“―――――――聞こえるか・・・・・” 闇にまどろむ意識の中で、誰かが囁きかけてくる。誰だろう、この声は。あまり、聞いたことの無い声だ。 だけど、とても良く知っている声にも聞こえる・・・。何故だろう、思い出せない。とても、そうとても身近で聞いたことのある声だ。 でも、誰の。 “―――――――聞こえるか、私の声が” 聞こえる。でも誰かは分からない。 答えてくれ、お前は誰だ。 “・・・・別たれし、魂の兄弟のつがい” 魂の・・・・兄弟。なんだ、それは。俺には、兄弟なんていない。お袋と、親父しか家族はいない。 “何人よりも遠く、近くにいる者。互いに支え合う――――――命の共有者・・・” 命の・・・共有。なにを言っているんだ、この声は。 その疑問の答えが返ってくることを待たず、俺の意識は醒め始めた・・・・。 「朝だ、起きろハルキ。貴子がリビングで朝食を用意して待っている」 「う〜・・・ん」 星火は、布団に包まって眠っている春貴を揺り起こす。だが、春貴は起きる努力も見せずに、鬱陶しげに更に深く布団を被る。 しかし星火はそんなことはお構い無しに、延々と春貴の身体を揺さぶり続けた。その度にう〜ん、という呻き声が聞こえてくるが、彼女は気にかけなかった。 そんな揺さぶり地獄に痺れを切らしたのは、春貴だった。 「だーーーーーッ!うっとーしーっての!!寝かせろ!!」 布団を撥ね退けて立ち上がると、春貴は咆える。その眉間にはくっきりと青筋が浮かんでいるが、星火はそんな彼を静観する。全く動じていない様子だ。 「起きたな。私の勝ちだ、リビングに行くぞ」 「うっせえ!行きたきゃ一人で行け!俺は寝る、そんじゃオヤスミ!」 まだきちんと働いていない頭で意味不明な罵声を言うと、春貴はまたばっさりと布団を頭から被り込んでしまった。そして、早速といびきをかき始めた。 その様を沈着と見守っていた星火も、流石に呆れ返った。そして、一言。 「ウィスパー、聞いてるんでしょ。ハルキを起こしてちょうだい」 そう言うと、春貴の身体はまるで雷に打たれたように布団から跳ね上がった。 「おんごおおおおおお!?」 一通り布団の上で悶絶し、のた打ち回ると、彼は息絶えたようにぱったりと動かなくなる。星火は布団の端っこを、むんずと掴むと、そのまま移動を開始する。 春貴は、布団に乗ったままずるずると彼女に運ばれる形となる。 ちなみに、春貴と星火たちの部屋は二階で、リビングは一階である。つまり、リビングに向かうには必然的に階段を降りる必要がある。 しかし彼女は躊躇しなかった。すたすたと、布団に乗った春貴ごと階段を軽快に下っていく。 「あ、いでっ!ちょタンマ―――――っていま頭蓋骨がッ!打った!がつんっていった、ってお前聞いて・・・・っうわああああ!ごめん、悪かった許してくれ!」 段差にがっつんがっつんと打ち付けられながら悲鳴を上げる春貴だが、彼女は何処吹く風といった様子で、聞く耳もたずに階段を下りた。 当然、春貴はボロボロになったが。 「ありがとう星火ちゃん、もうご飯出来てるから、席について食べなさい」 「はーい」 全身打撲の春貴を放置すると、星火はテーブルへと駈けて行った。春貴は、その後姿に恨めしい視線を送る。 『こっぴどくやられたな、春貴』 「・・・身体に電気流しときながら、良く言うぜ・・・。つーかお前、いつから星火に懐柔されたんだよ」 『懐柔されたというわけではない。ただ、星火と目的が同じだっただけだ』 「はいはい、そうですか・・・」 痛む身体を擦りながら、春貴はよろよろと布団から立ち上がった。しかし、その痛みもすぐに退いていく。こういうとき、この身体は便利だ。 どんな傷でも、まず死ぬことはないし、直ぐに完治する。まあ、あくまでこういう場合に限って便利なのだが。 かくして春貴は、遅れて朝食の席に着いた。星火とお袋は、すでに朝ご飯を食している。メニューは、ご飯に味噌汁、そして納豆だ。実にヘルシーである。 だが育ち盛りの春貴には、かなり喰い足りないメニューだ。出来れば、もっと肉が欲しいが、贅沢は言っていられない。 「いただきます」 箸を取ると、先ずは手始めに納豆に醤油をかけて掻き混ぜる。そういえば、納豆が嫌いな人というのが、何故か周囲に多い。 春貴は好物というほど納豆を美味しいと思うのだが、どうも周りの人間はそうは思っていないらしい。どうにも、臭いが気に入らないようだ。 こんなにも美味しいし、それに材料に使用されている納豆は畑の肉と言われる程に蛋白質が豊富だ。夜に食べれば栄養の吸収もいい。実に理想的な栄養食品なのだ。 しかし悲しいかな、世の中にはこれを嫌う人が何故か、意外と多い。好きと言う同志もたまに見かけるが、それもほんの一握りだ。 「あ、そうだウィスパー。お前さ、今朝俺の夢の中に出てきたか?」 『・・・は?』 「いや、だからさ。今朝夢の中で変な声が聞こえたんだけど、あれはお前じゃねえのか?」 『当たり前だ。我は確かに主の脳内の意識体だが、眠っている主に話し掛けるようなことはできん』 「そうか・・・」 『何か一抹の不安でもあるのか』 「少しな・・・でも、所詮は夢だ。関係ねえよ」 春貴は混ぜ終えた納豆をご飯の上にかけると、それを一気に口の中へとかき込んだ。 「えー、そんじゃ私は今日から一週間、家空けるから、よろしくね」 朝食を終えると、お袋はいきなりそう宣言した。リビングで朝食後の一息をいれていた春貴と星火は、彼女の唐突な用事にさして驚くことも無かった。 ただ、折角こんなイイ家に引っ越してきたのに、すぐに一週間も家を空ける用が出来るとは不憫なものだと思っただけだ。 「ふーん。で、どこ行くんだお袋?」 「北海道。山田と一緒に、ちょちょいとね」 山田・・・。あのオッサンが絡んでくるということは、KOTRTの隊長として出向くといことだ。さして関心のなかった春貴だが、その事実を知ると何故か陰鬱になる。 そうだ、お袋は今はKOTRTの隊長だ。そのために、このダイソン東京に赴いた。なら、引っ越して早々に一週間も出向く用があっても不思議ではない。 だけど息子としては、やはり心配になる。母親が、自分の知らないところで、もしかしたら命すら危険に晒すかもしれない事をしているのだ。気持ちの良い物ではない。 何か力になることがあれば良いと思うのだが、俺は、まだまだ鍛錬を積んでいかなければならない身だ。そんな余裕も力も無い。 「いつ決まったんだよ、それ」 「昨日の夜。アンタがふて腐れて寝た後に、山田からメールがあったの。あ、ちゃんとお土産は買ってくるから、星火ちゃんとウィスパーちゃんの分だけ」 「俺は無しかよ!・・・・って、そうじゃなくて。その、北海道に行くのって・・・危険な仕事なのか?」 「その点については問題ナシ。今回の出張はただの調査だから。それに、現地じゃSATも護衛につくから安全よ」 「そうか、なら良いけどよ」 「なに?私のこと心配?」 「当たり前じゃねえかよ、家族だろ?」 後ろで二人の会話を聞いていた星火が、春貴の服の袖を引っ張った。何故か、彼女ははにかんでいる様子だった。柄にも無く、目を泳がせたりしている。 不審というか、不吉に思った春貴は怪訝・・・というより嫌そうな顔で、一応質問してみる。 「な、なに?なんか用か?」 「その・・・ハルキ・・あの私のことは・・・・えっと、まあ、あの・・」 「? 何だよ気持ち悪いな、はっきり言えよ、はっきりとよ」 「ハ、ハルキにとって私は、その―――――――――家族・・・?それとも、それ以外?」 春貴の頭から、まるで突如として唸りを上げた火山のように湯気が立ち昇る。頬も、溶岩のように真っ赤だ。 本当にこの女は、ワザとこんな風なことを言っているのだろうか。こんな状況で、しかも好きな女から「あなたにとって私はどんな存在?」と聞かれれば、 答える言葉は自ずと決まってくるというものだ。しかし、春貴にはその自ずからなる、歯の浮くような言葉を言う気には毛頭なれなかった。 もしかして、昨日の風呂場でのことを根に持っているのだろうか。だから、ワザと俺を困らせたり恥ずかしがらせたりするために、こんなことを言っているのだろうか。 ・・・・とも思ったが、その考えは撤回した。 彼女は別に俺を困らせたりするためにこんなことを言っているんじゃない。 一つでも多く、証拠が欲しいのだ。 俺が、“守ってくれる人”か否かの、より明確で確かな証拠が欲しいだけなのだ。 でも、今までの環境の所為か気持ちを伝えることが不器用だから、俺たちのように感情を表す言葉を選ぶことが出来ないから・・・・そう聞こえてしまうだけ。 だったら、俺は素直にその質問に答えよう。 「星火は俺にとって・・・誰よりも守りたい存在だ」 「本当に?」 「誓って」 隣りにいるお袋に対して、少し後ろめたい気持ちになる。当たり前だ、お袋の前で堂々と星火は家族より大事だと宣誓したのだから。 今まで育ててきた親からしてみれば、快く聞ける言葉ではない。 「ごめんな、お袋。こんなこと言ったあとで、言うのもなんだけど・・・」 念のため謝罪の言葉を告げる春貴に、お袋はずいっと顔を近づけた。もしかしたら、このまま首を締められるのか、と一瞬覚悟してしまう。 「バカ」 そのたった一言だけだった。彼女は呆れた顔で、春貴にそう言い放った。どんな暴力行為を被るのかと思っていた春貴からしてみれば肩透かしを食らった感じもするが、 何故か同時に怒りも込み上げてきた。所謂、逆ギレといった感情だ。いや、所謂でもないが。 「んだよ!こっちは気い遣って謝ってやったっていうのによ!それをバカ、の一言で返すとは何様だ!?」 「うっさいわ大型単細胞バカが!いやもうこの際、宇宙的破滅バカ!アンタね、惚れた女より家族を優先するなんてダメに決まってるでしょ!?  私はいつかアンタが大人になって何処かの女に取られて行くってことぐらい分かってたし覚悟も出来てたわよ。だから、謝る必要なんて全く無いの。  アンタはこれから先いつだって、私たちより星火を選んでいかなきゃならないのよ。それなのにこんな事でいちいち謝ってちゃ、限ないわよ」 終いには、両の頬をまるでスライムのように引っ張られた。だが、彼女の春貴に話す態度は真剣そのものだった。 一人息子の母・・・という役割ほど、そんな母親は他に無いかもしれない。どんなに丹精に育てても、結局はどこかの女と結婚して離れていく。 その間柄の中には、母親や父親といった彼らが入り込む余地など無い。春貴は、親の苦労というものが少しだけ、分かったような気がした。 それから数十分してから、山田が部屋を訪れた。相変わらずの草臥れたスーツ姿だ。 そしてその両脇には黒咲理代子と、なぜか内藤が立っていた。それを見た春貴は見送りか付き添いだろうかと憶測する。 「隊長、お荷物をお持ちしましょう」 「え、本当?助かるわ、これけっこう重いのよ・・・」 「っふん・・・!?」 お袋の荷物一式が入ったスーツケースを渡された山田は、そのあまりに予想外な重さに、一瞬膝を折る。 スーツ姿でもわかるほど、それなりに屈強な体つきをしている山田がよろめくほどだ、きっと相当な重さがあるのだろう。一体、何を入れ込んだのやら。 すると、横から黒咲が山田の手からスーツケースをするっと取り上げる。その様は、まるで子猫でも摘み上げるかのように軽やかで、重さを感じさせなかった。 その光景には本当にこのオッサンは強いのだろうか・・・と疑問符を浮かべたくなるが、先の戦闘を思い出すとその疑問符は掻き消える。 あの強さは本物だ。土壇場の偶然、なんて簡単な言葉で片付けることなど到底出来ない。 「じゃ、じゃあ行きましょうか隊長・・・下に私の車を止めてありますから」 「分かったわ。・・・・それじゃあ、行ってくるわね春貴、星火ちゃん、それとウィスパーちゃん」 「きーつけろよ、一応」 「行ってらっしゃい、貴子」 各々がそれぞれの言葉を告げると、お袋は山田と共に行ってしまった。玄関には、春貴と星火、そして黒咲と内藤が取り残される。 「で、アンタ達は何の用だ?」 質問すると、黒咲が一歩進み出てその問に答えた。 「琴坂春貴、私に同行してほしい」 「はぁ・・・?どうこう?何の同行だよ・・・それより、何でまた俺なんだよ、別の奴にしろよ。つーか、俺はKOTRTの隊員じゃないだろ?」 「そのことは重々承知している、だが・・・」 「そのことについては私から説明しよう」 言葉に詰まる黒咲に代わり、今度は内藤が進み出た。 「琴坂春貴君・・・実は、いま私の元に一つ厄介な任務が舞い込んでいるんだ。それは、ダイソン東京外殻外の南方に位置する廃ビル群に巣食っている過激派の除去だ。  そして私はこの任務を黒咲に割り当てたのだが・・・つい先ほど、良くない報せが入った」 「良くない報せ?」 「君にとっては、ある意味良い報せかもしれんがな・・・。その報せとは、その過激派が“オフルマズド”という組織と関係があるかもしれないという情報だ」 「な、何だって!?」 オフルマズド―――――確かに、内藤の言う事は正しい。これは、春貴にとっては好機であった。 彼はオフルマズドが星火の奪還を主に攻撃を仕掛けてくるため、必然的にこちら側は後手に回るしかないと思っていた。 それが、こんなにもあっさりと、しかも早くに、敵に先手を取るチャンスを得ることが出来るとは。やはり、KOTRTという組織は伊達ではない。 「だが、KOTRTは仮にも秘匿性を重んじる非公開組織だ、民間人を堂々と作戦に徴用するのは、何かと問題がある。いくら君が山田の弟子といえど、  例外とする訳にはいかん。だから君には、オフルマズドとの接触がある重要参考人として黒咲と共に現場に向ってほしい」 「そんじゃあ、俺は敵と闘えねえじゃん・・・。それよりも、俺まで家を空けることなんて出来るか。あいつ等の狙いは、他ならねえ、星火だ。  このマンションがいくら外からの攻撃に強いからって言っても・・・相手はバケモノだ。常に最悪の事態を想定してもまだ足りねえ」 「重要参考人というのはあくまで建前だ、いざ戦闘となれば存分に戦ってもらって構わない。誰も見てはいないからな。それに、星火のことなら心配は無い。  私が今日、わざわざここに赴いたのは、その為だ」 「何だよ、あんたが代わりに留守番でもしてくれんのか」 「その通りだ。なに、案ずることはない、自分の事務仕事は持って来てある、ここでも十分に職務は果たせる」 「いや・・・そういう問題じゃなくて、失礼かもしれねえけど、あんた強そうに見えねえもん。はっきり言ってまかせらんねえよ」 「その点についても心配は無用だ、確かに私はデスクワーク派だが、腕には自信がある。私が足を失った理由を忘れたか?」 春貴はそれ以上、二の句が継げなかった。完全に、内藤の口車に押し切られる形となってしまった。 彼は春貴が丸め込まれたことを確認すると、黒咲と共に玄関の外に二人を放り出し、強引に任務へと向わせた。 その様を星火は慌てふためいて見つめていたが、制止の言葉もかけることが出来ず、ただ傍観しているしかなかった。 かくして、春貴は不本意かつ気が乗らない任務へと、超法規的かつ狡猾に狩り出される羽目となった。 せめて気分を盛り上げようと、出かける前に寝巻き姿から学ランへと着替えたのが、唯一の救いと言えよう。 ちなみに春貴はダイソンに長く居住することとなっているが、学校に通うことは考えてはいなかった。状況が状況だ、勉学に勤しんでいる暇は、残念ながら無い。 大学の進学については、不安が無いわけではない。星火に関するゴタゴタが速く片付けば、すぐにでも学校には再帰するつもりだ。 それもダイソンの中にある高等学校ではなく、東條高校にである。あの学校は何だかんだ言って、春貴にとっては大切な場所だ。掛け替えのない友もいる。 受け入れてもらえるかどうかは別として、叶うならば早くにあの生活にへと戻りたい。けれど、このヤマはそう簡単には終われそうにないようにも思える。 敵は―――――はっきりいってまだ殆んど未知数で、強大だ。 そんな難敵達との戦いが、早期に決着がつくとも考えがたい。暗く、陰鬱な思考を春貴は首を振って、頭の中から追い出した。 ハメられて行くことになった任務とはいえ、その先にはオフルマズドがいる。星火の安全も、あれだけの啖呵を切ったのだから内藤が確実に確保するだろう。 今から俺は、殺し合いに行くんだ。気を引き締めろ。倫理も、後悔も――――――今は、全て後だ。 「・・・何だ、こりゃ」 マンションの地下駐車場に下りると、春貴は先ず第一声にそう言った。 無理もない、いま彼の目の前に止まっている車は、スポーツカーの中でも飛びぬけて有名なエンツォ・フェラーリなのだから。 車について少し心得のある者なら、驚嘆を隠せずにはいられまい。 「それは内藤さんの車だ」 「は?あの兄ちゃんの車なのか、これ・・・」 目をしばしば、と瞬かせながら、春貴は食い入るようにエンツォを穴が空くほどに見つめる。何せ、世界でも限られた人間しか持つ事を許されない車だ。 それをじっくりと眺める機会など、まっとうで平凡な人生を送っていれば、先ず無いだろう。だから、見れるときに見ておくのだ。 「まさか、この目で拝める日が来るとは・・・・ありがたや、ありがたや・・・」 コンセプトとなったF1カーを彷彿とさせるフロントのシルエットに、フェラーリ独特の流線型で、どこか落ち着きのあるボディ。 窓から車内を覗くと、内装も気品溢れる、それこそ芸術品と呼ぶに相応しいものだった。こんなものに乗っているとは、内藤の年収はいったい幾らなのだろうか。 「意味の分からないことをしてないで、行くわよ・・・」 「はいはい―――――って、おい!」 「?」 理代子がカギを開けた車を見て、春貴はまたも驚愕の声を上げた。 彼女がドアに手をかけた車―――それは、マツダのロードスターだった。スポーツカーらしい流線型のボディをしているが、こちらはエンツォと違って女性的である。 その車体のラインは、くびれた女性のウエストを連想させるほどだ。しかし印象は官能的ではなく、日本車らしい実直で清楚な感じだ。 これも、春貴にとってはほとんどお目にかける機会の無い車の一つである。 「これ、お前の車か・・・?」 「?そうだけど?」 「・・・分かんねえ、早くもKOTRTという組織が分かんねえ」 妙なカルチャーショックに打ちひしがれている春貴の手を強引に引っ張って車内へと押し込むと、彼女は構わず車を出した。 いざ車を発進させると、春貴は初めて乗ったスポーツカーの走行の躍動に「おお・・・!」と感嘆した。 お袋が以前に乗っていた軽自動車とは、雲泥の差だ。シート下から伝わってくるエンジンの振動が、まるで違う。 あの軽自動車は臭くてボロくてエンジン音も軽く最低な車だったが、このロードスターは違う。スポーツカーの中でも比較的華奢と言われるこの車だが、 そのパワーは普通車とは比べ物にならない。やはり、スポーツカーはスポーツカーということだ。軽自動車とは違う。 ロードスターでこれなのだから、内藤のエンツォに乗ったらきっと感激と感動のあまりに失神してしまうだろう。 「琴坂春貴・・・」 「何だ、運転中に」 感動に打ち震えている春貴に、運転している理代子が話し掛けてきた。そう言えば今日の彼女には、昨日のような刺々しさが無かった。 あれほどに春貴のことを嫌悪していたはずなのに、今日はまるでそんなことは忘れてしまったかのように穏やかな対応だ。逆に、怖い。 「昨日は済まなかった。試合とはいえ、冷静な判断を失いあのような行動に出て、本当に申し訳ない・・・」 「え?あ、ああ。まあ別に良いけどよ、失明した訳でもねえし。ってか、何だよその急なしおらしい態度はよ?」 「聞いての通りの謝罪だ。それに、君とはこれから一緒に任務を行わなくてはならない、共に戦う人間と蟠りがあれば、背中を預けにくい、だからだ。  勿論、任務のためだけでの謝罪ではない。一人間として、自分の犯した行動に対する真っ当な謝罪でもある、そこは分かっていてくれ」 「言われなくても分かってるよ・・・アンタは結構頑固そうだから、任務云々で自分の感情を変えられる人間でもねえだろ」 「・・・確かにそうだな。では、先日の仕切りなおしと行こう」 「?」 そう言うと彼女は運転中のハンドルから片手だけを離すと、それを春貴へと差し出してきた。ああ、なるほど。そういうことか。 これは、昨日彼女が撥ね退けた握手のやり直しということなのだ。結構、律儀な性格な奴だ。 「こっちも宜しく頼むぜ、黒咲理代子さん」 その手を、春貴は景気良くぱしっと握る。あまりに力強く握手する春貴に、理代子は思わず苦笑した。まるで、小学生か何かと握手をしているように感じたのだろう。 実際、春貴の精神年齢もそれくらいだ。 互いの問題を解決し終えたことに安堵すると、理代子は胸のポケットから煙草を取り出し、片手で器用に火を点ける、が。 横から春貴がそれをむんずと掴みとり、あっという間に窓から車外へと放り投げてしまった。突然の行動に、彼女は目を丸くする。 「何するのよ・・・また険悪な雰囲気を漂わせたいの?」 「そうじゃねえ。女の煙は本気で止めとけ。男なら煙で収縮した血管はまた元に戻るけど、女はそうかいかねえ。子供産む事とか考えてるなら尚更だ。  直ぐに止めろとは言わねえが、せめてもっと軽いやつにしろ。アンタぐらいの年の女に、赤マルは強すぎる」 「・・・・はい」 彼女はキョトンとした様子で、まるで先生に怒られた小学生のように答えた。そして、ぽつりと一言。 「意外・・・」 「は?何が?」 「失礼だとは思うが、私はその、君は外見から――――――そう、他人の気持ちなど考えない、がさつでデリカシーの全く無い人間だと思っていた。けど、違うんだな。  そんな風に他人を気遣うことが出来るんだな・・・。誤解していた、すまない」 「うわ、なんか傷つくな、その言葉」 胸を擦りながら、春貴は苦笑する。この学ランないし長ラン姿は、改めなければならないのかもしれない。けれど戦いに臨む時は、この服装が一番気が引き締まるのだ。 それは、昔から学校などで場所を考えず喧嘩をしていたという事実が関係してくるのだが、本人はそれを自覚してはいなかった。 ただ着る物を選ぶのも面倒だし、自分ではこの服装はカッコイイと思っているので、とりあえず問題なく―――――あくまで本人は―――――着ているだけだった。 「どうした、リーダー。気分でも悪いか?」 打ち捨てられた廃ビルの一室の中で、響次は目の前の男に訊ねた。だが、リーダーと呼ばれた男は大丈夫だと頭を縦に振る。 本人が大丈夫だと言っているのだから、大丈夫なのだろうと、響次はそれ以上聞かなかった。聞いても無駄だった。 彼らが今いる廃ビルは、ダイソン東京からちょうど南方に位置する、廃ビル群の密集地域に建っていた。そう、春貴と理代子が目指している場所である。 だが、彼らはそんな襲撃者のことは夢にも思っていない。 この廃ビル群は、十数年前の震災と、ダイソン東京の開発によって復興されることなく放棄された地域である。 ついこの間までは難民を名乗る不法入国者が寝床にしていたが、今ではすっかり過激派や海外のテロ組織、それに加担する犯罪結社の根城だ。 日本は、十五年前の東京占拠事件の所為で、現在破竹の勢いで治安が悪化している。この国を無法と捉える、愚か者が次々と日本に向って集まっているのだ。 各空港における麻薬密輸入の検挙率も、増加に歯止めがかかる様子は無く、それどころか銃器や人身売買の横行も、もはや打つ手無しといった有り様だ。 そのおかげで今では日本の警察官は、昔では考えられなかったような装備が支給されている。所持している拳銃はリボルバーからオートマチックに変更され、 パトカーにはアメリカのようにショットガンが積まれる様になった。SATも、出動が頻繁になり、武装も段々と重装化していっている。 更にはダイソン東京の解体を要求する過激派による、度重なる爆破テロ、細菌兵器の散布。追い討ちのように、海外からのテロ組織の流入。 最近では、人身売買のルート先が日本に集中しているという背景まで見えてきた。まさに、犯罪の台風の渦中と言っていいだろう。 「リーダー、いつまでこんな湿気たビルの中で、あんなアマチュア過激派の馬鹿達といるつもりだよ。いい加減疲れたぜ」 「・・・それ二、あの少年。琴坂春貴のこともあル」 フロアの奥からもう一人・・・二メートルオーバーの巨漢、オックスが姿を現した。リーダーの言い分に絶対に意見しない彼も、流石に痺れが切れたようだ。 だが、リーダーと呼ばれる男は沈黙を保ったまま、首を横に振った。どうあっても、今は動く気が無いらしい。 リーダーの意志がいつもにも増して堅いことを知り、それ以上は何も言わなかった。彼は確かに統率者としては優れているが、時折見せるこのような頑固さは、 いただけない。はっきり言って、彼の部下である響次とオックスでさえ、たまに彼を信じられなくなる時があるほどだ。 「もうすぐ、“彼”がここに来るんだ・・・響次、オックス。だからもう少し、あの人間達に構ってやってくれないか」 「“彼”・・・?誰だ、そりゃ」 「双子の、弟がね・・・。ここに来るのさ」 呟くように言うと、彼は響次に不敵に微笑み返した。その笑みに、響次は背筋に刃物を突きつけられたかのように、ぞっとした悪寒が走るのを感じた。 確かに、口元は笑みに歪んでいるが・・・・目が、笑っていない。何も映していないかのようだが、その奥には底知れぬ闇が匂いたっている。 響次が慄いていると、ビルの階下からズズンという、重苦しい地響きが聞こえ、老朽化したビルを揺るがした。 それが地震や老朽化に伴う崩落による衝撃ではなく、何か爆発物による衝撃だと言う事をすぐさま看破した彼らは、戦闘体勢に移る。 このビルには爆発の原因となるようなガスは確認されず、また爆発が懸念されるような物資も無い。詰まる所、答えはたった一つだけ。敵襲だ。 まさか、自衛隊でさえ、安易に足を踏み入れることの出来ないこの廃ビル群に来る連中がいるとは・・・。少しばかり、感心する。 だが、一先ずは様子見である。階下には、我らオフルマズドに協力する過激派が詰めている。彼等を噛ませ犬として、襲撃者の実力を推し量る。 肉を切らせて骨を断つ・・・とでも言えば少しばかりは聞こえが良いだろう。それに、あの程度の人間を倒せない連中が、我々と戦うに値するはずが無い。 そうしてオフルマズドは、遥か高みから下々の戦いを見下ろした。 「・・・命中」 「馬鹿かッ!お前は!」 もくもくと白煙を上げる、発射直後のグレネードランチャーを構え、ガッツポーズを決める理代子に春貴はツッコミを入れる。 軽くバリケードが張り巡らされた入り口を煩わしく感じた彼女は、突入のために手っ取り早くグレネードランチャーで吹き飛ばしたのだった。 しかもそのグレネードランチャーは連射式で、シルエットは巨大なリボルバーのようでもある。原理も、大方同じものだ。 春貴の声に聞く耳もたずと、バリケードが破壊されて慌てて飛び出てきた過激派の人間に、彼女は残りのグレネードを容赦無く叩き込む。 コンクリートでさえ容易に破壊する威力だ、人間などひとたまりも無い。直撃を受けなくとも、その余りある威力に四肢や内臓をブチ撒けながら次々と人間が四散する。 「お、お前は加減ってものを知らねえのか!?」 「もう戦いは始まっている。倫理観は捨て、手心は加えるな。死ぬぞ」 春貴の方を振り向きもせずに冷淡に答えると、打ち終えたグレネードランチャーを捨て、彼女は脇に置いていたジュラルミンケースを開く。 かなりの数の銃器が収納されたケースから、彼女はソーコムMk23を選ぶと、それをヒップホルスターへと収める。 さらに、S&W社の投擲用ナイフも何本か、鞘ごとスーツの懐へと押し込む。そして最後にメインウェポンに、ウージーSMGを掴み取り、マガジンを叩き込んだ。 ボルトを荒々しく引き、初弾を装填する。このビル群は季節を問わずに、意外と粉塵が多い。そういうフィールドにおいては、ウージーは信用して扱うに値する銃だ。 プレス加工を多用しているにも関わらずホコリと故障に強く、ジャムの少ないことで定評があるからだ。 「琴坂春貴、君も銃の確認を済ませ次第私に続け」 「え?っておい、ちょっと待てよ!」 狼狽する春貴を置き去りにすると、彼女は身を翻すように飛び出ていった。春貴は、先ほど理代子に渡された銃を急いで確認する。 彼が渡されたのは、M4A1カービンライフル。米軍でも、仕官から順次配備中のカービンライフルである。 春貴は勿論銃を使った経験など皆無だったが、理代子に無理矢理渡されたのだ。何でも、彼らKOTRTでさえ、任務の時に別脈種の力を使って戦うことは稀らしい。 それは部隊の秘匿性の保持と密接な関係がある、という説明を受けたが、彼にはいまいちよく理解できなかった。 要するに、よほどの事態に陥らない限り、力を使ってはいけないということだ。 「でも、銃なんて使えねえよ・・・」 そうボヤキながらも、春貴は急いで理代子に続いた。ビルの正面玄関は、先の理代子の砲撃でズタズタに破壊されていた。 各所にバリケードを支えていた鉄骨やコンクリートが覗いているが、それも彼女の砲撃の前では無意味だった。しかし、 この程度の攻撃を想定できなかった彼らにも少なからず非はある。別に蔑む訳ではないが、自業自得というものだ。 炎が燻っている正面玄関を抜け、ビルの内部へ踊り込もうとすると、不意に呻き声が耳に入った。 「っ!?」 春貴は警戒しながら、銃口をゆっくりと周囲へ巡らせる。 そして、その呻き声の元はすぐに見つかった。先の砲撃で奇跡的に生き延びた過激派だ、まだ息があったのだ。しかし見れば、やはりその傷は重い。 今すぐに救急車を呼んでも、助かりはすまい。非常に残念だが、彼にはこの死にかけの男を救う手立てはなかった。 そのまま、素通りしようとすると。 『待て、春貴』 「なんだウィスパー、俺は急いでるんだよ」 『しかしあの人間を放っておくのか?』 「そうだ。お前も見ただろ?あの傷だ、助かりっこねえよ。非情に聞こえるかもしれねえけど」 『ならば、せめて楽にしてやったらどうだ』 瞬間、まるで頭を木槌で打たれたかのようなショックを覚えた。いま、ウィスパーは何と言った。 せめて楽にしてやったら―――――。 どうしてそんなことが言えるんだ、そんな残酷なこと、いくら俺でも出来るわけがねえだろ。だって、コイツはまだ生きて・・・。 そこまで考えて、春貴は自分が直面しているジレンマの巨大さと複雑さと酷薄さを実感した。 確かに、この男は生きている。でも、もう助からない。俺がいまこの手に持っているのは、銃。人を殺すための道具。 ならばこれ以上苦しまないために、いっそのこと楽にしてやったらどうなのか。いや、それは最善の選択なのか。本当にそうなのか。 この男は生を望んでいるのではないか。でも、やはり助ける方法など無いし、ここままでは彼は苦しいだけだ。一思いに殺すか、殺さないか。 果て無き自問が、頭の中を駈け巡る。完全にパニック状態だ。答えなど、出せるわけが無い。いや、出せてはいけないのだ。 『どうした春貴、殺せ。それが彼の為でもある。最初に言っただろう、思想は捨てろと。思想は主を苦しませはするが、救ってはくれん』 「だ、黙れ・・・。そんなことは、分かって――――――」 『いいや、主は分かっていない。分かっているのならば、今すぐにその引き鉄を引くのだ。春貴、これはこれから主が身を投じる戦いの本質だ』 「俺は・・・俺はぁ・・・・!」 『春貴、決断しろ!撃つか、否か!?』 半狂乱の状態で、春貴はM4を肩付けに構えた。照門と照星の先に、男の眉間を据える。このままトリガーを引けば弾丸が飛び出し、この男を殺すだろう。 そして、この男も春貴も、これ以上苦しまずにすむ。きっと。 引き鉄にかけた指に、力が篭る。心の中で、すまないと絶叫しながら、彼はその死を解き放とうとした。 「か・・・・か・・あ、さん・・・・・・たすけ・・・―――――っ」 周囲の空気で、男はいま自分が殺されようとしていることを感じ取ったのだろう。もう幾許もない生命力を使い、情けなく望郷の母を呼ぶ。 春貴は、自分の瞳孔がすぼむのを感じた。全身から、脂汗が滲む。 「うわあああああああああ!!」 咆えるような、慟哭だった。
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