暗い。光が見えない。
ざすざすざす。
肉を切りつける音が聞こえる。
それは飽きもせず延々と続く。斬りつける。
ざすざすざす。
音の正体を確かめるために眼を開ける。
眼球に写るのは、地面から突き出た刃に貫かれ、拘束された春さん。
そして春さんを一心不乱に切りつけているのは、ナギサという男。
その口元は狂気に歪み、無限の惨殺行為を愉しんでいた。
何故か死なない春さんを、斬りつける。
ナギサが、こちらを向く。
自分のほうに向いたその眼に、背筋が凍る。あまりの冷たさに壊死していく。
「つぎは、おまえの番だ―――――――――――――――透」
刀が、振り下ろされる。
「うわああああああぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫ともに、透は目覚めた。
くるまっていた寝袋の中は嫌な汗で濡れている。手の甲でびっしょり濡れた額を拭う。
ため息をつく。
こうやって目覚めるのは、もう数回目だった。夜中に何回もこうやって飛び起きた。
その度に恐怖で体が縛られ、眠れなくなる。
横に目をやると、ベッドの上ですうすうと寝息をたてているミホがいた。
昨夜の出来事が蘇える。
あの後、春さんはイルの遺体を抱えて去っていった。
「俺は・・・こいつに何もしてやれなかった。死ねないこの体を使っても。
だから、せめて最後ぐらいはちゃんと弔ってやりたいんだ・・・」
そう言って去る春さんに、自分と高志はかける言葉がばかった。
思っていることは、多分みな一緒だったと思う。
『ミホ』たちに戦ってほしくない。普通の人間として、その一生を楽しんでほしい。
喜び、泣き、笑い、共に過ごしたかった。
気絶しているミホとフリースを連れて帰ったその後も、春さんの背中が頭から離れなかった。
時計をみると、もう十時だったことに気付いた。
昨日は、極度の疲労状態にあったミホとフリースの介抱につきっきりだった。
その最中に、高志にミホの刀・・・「凶つ月」のことについて話そうかと思ったが、止めた。
そんなことで要らぬ思考を巡らす必要も無いと思った。
けれどそれは表向きの話で、本当は自分が高志を哀れんでの行動だったのかもしれない。
アパートには未だ帰れないため、仕方なく高志の家に泊めてもらったのだが、こんなに寝坊をしては立つ瀬がない。
急いでリビングに向かうと、すでに高志たちの姿は無く、テーブルの上には一枚のメモ書きが残されていた。
『ガッコウ行ってます!メシは自分でなんとかしてください!』
そう書き殴ってあった。
実に高志らしい、と思いながら透は台所に立つ。とりあえずは、ミホが起きてくるまでに朝食兼用の昼飯を作ってしまう。
そんでもって、じっくり話す。
どんな内容の話をするのかはまだ考えていないが、なぜか話さなければならない気がした。
フライパンを適当に取り出すと、透は早速調理に取り掛かった。
「がはははははは!まあ飲めよ!今日はパーッといこうぜ!」
学び舎であるはずの建物の中に、酔っ払った下卑た声が響き渡る。しかも授業時間中にだ。
とある教室の中では、今まさに宴会の真っ最中であった。
「それではー!高志さんの彼女ができたことを祝ってー!かんぱーい!!」
髪の毛を派手な金色に染めた男子が机の上に乗りながら叫ぶ。
その手には酒の入ったグラスが握られている。
「はははは、やめろってバカ!恥ずかしいじゃねえか!」
そして、その言葉に高志はテレながら答える。
高志の手にもまた、酒が握られていた。
高志の通っている高校、甲賀高校の一年C組では、
「高志さん、彼女が(やっと)できてよかったね会」という何とも頭の悪い名前の宴会が行われていた。
彼女とは、フリースの事らしい。つい先日フリースと一緒に登校したら、
いつのまにかカップルとして周囲にカミングアウトされてしまったのだ。
高志は現役の暴走族ということもあってか、今まで彼女ができた例がなかった。
これは、暴走族の上に立つ者としては結構痛いことなのである。
ふつう、斬り込み隊長ぐらいの人物となると二・三人ほどの愛人を囲っているものだ。
だが、どうしてかな。高志には何故か女子というものが寄り付かなかった。
確かに、心当たりはある。
ガッコウの窓ガラスを叩き割るとか、先公にお礼参りをすることなどは日常茶飯事だ。
しかしそれは、国内有数とまで言われる不良校の甲賀高校では大して珍しいものでもない。
むしろ大人しいぐらいだ。目立とうと思ったら、警察に腹マイト付けて殴りこむぐらいのことをしなければ不可能だ。
「高志さん、昼間からお酒を飲んじゃいけませんよ・・・未成年なんですし、なによりここ学校じゃないですか」
不安そうに訊ねてくるフリースに、高志は酒も手伝って上機嫌に答える。
「大丈夫だって!今さらこんなことでキレる教員なんてこの学校にはいないよ」
「でもでも、ここ男子校じゃないですか・・・・」
そう、甲賀高校は公立高校のくせに、いまだに男子校なのである。
はっきり言ってありえない。一般の人はそう思うだろうが、これは文部科学省直々の措置なのだ。
理由は簡潔にして明確。
つまり、『こんな学校に女子を置いておけるか、ボケエ!』ということである。
だが、それはあまり意味が無い措置だった。現に今この教室内に女子であるフリースがいる時点でわかる。
そう、本当に意味のない措置だったのだ。男子校というのはほとんどお題目状態で、
実際には生徒が女子を連れ込んで授業中に惚気まくる始末である。
時がたつのも忘れて、高志は楽しんだ。
まるで本当に、フリースが自分のモノになったような錯覚がたまらなかった。
現実では、フリースが先輩のことを好いているとわかっていても。いまは自分の女であると思ってしまう。
虚しい自慰行為なのはわかっている。プライドがないのかと言われれば黙るしかない。
けど、それでも。
自分はこんなにもフリースにイカれている。
彼女が、自分と相思相愛になればどんなに良い事かと思い描く。
こんなにも近くにいるのに、心は星よりも遠いところにある。
現実と理想のギャップにため息がでる。
けれど、添い遂げる場面を幾度も思い描く。
ありえはしないのに。
「ふぃ――っと・・・ちょっちゅ飲み過ぎたかな〜」
「ちょっとどころの話じゃないですよ高志さん!こんなにふらふらになって!」
千鳥足で歩く高志の肩を支えながら、フリースが叱咤する。
しかし高志は相当に酔っていた。これでは当分酔いがさめそうにもない。
あたりはすでに暗くなっていた、そろそろ寒くなる季節なので陽が落ちるのが早い。
たぶん十八時前だろうが、校舎内の廊下は薄ボンヤリとしていて視界が悪い。
一部の階段は、窓から差し込んだ西日に染まっている。
「うぇ〜い、もっと持ってこーい・・・」
「これ以上飲んだら病気になります!」
そう言い合いながら歩いていると、フリースは視線を感じた。
見ると、その視線の主は自分たちを蔑むように階段の上からこちらを一瞥していた。
もうほとんど沈みかけた陽の赤い光の逆光でわかりにくいが、その姿は凛としていた。
「ちょっといいかしら?」
その主はこちらに話し掛けてきた。
声でその人物が女だと初めて認識する。ここは一応男子校であるはずなのに、一体何をしているのであろうか。
自分も人のことをあまり言えないが。
なんでしょうか、と丁寧にフリースは返答する。
「あなた達、いまのところ何人の『ミホ』を倒したの?」
「!?」
そのたった一言でフリースに緊張が走る。高志も同じくらい驚いていて、一気に酒が抜けたようだった。
声の主である女は、悠然とした態度で階段を数段降りてくる。
そして、再度同じ質問をしてきた。
「何人殺したか・・・聞いてるんだけど?」
高志は急いで思考を巡らす。フリースが殺した『ミホ』は、ゼロ。
先輩から聞いた話では、ミホが殺し人数は一人。その他の『ミホ』も一体だけ死亡が確認されている。
それと春さんの『ミホ』、イル。
「死亡を確認しているのは・・・三人だ」
酔いが覚め、すっかり緊張した体勢に入っている高志が答える。
その話を聞いて、女はあからさまに指で計算する。
「うん、ナギサから聞いたとおりね。じゃあもう行っていいわよ、新藤くん」
女がそう言うと、上の階から高志の友人である新藤 勇次が駆け下りてきた。
彼は女の真横を通って階段を駆け下りると、高志にすがりついた。
「た、頼む!助けてくれ高志!」
「な!?勇次、なんでお前がここに!」
その疑問に、新藤ではなく女が答える。
「彼にはこの学校までの道案内を頼んだのよ」
女は、いぜん悠然とした態度を崩さず冷静に話す。
その雰囲気は、はったりや脅しではない、本物の威圧感があった。
「高志!騙されるな、あいつは、あの女は俺の『ミホ』を殺したんだ!!」
「・・・つうことは、あの女も『枷』ってことか」
「そうだ!頼む、なんとかしてくれ!俺は『ミホ』の力で彼女のことを守ろうとしたのに、
それを裏切ったんだ!俺の気持ちを裏切ったんだ!」
「うるせえ!てめえはちょっと黙ってろ!」
一閃。高志の軽いジャブが新藤のみぞおちにクリーンヒットした。新藤の意識は暗転し、失った。
無闇に身長が高いだけの体が、音を立てて倒れ伏す。それを高志は足蹴で廊下の隅に追いやる。
「ここでやりあうってんなら・・・・・・・・・・・・遠慮なく買うぜ、その喧嘩」
「短慮ね、今日わたしはここにメッセンジャーとして来たのよ」
「なら早く用件を言いな、こちとらまだ宵の口なんでね。さっさと次の店に行きたいわけよ」
軽く茶化しながら高志は殺気を篭めて言い放つ。
だが、目の前の階段の上に佇む女は、さらに凄い威圧をかけてきた。
それはもう、敵意や殺気などというものとは次元の違うもの。
「なんて内気(オド)――――――」
フリースが呆然と呟く。
その様子から、相手が何かしらの『力』を放っているのだと察する。それも半端ではない物を。
「わたしが確認した数と合わせると、残っている『ミホ』はあと三人。つまりあなたの『ミホ』と、
そのお仲間さんの『ミホ』。そしてわたしの『ミホ』のみ」
「一気にケリつけようって腹か・・・」
「言葉はあまり綺麗じゃないけど、そういうことね。明日、郊外にある白小屋の岬でまってるわ。哉原 透にも伝えておいてね」
そう言って女は去ろうとする。それを、高志は呼び止める。
「待て、てめえは相手に名乗りもせずに帰るのか?たいした礼儀だな」
「・・・それもそうね、失礼したわ。わたしの名前は黒咲。黒咲 理代子よ」
そう言い残すと理代子は高志を真横を通って、当然のように階段を下りていった。
高志はさして急ぎもせずに家に帰ると、待っていた透とミホに一切の事情を告げた。
その話に透は二つ返事で答えて、ミホと一緒にさっさと就寝してしまった。
その後、自分とフリースは一緒に出来合いの夕飯を食べ終えると、明日の予定を大雑把に取り決めた。
「ふうー・・・・・・生き返る――――」
湯船に肩まで浸かりながら、高志は深く息を吐いた。
頭には、丁寧に折りたたまれたタオルがちゃっかりと乗っている。
風呂は命の洗濯とは、巧く言ったものだ。
少なくとも日常生活でここまで癒される日課はほとんど無いだろう。
思考を巡らせる。
明日、あの黒咲とかいう女の『ミホ』を倒せば、この戦いは終わる。
そう思って、高志はふと違和感を感じた。
フリース以外にも、まだ『ミホ』はいるではないか。
先輩の、ミホ。
例え黒咲の『ミホ』を倒しても、先輩のミホとの戦闘は避けられないだろう。
闘えば、結果は一目瞭然だ。
フリースが、負ける。
以前ミホと闘って、フリースは惨敗した。
あれからいくら場数を踏んだとしても、あの実力の差は埋められまい。
フリースが、死ぬ。
そんなのは嫌だ。
まだ、彼女に伝えたいことが山ほどある。
好きだと伝えたい。
誰よりも好きだと、大事だと伝えたい。
だが、フリースの心は、先輩の方ばかりを見ている。
それに無性に腹がたつ。
自分はこんなにもフリースのことが好きなのに、愛しているのに。
それでも彼女は先輩のことしか見ていない。
でも、先輩はフリースのことを見ていない。
俺は、こんなにも真剣にフリースを見ている。
だけど、フリースは自分のことを見てくれない。
こんなにも愛おしいと思っているのに。
真っ直ぐ向き合って告白しても、彼女は了承しなかった。
だから、自分は彼女の肩を爪が食い込むまで握り締めてしまった。
それが今では後悔となって、重く圧し掛かる。
風呂場に備え付けられた時計を見ると、もう三十分近くも湯船に浸かってることがわかった。
急いで湯船から上がると、軽い立ち眩みが襲った。少しのぼせたようだ。
風呂場からでると、タオルを収納してあるプラスチック製の棚からバスタオルを引っ張り出す。
以前は高志が片付けを担当していたので、まるで富士樹海のような有様だったのだが、
フリースが家事を全て請け負うようになってから、そのような状態は無くなった。
そう思うと、よけいにフリースを失いなくたい気持ちが膨れ上がる。
雑に体や髪を拭き終え、寝巻きを着ると高志は脱衣所を出た。
「あ、やっとお上がりになったんですか高志さん。今日は少し長かったんですね」
「・・・少し考え事をな」
廊下に出ると、先に風呂に入ったまだ髪が乾ききっていないフリースがいた。
すっかり寝巻き姿で、もう就寝準備に入っていた。
「フリース」
「? なんですか高志さん」
もう、何度打ち明けたのかわからない心を、また打ち明ける。
結果は、多分変わらないだろう。
「俺、お前のことが好きだ。偽りでもいい、お前も・・・・・・・・・俺のことを好きだって、言ってくれないか」
「・・・・え」
フリースはその発言に戸惑う。
けれど、やはり返事は同じだ。
「それは・・・・できません。そんなの虚しいだけじゃ――――」
「先輩のことか」
「―――――――っ!!」
フリースが言葉に詰まる。
それに、高志は冷たい視線を投げかけた。所詮は、わかりきった結果だった。
フリースが、先輩のことを好きで。
それが、覆しようのないモノなんだってこと。
「悪い、もうこの話はしない。変なこと言ってすなまかった」
「あ、高志さ―――――っ!」
呼び止めようとするフリースを無視して、自分の寝室に向かった。彼女が追いかけてくる気配はなかった。
恐らく自分の寝室に向かったのだろう。だが、いまではその方が好都合だ。
泣き顔なんて見られるのは、男の恥だ。
崩れるようにベッドに突っ伏すと、声もなく涙が溢れる。
涙腺が熱い。流れる涙も熱い。
心が絞めつけられる。
好きだ。
ただ、それだけで、こんなにも苦しい。
こんなにも愛しい。
こなにも、涙が溢れる。
止まらない。ただただ溢れる。
もう少しすれば、彼女は消えてしまうかもしれない。
いなくなる。彼女が。
そうすれば心の中には、もう埋めようのない穴が出来るだろう。
偽りでもいい、俺のこと好きだって、言ってくれないか―――――――。
そんな切なる思いさえ、叶わない。
夜だけが、無情に過ぎていた。
次の日、透たちは日の出と共に目覚めた。
皆、ほとんど無言で準備をする。
準備といっても、持っていくものはほとんど無い。
途中の昼飯代と、ハンカチや腕時計など、出かけるのに必要最低限のもだけ。
そうしなければ、立ち止まってしまう。
なにか余分なものがあれば、それが日常への未練となる。
なにも連れて行けない。未練は、置いていくしかないのだ。
たぶん、もうこのままの自分たちでは戻ってこれない。
後悔がないと言えば、嘘になる。
未練を完全に置いてきたかといっても、嘘になる。
惜しい。
失いたくない。
このままでいたい。
その思いが、足を動けなくする。
立ち止まってしまいそうになる。
だが、避けては通れない道。
なら進むしかないではないか。
「赴くか、ミホ」
「うん、いいよ」
短な、およそ会話とも呼べないような言葉の交わし。
しかし、いまはそれすらも重い。
ミホにヘルメットを手渡すと、昨日のうちにアパートの駐車場から持って来ておいたバイクにまたがる。
その後ろに、ミホは透の胴を抱えるように後方に乗る。
横には、すでにアメリカンバイクにまたがった高志とフリースたちが暖機している。
「そんじゃま。いっちょ行きますか、先輩」
「ああ、行こう」
そうとだけ言って、二台のバイクは走り出した。
朝の静謐で落ち着いた空気の街中を走りぬける。かなり朝早い時間のため、交通量はほとんど無い。
白い光たちに包まれた街の風景は、いつの日か見ていた病院のようだった。
まさに、出発に相応しい風景だった。
あの病院から、いまの自分が始まったのだ。
だから、この戦いに赴くのも、終わりではなく。きっと始まり。
それが、何が終わって始まるモノかは分からない。
そもそも何が始まるのかも分からない。
それを見つけにいく。
いまの自分を見つけたように。
脳裏に、あの約束がうかぶ。
幼い頃に交わした、些細な指きり。
挫折したこともある。
恐怖に屈しそうになったこともある。
でも、いまは恐怖も挫折も全て薄れていく。
感じなくなる。
郊外にある、白い小屋のある岬とは、この辺の地域ではちょっとした有名スポットだ。
透たちの住んでいる地域から、バイクで約一時間少しかかるほどの距離にある。しかし、なぜか一度も観光名所としては公開されていない。
一度、その白い小屋を売り物にして地域を活性化させようとい目論みはあったが、数日後に発覚した事実により取り止めになった。
その理由とは、地盤であった。
その白い小屋は、断崖絶壁ぎりぎりの位置に建てられている。
が、最近の調査で小屋の真下の地盤が長いあいだ潮風にさらされたことによって脆くなっていることがわかったのだ。
それ以来、付近の住民ですら近寄らない場所になってしまったのだ。
「というわけだ、わかったか?高志」
「へ〜。先輩って物知りなんすね。俺そんなこと全然知りませんでしたよ」
コンビニで、軽い昼食を摂りながら透は高志に、白小屋の岬についての簡単な説明をした。
タツエさん譲りの知識がこんなところで役にたつとは、世の中わからないもんだ。
白小屋の岬までの道のりも、ほとんど終わりだった。あと十分ほどでも走ればすぐに着くだろう。
そして高志から聞いた、黒咲とかいう女の子と、その『ミホ』をなんとか説得する。
戦いは、回避するにこしたことはない。
食べ終えたオニギリの包装紙を丸めてゴミ箱に放り込むと、透と高志はバイクのエンジンをかける。
つい先ほどガソリンスタンドでガソリンを入れたばかりなので、燃料が心もとないことはない。
「行くぞ、ミホ」
透が呼ぶと、ミホは小走りでバイクに近づいて透の後ろにまたがる。
高志たちも、もう準備はOKのようだ。
アクセルをうんと回して、エンジンを鳴らす。それを合図として二台のバイクは再び走り出した。
走る風の中に、潮の香りがあった。
背後にあるのは、コンクリートで壁を塗り固めただけの質素な白い色の小屋だ。
しかし、その塗装も潮風によって大分剥がれて来ている。
海に面している方とは逆の向きについた鉄扉は、もう錆びて茶色に変色している。
完全な、廃屋だった。
だが、いまはこの鉄扉を開けれる者はいない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来たか」
ナギサは短く呟くと、座禅を解いて立ち上がる。
横で佇んでいた理代子も、反応してナギサと同じ方向を見つめる。
その先に、微かに動く物体が見える。
それは時間とともに大きくなり、やがてバイクと視認できるほど近づいた。
理代子とナギサから十五メートルほどの距離で、二台のバイクは止まった。
搭乗者がヘルメットを取る。
金髪を翻しながら、その人物達は真っ直ぐとナギサを見据える。
「よくぞ赴いた、その心意気に敬意を表するぞ。ネツァク!」
その言葉に、たった今バイクから降り立った透たちは首を傾げる。
ネツァク。
聞いたことの無い名だった。
「そうか・・・お前達はネツァクのことを、ミホと呼称していたな。いや失敬」
透たちは、一斉にミホの方を向く。
だが、当人に自覚がないのか。ミホは呆然としている。
「自らの真名のネツァクではなく、よもや本体の名を語るとはな・・・『主』に認められた者は違うな、もう勝ったつもりでいる」
「そんな。わたしには何のことか――――――」
「とぼけるな!!!」
戸惑うミホを、ナギサが一喝する。
その声は、本当に声門から発せられたものなのかと疑うほど大きい。
「私は貴様を練磨し、昇華するためにこんな茶番の監視人に仕立て上げられたのだぞ!?それを今さら知らんというのか、貴様は!!!」
ナギサが怒号と共に刀を構える。それは片手で刀を構え、余った片腕で拳を構えるという妙な物だった。
それに合わせて、ミホとフリースが各々の得物を構える。
完全な戦闘体勢に入った。
開始を告げる鐘楼が、じりじりとにじり寄る。
岬の戦闘が、もう幕を上げる。
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