そう、その日は確か雨だった――――――。
「せいっ!っは!っや!」
私は、その時分はまだ黒咲の本家にいた。
広大な敷地を存分に使った道場で、日々修練を積んだ。
肉体面から、精神面まで、一日も怠ることなく。
自室と、離れの蔵にある錬精術の書物を、毎夜遅くまで読みふけたりもした。
学校に行く、などという事は無かった。
妹の理代子は一般人と同じく義務教育を受けていたが、私は親との同意のもとに行くことはなかった。
そんな暇があるなら、錬精術と体術をさらに精進しろ。
親も自分も、そう思っていた。
「ふーっ。――――今日のメニュー・・・終了」
「精が出るな、英翔」
「父上・・・」
息を切らせながら振り向くと、そこには父が立っていた。
父の顔は全体的には柔和なのだが、どこか鋭い刀剣のような印象がいつも付き纏っている。
それはきっと、何時如何なるときにも崩さない――――隙の無さであろう。
例え飯であろうと風呂であろうと、それこそ就寝中にさえも、その体からは常に隙が消え失せている。
「まだまだです・・・父上のように立派な錬精術師になるには、修練を幾ら積んでも足りないほどです」
「その意気だ。その初心の気持ちを心構えを忘れなければ、お前はきっと私より高みへ向かえるかもしれん」
「ありがとうございます」
「おお、そうだ、ついうっかり忘れるところであった」
「?」
すると父は、思い出したように懐から一枚の封筒を取り出した。
父は、先に述べたようにいつも隙が無いのだが、常に気を張っている所為か、たまにこうやって大切な用件などを忘れてしまうときがある。
こういう時、父上もやはり人の子だな、と感心してしまう。
「なんですか?この封筒は?」
「うむ、KOTRTからの召集試験の便りだ。これで、お前は公にも一人前と認められるようになる。慢心の無きよう、常に初心で、侮ることなく挑むが良い」
「は、はい!頑張って参ります、父上!」
「しかし・・・・・・一つ問題があってな・・・」
「その問題とはなんですか?父上?」
「ああ、黒咲の嫡男は、一人前―――即ち家を継ぐとき、その両親を殺さねばならぬ。なに、ただそれだけの事だ」
「え―――――――?」
その時、まるで末期癌を宣告された患者のように、目の前が真っ暗になった。
父の口調が、まるで淡々としていたのが、不思議でならなかった。
なぜ、実の子に、そんな残酷なことを平然と言えるのか―――――?
ただ、呆然と父を見上げることしかできなかった。
見上げた父は、今までとは別人に見えた。
「そ、それは―――――――」
「なんだ?」
「本当に、今でなければ、いけないのですか父上・・・?」
「そうだ。今でなければいかぬ。お前はこの私に打ち勝ち、そして私のこの左腕―――――『真門』より賜りし『ガンバレル』を受け継ぐのだ」
勢い良く、父は左腕の袖を捲くった。
そして、その下に隠されていたものが全て露になる。
服で隠れていた左腕には、回路図のような紅い線がびっしりと走っていた。
それこそが、御三家にしか伝わっていないとされる、別脈種の中でも高い位置に値する禁術。
『ガンバレル』
それは、本来中枢神経にしか現れない「変換式」を、他の部位の神経を活用することで、「変換式」と成す方法である。
そして、そこから得られる「内気」は、想像を絶する出力である。
その他にも、単に「内気製造機」としてではなく、複雑な言語詠唱を神経で著す事によって、瞬時に高位錬精術が発動可能となる。
だが、それはいくら肉親であったとしても、とても移植出来るようなものではない。
しかし黒咲は、それは克服した。
子に親を殺させる―――――という、許されざる行為によって。
「それなら・・・私はKOTRTの召集試験は受けません!だから父上、私に・・・貴方を殺せなどと命じないで下さい!」
「英翔・・・KOTRTの試験が問題ではないのだ。これは、一つの区切りなのだ。まだ赤子だったお前が、この黒咲を継ぐ戦士として相応しいか否かの」
「父上・・・・!」
英翔の口をふさぐかのように、掌底が繰り出された。
そこから先の事は、記憶に無い。
ただ気付けば、自分はもう父上を殺してしまっていた。
手が・・・いや、全身が血に染まっていた。
それは、咽かえるほど生臭く、頭痛を起こすほど苦かった。
その足で、母上の部屋へと行き、殺した。
記憶は、やはり無い。
もう、濡れる部分が無いというほど、全身は更に血が降りかかっていた。
血の匂いが、一生落ちないとさえ錯覚しそうなほど。
足下には、何時の間にか、妹の理代子がいた。
あのころの理代子は、まだほんの小さい子供だった。
いつも、自分の後ろをついて廻っていた。
その妹が何時の間にか、全身血に濡れた自分のズボンの裾を引っ張っている。
何故か、そのとき急に妹が、いつも以上にとても愛らし存在に見えた。
恐らく、この子が最後の肉親なんだということを、本能的に悟っていたのだろう。
それを抱き上げようとしたが、やめた。
返り血で汚れた腕では、抱けない。
それに、この左腕はもう・・・・ただの兵器に成り下がったのだから。
妹を振り払って、
そのまま、家の外へ飛び出た。
でなければ、もう自分が何なのか。
どうすればいいのか、混乱して分からなくなる。
ただ、雨だけが血を洗い流していた。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・・だいぶ、落ち着いてきたかな・・・・」
肩を上下させながら、英翔は呟く。
体からは、微かに白い煙が上がっている。
それは、彼の体中に刻まれた傷が治癒する際に発せられるものだった。
さきほど、父に擬態した黒い天使の攻撃を受けた際の致命傷は、ある程度回復に向かっていた。
それもこれも全て、『凶つ王』のおかげである。
英翔は本来は治癒などの再生を行う錬精術は心得ていない。
だが『凶つ王』の底なしの内気を使えば、少々の荒治療でも、力押しでそれなりの回復ができた。
だが服は裂け、血が付いたまま。
今着ているこのジャージはそれなりに気に入っていたのだが、もう駄目だ。
これが終ったら、替えのを買いに行こう。
霧恵さんと・・・・一緒に。
できれば、の話だが。
「もう、ここで決着をつけるしか・・・ないな」
あの攻撃を受けたあと、英翔は上空からまっさかに落下した。
そして、勢いを殺すこともままならず、この建物の中に、天井を突き破って転がり落ちた。
それは、いつの日か霧恵さんと一緒に遊園地に遊びに行こうとしたときに見た、あの教会。
『 ステンドグラスが素敵なんですよ―――― 』
確かに、彼女の言葉に偽りはなかった。
ここのステンドグラスは、この教会全体の規模からしてみると、不釣合いなほど美しかった。
夜も更けているので誰も居ないため、聖堂の中には静寂が満ちている。
寂しいものではない。
心が、温かく穏やかになるような静けさ。
「こんな状況じゃなきゃ・・・・もっと愉しめたんでしょうね」
残念そうに笑う。
だが、頭の中はもう、黒い天使の対抗策を、とうに練り始めていた。
あの黒い天使の強さは半端ではない。
そのうえ、霊的エネルギーのみによって編まれた、あの体躯の破壊は容易ではない。
どんな攻撃をしかけても、ほとんどがすぐに回復してしまう。
これでは、限がない。
なら・・・・残る方法は唯一つ。
核である、あの少女の魂を、あの黒い天使から引きずり出す。
そして内気の供給を、霊的に断ち切るのだ。
それ以外、今は道が残されていそうにもない。
問題があるとそれば、どうやってあの黒い天使から少女の魂を引きずり出すかだ。
あの黒い天使の前には、並大抵の事では歯も立たない。
だが、英翔に思考の暇は与えられなかった。
英翔が潜んでいた聖堂のステンドグラスが、一斉に破砕した。
あれだけの見事な芸術品が、一瞬のうちに、ただのガラス片になってしまった。
それと同時に、割れたステンドグラスから、黒い天使が悠々と聖堂内に入ってきた。
英翔は、逃げも隠れもせずに、すっくと立ち上がった。
そして、真っ直ぐに黒い天使を見据える。
「もう父上の格好を真似るのはお終いか?」
『ギギギギギギギィ!』
不敵に笑ってみせる黒い天使に、英翔は両手で構えたエクス・カリバーンを向けた。
頬を、冷や汗が流れる。
奴に勝てる確率は、およそ五分。
生きて帰れる確率は、たぶんゼロ。
冷や汗だけでなく、エクス・カリバーンを握った手の平にも嫌な汗が滲み出る。
「これが・・・・・本当に最後だ」
英翔がそう呟くと、エクス・カリバーンの刃が砕けた。
キンっと高い音を立てて、綺麗に粉々になる。
そしてその破片は、全て英翔の体の中へと取り込まれていった。
どくん。
その瞬間、英翔の心臓は、文字通り爆発した。
心臓が、異常なまでに速く、激しく暴れ回る。
それだけではない。
肺は血管が膨張し、破裂寸前。
全身の筋肉は、あまりの力に裂ける。
食い縛った歯は、今にも砕けそうだ。
そして、英翔を渦巻くように、風が吹き上げる。
『ギギギギ!?』
あまりの変貌に、黒い天使は一歩だけ退く。
英翔が、黒い天使を打倒するために取った方法。
それは、エクス・カリバーンに秘められた数千人分の魂の解放であった。
しかしただ力を解放しただけでは、その膨大な力は、ただの垂れ流しだ。
それを、一点に集め、集束させる。
その為に英翔は、選択した。
エクス・カリバーンの内気全てを、その体内に取り込むという方法を。
確かに単純に考えれば、存在自体が内気制御装置ともいえる錬精術師の英翔が体内にその内気を取り込めば、一点に収束することも可能だ。
しかし問題なのは、体が耐えられないという事にある。
先に述べた通り、エクス・カリバーンは数千人分の人間の魂を以って鍛えられた聖剣だ。
その力を、全て体内に取り込むのだ。
事実上、不可能。
一人の人間の体の中に入る魂の数は、言わずもがな、一つだけである。
それの数千倍。
人間の身体は、耐える事無く砕け散るだろう。
だが、違った。
英翔は内に数千人分の命を湛えながら、その形を留めるに至っている。
両手で構えていたはずのエクス・カリバーンは、何時の間にか片手だけになっていた。
そして、もう片方の手には・・・・・鞘。
伝説上、エクス・カリバーンの真の力と称された、絶対守護の鞘。
『キギギィ!!??』
その時、黒い天使の中を一筋の悪寒が走った。
それはどの生物にも等しくある―――――恐怖という本能。
それが、今黒い天使の中を駆け巡り、縛りつけようとしていた。
「魂・・・それは全ての生命に等しく与えられた無限の力の根源。そして私はいま、その無限を取り込んだ・・・・・数千もの数を。
お前の力は確かに凄い、黒き天使よ。だが、その力も所詮は『初塚 霧恵』という『個人』から際限無く汲み上げられた物に過ぎない・・・」
ゆっくりと、俯きながら呟く。そこの声は力ないが、足取りは違った。
内に秘めたる幾千の輝きが、その中で渦巻き鬩ぎ合っている。
「貴様の『無限』は、根源が『個人』である限りそれを超えることは出来ない。
だが今の私は、幾千もの魂を取り込んだ・・・・・・・・『無限』の『群体』だあああああああ」
吼える。
英翔は今、エクス・カリバーンの鞘の加護によって、なんとか体を繋ぎとめている状態だ。
エクス・カリバーンの鞘に或る力・・・・それは『因果干渉』。
それは『原因』『過程』に関係なく、『結果』を変えるという力。
喩えその身を数多の剣で貫かれようが、「貫かれたという『原因』」と「それにより死に至るという『過程』」を打ち消し、
自然の摂理に法れば至ったであろう『結果』・・・死から、主人を救う力。
どんな力にその身を打ち砕かれようとも、決して死なない。
伝承通りの、『持つ者を死から救う力』。
英翔はその力を使い、幾千の魂を内包した体を、死という『結果』から逃れさせているのだ。
『ギガアアアアアアア・・・・!!』
黒い天使の口腔内が、淡く発光する。
それは程なくして、眩いまでの閃光となって英翔の目に映った。
荷電粒子砲。
英翔の中に或る、量り知れぬ内気に恐れをなした黒い天使の選択だった。
殺される前に、殺す。
殺されるから、殺す。
殺そうとするから、殺す。
生物の、基本的な生存衝動。
それに従った結果だ。
そして黒い天使は、ゆっくりと歩み寄ってくる英翔に向かって、その口に溜めた破壊の光を解き放った。
塵一つ残さぬ、最大出力。
この直撃には、いかな守護も通じはすまい。
そんな確信が黒い天使にはあった。
しかし、それは呆気なく裏切られた。
「終わりか?」
そこには、依然として健在な英翔の姿があった。
先の光など、欠片も効かぬ。
佇んでいる英翔の、その雄々しい姿が、無言で告げていた。
『キイヤアアアアアアア!!』
何故だ。
ただ、それだけが頭の中を駆け巡っていた。
無限の力を手に入れ、果てる事無く進化し続ける、絶対の存在であるはずの自分が、
何故、恐怖する。
何故、このように焦燥感に囚われる。
『無限』の『群体』
奴はそう言った。
つまり、目の前のこの男の中には、無限を兼ね備えた自分が数多にいることに他ならない。
敵う道理が、何処にあろうか。
「返してもらうぞ・・・・彼女の半身を・・・!」
間合いを詰めた英翔は、遠慮なく黒い天使の口の中に腕を突き入れた。
歯を砕き、舌を引き裂いて、英翔の腕は黒い天使の『なか』を突き進む。
「お前がこの世に存在する限り・・・彼女の闇は晴れることは無い・・・・消えろ、『負の具現』よ!!」
『グッ・・・ギゴ・・ガガガ!!』
黒い天使は、掠れた声を漏らす。
内側から、白い光が漏れる。
英翔の腕が、黒い天使の体内で、光り輝いていた。
黒い体躯に、ひびが入り、さらにそこから光が漏れ出す。
黒い天使の身体は、まるで風船のように、ぼこぼこと膨らむ。
それに連れて、ひびの数も増えていく。
そして、耐え切れなくなった身体は、呆気なく爆ぜた。
赤い物を撒き散らしながら、黒ずんだ肉片が、ぼたぼたと周囲に落ちていく。
英翔の体から、ガラス片のような内気の欠片が出てきた。
それはゆっくりと、エクス・カリバーンの刃として戻っていく。
英翔は、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
そして、両手に抱いたものを見つめる。
そこには生まれたままの姿の、一人の少女がいる。
あの黒い天使の中で、核として取り込まれていた少女。
既に肉体は死に絶えて、魂としてしか存在しないはずの少女。
しかし英翔の腕には、確かな感触が合った。
ちゃんと、実体として存在している。
少女は、長年の間あの黒い天使の中に取り込まれていたことによって、肉体が再形成されていた。
つまりこの少女は、生き返ったのだ。
(これは、霧恵さんが生き返らせた・・・ということなのか?
現世にこの少女の魂を留め、内気でコーティングし、肉体を再形成した・・・)
あの黒い天使は、ただの霧恵さんの負の感情のカタマリではなかったのだ。
何も知らない彼女の心が、心から愛する肉親を失った悲しみから作った、再生のための歪な繭。
腕に抱いた少女が、寒そうに身震いした。英翔は辺りを見回して、この少女のために何か羽織る物を探す。
そこで、英翔は教会の聖堂で戦っていたことを、ようやく思い出した。
破壊された物達が、先の戦いの激しさを、それは如実に物語っていた。
参拝者の為に設けられていた椅子は根こそぎ吹き飛び、壁は至る所が崩壊していた。
そして、掲げられた十字架と肖像は、傾いでいた。
英翔は、比較的無事なカーテンを見つけると、なんの躊躇いも無く引き千切った。
すると、外からの陽射しが差し込んだ。
夜は、何時の間にか明けていたようだ。
夜が明けるほど長く。
一晩で終るほど刹那の、血の攻防。
陽射しは、まぶしかった。
もう、闇しか見えない。
もう、光なんて見えない。
こんな愚かな自分の為に、もう誰も傷ついて欲しくない。
だから・・・・・・・・・―――――。
体が、揺れた。
「起きなさい、霧恵」
深き眠りにあった霧恵の鼓膜を、貴子の声がついた。
それに応じるように、霧恵は飛び起きた。
何時の間にか、カウンターテーブルで寝ていたようだ。
それを、貴子が肩を揺すって起こしてくれたのだ。
だが、次の瞬間・・・
目から、涙が零れた。
飛び起きた霧恵の目に映ったのは、英翔だった。
そして、英翔の腕に抱かれている少女も同様に映った。
「あ、ああ、え、英翔さん・・・・!結ヱ・・・・!」
言葉にならない。
この気持ちを、どうやって言葉に表せよう。
ただ心の中に、溢れんばかりの感謝の気持ちがある。
「霧恵さん。あなたの、妹さんは・・・・無事ですよ」
「あ、えう・・・・ひっく・・」
結ヱを抱いた英翔の胸に顔を埋めて、霧恵は泣いた。
もう、本当になんて言えば良いのか分からない。
頭の中が、沸騰したようになっている。
喉が潰れるまで感謝の言葉を言っても言い足りない。
一生かかっても、この恩は返しきれない。
「霧恵さん・・・・・ごめんなさい」
「えっ・・・・・?」
突然の謝罪に驚いて、上がった霧恵の額に英翔は、優しく手の平を当てた。
その手の平が、淡く光る。
そして、霧恵は眠るように崩れ落ちた。
「英翔・・・!貴方――――っ」
「本当に、すいません貴子さん。でもこうでもしなければ、きっと彼女は心を壊してしまう」
「・・・・・」
目じりから涙をこぼし、床に伏している霧恵に、英翔は己の弱さを深く詫び、恥じた。
数週間後。
「お姉ちゃん、あと二分で出ないと今日も遅刻するよ?」
「あーん、分かってるって結ヱ!ちょっと待ってよお!」
しれっと言い放つ結ヱの的確な言葉に、霧恵は情けない声を出す。
だが、髪を梳く手は止めない。
そんな霧恵を案じて、英翔まで声をかける。
「霧恵さん、結ヱさんの言う通りですよ。早く仕度して出かけないと本当に遅刻してしまいますよ」
「はーい」
結ヱのみならず、英翔にまでたしなめられた霧恵は急いで革靴を履くと、
厨房で朝食の片付けをしている英翔に、挨拶する。
「そんじゃあ、行ってきまーす!」
そして慌しく走りながら、霧恵は学校へと颯爽と出かけていった。
その後姿を、英翔と結ヱは見送った。
「今日は何とか間に合いそうだね、お姉ちゃん」
「そうですね。結ヱさんも、もう少ししたら学校に行けるようになりますから」
「はーい」
あの戦いの後。英翔は霧恵から一部の記憶を消した。
でなければ、彼女の精神は耐えられないと判断したからだ。
人を巻き込んで、挙句は殺してしまった。
そんな事実に、彼女の繊細な精神は絶対に耐えられない。
だから、記憶を消した。
妹の結ヱを、自分の余りある内気で殺してしまった記憶。
しつこく付きまとっていた高屋を、意図せずとはいえ殺してしまった記憶。
全て、消した。
だが、それは人として間違ったことだ。
記憶を消すなんていうのは、ただの逃避だ。
辛い現実から目を背け、贖罪もせずに安穏と生きていく。
そんなことは許されない。
記憶を失くすことを、霧恵さん自身が望んだのならまだ良い。
だが、彼女を記憶を失くしたのは、自分だ。
霧恵さんが壊れてしまう事を畏れた、自分が消した。
自分の身勝手な感情で。
許される筈など、無い。
季節は、もう初夏へと向かおうとしていた・・・・・。
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