タタン、タタン、と規則的で不変なリズムを刻みながら進む電車の中で、哉原 透は椅子の下から響いてくる音と振動をBGMに揺られていた。
後ろで束ねた髪も、本人の意思とは関係なく楽しげに電車の振動に跳ねていた。
そして、ふと思い出したように顔を上げ。肩から提げた細長い木箱をぼんやりとした表情で眺めた。
それは彼が貰った唯一の祖父の遺産だった。
この電車の中で揺られる数時間前、透はつい先日亡くなった祖父の葬式に出ていた。
大学の入学時以来目も向けなかったスーツを押入れの中から引っ張り出して、電車で数十分という近い距離にある実家に赴いた。
正直、出るべきではなかったと後悔した。そこは祖父の利権と遺産を目当てに出席した親族の醜い争いの場になっていた。
祖父は、昔から真面目な人だった。ちょっと度が過ぎる感じがあったが、理解のあるいい人だった。
だがそんな祖父の死に、親族は悲しみもしないで自分の目先の金に目が眩み欲望に身をまかせていた。
だから、私は祖父の遺産には一切関わろうとしないようにした。
会場にいるのも耐えがたくなり、その場を去ろうとしたときに母が私を呼び止めた。
「透、もう帰るところでしょうけどちょっと待って」
母の言葉に従い、醜い亡者共のいる会場の横を通り、私は実家の敷居をまたいだ。
玄関で待つように言われ、私は数分の間懐かしい家の入り口の雰囲気を味わう。
すると廊下の奥から母が小走りでこちらのほうに来た、その腕には細長い木箱が抱かれていた。
靴を脱がずに腰をかけるようにして玄関に座っている私の横に母はその木箱を置いた。
「これね、おじいちゃんがあなたに渡してほしいって言ってた物なの」
私はその箱をいぶかしみながら持ち上げた、しかしその重さは見た目に反するもので、赤ん坊くらいの重さがゆうにあった。
「なにが入ってるのか母さんにもわからないけど、きっとおじいちゃんの大事な物だと思うから大切にしてね」
念を押すように言われ、私は渋々とその重い木箱を担いだ。それでもかなりの重さが背中に掛かる。
玄関の引き戸を開けると、秋の寒さが頬を突いた。きっとほんのりと赤みがさしたことだろう。
駅に向かって歩き出す私の背中に、もう少し頻繁に帰ってくるのよ、と母が告げた。こくり、と私はわずかに頷いて返事をした。
これがこんな木箱をわざわざ肩から提げて電車に乗る羽目になった経緯で、ついさっきあった出来事だ。
家に着く頃には、もうすっかり日が隠れてしまっていた。
現在私が暮らしているアパートは、県内でも有数の高級住宅街に建っている。
しかし、そのアパートは別段高級な訳でもない。むしろ貧弱極まりないといっていいだろう。
二階部分に登る階段は錆と金属疲労が激しく、人一人が登るだけでも断末魔のような悲鳴を上げた。
しかも部屋には風呂が無く、入浴のためには銭湯に行かなければならないという時代錯誤っぷりだ。
自分の部屋の鍵を開けて、建て付けの悪い木製のドアと悪戦苦闘を繰り広げながら、ようやく自分の部屋に入ることが出来た。
久々に実家に戻ったということもあって、今日はもうくたくたで。幸い明日は日曜なので、
ゆっくりと昼過ぎまで眠ることができる。
そう思いながら溜まった家事を適当にこなしていく、これさえ終われば後は飯を食って銭湯にいって、
自慢の柔らかな布団に包まれて寝るだけだ。
そして、ふと祖父の遺品のこと思い出した。
帰ってきてから放り出したままの木箱を手に取り、取り敢えずまた眺めてみた。
かなりしっかりした造りの木箱で、叩いても容易には壊れそうになかった。長さは学校等に置いてある箒ほどだが、
やはりその重さは少し異常だった。
丁寧に巻かれた紫色の留め帯をゆっくりとほどき、はめ込み式の蓋を慎重に持ち上げた。
中に入っていたのは、日本刀だった。
日本刀といっても、箱の中に入っているそれは、一般的にいわれる刀の形を成していなかった。
柄も鍔も無く、ただ刃と柄と取り付ける部分のみある。出来の悪い大振りな刃のナイフのようだった。
しかも不思議なことにどこを見ても銘がなかった、透はこれが本当に祖父が自分に渡したかった物なのかと疑問に思った。
あの優しい祖父が、なぜ自分に人を傷つけるような道具を自分に託したのか。全くわからなかった。
考えても仕方が無い、と思考を断ち切り、透は布団を敷いて、まるでアルマジロのように身を丸めて横になった。
隙間風がいろんなところから吹き込むボロアパートは、凍死するのではないかと思うほど寒かった。
意識がまどろみ、もうほとんど眠りに沈み込んだころ。
彼女は現れた。
最初は何かがカタカタと揺れるような音だった、しかしそれは時を刻むにつれ大きなガタガタという音に変わっていった。
何事かと透が身を起こすと、それは布団の脇に置いた刀の入った木箱が、蓋の隙間から光を垂れ流しながら踊り狂っていた。
「な、なんだよこれ、、、」
その異常としか言い様のない光景に、透は蚊のような声で呟いた。
そしていきなり吹き出た蒸気のような紅い煙に、とうとう耐え切れなくなった蓋が天井近くまで音を立てて飛び上がった。
それと同時に透も悲鳴をあげて飛び上がった。
狭い2LKの部屋の中に煙は一瞬にして広がり、まるで紅い雲の中で布団と自分が漂っているようだった。
「なんだ、この煙は、、、窓開けて換気しなきゃ」
紅く暗い部屋の中を、壁伝いで窓まで歩いていく。
やっとのことで窓辺にたどり着き、ドアと同様に建てつけの悪い窓を半ば無理やりにこじ開ける。
窓の開く音と同時に、部屋の中を占領していた煙が一斉に逃げ出すように外に出て行く。
視界がクリアになった部屋に視線を戻した透は絶句した。
いつの間にか、一糸纏わぬ少女が部屋の中に立っていたからである。
透は、思わずその姿に見入ってしまった。ただ純粋に、綺麗だと彼は思った。
窓から入る微かな月明かりに、美しい長髪の金髪は貴金属のような冷たく雅な光を返し。整った顔立ちに、浮かび上がるような緑色の目。
「、、、っ」
すると、少女は僅かに口を開くと、ゆっくりとした動作でついさっきまで透が寝ていた布団に倒れこんだ。
「な、何なんだ・・・・いったい」
見知らぬ少女のいきなりの出現により、透は完全に混乱していた。
「ど、どうして俺の部屋に、お、お、女の子が・・・・・いやでも、だけど、ああもう!!」
あまりにも唐突で、しかも理解不能な状況は混乱に拍車をかけた。
「取り敢えず、下着だけでも買ってくるか」
出来るだけ直視しないように、透は素肌を晒している少女の方を向いた。心臓が加速していくのが自分にも顕著にわかった。
ちらりと顔を覆った手の指の間から少女を見る、幸いうつ伏せになっているので色々な大切な部分は見えずにすんだ。
彼女の背中は素肌はまるで新雪のように、白く、美しかった。触れれば、きっと絹のような感触がするだろう。
心臓が、はち切れんばかりの鼓動を刻む。そして、透は雑念を振り払うために秋の夜の寒空の中に飛び出していった。
とりあえず下着を買うために。
こんな時間に女性物の下着を売っているところは、透が知る限りではコンビニしかなかった。
しかし、日常生活でも活用するこの24時間営業の店で買うことは、かなり抵抗があった。
だが自分が早く下着を買って帰ってやらないと、裸の状態で寝ている彼女は風邪をひいてしまうかもしれない。
そんな考えを色々とめぐらしても仕方が無いと思い、意を決して透はコンビニに特攻した。
雑誌コーナーの横を通って日用品売り場の近くにある下着のコーナーに向かう、透は店員の目にあまり触れないように近づいた。
そして、万引きをする少年のような心情で女性物の下着を手に取るとレヂに向かって猛獣も真っ青な速さで駆けた。
店員に下着を渡し会計している途中に、聞きたくない言葉と声が聞こえた。
「あれ?哉原先輩じゃないっすか、どうしたんっすか。こんな遅くに」
ぎくりとして、刑事に見つかった犯人のように透はゆっくりと後ろを振り向いた。
そこには卒業した高校の後輩、真城 高志が立っていた。
真っ赤に染めた短めの髪と、意外と幼い顔立ち。しかし彼は地元の暴走族の切り込み隊長をわずか高校一年にて担うほどの猛者だ。
そしてなぜか自分に良く懐いていた。
「あれ?それなんですか・・・って、女の下着!?」
自分が高校を卒業して以来久しぶりに会った後輩にまさかこんな姿を見られるとは、と透は赤面した。
「・・・・先輩、それぐらい彼女に自分でやらせりゃいいのに」
「え?」
「だってそれ先輩の彼女のんでしょ?今まで聞かなかったけど、いつの間にか作ってたんすね」
「あ、ああそうだよ、ちょっとジュースこぼしちまってな。俺が買いにきたんだ」
緊急事態とはいえ、自分の体裁を取り繕うためにここまで咄嗟に嘘をついたことに、透は内心自己嫌悪した。
「お、お前はいったいどんな用なんだ、高志?」
「え?あ、ああ俺も彼女に関係するモンをちょっと買出しに・・・」
「そ、そうか。じゃあな、ちゃんと授業出ろよ」
裏返った声で高志にそう言い残し、店員に金を払うとまるでヒッタクリのように下着を掴んでコンビニを後にした。
今度からはもう、あのコンビニは使えないだろう。
アパートに着き、ぎいぎいと悲鳴をあげる階段を疲れた足取りで踏みしめながら登る。
部屋の鍵を開け、倒れこむようにして部屋の中に転がり込む。
あれだけのことで、俺の精神は相当参っていた。
そして布団の方を見て更に参った。
俺が出かけたときはまだ気を失っていた少女が、目を覚まして、布団の上で佇んでいた。
彼女は、いま入ってきたばかりの俺を、まるで睨むように見た。
ただ睨まれただけなのに、背筋が音を立てて凍った。
ヤクザなどの強面の連中などとは比べ物にならないほどの圧迫感、それはまるで視線で蹂躙されているかのような感覚でもあった。
俺がそんな風に竦んでいる間に、彼女は俺の目の前までズカズカと近づいてきた。
歩み寄る幼き容貌をした異性は、鬼や悪魔をも超えた・・・ただ純粋に次元の違う存在に観えた。
その圧倒的存在感とプレッシャーを放つ少女から、まるで逃げるように後ずさる。その背中が、
ドンっという絶望にも似た鈍い音を共に玄関のドアにぶつかる。
そして気付くと自分の喉には、あの木箱に入っていた日本刀が、わずか一ミリも無い間隔で突きつけられていた。
恐怖に知覚が麻痺した訳ではない、本当にただ視えなかったのだ。
驚愕の貌を浮かべている俺に、少女はその薄い朱色がかかったような可憐な唇を開いた。
「一つ聞きたい、この刀の所有者はお前か?」
凛とした、鈴の転がるような声。しかしそれは強い意志を孕んだものだった。
この少女の前では、ヤクザと少し関わりを持ったことのある不良崩れみたいな俺は・・・小屋の隅で小さくなって震える兎以下だ。
「・・・確かに、その刀は俺のもんだ」
渾身の勇気を滲み出させ、俺は応えた。喉を震わせると、突きつけられた刀が一閃し、斬り付けられるような幻視が浮かぶ。
「ということはキミが私の枷か・・・とんだ貧乏くじを引いてしまったようだな」
「枷・・・どういう意味だ?」
そう聞くと、喉の前の不動の刃が数コンマ近づく。
「いいか?いまから私が言うことは総て真実だ。一度で覚えろ、質問は私が許可を出してからだ」
「・・・・わかった」
「わたしは、『天際 美穂』という人間の中にある七つの人格の一つだ。私たち七人は、本体・・・すなわち『美穂』の体支配権を賭け、
争うためにここにいる」
「支配権を手に入れる?」
「質問は私が許可を出してからと言ったろう?」
冷たい尖った鉄の切っ先が、喉の皮膚にわずかに食い込む。
「私は先に言ったとおり、本体の支配権を争うために今ここに、この刀のような武具を介してこの世に存在している。お前達、
武具の所有者は私たちの枷、簡潔に言うなら『足手まとい』になる。基本的の説明はこれで全部だ、なにか聞きたいことはあるか?」
「・・・枷ってのがお前の『足手まとい』ってのは分かった、じゃあ具体的にどういう風に足を引っ張るんだ?」
「意外と冷静なんだなお前・・・。枷が肉体的損傷を負えば、私たちにもその損傷がフィードバックされる。
だが私たちが傷ついても枷にはなんら影響はない」
俺を見つめる少女の鋭い眼光は緑色をしていたが、それはまるで百獣の王か猛禽の長だった。
「支配権を争う方法は・・・なんだ」
「『美穂』の中にある七人の人格が戦うこと、だ」
流れる髪は金色で、梳けば感覚神経に柔らかく流れるような感触が走るだろう。
「最後に一つ、そんなイカれた戦いを考えたのは誰だ?本体か?お前ら七人の誰かか?」
「・・・どれも外れだ」
「じゃあ、一体だれがこんな狂ったことを始めたんだ」
「私たちには分からない、ただその人物は私たちの中では『主』として認識されている」
そうポツリと呟くと、少女は刀を降ろした。
そして俺に背を向けて部屋に向かって歩き出した。
「あ、もうひとつ大事なことを聞いてなかった」
俺がそう声を上げると、さっきとは全く違う年相応そうなむっとした表情で少女は振り返った。
その仕草は、まるで別の人間が振舞っているようでもあった。
「なに?下らないことだったら斬るわよ」
「なまえ、まだ聞いてない」
「え?」
そう言うと、なぜか少女は顔を赤らめた。さっきまで俺の喉元に刀を突きつけていた人物とは思えないほど、それは『少女』だった。
「わ、わたしの名前は・・・・・・・・・・・・・・・・ミホ」
蚊の鳴くような微かな声、しかしそれは俺の耳にははっきりと聞こえた。
「ミホか、いい名前だな。俺の名前は透、哉原透だ、ミホ」
「わ、わかった、カナハラ」
俺がそう名前で呼ぶと、彼女は耳まで真っ赤になった。
そして俺は、まだ彼女が裸だったことに気付き。急いで買ってきた下着を抛ってよこした。
ミホに洗濯に失敗してサイズが少し縮んでしまったワイシャツをパジャマ変わりとして渡し。
細かい事は明日にして、透は休むことにした。
あいにくまともな布団は自分が使う分しかなかったので、それをミホに引渡して自分はレジャー用の寝袋を使って寝ることにした。
「じゃあ、俺はこっちの寝袋で寝るから。ミホはそっちの布団で寝てね」
「わかった・・・ありがとう、カナハラ」
ミホの予想外の言葉に、透はなぜだか感心してしまった。まさか彼女の口から礼の言葉が聞けるとは思っていなかったからだ。
じーっと眺めていると、ミホは視線とその意味に気付いて反論した。
「これでも礼儀はちゃんとわけまえてるわよ、人をただの無礼で無愛想な人間のように見ないで」
「ああ、ごめん。つい・・・・」
するとミホは、もう知らないと言って布団を頭から被ってしまった。
そうして電気を消して寝袋に入り、透は就寝体制に入った。
顔だけ横を向けてミホの方を見ると、すうすうという微かな可愛らしい寝息が聞こえてきた。
本当に、こうして見ると彼女は本当にただの年相応な幼い少女だ。
せいぜい中学三年生か高校一年生くらいの容姿、しかし本当は『美穂』という人物の中の七つある人格の一つ。
しかも刀を持つと人格が変わったように凶悪になる・・・。
だが、透の心の中にはまだ別の疑問が浮かんでいた。
それは、彼女と会ってからこの胸の中にずっとある・・・違和感。
なにか、とても大切なことを忘れているようでならない、なにかがつっかえているような。
胸に杭が刺さっているような、焦燥感のような。
違和感。
気が付くと、窓からは朝日が差し込んでいた。
●
目覚めれば、昨日のことは夢か幻で。昨日は実は何も無く、また極一般的で変わり映えのない日常が始まる。
そう、願った。
脳裏に浮かぶのは遠い日の風景、霞んで消えては。掴めないほど遠くへ逝ってしまう。
見えるのは、真っ白で清潔な部屋。
その中にある大事な人の顔は、まるで記憶という名の写真を上から黒く塗りつぶしたように不鮮明。
聞こえる声さえも、微か。
・・・トオルくん・・・・・・・・・・・・・・約束だよ。
そんな俺の意識は、ミホのハイキックが下腹部に直撃したことにより醒めた。
今日は日曜といこともあって、俺とミホは街に散策に出かけることにした。なんでも地の利を知ることは戦いにおいて重要らしい。
外の出るために、ミホにジーパンと白色の分厚いセーターを貸した。外は今は十一月の寒気が占領しているので、これぐらいの厚着は必要だ。
アパートの近くにある有料駐車場に向かうと、布を被ったそれは在った。
俺は熟れた手つきでその布を勢い良く剥ぎ取る。すると現れたのは真っ赤な色をした大型バイクであった。
ドゥカティ 999R FILA、イタリアのバイクメーカーであるドゥカティ社のモデルである。
総排気量は999ccでL型2気筒テスタストレッサ・エンジンを搭載している。
これほどまでに無骨な機械的な雰囲気と、流線型の美しい機能美をも兼ね備えたバイクは世界中探してもそうそう無い。
価格はざっと三百五十万前後で、とても一般の大学生に買えるような代物ではない。
しかし俺はなぜか大学に入学すると同時にこのバイクを今は亡き祖父に買ってもらった。
理由こそ定かでないものの、結局のところは孫の自分が可愛かったのだろう。
アパートから持ってきたヘルメットの一個をミホに手渡す。
「はい、ヘルメット」
そう渡したまでは良かったのだが、ミホはヘルメットを被ろうともせずにただじっと見つめていた。
「・・・カナハラ」
「どうしたんだ?なんかあるのか」
「これはどうやって使うのだ?」
「はぁ!?お前そんなことも知らないのか!」
「わ、悪かったわね、知らなくて。それよりさっさと教えてよ!」
ほっぺを膨らましているミホに俺は、やれやれといった感じで丁寧にフルフェイスの黒いヘルメットを被せてやる。
なんだか無知な妹でもできたかのような感覚だ。
そうして公道を走っても捕まらないように準備を整えると、エンジンを少し暖機してから俺とミホは街へと走り出した。
風が耳を横切る音が大きく聞こえる、タンクからの振動はいつ味わっても気分が高ぶる。
風景は全て糸を引き、車と車の間を縫うように赤い車体が駆け抜ける。
そんな、バイクの感覚に酔いしれている時に、ふと一つの疑問が頭をよぎった。
風のバタバタという布をはためかせたような轟音の中、後部に座っているミホに大声で話し掛ける。
「なぁ、他の人格って一体どうやって探すんだ?」
「私たち『ミホ』の外見は基本的には同じです。多少の違いはありますが見れば直ぐに見分けがつく範囲内なので心配ないわ」
「こんな走行中のバイクから分かるのか?だいたい五十キロ前後の速度で走ってるんだぞ」
「それも心配ない、今も横にある歩道の歩行者の顔は全て把握できるから」
「横の歩道って・・・」
そう呟くと俺は右横にある歩道を見た、しかしどの人も直ぐに視界から流れていってとても把握できたものではなかった。
「・・・なんでお前そんなに目が良いんだよ」
「私たちの肉体は人間のそれよりかなり性能が高くて。そうね、例えば百メートルを五秒以下で走り切るとか」
「な、そんなに違うのか!?」
「いや、どれもがそれほど突出した能力を保証されている訳じゃなくて。媒介にする武具の力しだいでかなり変動するの」
「ふーん。じゃあ、媒介にする武器の力の差って一体どうやって決まるんだ?」
「それはその武具の歴史の深さによって決まる」
「歴史の深さ?なんじゃそりゃ」
「たとえば平安時代に作られた武具と、平成に入ってから造られた武具とではその力の差は歴然だ。だが血の染みた武具なら話は別だ、
血とは人の『歴史』そのものだからな、
たとえ平成に造られた武具でも血を吸った分だけその力は強靭になる」
血を吸った武器、その言葉は透の心になぜか深く沈殿した。
そのあとはずっと沈黙したままでバイクは走り続け、時は夕刻にさしかかった。
結局、休日一日まる潰しにしたにも関わらず他の『ミホ』は見つけるどころか手がかりさえ一つも見つからなかった。
当然ガソリン代も馬鹿にならないほどかかった。
バイクを再び駐車場に止めると、俺とミホは疲れた足取りでアパートに向かった。駐車場からアパートまで約百メートル、
一日バイクで走り通しだった体にはなかなか堪える距離だ。
やっとの思いでアパートの前までたどり着くと、その前に見慣れない人影があった。もう夕刻も過ぎたような時間帯に差し掛かった道は暗く、
その顔まで確認することは難しかった。
ほんの一瞬、月明かりが黒い雲の隙間から劈くように射した。そして透は我が目を疑った。
立っていたうちの一人は、真っ黒な髪を垂らした少女だった。その顔は・・・先ほどまで自分がバイクの後ろに乗せていた少女に、ミホに瓜二つであった。
しかしその雰囲気は憂いを帯びたような、落ち着いたものだった。良く見ると、どうやら眼鏡をかけているようだった。
凝視して突っ立っている透の横を、ミホがするりと通り抜ける。その手には、銀色に鈍く光る一本の凶器が握られていた。
対する黒髪の少女の手には、剣をそのまま小さくしたような大振りのナイフ。
開始の合図は、無かった。
気付いた次の瞬間には、もう二人の少女は斬り合っていた。
鉄と鉄のぶつかり合う、高くも鈍い音色。刃は暗い空気に残像を刻み、衝突する度に火花を落とす。
その速さは喩えるなら音速、称えるなら光速だった。滑る金属の刃は、双方共に次第にその速さを上げ、一瞬の後に常人では知覚困難な状態に登り詰めた。
ミホが刀を振るえば、紙一重でそれを受け流す黒髪の少女。しかし交わるのは刀とナイフ、その差は素人目で見ても圧倒的な差だった。
現に、黒髪の少女は段々とミホに押され始めた。つい数秒前まで互角のように見えた刃と刃の交錯も、ミホの流れになり始めている。
もし黒髪の少女が少しでも刀の切っ先を読み誤れば、その身に刃が沈むことになるだろう。
すると、黒髪の少女は透とミホが考えもしないような行動にでた。振り下ろされる刀を寸で避けると、素早く後方に飛び退いた。
二人の間は、数センチから一気に数メートルへと広がった。だが幾ら間合いを空けようと、所詮はナイフ。刀とのリーチの差は覆しようが無い。
実際、ミホも内心でそう嘲笑った。しかし、現実は違った。
「インビジブル・ダガー(不可知の十字)!!」
黒髪の少女に突撃するミホの肩を、衝撃と熱、そして痛みが貫いた。彼女の傷口から勢い良く鮮血が迸る。
今度はミホが後方に飛び退いた。しかし黒髪の少女はその場から動きもせずに、ただ虚空に向かってナイフを縦に振った。
それと同時に、ミホの腕に傷ができる。
知覚できない――――――――――!!!。
ミホは内心で舌打ちした、先の攻撃で相手の得物は伸縮自在な刃のようなものだと直感した。これでは、いくら間合いを空けてもこちらが不利だ。
「そろそろ、あなたも能力を使ったほうが良いですよ?このままじゃ発動すらできずに死ぬことになります」
黒髪の少女の言葉に、ミホは更に毒づいた。能力―――、それは『ミホ』たちの戦いにおける、必殺とも呼べる力。
彼女はそのことを、あえて透には教えていなかった。なぜなら・・・。
「能力を発動しなくとも、私はお前に勝てる」
「愚かな・・・。」
ミホは精一杯の強がりを言って、再び突撃した。それに合わせるように黒髪の少女の見えざる刃が一閃し、また肩に衝撃と熱が走る。
だが、ミホは止まらなかった。肩の傷口を貫いたままの透明な刃を掴むと、そのままさらに突進した。
まるで見えざる刃を線路のようにして、ミホは突き進んだ。傷口は進むほどにズタズタになり、透明なそれを血に染めあげた。
そして黒髪の少女と間合い僅か数十センチというところで近づくと、ミホはいきなり地面を蹴りつけた。
アスファルトはその凄まじい衝撃にめくり上がり、その内に抱える茶色い土を覗かせた。
掘り起こされたアスファルトと土を、ミホはそのまま蹴り上げ、黒髪の少女の顔面にぶつけた。
だがそれは神業とも言える反射速度で、直撃寸前で総て叩き落されてしまった。
黒髪の少女が再び前を一瞥すると、目の前には誰もいなかった。彼女は急いで自分の周囲に目を配る、しかし三百六十度見回してもその姿は無かった。
そして、はっと気付いたように自分の頭上を見据えた。そこには、先の一瞬の隙に飛翔したミホの姿があった。
彼女は、月を背に刀を振り上げ、今まさに自分に斬りかかろうとしていた。黒髪の少女すぐさまナイフの先を彼女に向けたが、間に合うはずなど無い。
ミホは重力と己の持てる総ての筋力を使って、その銀色を振り下ろした。
辺りに、まるで星が爆ぜたような爆音と轟音、そして振動が響く。
それは一瞬の間と共に煙を引きつれて、遥か後方で傍観していた透にも届き、巻き込んだ。
煙が引くのに、たっぷり五分はかかった。透は重い足を引きずりミホの元に近づいた。
そこには倒れ伏した黒髪の少女にとどめを刺さんとするミホの姿があった。
「やめろ、ミホ!!」
刀を持ったミホの腕を透は急いで制する。ミホは、そんな透を訳が分からないといった風に見つめた。
「その刀をしまうんだ」
「?それじゃあコイツを殺せない」
「殺すのは駄目だ!!」
「なんで!?こいつを殺さないとこの戦いには勝てないんだよ、人間の体も・・・手に入らないの!!」
「ミホはもうちゃんと人の体を手に入れているじゃないか」
「違うの!こんな仮初の人外の体じゃなくて・・・普通の、なんの変わりも無い体が・・・!!!」
普通の人間の体、その言葉は透の胸を刺した。
「だけど、殺したら・・・もう二度と戻れないところにまで行ってしまうことになるぞ!それで良いのか、そこにお前の望む『普通』は有るのか!?」
「違う違う!私は・・・!!」
ミホはそこで会話を打ち切り、透に背を向けて押し黙った。
そして透は倒れたままの黒髪の少女に目を向けた、酷い出血量で到底助かりそうには無さそうだ。
すると、砂利を踏みしめる音と共に彼女の枷らしき人物が近づいてきた。透はその人物を見て、驚愕した。
それは、ミホの現れたあの日コンビニで会った高校の後輩、真城 高志であった。
「高志おまえ・・・なんでこんな所に、もしかしてお前がこの子の枷なのか?」
しかし彼は透の質問に答えず、倒れている黒髪の少女を抱き上げた。
そして暗く沈んだ声で透に言った。
「先輩・・・こいつを、フリースを助けてください、こいつはまだ・・・・・・・生きてます。お願いします!!!」
フリース、それがこの黒髪の少女の名前のようだった。そして高志の懇願に透は。
「わかった。その子は・・・フリースは死なせない、絶対に」
そう答えた。
透と高志は二人がかりでフリースを透のアパートに運んだ、いそいで部屋の中に入り鍵を閉める。
タンスの中から強引に布団を引っ張りだすと、その上にフリースを寝かせる。彼女の息は荒く、出血は未だに止まっていなかった。
キッチンからダンボール箱サイズの大きな救急箱を持ってくると、透はその蓋を開けた。
その中は、例えるなら病院だった、メスからクーパー、注射器に麻酔薬など一般の応急処置の域を遥かに凌駕した用具がそこには揃っていた。
そして透はその膨大な量の医療用具から必要なものを選別する。とりあえずイソジンを手に取り勢い良く蓋を開けてそのまま直に傷口にかけた。
傷口からジュッっと焼けるような音がした。
「つぅっ・・・・!!!!」
「堪えろ、ちゃんと消毒しておかないと感染症になるぞ!」
透はそう叫ぶと、箱の中から傷口の縫合用の糸を取り出した。そして左肩からバッサリと斬られた縦の長い傷口を縫合していく。
幸い鎖骨は折れていなかったので、その下にある動脈と静脈は無事であった。肋骨も少し傷が入っていたが、大事に至るような規模ではない。
「くっそ!血で見えねぇ・・・高志、箱からガーゼ出して吸引しろ!」
「は、はい!」
大きな血管と皮膚を透はもの凄い速度で縫合していく、しかしその痛みにフリースはもがいた。
透は一旦縫合の手を止めると麻酔を少し注射器にいれ、傷口近くに打った。だがフリースはなをもがく。
「動くな!手元が狂う、高志ちょっと彼女を押さえてろ!!」
「わかりました!」
そうして、フリースの傷口の応急処置が済んだのは約三十分後だった。
私が目を覚ますと、隣には座った体勢のまま寝ている高志さんの姿があった。
そしてその高志さんの隣には見知らぬ男性が、これまた座った体勢のまま寝ていた。
だがその見知らぬ男性を見たとたん、私の胸はある感覚で一杯になった。熱を帯びた、息苦しくも心地よい、そんな感覚に・・・。
見ると二人の服には、血がべっとりと付いていて、それが自分のものだったということに私は直ぐに気付いた。
窓からは遮光カーテンの僅かな隙間から光が漏れていて、私は今が朝だと知った。
窓の横には、私と似た顔つき・・・というより瓜二つの少女が立っていた。だがその髪は私の黒い髪とは対照的で、
朝日を受けて金色に光り輝いていた。
そうだ、私は昨日この少女と・・・・・・殺し合ったのだ。
「おはようございます、この様子ですと私はこのお二人に大分お世話になったようですね・・・」
「それは出来れば本人たちに直接言って、私はあんたが苦しむさまを傍観してただけから」
目の前の金髪の少女はさらりとそう言った。
「う〜ん・・・」
二人が話していると、変な姿勢で寝ていた透が目を覚ました。眠さに未だ開ききっていない目は、ゆっくりとミホとフリースの方を向いた。
すると透の目は一気に見開き、横で同じような姿勢で寝ている高志を起きるように揺さぶった。
「おい・・・高志、起きろ。彼女が目を覚ましたぞ」
高志はその言葉に弾かれるように起きた。するとその目は、みるみる涙に霞んでいく。
「・・・良かった、フリース。本当に・・・良かった」
最後のほうは、涙に声が震えすぎてほとんど聞き取ることが出来なかった。
よろよろと立ち上がり、覚束ない足取りで高志はフリースに近づいていき。抱擁した。
目のふちから、涙が一筋零れ落ちる。
「ど、どうしたんですか高志さん?」
「いや・・・大丈夫だ、お前が無事なだけで」
高志はそう告げると、さらに力を込めてフリースを抱いた。その姿を見つめる透の視線は、何故か冷たかった。
ちなみのその時の時刻は既に朝の十時を五分ほど過ぎていた。
透も高志も、完全に遅刻だった。それならいっそのこと今日一日中はゆっくりしていようと開き直り、
普段使わないちゃぶ台を引っ張り出すと四人で団欒を囲み、
朝食を食べる事にした。
台所に向かい、冷蔵庫の中身を確認する。幸い四人分の朝食を作るぐらいの食材は揃っていたので、
簡単に数品のおかずを作って米で量をかせぐことにした。
メニューは味噌汁と鮭の塩焼きだ、一応一人暮らしの身なのでそれぐらい作れる技術は兼ね備えていた。
手っ取り早く作ったため、時間は三十分もかからなかった。
一同が正座して座り、いただきますという決まり文句で食べ始めた。
「それで聞いて下さいよ先輩、フリースの奴いったいどんな風に受肉したと思います?俺がバイクで景気良くかっ飛ばしてる時にいきなりですよ?
正直死ぬかと思いましたよ。ホント」
「そりゃあ災難だったな、まぁ俺は寝てる途中だったからまだマシだったな」
透と高志はそれぞれもう三杯目のご飯をかっ食らいながら話した、高志が空いた茶碗を差し出すとフリースがそれにご飯をよそう。
その光景はなんとなく新婚夫婦のような感じだった。
「あ、フリースさん。一つ聞いてもいいかな?」
「はい、なんでしょうか透さん」
ついさっき自己紹介は交わしたとはいえ、こんな清楚で可愛い女の子に声をかけられるとやはり緊張してしまう。おまけにメガネっ子だし。
「あ、ああ。昨日ミホと闘ったときに、あのぉ、なんかこう・・・必殺技みたいなことしてたよね?」
「もしかして・・・「インビジブル・ダガー(不可知の十字)」のことですか?」
「そうそう、そんな感じのやつ。あれってなんなの?」
「透さんはご存知ないんですか?あれはそれぞれの『ミホ』の能力と呼ばれる力・・・いえどちらかというと技のほうが近いかもしれませんね。
私の能力は先ほど話したとおりです、ミホさんの能力はどのようなものかは知りませんが」
その言葉を聞いて、透はあっと思った。そういえばミホからは『能力』に関することは聞かされていなかった、
それに先の戦闘でも彼女は能力を発動していない。
「そうだよ、お前の能力って何なんだ?」
すると、ミホは急に困ったような表情をした。そしてすまなさそうに口を開く。
「カナハラ・・・・・・。実は私・・・・・」
そして一泊の間、だがその長さはミホの真剣さからのためか、実際より長く感じられた。
「能力が無いんです」
「・・・・・・・・・・・・・へ?」
その場に居たミホ以外の人間は全く同じ反応をした。当の本人は俯いたまま箸と口をもぐもぐと動かす。
「な、なんで無いんだよ!」
「そうですよミホさん、能力は私たちの切り札じゃないですか!」
戸惑う透たちに、ミホはさらに俯いてしまった。どうやら本人もそのことを気に病んでいたようだ。
「・・・わ、わたしも何回か試みたんだけど、どうしても出来なくて」
何時の間にかその目尻には、薄く涙が張っていた。
「い、いや。できないなら仕方ない。うん」
「そうですよ、きっと大丈夫ですよ」
しかし透とフリースのフォローは空しくも効果が無く。かえって逆に拍車をかけるだけに終わってしまった。
なんとかフォローや説得でミホを立ち直らせ、慌しい朝飯は終わった。
フリースの提案で、ミホは今彼女と一緒に後片付けをしている。
そんな彼女たちを、俺と高志は老人のように呆けながら見ていた。
「ときに高志くん、一つ聞きたいことがあるのだが」
「なんでございましょう、お代官さま」
冗談まじりに話かけると、高志はそれに合わせるように返答する。
「お前さ・・・・・・・・」
「? なんですか先輩、言いたいことあるならはっきり言ったほうが良いですよ」
「その言葉に二言は無えな?」
高志の言葉に透はニヤリとした不気味な笑顔を浮かべて、そう呟いた。
「ええ、いいですよ。むしろドンと来いですよ」
「じゃあ単刀直入に聞く。・・・お前フリースのこと好きだろ?」
その時、確かに俺と高志の居た空間は凍った。いや、むしろ完全に停止した。
しかしそれは、高志の激しい動揺と共に急に動き出した。
「な!?い、いきなりなに言うかと思ったら!バッカじゃないですか、先輩!!」
そう言う高志は、明らかに挙動不審だった。手に持った湯飲みからは、手の異常な震えのためにお茶がこぼれ。
目は完全に泳ぎ。座っている状態で、器用に及び腰になっていた。
昔から分かり易い奴とは思っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。
「図星だな」
「だ、だから違いますって!先輩深く考えすぎですよ!」
「照れるな照れるな」
そうからかうと高志はますます赤くなり、耳まで沸騰していく。
「だから―――!!」
「まぁ真面目な話、お前があの子のこと好きじゃなかったら、ミホにバッサリいかれた時に「助けてください」なんて言わないだろ?」
「――――!!!」
その言葉が止めになったのか、高志はオーバーヒート寸前だ。口は言葉を発するでもなく、パクパクと酸素不足の魚のように開閉していた。
そんな高志に宥めるように透は淡々と言う。
「とりあえず落ち着け、からかった俺が悪かったから。まあ分からなくもないよ、あの子献身的で可愛いし。下手に隠すことないって」
「そうですけど・・・」
しかし高志本人は納得がいかないようだった、こうまで否定されると逆にからかいがいがある物だ。またパニックに陥られると厄介なのでもうしないが。
「なにがそうなの?」
そのタイミングを見計らったように、ミホが透の真後ろから話し掛けてきた。
「うおわっ!・・・なんだよミホ、心臓に悪いじゃないか」
瞬発的に限界近くまで鼓動を上げた心臓をいたわる様に胸をさすりながら言う、しかしミホ本人はさして気にも留めていないようだ。
「それより、わたしとフリースについての対応はどうするの?」
「ああ、それなら昨日のうちに高志と一緒に考えてある」
フリースを治療した後、俺と高志は密かにその事について話し合っていた。意見はもちろん「これ以上二人を戦わせない」で合致した。
それに、ちゃんと対策もその時に考えてある。
「もちろんこれ以上ふたりには闘ってほしくない、それは未だ見つかっていない他の『ミホ』に遭遇したときも同じだ」
「他の『ミホ』に遭遇した時も?・・・じゃあカナハラはわたしに死ねっていうの?」
「そうじゃない、ただ争い無しでこの戦いを終わらせたいだけだ。だから俺達は今後無血でこの戦いを終わらせる方法を探そうと思う」
「・・・そんな方法は無いわ」
「そうは言い切れない、戦わずにすむ方法がたとえ一%の可能性でもあるなら・・・俺は迷わずその一%にかける」
透は真っ直ぐにミホを見据えてそう言った、しかしそれは彼女にとっては優しさでもなんでもなかった。
「カナハラがそう言うのなら、わたしはもう何も言わない。好きにすれば」
「? いま思ったら別に俺に意見を聞く必要なんて無いんじゃないのか?主従関係的に言えばお前が主人だろ」
そう、透はミホの枷で、主導権はミホにあるはずだ。しかし、彼女は何故か透に意見を聞いてきた。
「カナハラが自棄になって自傷行為走られたらこっちが迷惑だからよ、枷であるあなたのダメージはそのままこっちにもくるんだから」
なるほどもっともな意見だ、枷が言うことを聞かず自分で自分を傷付けたりしたら後の戦いに大きな影響を及ぼす。
だが俺としては出来るだけ戦わないでほしいのだが・・・。
「それともう一つ、カナハラこれってなに?」
そう言ってミホが差し出したのはケーキの入った箱だった。つい先日知り合いの教授にもらって冷蔵庫に放り込んだままだったのだ。
もう先にちらちらと中身を見ている様子からして、ミホは興味津々のようだ。彼女は変なところで無知だから困ったものだ。
「それはケーキっていって、甘い食べ物だよ」
「甘い食べ物かー」
そうして箱の中を覗く彼女は、本当に「少女」だった。だから、フリースと戦ったときのような彼女を見るのは・・・・・・嫌だった。
「先輩ちょうどいいじゃないっすか、食後のデザートということで頂きましょうよ」
何時の間にか立ち直った高志が素早くミホからケーキを奪い取る、こいつも変なところが子供のままだから困る。
「そうだな、ちょうどイチゴのショートが四つあるし、喰うか」
まだ台所で片付けをしていたフリ―スの横にお邪魔して、取り皿を四つ取り出してティーポットと紅茶の葉を更にとりだす。
紅茶をいれるのは、実に一年ぶりだ。
そうして、午後四時をまわったぐらいに高志はフリースを連れて帰っていった。なぜか仲良く手を繋いで。
ようやくゆっくりできると思い、まだ片付けていなかった布団に音を立てて倒れこむ。
ゆっくりと意識がまどろみ始めたころ、ふっと影が覆った。顔を上げると、そこにはこちらを覗き込むミホの姿があった、その距離は短い。
「どうした?ケーキならもう無いぞ」
さっき皆でケーキを食べたところ、ミホはなぜかケーキのことがいたく気に入ってしまったようだ。
お陰で俺のケーキは指一本触れることなくミホの胃の中に消えていった。
だがそんなミホを見ると、とても安心した。彼女が普通の人間に見えて、目の前の異常を忘れることができるからだ。
「・・・言うの遅れて悪いけど、その・・・・・・ありがとう」
「は?なんでお前が俺に礼を言うんだ、俺別になんにもしてないぞ」
「違う、その、わたしがフリースに止めを刺そうとした時・・・止めてくれて」
「・・・え」
その言葉に思考が停止する、だっていままで彼女がまるで人を殺すことに抵抗が無いように思っていたからだ。
でなければ死ぬ間際の人間に刀を突き刺そうとすることなどできない。
「わたしは、ほんとうは怖かった・・・人を殺すことが、怖くて、あのときカナハラが止めてくれて・・・だから、
嬉しいっていうか・・・安心して」
彼女は精一杯自分の気持ちを言葉にしていた、だから、余計にわかった。
彼女はなにも人を殺すことを何とも思っていないわけではない。いや、そう思っているはずがない。
だって目の前に居るのは、なんの変哲もない・・・ただの少女だ。
人を殺められるわけがない。
「そうか・・・けど良かった。お前が弱くて」
「それどういう意味?」
「良い意味でだ。お前は別に強くなくていい、弱いままで、人を傷付ける覚悟と強さなんて・・・持たなくていい」
「――――――――っ」
ミホは黙って俯いた。しかし、伏せた彼女の顔からは確かに涙が光を引いてこぼれ落ちていた。
俺は起き上がって、彼女の髪を優しく、そっと撫でた。
さめざめと泣く声は、悲しく、狭い室内に響いた。
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