、貴子についと背を向けたかと思うと、マッハコーンを作って颯爽と消えた。 足下に展開していた反重力を解くと、貴子は一番近くにあったビルの屋上に降り立った。 「・・・・・・なんなのよ・・・アイツ」 その額には、冷汗がびっしりと張っていた。 「大丈夫ですか霧恵さん、家に着きましたよ!霧恵さん!」 「all things(株)」に戻った英翔は、極寒の地にいるように肩を抱いて震える霧恵に話しかけた。 だが、反応は返ってこない。 聞こえるのは、霧恵が憑かれたように繰り返している言葉だけであった。 「死んだ、死んだ、死んでしまった。あたしの所為で、みんな死んだ。結ヱも死んだ。あんな姿に―――」 「しっかりしてください、もう、着いたんですよ!家に着いたんですよ!」 堪りかねた英翔は、霧恵の肩をゆさぶる。 彼は、辛かった。 それは霧恵同様に、彼自身の昔の傷痕が、頭をもたげ始めていたからだ。 絶望に伏している霧恵の姿が、家に唯一人残してきた妹の姿と重なる。 -彼が、己が手で、自分の両親を殺したとき。- -そして、それをドアの隙間から見ていた妹に気付いたとき。- -妹を抱き留めようとした自分の手が、紅い罪に汚れていたことを自覚したとき。- その光景が、頭の中を駆巡る。 決して拭いきれない、過去の出来事。 だが、今はそれに屈している場合ではない。 今の自分には、霧恵を助けなければならない義務がある。 「取り敢えず、横になりましょう霧恵さん。良いですね?」 相変わらず返答は無かったが、英翔は霧恵を抱いたまま黙って二階にあがった。 そして、あまり広くない二階部分の一室である霧恵の部屋の戸を開く。 開けた瞬間、彼女がこの家に来たときの記憶が垣間見えた。 助けようと、救おうと思ってこの家に招いた。 少しでも近くで、安全を確保しようと思った。 だが、結果はこの様である。 救うどころか、逆に絶望の淵に彼女を追いやってしまった。 その後悔と不甲斐なさの念が、心に突き刺さる。 「少し、眠って下さい。そうすれば気も楽になるでしょう・・・楽に」 分かっていても、話しかける。 今朝から敷いたままの布団に、そっと寝かせて、掛け布団をかける。 彼女の身体は、それでも震えていた。 怯えていた。 死を直面した恐怖と、先の化け物に震えている。 英翔は、かける言葉も無く、霧恵の部屋を後にした。 一階の店に下りると、カウンターに座った。 そこからは、厨房が良く見える。 うな垂れる様に、頭だけをごつんとテーブルの上に乗せる。 聞こえるのは、秒針の動く音だけであった。 自分の中の時間の感覚と間隔が薄れていく。 ただただ、理に沿って過ぎる。 頭の中は、色んなことがひしめき合って、思考不能に陥る。 「・・・何も、出来ない」 誰とでもなく、呟く。 「偽神葬具なんか持ってても、いくら錬精術が上手くても、どれだけ体術に優れてても・・・・・意味なんか無い。  たった一人の女の子も救えない・・・・・私は、まだあの場所で動けないでいる。前に、進めないでいる。」 父の顔。 母の顔。 今はもう、忘却の彼方にある。 時が、幾つ過ぎたのか分からなくなった頃。 階段の、微かに軋む音が、白濁とした意識を戻した。 視線を向けると、そこには霧恵が立っていた。 「・・・だいじょうぶですか、黒咲さん」 霧恵は、机に突っ伏すようにうな垂れている英翔の身を案じていた。 そこから、彼女が少しは回復したのだと知る。 「霧恵さんこそ・・・もう大丈夫なんですか?」 「はい、もうだいぶ楽に・・・・・・・・・・本当に、すいませんでした」 まだあまり抑揚のない声で、霧恵は答えた。 全快にはほど遠いが、一先ず彼女が立ち直ったことに、安堵感がこみ上げる。 英翔は、姿勢を起こした。 「謝ることなんて・・・何もありませんよ。霧恵さん」 「・・・・・はい・・・」 噛み殺すように堪えながら、霧恵は涙を流した。 英翔はふらつきながら椅子から立ち上がり、遅い足取りで霧恵に近づく。 そして、涙を流すその姿に、自分の無力さを突きつけられたような気がした。 彼女の頬に触れようとする手が、自然と震える、抑えようとしても、止まらない。 必死で制しながら、その手を下げた。 触れれば、自分の畏れや、不安が彼女に伝わってしまう。 折角立ち直ったのだ、それだけは避けたい。 向かい合っていると、急に店の引き戸が開いた。 それには遠慮がなく、豪快に音をあげる。 英翔と霧恵は同時にその方を見た。 そして、又も二人同時に、呆然となった。 二人の視線の先にいたのは貴子だった。 引き戸を破壊せんという勢いで開いたのは、彼女だ。 しかし二人が呆然としたのは、貴子の服装にであった。 分かり易く例えるなら、水着のような服。 「・・・・なに見てんのよ」 怒気を孕んだ声共に、じろりと睨んでくる。 その身体には、先の戦いによる物であろう傷や汚れが目立っていた。 「あんたに話があんのよ、霧恵」 ずかずかと歩いてくると、貴子は霧恵の服の襟首を掴んで強引に引っ張ろうとした。 「い、痛い!」 「ちょっと待ってくださいよ、貴子さん!何なんですか、彼女はついさっき立ち直ったばかりなんですよ!?」 「あたしは、霧恵にあの化け物について話があるって言っているの!」 「彼女はただの犠牲者です、何の関係もありません!」 「じゃあ何で、あの化け物から・・・・・霧恵の内気が発せられていたの!!」 凍った。場が。 そこにいた誰もが、時が止まったように、立ち尽くした。 「・・・・・・・・どういう、事ですか・・・?」 霧恵は、肩をわなわなと震わせながら、貴子と英翔に訊ねる。 「それを聞きたいのはこっちなの。教えて、あの化け物はあなたの何なの?」 「・・・・知りません、あたしは何も―――」 「本当に、何も知らないの!?」 「貴子さん!!」 問い詰める貴子の間に、英翔が割って入る。 霧恵は、信じられないといった表情でいる。 足が震え、立っているのが精一杯なのが、英翔には見て取れた。 「・・・・・あの化け物が・・・妹を・・・」 その言葉に、貴子に眉が引きつる。 「妹・・・・・まさか、あの女の子のこと・・・?」 「な、知ってるんですか!?大丈夫ですか、妹は。結ヱは!!」 「聞いてるのは私のほうよ、答えなさい。あの化け物は・・・・あんたと何の関係があるの!?」 「え・・・?」 「だから、何度も言ってるでしょう貴子さん!霧恵さんは無関係です!」 「黙りなさい!英翔、あなたも感じたはずよ、あの化け物の中に渦巻くこの子の内気を!」 「―――――ッ!」 英翔が言葉に詰まる。 そして、反論も無く下を向いた。 その姿を見て、貴子は一度大きくため息をつく。 一体、なにやってんだか。私は――――――。 心の中で、自嘲する こんな風に問い詰めて、なんになるのか。 それに英翔の言う、「霧恵は被害者」という言葉は真実なのだ。 それは、あの時現場にかけつけた貴子にも分かることである。 それなのに自分は、感情に任せて霧恵を怒鳴りつけてしまった。 すまない、等という問題ではない。 「ごめんなさい、私がどうかしてたわ。そうよね、この子は被害者なのよね・・・・気が動転してたわ」 「・・・・いいんです、すいません」 さらに消沈し切った声で、霧恵は呟く。 その声に、貴子はさらに反省の念を深くする。 自分の、底の浅さに呆れる。 「さ、もう部屋に戻って。今日はもう疲れたでしょう、霧恵。休んだほうがいいわ。少しでも多く」 「・・・・はい」 霧恵はそう言うと、英翔に連れられて二階に自室に戻っていった。 そして貴子は、カウンターに座ると、目を閉じた。 ――――こんなんじゃ、顔向けできないな・・・。 思い返すのは、今は亡き育て親との記憶であった。
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