俺も兄貴のように、誰かに慕われるような人間になりたいと思ったいた。
それができたのなら・・・俺は、兄貴のように笑って死ぬことが出来るだろうか?
あの、誇らしげな。
いつもと変わらぬ朝の通勤ラッシュの風景。
急ぎ足でかけて行くサラリーマンや気だるそうな学徒。その他諸々な大勢の人々。
そんな中に、場違いな者達がいた。
「いやあー、それにしても遊園地なんて小学生以来っすね先輩」
「そうだなー。俺ら中坊ん時は喧嘩ばっかしてたからな、遊園地なんてもんとは疎遠もいいところだったな」
肩から大きな弁当入りの包みを持った透と、フリースとミホのバッグ等を持たされた高志が喋る。
その姿は平日の朝の通勤ラッシュ時には相応しくないものだった。
そしてその姿に周囲の人々が、それぞれ思い思いの表情を浮かべていることに彼らは気付いていない。
「フリース・・・遊園地というものについてもう一度説明してくれる?」
緊迫した表情でミホはフリースに訊ねる。
「またですかミホさん・・・さっきから言っているように、遊園地はそんなに危険なところではありません。
たしかに普段の生活では味わえないスリルを体感することになりますが、それも娯楽の範囲内でのことです」
「けど・・・」
説得フリースの言葉も空しく、ミホの不安は募っていった。
理由は昨日たまたまやっていた遊園地特集の番組で、二回転のジェットコースターやバンジージャンプなどのアトラクションを見て
「これは人間を殺すつもりだ」と勝手に判断してしまったためだ。
確かに常軌を逸した乗り物に乗ることになるが、安全はちゃんと確保されている、と何回言っても彼女は断固として否定した。
あれは、殺人道具だと。
遊園地の職員の人が聞いたら泣くだろう。
そして数分の後にホームに入ってきた各駅に乗り、数駅先にある遊園地に向かって出発した。
最後の、休息が始まった。
「こ、これは・・・なんの祭りなの!?」
それが遊園地についてのミホの第一印象であり発言であった。
今日は平日のはずなのに、遊園地はそれなりの活気をみせていた。開演前のチケット売り場にはすでの列ができている。
この遊園地のタダ券は奇怪なことに、一度チケット売り場で通常のチケットと交換しなければ使用不可だった。
長くなりつつある人だかりを見て、透と高志は互いを睨む。そしてなんの合図も無く、勢い良く腕を振り上げる。
透の手の形はグー。それに対して高志はパー。
ニンマリと微笑む高志とミホ達を自販機前に残して、透は長蛇の列へと向かった。
列の流れは意外とスムーズで、このままの調子でいけば数分で終わるだろう。だがやはり暇だ。
すると突然、今までスムーズに流れていた列が急に停滞した。何事かと思い、透は背伸びして列の前方を確認する。
どうやら、チケット売り場の前で小さい子供が父親と言い争っていた。
しかも、その声には妙に聞き覚えがあった。
まさかとは思いながら、耳を澄ませる。
「―――やーだー、イルも春と一緒がいいの――――」
「―――あー、あんまりワガママ言うな、後ろの列も滞ってるじゃないか――――」
微かに聞こえたその声に、今度は確信が湧く。
今の声は確かに、あの二人のものだった。
列から離れると、一直線に売り場の前まで走る。
並んでいる人を、半ば押しのけて近づく。
やっとの思いで人垣を掻き分け着くと、そこには予想通りの人物がいた。
「だーかーらー、イルも春と一緒の大人料金にするの!子供料金なんてイヤ!!」
「なんだよそれ・・・」
その姿は、紛れも無く春さんとイルの姿だった。
相変わらず真っ黒なスーツに真っ黒なネクタイを締めた春さん。そして優雅だが質素な服装をしたイル。
「は、春さん!?なにやってんすか、こんなところで!」
「って・・・透?」
透の半ば驚愕の声に、春は「いまそれどころではない」という文字が浮かんだ顔で振り向いた。
その突然の介入者に、イルも呆然としていた。
それもそうだ、つい最近殺しあった相手なのだ。驚かないはずがない。
「あ〜、おっそいなあ先輩・・・いったいなにやってんだろ」
つい先ほど買った三本目のジュースを啜りながら高志はぼやく。
いくら今年が暖冬だからといっても、十一月の寒空の中数十分放置されるのは堪える。
すると、この寒さの中で薄着にもかかわらずケロっとしているフリースが声を上げる。
「高志さん、トオルさん来たみたいですよ!」
「やれやれ、やっとか・・・」
「もう待ちくたびれた・・・」
等々と思い思いの言葉を口にしながら、高志とミホは座っていたベンチから腰を上げる。
背筋を伸ばし、これからまわるアトラクションに思いを馳せる。
高志の脳内にはスリル感たっぷりのジェットコースターが、ミホの脳内には殺人道具の山が。
「お待たせ―――――――」
そう言いながら戻ってきた透には、オマケがついていた。
ミホの目が見開く。
透の横に居たのが、以前戦った『ミホ』とその枷だったからだ。
ミホは神速の如き速度で透を引っ掴むと、自分の方に引き寄せ、刀を抜く体勢に入る。
「なぜ貴様らがここにいる・・・!」
「あー、そのことなんだが。一つ言っておきたいことがある、俺とイルは今はアンタらと戦う気はない」
「え?」
その言葉にミホは拍子抜けする。
戦う気がない――――――?
「今日の遊園地をイルは楽しみにしてたんだ、だからせめてこの子が満足するまで仕掛けてこないでほしい」
ミホが腰に廻した手をゆっくりと戻す。
「その言葉・・・・・・信じて良いんだな?」
「ああ、頼む」
しばしの沈黙。
そんな中、高志が透の背中を小突く。
「なんだよ高志」
「先輩・・・も、もしかして春さんも『枷』なんですか?」
「そのもしもだよ・・・」
高志の顔色が蒼白に変わる。
当然だ、高志は未だ現役で族にいるから春さんの力が理解できるのであろう。そして、その二つ名の意味も――――――。
「とまあ、そいう訳で頼むわ。透、高志」
そして四人に+αが二人加わって、透たちは入場した。
その中は、チケット売り場の行列に見合う人数だった。平日なのに。
「高志、ちょっといいか?」
春さんが高志に話かける、その声に高志の体が怯えに痙攣する。
「は、はい。なんでしょうか、春さん」
「お前にはイルの面倒を見てほしい、その二人の嬢ちゃんたちと一緒にでも行ってくれないか?」
「わかりました!」
そう言うが早いか、高志はイルとミホとフリースを強引に引っ張るとアトラクション群の中にすぐに消えていった。
そして、すっかり忘れられた透と春が残された。
「あのー、俺は連れて行ってくれないのかな・・・高志」
「まあまあ、そう落ち込むな。俺はお前と昔から一杯飲みたいと思ってたんだ!付き合えよ!」
カムバック・高志!と叫ぶ透の声も空しく、春の手によって近くの売店にまで半ば引きずられていった。
古い記憶が蘇える。
それは、族の先輩から聞いた、「春さんはものスゴイ酒豪だ」という不吉な言葉。
それ以前に透はまだ成人式に出ていない。
三人もの女の子を引っ張っての全力疾走はさすがに堪えた。息が全然戻らない。
「ねーねー、コーシ。イルあれに乗りたい」
肩で息をしている状態の高志のズボンを裾をイルが引っ張る。
彼女が指差した方向には、メリーゴーランドがあった。
華やかな彩色の中を、馬や馬車のハリボテが延々と回るだけのなんとも質素で面白みのないアトラクションだ。
「俺はここで休んでるから、お前はフリースやミホと一緒に乗って来い」
そう言って、しっしと追い払う。
あんな物に乗るなんて一生の恥以外の何物でもない。
「やーだー、みんなで一緒に乗るのー」
「高志さん、別にいいんじゃないですか?絶叫系ではないのですし・・・」
「あんな恥ずかしいモンに乗れるか!チャラチャラした変な馬ばっか回ってるだけで、なんのスリルも無えあれに!」
そう言って高志は跳ね除ける。
ジェットコースターなどならまだマシだが、族の切り込み隊長が呑気に遊園地でメリーゴーランドに乗っているなど、
冗談話にも使えない。
「む〜・・・言うこと聞かないとこうだからね!」
イルはそう言うと、高志の背中に抱きつく。
「ちょ、バッカ!おまえなにやって――――――っ!!」
そこまで言って高志の表情が固まる。
背中に抱きついたイルの感触は柔らかかった。だが他に、異様な硬い感触が同時感じ取れた。
やけに一点に集中したこの感触、これは―――――。
拳銃。
そして、カチリという撃鉄を倒す音。
「だ――――!わかったわかった、乗ればいいんだろ!?」
自棄になって高志は叫ぶ。その答えにイルは満足して、
「じゃあ早く乗ろ!わたしあのピンクの馬車がいいな!」
「もう好きにしろ・・・」
そう言って駈けて行くイルに引っ張られながら高志が呟く。
その顔は、完全に絶望の色に染まっていた。
「完全に遊ばれてるね、コーシ」
半ば連れ去られるように引っ張られていく高志を、ミホはベンチに座ってフリースに髪の毛を括られながら呟いた。
「高志さんは見かけによらず、周りに流され易い性格ですから」
フリースはヘアゴムで肩甲骨下部あたりまであるミホの髪を器用に束ねながら答える。
彼女のポーチには、色々入っていた。
ミホには何が何だか理解不能であったが、一般の女の子が持つ化粧道具や装飾品の類までたくさん入っている。
なんでも学校の帰りなどに高志の買ってもらったそうだ。
自分が透に買ってもらったものを思い出すと、一番に出てくるのはこの服である。
しかしそれも厳密に言えばタツエに見繕ってもらった物だ。
ミホは、透に何かを直接買ってもらったことはない。
彼の元に受肉したばかりの頃は、服を借りたりしたが、やはり何かを直接買ってほしい。
「はい、できましたよミホさん」
「ん、ありがとう」
フリースは嬉しげに手鏡を取り出すと、ミホの前に差し出す。
映ったミホの髪は、頭の比較的上部で左右対称に束ねられていた。俗に言うツインテールとかいうやつである。
鏡に映った自分の顔を見ながら、ミホはそっと頬に片手を添える。
(このわたしを見たら、カナハラはなんて言うかな・・・)
だが、現実は容赦なく思い知らされる。
いくら自分が少女としてのカタチをしていても、中身はしょせん化け物だ。人殺しの、醜く、無駄に力だけある肉塊にすぎない。
こんな少女らしいことを、人間らしいことをすればするほどその現実が、重く圧し掛かる。
「どうしたんですか?気に入りませんでしたか?」
「え?・・・わたしこういう事できないから、羨ましいなって思ってただけ」
「そうですか?頼んでくれればどんな髪型でも喜んでつくりますから、また言ってくださいね」
「うん・・・」
今は考えるべきことではない。そう思い、それ以上のことはやめる。
せっかく高志とフリースが用意してくれた休養なのだ、楽しまなくては失礼極まりない。
「ミーホー!フリースー!一緒にピンクの馬車に乗ろー!」
イルがメリーゴーランドの入り口の前で声を張り上げながら、こちらに向かって手を振っていた。
横には、真っ青な高志が突っ立っている。
「いきましょうか、ミホさん」
フリースに手を引かれて、ミホはベンチから立ち上がって駆け出す。
ほんの一時だけ、嫌なことは忘れよう。
ほんの少しだけ、この幸せに浸ろう。
ほんの束の間だけ、自分はただの少女になろう。
戦いも、咎も、苦しみも。
ほんの一押しして、心の隅に追いやろう。
この気持ちと共に。
一通りのアトラクションを回ると、時刻はすでに昼近くになっていた。
高志の体も、連続五回で乗ったジェットコースターのせいで疲れ果てていた。
しかし恐ろしいかな、イルやミホ、それにフリースにはまったく疲れた様子はない。
ミホたちはいったん、透と春が待っている売店に戻って昼食をとることにした。
そこは、嵐の通過後だった。
「・・・・・・・飲み過ぎっすよ先輩、春さん。遊園地の売店で普通ここまで飲みますか?」
その惨状を見て高志が二人を咎める。
屋外にあるパラソル付きの丸テーブルで飲み明かしていた二人の周りは、飲み捨てたビールの紙コップが散乱したいる。
さらには、焼きソバやたこ焼きなどが入っていたと思われるパックまでもが散らかっていた。
しかし再び恐ろしいかな、春さんは明らかに十杯以上のビールを飲んでいるのに、全くの素面だった。
「春さん・・・いったい何杯飲んだんですか?」
「あ〜〜〜・・・ここいらに転がってる殆どは俺が飲んだやつだな」
「転がってるの殆どって―――――」
春の発言に高志は絶句する。
透を五対五の割合で飲んだのなら、まだわかるが。
テーブルの周りに転がっている量のほとんどを飲んだとなると、十杯や二十杯ではきかない量を飲んだことになる。
「――――――で、ほとんど飲んだ春さんが素面で。なんで先輩はダウンしてるんっすか?」
「ん?ああ、これか。こいつ、意外と酒に弱かったみたいだな」
高志が呆れながら透を指差すと、春は豪快に笑いながら横でダウンしている透の背中をバシバシ叩く。
見るとミホたちは、そんな状況には見向きもず。近くにある芝生の広場にレジャーシートを引いて、すっかり昼食を食べる体勢に入っていた。
酒飲み二人を前にして呆れている高志に、フリースが声をかけてくる。
「高志さーん、早く来てくださーい。大好きな唐揚げもありますよー」
「え!?うそ、マジ!!」
その言葉を聞くと、高志は酒臭い惨状から颯爽と去り。
華やかな昼食に向かって走った。
「は〜〜〜〜っ。いやー、遊んだ遊んだ」
「楽しかったですね、高志さん」
時刻はすでに十時近く。陽も、すっかり落ちていた。
昼食を終えた後、高志たちは再びアトラクションを巡った。
午前には行っていなかったミラーハウスやコーヒーカップなど、絶叫系ではなく穏やかな物を中心に周った。
その他にも、園内に設けられてあるゲームセンターなどにも行った。
「あそこでミホが撃ちもらさなかったら、あの面はクリアできたのになー」
「わたしが本領を発揮するのは飛び道具じゃないの、それにあんな小さな的なんか狙えないわよ」
ミホとイルは、仲睦まじくというには少々齟齬があるが、楽しげに先の射撃系ゲームの話をしてた。
そして昼から未だに飲み続けている春と透のいる売店に一行は戻った。
そこにはなんとかアルコールが抜けた透と、急性アルコール中毒になりそうなほど飲んでいる春さんの姿があった。
「おかえり〜、ミホ。って、あれ?」
「?なに、カナハラ」
ミホの姿を見た瞬間に透を首を傾げた。
そして、酒に鈍った頭で気付く。
「ああ、お昼は酒でダウンしてたから分かんなかったけど。髪型、変えてみたんだね」
そう言って透はミホのツインテールを指差す。
その表情はまだ少し酒にまどろんでいた。
「――――――っ!・・・・別に、ただ結んで貰っただけよ」
赤面した自らの顔を隠すようにミホはそっぽ向く。その様をフリースは微笑みながら見守る。
フリースには、透が幸せでいてくれればそれで良かった。
彼を見るたびに、心の中に言い知れない感情が広がった。
不快ではない息苦しさ。
疲れや病ではない体の熱。
例え様の無い、焦燥感と独占欲。
彼女には、この状態を知る知識が無かった。
「じゃあ、そろそろ始めるか」
何時の間にかビールを飲み終えていた春は、そう言いながらイスから立ち上がった。
首と肩を数回まわして、体の調子を推し量る。
「なにをですか?春さん」
「ん?この前の続きだよ」
その言葉に、透とミホの表情が凍りつく。
前回の戦いを知らない高志とフリースは、わけが判らずただ状況に流されている。
「・・・なんで、仕掛けないって言ったはずじゃあ――――」
「それはあくまでイルが遊び終えるまでの話だ。今はさっきまでの安穏とした状況じゃない、ここからは潰し合いの時間だ」
透の愕然とした声を無視して春は淡々と語る。
イルに向かってミホと、その言葉の意味を察したフリースが身構える。
「ちょっと待ってください春さん!ここが遊園地ですよ!?」
「閉園時間はもう過ぎて客はいない。それに先に連絡をいれて、十時以降の遊園地一帯をすでに貸切にしてある。
目撃の心配も周囲の被害への心配も必要ない」
なんの感情もなく語る春の横で、イルはスカートをたくし上げる。
そして、太股に取り付けたホルスターから一丁の黒く光る鉄の凶器を取り出す。
その幼き顔に、火照りが表れる。
それは、これから起きる戦闘への期待と興奮。いままでに無いプレイになるという言い知れぬ確信。
様々な物が、幼き少女に愉悦として伝わる。
「ハジメェ・・・もう、始めてもいいよね?」
熱を帯びた悩ましげな声でイルが春に囁く。
それと同時に、殺気の波が透と高志に襲い掛かる。それは、目の前の少女から発せられたとは思えないほどの威圧感。
指先まで、凍てつく。
「カナハラ、コーシ!走れ!」
ミホが叫ぶ。
相手は、先の戦いで自分に手傷を負わせた強敵である。巻き込まれれば、透と高志の命はないだろう。
弾かれたように、高志は走り出した。
その去り際に。
「死ぬなよ、フリース」
「任せて下さい・・・」
そう言い残していった。
それが、高志にできる最善の策であった。この戦いに、ちっぽけな男気で挑んでも、返り討ちに会って彼女を苦境に追いやるだけだ。
なら、せめて彼女の邪魔にならない位置にまで退避まで遠ざからなければならない。
噛み殺したい衝動を抑え、悔しさを堪え、情けなさを感じながら高志は走っていった。
だが、透は未だ不動だった。
「どうしたのカナハラ!?早く行って!」
「その前に、一つ約束してくれ・・・二度と、殺さないと」
「・・・・・・・・・・・もちろんよ、生きたままとっ捕まえてやるわ」
それは、ある意味わかりきった答えだったのかもしれない。
その言葉を聞いて、遅れて透は走り出す。
彼も高志同様、苦渋の退避だった。
だが、彼女たちが全力で戦うにはこれしか術は無い。
走り去る背中に、開始を告げる鐘の音が届く。
透が走り去ったと同時に、イルは発砲した。
それは以前の戦いとは比べ物にならない連射。
瞬く暇(リロード)も無い、絶え間なき高速連射。
それは重機関銃やチェーンガン等とは比べ物にならない連続発砲。
それをミホとフリースは散開してやり過ごす。
敷き詰められたタイルが、一瞬にして捲れ上がり、粉々に砕け逝く。
ミホは飛び退いた物陰の闇から鉄パイプを見つけ出すと、イルの横に向かって思いっきりブン投げる。
その標的は、イルの枷である男。
骨折音。
ごきゃり。という生々しく、無機質な不快音が鳴る。
イルは、大して動揺せずに横に立っている春を見上げる。彼の眉間には、鉄パイプが深々と突き刺さっていた。
そんな状態の春に、イルは話し掛ける。
「痛かった?ハジメ」
「問題ない」
その問いに、生きているはずがない春が答える。
「!?」
その光景に、物陰に潜んでいるミホとフリースは同時に驚愕の表情を浮かべる。
そしてさらに。
「おーい、嬢ちゃんたち。俺を殺そうなんてバカな考えはよすんだ、俺は死んでも死なねえから意味ねーぞ」
春は己が頭に刺さった鉄パイプを引きずり出しながら、ミホとフリースにそう告げる。
引き抜き終えると、春の頭部には鉄パイプの刺さっていた痕は無くなっていた。
それを見て、二人は春の言葉が真実だと悟る。
ミホが、向かいの物陰に隠れているフリースに目を向けると、彼女はなにやら口を動かしていた。
その行動が、唇の形で相手に言葉を告げるものだいうことにミホは少し遅れて気付く。
その唇は、こう言っていた。
『う・し・ろ・を・た・の・む』
(後ろを頼む―――?どういう意味?)
困惑しているミホを他所に、フリースは隠れていた物陰からゆっくりと出る。
その姿に、イルは珍しく戦闘中に昂ぶり以外の表情を見せる。
「?なにしてるのフリース、あなたはわたしたち『ミホ』の中で一番弱いのよ?」
イルの無慈悲な言葉が響く。
それは、フリース自身も百も承知だ。
彼女が媒体に使った高志のナイフは、ミホの受肉の為の物としては余りにも脆弱だった。
歴史も無ければ、大して血を吸ってもいない。
つまり、高い能力が得られない。
それに対して、イルはあまりにも圧倒的だった。
イルが受肉に使った拳銃は、春の兄が使っているころから既に大量の血を吸っていた。
それにこの拳銃は、代々に渡って春の組の総長に受け継がれているものであり、歴史も申し分ない。
即ち、真っ向勝負ではフリースに勝ち目はない。
だが、それでもフリ―スはイルの前に立ちはだかった。
生き残れるほどの勝算は、無い。
良くて差し違えか、悪くて犬死。
それほどに絶望的な差。だが、彼女はミホに全てを託すために立ちはだかったのだ
ミホはフリースの真後ろにつく。
「いきますよ、ミホさん」
「いつでも良いわよ」
疾走する。
距離は、先ほど退いたために五メートル強はある。だが、それを数秒もかからないという勢いで二人は密着して駆ける。
イルは以前撃ってこない。
(いける・・・!)
フリースがそう確信した、瞬間。
イルの貌が、愉悦に染まる。
『ハンドレッド・バルカン(幾百の銃口)』
イルの背後の空間が振動する。
生々しい、心臓の鼓動のような振動音。
それと同時に、空間から血が滴る。
それは一つではなく、無数。まさに幾百ともいうべき傷。
そして、それが一斉にその暗い傷跡を拡げる。
ぐちゃり。
傷は、それぞれが丸く広がっていた。
まるで、空間に穿たれた銃口のように。
疾走していたフリースとミホの表情が驚愕に歪む。
「潰せ」
イルの、短いたったその一言が合図になり、空間に穿たれた穴が一斉に火を噴く。
それは、先ほどの連射とは比べ物にならない乱射。
避けることはできない。着弾範囲があまりに広すぎて、今すぐ横に退いても意味が無い。
立ち止まると、フリースは素早くナイフを両手で構える。
「だあああああぁぁぁぁぁ!!」
それは、まさに烈火の如き振るいだった。
幾百ともつかぬ銃口から毎秒数発単位で放たれた弾丸を、フリースはナイフで全て切り払う。
まるで、鉄の岩盤を削るような、鈍くも甲高い金属音が生まれる。
フリースの足元は、三秒もしない内に打ち落とされた弾丸で埋め尽くされる。
「フリース!だめだ、それ以上したらあなたの体が―――――っ!!」
だが、それでもフリースは全く手を緩めない。
ミホには、ただそれを黙って見つめるしかなかった。今ここで下手に動けば、弾丸の風雨に晒されることになる。
「わたしが―――っ!ここで、わたしが食い止め―――なかったら、だれがイルを倒すっていうんです!」
「でも―――!」
「わたしには―――っ!こんなことぐらいしか・・・できないんです!!」
そう、自分には本当に、こんなことしかできない。
自分には、他者より優れた牙が無い。
自分には、他者より優れた智が無い。
自分には、他者より優れた才が無い。
自分には、たった一人の大切な者のために、この命を賭すことしかできない。
だから。
だから、せめて。
自分の後ろにいる少女を、間合いまで連れて行かなくてはならない。
「だから・・・・だから、わたしはこんなとこで止まっているわけにはいかないんです――――っ!!」
ドクン。
鼓動が鳴る。
内からか、外からか。判別がつかない。
手に持った刃物が金色に光る。
体中に、力が漲る。
フリースが振るっているナイフが光る。
それは次第に、周りの大気を渦巻き始めた。
フリースを中心に、風が吹き荒れる。
「な!?」
イルの表情が、微かに怯える。
ミホや春は、その圧倒的な力の渦に唖然とする。
時がたつにつれて、風と光は次第に強くなっていく。
より、高みへと昇っていく。
フリースが抱えた光の中に、シルエットが浮かぶ。
それは、彼女が先ほどまで構えていたナイフとは別のモノ。
まるで、西洋の騎士が持つような剣。
脳裏に、ゆっくりとその言葉が浮かび上がる。
それは、開放と発動のスイッチ。
『ティルヴィング(歩みを止めぬ意思)!!!』
フリースの剣を包んでいた光が集束する。
光は大気を焦がし、熱風を吹き荒らす。
光の剣の切先が、イルに向けられる。
だが、イルは怯まない。
相手は、自分たち『ミホ』の中で最弱だ。そんなヤツが、『ミホ』の中でもトップクラスの自分に勝てるはずが無い。
そんなこと、あってはならない。
イルは、生まれて初めて戦いを嫌悪した。
全然、楽しくない――――――!!
『ハンドレッド・バルカン(幾百の銃口)!!』
イルの背後に穿たれた穴が再び火を噴きながら咆哮する。
無数の弾丸が、フリースを射殺さんとばかりに大気を裂きながら疾走する。
「わたしは――――!透さんのためにも――――――っ!!」
剣を中心に渦巻く光が放たれる。
それは、フリースに向かって疾走していた弾丸を、軒並み蒸発させる。
強大な光は、地面を抉り、掘り返しながら豪進する。立ちはだかるものは全て塵に帰した。
「いやああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
イルの眼前にまで、光が迫る。
死ぬ。
そう確信する。絶対に防ぎようの無い致命の一撃。
数秒もしないうちに、自分はこれに巻き込まれて死ぬ。
視界が、向かってくる光に潰される。
その最中、黒い影がイルと光の間に立ちはだかる。
だれ―――――?
光が直撃する。
しかし光は留まるところを知らず、イルの背後にあった建築物をも破壊しながら進む。
轟々と風が吹く。
フリースが放った光が通った跡は、まるで巨大な何かに食い千切られたように、長く窪んだ道になっていた。
「ミホさん・・・・・・・・・・・・あとは、たのみま―――っ」
そう言ってフリースは膝を折って崩れ落ちる。何時の間にか剣は元のナイフに戻っていた。
ミホは、倒れたフリースを丁寧に抱き上げると、戦いの障害にならない場所に寝かせる。
そして、光が突き進んだ道を睨む。
そこには、一つの影があった。
影が、ゆっくりと立ち上がる。
「―――――っつぅ・・・大丈夫か、イル」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん、もう戦えるよ」
イルはあの光の中で、春に抱きかかえられて何とか難を逃れた。
春の体は、あの光の中でも十分に耐えれたのだ。
まさに、不死身。
イルは、春から離れるとミホと対峙する。
「ミホ・・・もう手加減はしないからね」
「本気でこい――――!」
ミホが刀を構える。イルが銃を構える。
「はあっはあっはあっ!」
透は、ただひたすらに遠ざかっていた。
その心の中は、以前悔しさと惨めさに荒れている。
肺が、数分間に渡る全力疾走に悲鳴をあげる。心臓も激しく波打っている。
そして、唐突に虚無感に襲われた。
もう、走るのも嫌になった。
なにかを助けるなんてことはできない。
自分は、尻尾を巻いて逃げて、たった一つの己の身を案ずることしかできない。
そんな餓鬼が、命を救うなどという大義を掲げるなど、滑稽以外のなにものでもない。
自分には、なにもできない。
『 じゃあ誓え。絶対に、死んでも守ると 』
言葉が蘇える。
上条 遼の、あの言葉が。
『 じゃあ、行け。守りぬけ 』
反芻する。繰り返される。
響く、頭の中に。
『 俺はそれを守りきれなかったが、』
守る。
その言葉が今はこんなにも重い。
自分には過ぎた重圧だ。
『 お前ならやれるだろう 』
そうだ。
できる、できない。が問題なのではない。
救えるか、救えないか。が問題なのだ。
自分は、何回もそれを胸の中に抉り、刻みつけてきたのではないのか。
体に、失われたはずの体力が再び漲る。
戻らなければ。
足手まといになるかもしれない。
もう、間に合わないかもしれない。
自分の、あのたった一瞬の迷いに、彼女は息絶えているかもしれない。
だが、行かねばならない。
あの誓いは、決して口上だけの軽い物などではない。
あの誓いは、今の自分の存在意義そのものだ。
これを否定してしまえば、自分が自分で無くなる。
あの笑顔も消える。
そんなのは、絶対に嫌だ。
駆け出す足は、活力に満ちていた。
ミホが疾る。
フリースは、自身の身を犠牲にして、わたしに全てを託した。
ならそれに応えなければ、全てが無駄になる。
間合いを一気に詰めると、ミホは刀を一閃する。
火花が散る。
振り下ろされた刃を、イルは銃身で受け止め、弾き返す。
発砲音。
イルは、刀を弾き返されて体勢に隙ができたミホに容赦なく弾丸を叩き込む。
それを、ミホは思い切り身を捻ってかわす。そしてその身を捻った回転の速度を一切殺さず、さらに斬りかかる。
その刃の切先をイルは撃って軌道を逸らし、かわす。
刀に走る震動に、ミホは隙ができやすくなる。
そこにイルは再び三発の弾丸を撃ちこむ。
一発は刀で切り伏せ、一発は拳で叩き落す。最後の一発は顔面すれすれでかわす。
拳から、血と肉。それと骨が覗く。手の甲を、完全に抉られた。
銃の攻撃は多彩に見えて、実は単調である。直線的な攻撃は、軌道を読み取りさえすれば簡単に防げる。
つまりこの勝負、このままの力押しでいけばミホに軍配があがる。
刀と銃の攻防が続く。
一瞬の誤りも許されない、命を賭した舞踏。
走る銀の光は、黒い影から放たれる火に防がれる。
闇の中に、火花を散らす。
その戦いの中、最悪の声が響く。
「ミホッ!!」
「!?カナハラ。なんでこんなところに!」
振り向くと、そこには息を荒らげた透の姿があった。
かちり。
撃鉄を起こす音。ミホはその金属音に背筋が凍る。
このままでは、透もとろもやられてしまう。
『ハンドレッド・バルカン(幾百の銃口)』
瞬時に空間に穿たれた穴から、火が吹く。
甲高い発砲音が、連続して響き渡る。
透はその音に思わず目を覆う。とっさに逃げることなどできない、それに普通の人間の自分ではあの弾丸の嵐から逃れる術は無い。
どすどすどす。という鈍い音が響く。
それは金属などの硬いものではなく、肉が絶え間なく切り刻まれる音。
透は閉じた目を、そっと開く。
そこには、血にぬれたミホの姿があった。
体中が、弾丸に穿たれていた。鮮血が、彼女に買ってやった服を赤黒く染め上げていく。
「カナハラ・・・・・逃げ、て」
「―――――っ!!」
彼女のその言葉に、胸が刺し貫かれる。
やはり自分の行動は愚行だった。後悔が、心の中に群雲のように拡がっていく。
守ると、誓ったのではないか――――――。
ミホが崩れるように倒れる。
透は、その体を優しく抱きとめる。そして彼女の握っている刀に手をかける。
その柄さえも、彼女の流した血に染まっている。
身勝手な正義感は、ただ人を傷つけるだけだ。
けど、これは。この願いは、ただの身勝手な願いでも正義感でもない。
これは、自分が命を賭してでもやり遂げなければならないこと。
「そうだよな・・・俺が間違ってたんだよな。お前みたいな、か弱い女の子を戦わせるなんて―――――――――!」
握り締めた刀に力が篭る。
ぎりぎりと心が絞られる。
悲しみに、怒りに。
ミホの体を片手で支えたまま、刀を真っ直ぐと構える。
切先は、イルと春を向いている。
「透・・・もう勝負はついたんだ、その嬢ちゃんの体離してさっさと帰れ」
「こいつは・・・俺なんかのために、馬鹿みたいにここに戻ってきた俺をかばうために、こんな姿になったんだ。
だったら、それを返さなきゃ・・・それこそ外道だ」
精一杯の口上と、強がりを吐く。
相手は、自分では敵うべくも無い難敵だ。まず、勝てない。
生き残ることも、ほとんど不可能。
差し違えなんて、夢のまた夢。
だけど、それが問題じゃないんだ。
「トール。どいて、ミホに止めを刺すから」
イルの、抑揚のない言葉が告げられる。
向いた銃口から、いつ弾丸が飛び出してもおかしくない。
「俺は――――誓ったんだ!!!」
抱きしめたミホの意識が戻る。
彼女の目は、あまりのダメージから虚ろになっていた。
その小さな、今は紅く染まってしまった、白く小さな手が刀を握った手に添えられる。
触れた手は、なぜか自分の知らない『ミホ』の感覚がした。
「?ミホ―――――」
「いきなさい、透くん。あなたならできるわ」
持った刀の刀身が、蜃気楼のように揺らぐ。
「これは・・・・・・・・」
「知っているはずよ、この刀の名を」
抱きしめたミホが、耳元でそっと囁く。
自分がこの刀の名前を知っている?
そんなはずはない。この刀には銘なんて無かった。
祖父の遺品として受け取った、この刀。
「それ以前に、あなたはこの子の名前を聞いたことがあるはずよ」
「こいつの、名前―――?」
唐突に脳裏に、浮き上がる。
むかし、遠い昔に聞いた言葉。
『凶つ月』
頭が熱い。
まるで熱湯を注ぎ込まれたかのように、ぐつぐつと煮えたぎる。
血管の中までをも侵食し、ぢりぢりと焼き尽くす。
「そんな―――――なんで普通の人間が最適化を!?」
イルが驚愕する声が聞こえる。
透は全神経を刀に集中する。
『接続(アクティブ)』
唱える(侵食する)。
青い回路のイメージが浮かぶ。
『起動詠唱省略(パスコード・ブレイク)。接続詠唱解読不可(アクセスキー・ロスト)』
視線を上げると、自分に銃口を向けるイルが確認できる。
撃たれる。
それまでに、こちらからしかけなければならない。
『強制開門・形式移行(ゲートブレイク・ネクストコード)』
刀から、なにかが這い上がってくる錯覚にとらわれる。
数匹の蛇が腕に巻きつき、腕の中を百足が這い進む。
違和感と不快感に吐き気がこみ上げる。
『空間裂断開始(ディメイション・リメイク)』
刀の切先が上下左右に振れる。
震動している。全腕力と握力をもってしても御しきれない。
「すまないイル、春さん・・・・・・・・・・・・・・・・・いくぞ―――!」
『凶つ月』を目一杯振りかざす。
銀の刀身に、銀の月光が映る。
振り下ろす。
比喩ではなく、本当に大気を――――空間を裂きながら刀が振り下ろされる。
その反動と震動に、もつ手がガクガクと震える。
押し戻りそうになる衝撃をこらえ、渾身の力を持って断ち切る。
その列断は、目の前にいるイルにむかって真っ直ぐ伸びる。
空間の裂け目が、イルに迫る。
この世界にあるものは、全て次元の上に存在している。
なら、次元が裂かれればその上にあるモノは、物質レベルを超えた領域の力により切断される。
イルが、叫ぶ。
『インフィニティ・ショット(限界破壊)!!!』
一陣の光が、銃口から放たれる。
それはすぐさま、向かってきた空間の裂断と衝突する。
衝撃波が押し寄せる。それに続いてすぐに爆音が耳に届く。
断と弾が、鬩ぎあう。
それは、全くの互角。
その絶大な力と力の衝突に、空間が耐え切れなくなる。
空間が破壊される。
鬩ぎあっている力を中心に、空間がひび割れる。
そして、その一つが欠ける。
ぱきん。という硝子のような渇いた音色。
それを機に、鬩ぎあっていた力が対消滅を起こす。
更なる爆発が起こる。
透は咄嗟にミホに覆い被さり、彼女をかばう。
背中に様々な破片がぶつかる。
耳元を、ただただ風が通り過ぎていく。
爆煙が長い時間をかけて引いていく。
透は顔上げて、周囲を確認する。
裂断の進んだ先を見つめると、そこには未だ一つの影がたっていた。
イルだった。
だが、彼女は五体満足ではなかった。
右腕が、胴体近くまで深く抉り千切れていた。
血が、湯水のごとく零れ落ちている。
「形勢逆転だ。もう、争いなんてやめよう。イル、春さん」
「な!?馬鹿にしないで、わたしが・・・ただの人間に負けるはずなんてない!わたしは、最強なんだから!
一番強いんだから!ずっとハジメといるんだから!!」
イルが残った左腕で銃を再び構える。
その腕を、春がすかさず制する。
「な、放してハジメ!わたしはまだ戦えるから」
そう言いながら、イルは泣き始めた。
必死に春の腕を振り払おうとする。
「もういいんだ。終わったんだ、イル」
「・・・わたしは、もういらない子なの?ねえ、ハジメ。いらない子だから、戦えないからもういいの?」
イルは、色の無い表情で春に問う。
それを、悲痛な顔をしながら春は抱きしめる。
「違う!俺は・・・・お前にこれ以上戦って欲しくない。お前を、失いたくないんだ・・・!」
「・・・・・・・・・・・・ハジメェ―――――――っ!」
春の首を抱えて、イルは泣き出した。
それは、静かな泣き声だった。
その光景に、透は安堵のため息をつく。
もう相手に戦う意思は無い。
これ以上、傷付けあわずにすんだ。
その事実に、本当に安心する。
「茶番はそこまでだ」
聞き覚えの無い声が響く。
透は、声のしたほうに勢いよく振り向く。春とイルも直に振り向いた。
その視線の先に写ったのは、この遊園地の名物である巨大観覧車。
その最上部には、一つの人影。
上下共に黒色で統一された衣服を纏い。その淡く、白に近い金髪は月光に良く栄えている。
「よもや我々『ミホ』最強と目されるイルが敗れるとはな、大したものだ小僧」
その人物は確かに「我々『ミホ』」と言った。
だが、いま透の視線の先にいる人物は男だった。
「貴様だれだ!?」
春さんが、頭上から見上げる男に大声で訊ねる。
「我が名はナギサ。そこにいるイルとフリース、それとネツァクと同じ『ミホ』だ」
悠然とした態度で男は話す。
頭上に佇む男も、『ミホ』。
その言葉に透は絶望する。いまの自分には、もうなんの力も残されていない。
力無くもたれかかるミホを支えるだけでも精一杯なのだ。
「説明はここまででいいだろう。ではさらばだ、イルよ。お前の力は私の悲願達成のためには障害なのだ」
ナギサが、まるで指揮者のように手を振り上げる。
それと同時に、イルの目の前の地面が盛り上がる。
飛び出したのは、刀の刃。
それは、物凄い勢いでイルの心臓に向かって伸びる。
刺し貫くのに時間は、数秒も要らない。
貫く。
肉の突き抜ける、ズブリという生々しい音。
滴る血。
「!?ハジメ!」
「イル・・・・逃げ、ろ・・・・!」
刺し貫かれたのは、イルではなく。彼女をかばった春だった。
飛び出した刃は、寸分違わず春の心臓を貫いていた。
だが、春はその不死の体ゆえに倒れることはない。現に、貫かれた傷もすでに治癒し始めている。
「ほう、不死者か。なかなかおもしろいな。だが、いまは少々邪魔だな」
ナギサが再び腕を掲げる。
すると、春の周りの地面から再び刃が飛び出す。
それは先ほどとは比にならないほどの無数の刃。
どかどか。という鈍く重い音と共に次々と突き刺さる。
数秒もしない内に、春は無数の刃に貫かれて拘束された。しかし不死身の体はそんな状況になっても未だ死を知らなかった。
それどころか、刺さった次の瞬間にはほぼ完治している。
「いやああああ!ハジメエエエェェ!!」
イルが絶叫しながら春に駆け寄る。
しかし、それを黒い影が遮る。
「まあ待て、あやつはまだ死んでいない。それよりも、自分の身を案じたらどうだ?」
それは、いつのまにか観覧車の最上部から降りてきていたナギサだった。あれほどの距離を、わずか数秒足らずで移動したというのか。
その事実に寒気がする。
ナギサは、自分の得物をゆっくりと構えた。反りのない、真っ直ぐな刃をした装飾品的な要素の強い日本刀。
その切っ先が、イルの首筋に添えられる。だがイルは微塵も怯まない。
「いい心がけだ、イル。その気丈な態度のまま、死ね」
ナギサは容赦なくイルの首を鷲掴んだ。
イルの気管から、掠れるような音と声が漏れる。
そして、ナギサはイルの首を掴んだまま高く持ち上げる。
腕の中で、幼い少女は必死でもがく。精一杯開いた口からは唾液がだらしなく流れ、眼球と全身の筋肉が痙攣している。
「やめろおおおおおおおお!!」
春が、刃の拘束のなかで、己が身を引き裂きながらもがく。今彼が体を動かせば、完治した傷を再び刃が傷つける。
「てめえ!イルに少しでも手え出してみろ、絶対にぶっ殺してやるからな!!」
「それはこうすることか?」
そう訊ねながら、ナギサはイルの首に刀を突き刺した。
そのショックで、イルの意識は完全に吹き飛ぶ。
頚動脈をちょうど貫いたのか、刺した刀と肉の隙間から血が泡となって漏れ出ている。
「ああ、それともこうすることか?」
ナギサは、実に愉快といった風にイルの首に刺さった刀を動かす。
ぶづり。
生々しい音。皮膚、筋肉、骨、そのた細胞がブチブチと音を立てて切断された。
ごとり、という重い振動と共に、イルの首が春の前に転がる。
その瞬間。全てが吹っ切れた。
頭の中の神経が、次々に分断される。怒りに。
「うあああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
春が咆哮する。
体に埋まった刃を破壊しながら、春は立ち上がった。
体中が傷だらけだが、すぐに完治する。
春は、渾身の力を篭めて拳を振り上げる。大気が、ぶおんと音をたてる。
ぞり。
その腕を、ナギサは容赦なく一断のもとに切り裂く。鮮血を撒き散らしながら春の腕が落ちる。
それでも春は止まらなかった。
残った片方の腕も、渾身の力のもとに振り上げる。
その腕さえも、再び地面から飛び出した刃に貫かれる。
しかし春は、その状態でも拳を振るおうとする。そうすれば、腕は骨ごと切断される。
だが、腕を貫いた刃に続き、地面から次々と矢継ぎ早に刃が飛び出す。
そして、春は振りかぶった姿勢のまま固定された。
「不死身とは便利なものだ。そして何よりも不便だな。死ねない、それはどれほどの苦痛か・・・」
ぞぐり。
ナギサは春の胸に自らの持った刀を突き立てる。
「――――――っ!!」
「見たところ、痛覚は正常だな」
そして、幾度と無く春の体を刺す。斬る。切断する。
瞬時に回復するが、それを上回る速度でナギサは斬りつける。
ざすざすざすざすざす。
すでに斬りつけた回数は幾百にまで上った。春の意識は、とっくに途絶えていた。
だが、死なない。
死ねない。
その事実が、今は容赦なく春の精神を蝕む。
イルを殺され、いまは敵に無様にも斬りつけられている。
死ぬことができない。イルのもとへ逝く事すら、いまの自分にはゆるされない。
最後に、ナギサは春の頭蓋を断ち割った。
鮮血が勢いよく噴出する。
それを半ば無視して、ナギサは春に背を向けた。
「これだけいたぶれば、いくら不死者といえども早々復帰はできまい」
春の体が、ゆっくりと膝をつく。倒れると、割られた頭蓋から脳漿やら何やらがドロリとはみ出す。それでも死んでいない。
息は、ちゃんとある。それが、まさに残酷だった。
ナギサは、ゆっくりとした歩調で立ち尽くしている透に近づく。
透の意識は、さきほどの惨状に停止していた。
そして、もう少しで頬が触れるという位置までナギサが近づくと、ゆっくりと首を動かす。
「どうした?さきほどのは少々刺激が強すぎたか?」
手を透の虚ろな視線を遮るようにひらつかせる。
だが反応は無い。
「・・・・透、私はいまはお前を見逃しておく。だが次に会うときは、それなりの準備をしておけ。じゃあな」
そう言い捨てると、ナギサは透から離れていった。
こつこつ、というナギサの靴の音が無情に響く。
透は、惨状の中でただただ立ち尽くしていた。
何もできなかった。
あの男の惨殺を、自分は傍観することしかできなかった。
絶対的な恐怖が体を縛り、身を動けなくした。
もし、あの時自分が飛び出していれば、イルだけでも助かったかもしれない。
その考えが、さらに透の心を縛る。
自分は、命が奪われるところを、ただ見つめていた。
とめることもせずに。
誓いが、揺らぐ。
恐怖に、心が震える。
自分が、死んでしまうと。
他人より、自分の命を優先しろと。
この崩れ去りそうな誓いを、俺は守りきれるだろうか。
あの恐怖が、またフラッシュバックする。
冷や汗が吹き出る。心臓が凍りつく。呼吸さえ出来ない。
恐怖とは、ここまで人を縛るものなのか。
抱きとめたミホの感触で、我に返る。
しかし、いまはそれさえも希薄に感じられた。
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