「終わりだ、餓鬼・・・」 まるで夜叉のような面持ちで、理代子は春貴に銃を突きつけながら呟いた。 その目は、言い知れぬ狂気に爛々と輝いている。彼女は、本当に撃つつもりなのだ。そうと気付いたお袋が慌てて駆け寄るが、間に合うはずも無い。 トリガーを引くのと、走り寄るのと、どちらが速いのか比べるまでもない。 絞るように引き鉄が引かれようとしたその瞬間―――――――理代子の手から銃が弾け飛んだ。 「やめろ理代子君・・・!」 山田にしっかりと両手を握られることで、理代子はやっとのことで我を取り戻す。 何がなんだか分からなかったが、春貴はこれ幸いにと転がるように理代子から離れた。 「だいじょうぶ春貴!?」 命からがらといった状態の俺に、お袋が駆け寄ってきた。 そして、血涙のように血が溢れている目を、まるでガラス細工にでも触れるかのような手つきで確かめた。だが、彼女は伊達にKOTRTの隊長をしていた訳ではない。 傷の度合いぐらいは、簡単に推し量ることができる。春貴の傷の深さを知ると、お袋は顔面蒼白になった。 いくらゴム弾といえど、やはりあの距離は近すぎたのだ。あんな近距離で喰らえば、例え眼球自体が無事でも光彩などのデリケートな部分は一たまりも無い。 その筈なのだが・・・・。 「あんま情けねえ声出すんじゃねえよ、お袋・・・」 「だって、あんた目が・・・撃たれたのよ!?」 「そんなの、大丈夫だ、いつも通り。・・・・ほら」 目もとの血の後を、長ランの袖で拭うと、春貴は眼球をお袋に見せ付けた。そこには、少しだけ充血した、何の損害も無い眼球が確かにあった。 見間違えなどではない。その眼球は、盲目者特有の虚ろな瞳ではなく、しっかり景色を捉えていた。 『・・・春貴、主のその身体・・・!』 「ウィスパー、すまねえがそいつは帰ってからでいいか?」 『・・・・分かった』 血の跡をごしごしと擦り落とすと、春貴は立ち上がって山田へと近寄った。彼は、未だ興奮状態にある理代子を抑えつけている。 かなり落ち着いたようだが、それでも安易に近づくのは危険だろう。 「オッサンよお・・・俺を試したってことか?」 「流石だね、春貴君。お見通しとは」 核心をいきなり突かれたのにも関わらず、山田は穏やかに微笑みながら返す。春貴も表面上は平静を装っていたが、胸中では山田の強かさを嫌悪していた。 この男は急用などといってわざわざ自分の弟子を、俺たちの出迎えにやって、そしてワザとこういった試合に持ち込むよう仕向けたのだ。 だがその肝心の試合で弟子が予定を外れて感情的になってしまったため、慌てて飛び出してきた―――――といったところだろう。 全く、とんでもない師を持つことになってしまったものだ。早速と先が思いやられる。 「もう落ち着いたかい、理代子君?」 「・・・・はい、申し訳ありませんでした先生。お役に立てず・・・」 「そんなことはない。君は立派に役目を果たしてくれたよ。彼の実力は、私たちは十分に分かった」 「“私たち”?」 傍聴していた春貴が訊ねる。この男、どうやらまだ何か隠しているつもりらしい。 「そう、“私たち”だ・・・。紹介しよう、我がKOTRT総責任者、内藤洸一君だ」 まるで演説者のように山田が高らかに名前を呼ぶと、柔道場の入り口から一人の男がそろそろと歩いてきた。 真っ黒なスーツに身を包み、堂々たる風格を醸し出している。だが年は若く、まだ二十代かそこらだろう。いや、もう少し老けているだろうか。 そうやって春貴が色々と内藤の値踏みをしていると、彼は春貴へと真っ直ぐに近寄ってきた。 彼は懐に手を伸ばすと、そこから一枚の名刺を取り出し、それを差し出しながら春貴に会釈する。 「どうも、初めまして。私がKOTRT総責任者と勤めさせていただいている、内藤という者だ。先の試合、山田と共に観させてもらった。うむ、実に素晴らしい。  席官である黒咲をあそこまで圧倒するとは、山田の弟子なんぞと言わずに今すぐにでもKOTRTに入隊して欲しい人材だな」 「席官・・・?」 「知らなかったのなら失礼、彼女はKOTRTに第十二席として名を連ねるれっきとした一隊員だ。そして、君は試合といえどそれを見事に負かしたのだよ。  戦闘の何の心得もなく、ただ我流の戦いの中において培われてきた経験のみでだ。君自身はこれがどれほど凄い事なのか分かっていないだろう」 ふと、春貴は不審な点に気付いた。内藤の佇まいが、どうも妙に左に体重をかけるような立ち方なのだ。 よくよくと思い返せば、彼が春貴に近づいてきた時も、ほんのわずかではあったが、右足を庇うようにして歩いていた。もしや、この男――――――。 「アンタ・・・足が、悪いのか?」 「これは驚いたな・・・君は腕っ節だけではなく、優れた観察眼も持っているようだな」 少し驚いた様子で、内藤はしげしげと春貴を眺めた。どうやら、彼の春貴に対する第一印象は、喧嘩っ早い不良と映っていたようだ、当然だが。 確かに、性格的にもがさつな所が多い春貴だが、こういう人間観察に関しては少しばかりの自信がある。 「昔、前線での戦いに巻き込まれてね・・・。右足の膝から下を持って行かれた」 彼はズボンの裾をたくし上げると、その下にある義足を覗かせた。だがその義足は、春貴が今まで見たことも無いような代物だった。 普通の義足は、人間の足を真似ただけのマネキンのような物だが、彼の足についている義足はそれとはまるで違った。 膝から下の失われた部分を補う為に、彼の右足には“機械”の義足が取り付けられていた。SF映画でも見ているかのような光景に、春貴は開いた口が塞がらなかった。 そして、科学技術もとうとうここまで来たのか、などと場違いかつ的外れなことを思う。 「スゲエな・・・、機械の義足って奴か。やっぱ、普通の義足とは全然違うのか?」 「そうだ。私もリハビリの時に少しの間従来の義足を使ったことがあるが、これはそれとはまるで比べ物にならん。最初にこの義足を着けたときは、  一瞬自分の足が元に戻ったように錯覚したぐらいだからな」 「でも、それでも本当の足に比べりゃ完璧じゃねえんだよな」 「ああ。君に直ぐに看破されたことがその証拠だ。いくら良く出来ていたとしても、これは所詮は間に合わせの代替品、本物には敵わんよ」 朗らかな表情だった内藤だが、“本物の足”という単語が出た途端、まるで苦虫を噛み潰したかのような表情になった。 「・・・そんなに、右足がなくなったのが悔しかったのか?あんた?」 「いや、右足の喪失に関しては私の失態だ。だがこの右足を奪った奴には・・・個人的にかなりの恨みがあってな。この傷を見るたびに、あの男の顔を思い出す。  平和主義そうな柔和を装った、典型的な偽善者の男だよ。忌々しい、反吐が出るね―――――っとすまない。見苦しかったな」 「別に。足一本持って行かれたんだろ?普通ならそんぐらい恨むもんだろう」 「そうか。・・・・少し話が逸れてしまったな、それでは、これからは宜しく頼むよ、琴坂春貴君」 そう言うと、内藤はすっと握手の為の手を差し出してきた。春貴は迷うことなく、威勢良くそれを握った。 そしてこれからの友好を確かめ合うかのように、しっかりと握手を交わした。 「春貴、あんたあの男とあんま親しくなっちゃダメよ」 「内藤のこと言ってんのかお袋?良いじゃねえかよ、人が良さそうで。知り合う分には損は無え男だと思うぜ、俺ァ」 本部の帰りのセダンの中で、助手席に座っているお袋は俺に話しかけ、そして盛大にため息をついた。どうやら、内藤のことを余程に快く思っていないらしい。 ちなみにセダンを運転しているのは、あの黒咲理代子って女だ。オッサンは何でも本気で用事が入ったらしく、運転を黒咲に任せると何処かに行ってしまった。 先の試合の件もあって、俺はこの女とは現在非常に微妙な空気が漂っている状態だ。はっきり言って話したくないし、できれば同じ車にも乗りたくない。 だからといって、本当にそうするわけにもいかないのだが。 「アイツは、ああいう風に人当たりだけは良いけど、あれは表面上。本性は、はっきり言って危険よ。私が言うのもなんだけど」 「全くだな。仮にも、内藤ってお袋の上司ってわけだろ、総責任者ってことは」 「ええそうよ、彼は若干十八歳にしてKOTRT総責任者の任に就いた男だからね・・・・だからこそ、底が知れなくて危険なのよ」 「ああそうかい。わーったよ、努力してみる」 投げやりに返答するのとほぼ同時に、理代子が呟くように「もうすぐ着きます」と告げた。 春貴はその言葉を聞き、窓の外に視線を送った。外には、相変わらず画一化されたビル達が並んでいるが、車の向う先に、明らかに他のビルとは異質なビルが見えてきた。 ダイソン東京のビルはどれもこれもモノトーン調で色栄えが悪いものばかりだが、そのビルは違った。 豪華絢爛、という言葉が相応しい、まるで超高級ホテルのような建物だった。もしかして、ここが転居先のビルなのだろうか。恐る恐る、聞いてみる。 「なあ、お袋・・・俺たちの転居先って、あれ?」 「どうかしら・・・・。あそこなの、黒咲さん」 「肯定です隊長、あそこが今日から隊長のご一家に滞在頂く、ダイソンが誇るSクラス居住区です」 彼女は、まるでアナウンスのように無機的な声で述べた。まだ、先ほどの試合のことが尾を引いているようだ。無理も無い。 彼女は仮にもKOTRT第十二席に腰を構える隊員なのに、突然舞い込んだ不良に試合といえど負かされたのだ。 おまけに感情のコントロールが出来ないという、無様な姿まで晒してしまったのだ。いくらあの試合が仕組まれたものであったとしても、その失意は埋めがたい。 そのことが分かっているからこそ、春貴はあえて彼女には何も話し掛けはしなかった。 もしここで下手に慰めの言葉でもかけようものなら、彼女は自分が侮辱されたと思い、運転など構わずに襲い掛かってくるだろう。 その程度のことは容易に想像できた。いや、容易に想像できるからこそ怖いのだ。 そうして冷や汗を流していると、セダンは豪華の一語に尽きるビルの前へと止まった。 遠足気分のようにはしゃいでいる星火が先陣をきって車から飛び出し、物珍しそうにビルを見上げた。遅れて、春貴やお袋も車を降りる。 黒咲が車の窓を開けて、お袋に話し掛けてきた。 「それでは隊長、お先に失礼させて頂きます。荷物は既に搬入済みです、その他の細かいことも、すべてフロントの者に申し付けてください」 「分かったわ、ありがとう。でも、折角だから上がってお茶でも飲んでいかない?」 「申し訳在りませんが、お断り致します。これ以上、理性も続きそうにはないので。それでは―――――」 冷徹にきっぱりと言い捨てると、彼女は有無を言わさず車を発進させ、瞬く間に行ってしまった。 最後の言葉は、恐らく彼女の本心だろう。運転中、何度も春貴に襲い掛かりたい衝動にかられたりもしただろう、そう思うと、お袋は自然と冷や汗を流す。 「おーい、お袋。先に入っとくぞ」 「え?ちょっとあんた達待ちなさい!」 振り返ると、星火と春貴はもう自動ドアをくぐっていた。慌てて、彼女もその後を追う。 そして中に入ると、一同は驚きと感動に包まれた。まるで、映画に出てくるような、豪華を形にしたような内装、高級感溢れる雰囲気。 お袋は外出用の恰好で、その中にいても辛うじて違和感は無かったが。春貴はいつも通りの長ラン姿で、星火は春貴のお下がりのトレーナー姿だった。 はっきり言って、ものすごく浮いている。 二人にもう少しマトモな恰好をさせてこればよかったと後悔しつつ、彼女はフロントにいる従業員の女性に話し掛けた。 「えーと、今日からこのビルに住むことになった琴坂ですが・・・」 「琴坂貴子さまですね。お待ちしておりました、さあこちらへどうぞ」 「あ、どうも」 従業員の女性はフロントから出ると、彼等を先導した。お袋はいそいそと歩き、春貴と星火はずかずかと不躾に歩く。 エレベーターに乗ると、そのまま一気に四十階にまで上っていった。それも、驚くべき速さなので二十秒とかからない。 「このフロアの、3337号室が、琴坂様のお部屋となっております」 エレベーターを降り、従業員の指示に従って進むと、春貴たちはその3337号室に着いた。 その間に通った廊下も、そんじょそこらのホテルなどでは太刀打ちできないような内装で、本当にここが居住区なのかと目を疑うほどだった。 そしてこんなところに平然と住んでいる人間の神経も、また信じられない。豪華なのは別にいいのだが、それはたまに泊まるなどといった場合に丁度いいのだ。 いざ、そんな超高級ホテル住めと言われたら、長らくオンボロアパートで育ってきた春貴にはかえって無用な気疲れとなる。 従業員がこれから春貴たちが住むこととなる部屋のカギを開け、みな中に入った。春貴は、更なる眩暈に襲われそうになった。 この居住区は、一般的に言うのならマンションだ。そう、マンションとは得てして一戸建てより狭く、そして億ションでもなければ内装は華美ではない。 だが・・・・この部屋は違った。ここは一体どこの豪邸なのかと見紛うほどの豪華絢爛な内装・・・キングサイズのベッド、毛皮のソファーに絨毯、高そうな花瓶、 金色の馬鹿でかいシャンデリア、クリスタルの食器、最新かつ最高級と思しきシステムキッチン、クソ広いバスルーム、サウナルーム、そして小スペースのジム、 何処の高級材木ともつかない二十人単位使用可能なリビングテーブル、そしてマンションのくせに何故か二階に上る階段・・・。などなど、枚挙に暇が無い。 お袋と俺はその光景に顔を青ざめ、星火は目を輝かせた。 「先に郵送されてきましたお荷物は既に片付けております。それでは、失礼致します・・・」 そう言うと、従業員は礼儀正しく、さっと出て行ってしまった。部屋には脱帽するお袋と春貴と、喜色満面の星火が残された。 「何故にメゾネットタイプ・・・・」 「てゆーか、自分の家にジムは要らねえだろ、ジムは」 「これはもう億ションならぬ兆ションね・・・」 「お袋、山田君に座布団持って行かれるぞ、今のは」 「うそ、自分ではケッコー上手いと思ったんだけど・・・」 会話する二人の目は何処か遠い。恐らく、一種の現実逃避だろう。まさか、こんな超がつく高級な部屋が転居先になるとは・・・。夢に思わなかったからだ。 「ハルキ、私シャワー浴びたい」 「ああ、好きなだけ浴びろ・・・」 上機嫌でバスルームへと向っていく星火の後姿を見送りながら、春貴たちは大き過ぎるリビングテーブルに腰掛ける。 まるで鏡のように磨き上げられた表面、かけられた純白のクロス。何もかもが、春貴には異質なものに見えた。 一人だけ、違う次元の世界に飛ばされたような感覚になる。 「おお・・・私の荷物が勝手に片付けられている・・・」 寝室を覗いているお袋が、上ずった声で呟く。だが、先に送っておいた荷物と言っても、数週間分の着替えと簡単な日用雑貨だけだ。 春貴にいたっては、着替えだけといっても過言ではない。それに星火は、服のほとんどが春貴のお下がりで、自分専用の物はまだほとんどない。 「なんかここで一週間も暮らせば、ストレス性の胃炎になりそうね・・・。春貴、紅茶いれるけど飲む?」 「おう。オレンジペコで頼む」 「イヤ、今日はダージリンの気分なの」 「じゃあ聞くなよ・・・」 彼女は自分の寝室の検分を終えると、今度はシステムキッチンの様子見も兼ねて紅茶をいれる。 茶葉は、向こうのアパートから持ってきた物もあるが、部屋に備え付けられている茶葉もあった。それも、べノア。 こんな物が備品として置かれているということからも、このマンションの桁違いさが窺える。流石は、政界人専用といったところだ。 税金の無駄遣いも甚だしいが、悪い気がしないのもまた事実である。こんな機会でもなければ、べノアのダージリンを口にすることなど一生無いだろう。 「しっかしべノアがあるなんて、本当にどういう神経してんだか・・・このマンション」 「べのあ?なんだそりゃ?」 「イギリス王室御用達の紅茶、死ぬほど高いわよ。根性キメて飲みなさい」 ヤカンで沸かしたお湯で手早く紅茶を淹れると、彼女はそれを、これまた備え付けの高級そうなお盆に乗せて運ぶ。 その手つきは、まるでニトログリセリンでも扱うように慎重だ。なにせ、普段では手の届かないような高級品だ。自然と緊張してしまう。 「春貴・・・飲むのいいけど、絶対にクロスとか絨毯に零しちゃダメよ・・・クリーニング代で、破産したくないでしょ?」 「あ、ああ。分かった、気をつける・・・」 カタカタと、手の震えが食器に伝わる。それを春貴もまた、震える手で受け取った。このティーカップもまた備え付けのもので、かなり高そうに見える。 もし割ったりしたらなどと考えると・・・それだけで失神できる。 そして、まるで毒に口をつけるかのように、ゆっくりゆっくりと、紅茶を口に運ぶ。そして、砂漠の中の一杯の水でも飲むかのように、またゆっくりと喉に流し込む。 少し飲んだだけで、口の中に芳しい香が爆発し、昔の貴族を彷彿とさせる高貴な味わいが舌の上を清涼なる風のように駆け抜ける・・・。 「・・・・俺、もうインスタントの紅茶飲めねえ」 「私も・・・」 最高級という果て無き甘美の味を初めて知った二人は、染み入るように言った。 そして初めて、ここに住んで良かったと心の底から思った。 「ハルキー、着替え〜」 するとバスルームから、着替えを持ってこいと催促する星火の声がした。どうやら、後先考えずにバスルームに直行したようだ。 「わかった、ちょっと待ってろ。お袋、俺らの着替えって何処?」 「ん、たぶん二階の部屋のどこかにあると思うわ。一階は全部見たけど、あんた達の荷物は見かけなかったから」 彼女の言葉通り、春貴たちの荷物は二階の部屋にあった。どうやら、各人一人ずつ私室が与えられているようで、春貴と星火の荷物は別々の部屋に置いてあった。 自分の部屋を先に見つけた春貴はそれを知り、星火の部屋も見つけると、彼女の部屋に置かれているダンボール箱を開けて中から替えの服と下着を取り出す。 その中には、星火が春貴の学校に来た時に買った服も入っていた。どうやらこれらの服は大事な時に着て、普段着はお下がりで済ませるといったようだ。 どうせもうそろそろ陽は暮れるので、春貴はダンボールからパジャマを選んだ。下着は、目を瞑りながらできるだけ直視しないようにする。 白の質素なショーツにこれまた白のスポーツブラ・・・ということをしっかりと確認してしまっているあたり、あまり意味は無いのだが。 「おら、持ってきてやったぞ」 ドアをノックすると、着替えを携えて春貴はバスルームへと入った。そして間髪いれずに、奇声を上げた。 「って、えええええええ!?ちょっっっっっお前っっっっっ何でマッパなんだよ!」 そこには、身体から水滴を垂らしながら、タオルも何も羽織っていない、文字通り一糸纏わぬ星火の姿があったからだった。 持ってきた着替えを取り落とし、春貴は急いで両手で目を覆う。しかし、指の隙間からしっかりと見ているあたり、あまり意味は無い。 頑強で長身な体格に似合わず、春貴は耳まで真っ赤になっていた。女というものに疎遠だった彼が母親以外の裸体を見たのは、これが生まれて初めてだからだ。 母親の裸といっても、それは幼稚園ぐらいの時の記憶の中だけであって、今ではもうほとんどうろ覚えで、見た事実だけが残っているというような状態だ。 つまり、これは春貴がきちんと人格を形成されてから初めて見た異性の裸ということになる。そのあまりに唐突な出来事に、彼はうろたえることしかできなかった。 「ありがとう、着替え」 「いいから!せめてバスタオル巻くなりなんなりしろ、バカ!」 だがそんな彼に構わず、星火は胸や大事な部分も隠そうともせずに春貴に近づくと、彼が取り落とした着替えを拾い上げる。 そこで、春貴は初めて気がついた。シャワーを浴びて火照った彼女の身体に―――――――無数の傷痕が浮かび上がっていることに。 それも、尋常ではない数で、しかも全身に浮かび上がっていた。突然に気付いた事実に、彼は絶句する。 胸、肩、腕、下腹部、太股、つま先・・・・ついていない場所など無いくらいに、彼女は身体中傷だらけだった。 「ごめんね、汚くて・・・」 「え・・・?」 彼女の体にも驚いたが、彼女がいま発した言葉にもまた春貴は驚愕を隠せなかった。 “ごめんね、汚くて”・・・・・・だと。いま、彼女はそう言ったのか。心の中に、暗雲が立ち込めていくのが分かった。 何で、この女はいつもそんなことを言うのだろうか。何で、いつもこういった態度をとるのだろうか。疑問が湧き出るように溢れ、頭の中を埋め尽くす。 ぎりっと歯軋りすると、春貴は耐えかねたように、だんとバスルームの壁を叩いた。かなり力んだため、拳が壁に陥没している。 「いい加減にしろよ・・・・このアマ。お前、いったい、何時まで俺らにそういう態度とるつもりなんだ。何時まで、俺らを試す気だ?」 「? 何を言ってるの?」 「しらばっくれんなよ・・・・お前は、いっつもそうだよな。そんなに俺が信じられねえのか?一体いつになったら、俺を信用するんだ?  そんな風に古傷見せたり、ワザとムカツクようなこと言ったり。そんなに信用ならねえか、そんなに試さなきゃ、お前は俺が離れていくとでも思ってんのか?」 怒りをあらわにした春貴の質問の態度に、彼女は顔を伏せているだけだった。それだけで、言葉は何も返さない。 「なんとか言えよ・・・・・って、おい、何だよお前・・・」 やっと顔を上げたかと思うと――――――彼女の頬には、涙が伝っていた。だが、悲しいといった表情ではなく、なんの感情もない無表情のまま、彼女は涙を流していた。 彼女のその顔が、春貴の心にナイフのように突き刺さる。 「悪ぃ、少し言い過ぎた。でもお前もお前だぜ・・・・いい加減そんな態度やめてくんねえと、その・・・お互いやりにくいだろ、色々と」 「・・・ごめん、私も悪かった・・・・。そうだよね、私はハルキを別脈種として目覚めさせて、力を与えた・・・。ハルキはそれに応えようって一生懸命なのに。  私は何時も怯えて、自分が傷つくことばかり考えて・・・誰も信じられない。ごめんね・・・そうだよね・・・ここまでしてくれるんだから、信じなきゃね。  じゃなきゃ・・・ハルキが頑張ってること、私の所為で全部ムダになっちゃうもんね・・・・・ごめん、ウィスパーの言ってたこと、いまさらだけど気付いたよ」 「お前がそこまで思う必要は無え。俺はお前を守る、そんでお前がそれを信じる、それだけで十分だ。お前が信じてさえくれば、俺は戦える」 「・・・・ありがとう。身体、冷えたからもう一度浴びてくる」 「わかった」 そう言って、彼女は浴室へと入っていった。ざーっという水音と共に、かすかに嗚咽が聞こえてくる。 春貴はそれを聞かなかったことにして、バスルームを出た。 「お袋・・・・」 そして、リビングでべノアのダージリンにまだ舌鼓をうっているお袋に、春貴は声をかけた。 「なに春貴・・・私、いまこの紅茶を味わうことに集中してるんだから、後にして」 「聞いてたんだろ?」 有無を言わさず、春貴は言い放った。彼女は一度ちらっと春貴を一瞥すると、肩を竦めてティーカップを置いた。 「そんでもって・・・知ってたんだろ、星火の身体のこと。どうして俺に言わなかった」 「あんたに言って、彼女の傷がどうにかなるとでも言うの?」 「ふざけるな!!」 怒号と共に、春貴は巨大なリビングテーブルを薙ぐように軽々と引っ繰り返した。盛大に音を立てるテーブルだったが、お袋は全く動じてはいなかった。 それどころか、さり気なくティーカップをテーブルから取り上げていたらしく、それを悠々と飲んでいる。 「俺はアイツを守るって決めたんだ!星火は、俺が惚れた女だ。アイツは俺が守って、アイツの傷も俺が埋める!お袋には四の五の言わせねえ!!」 「愚直ね・・・。春貴、本気で言ってるの?」 「当たり前だ。俺が見初めたんだ、俺が守るんだ・・・・・・」 「じゃあ、あなたは星火の何をそこまで気に入っているの?性格、外見?」 「そいつは違うぜお袋・・・俺が惚れたのは“星火”だ、それ以上でも以下でも以外でも無え。それに、お袋だって見ただろう?アイツの、怯える姿を・・・」 初めて会った次の日の朝―――――彼女が、異常なまでに何かに怯え涙を流す姿が、春貴の脳裏に焼きついていた。 彼女のその姿を思い出すたびに、思う。彼女を守ろうと、強く硬く確かに、思う。 それは同情や哀れみなんていう安っぽい感情からではない。もっと、心の深淵に渦巻く、人が人たるために必要な物・・・俺は今、それに突き動かされている。 この感情を、いったい何と言うのだろう。 「だから俺は、ここに来た」 最後に一際と真剣な面持ちで言うと、春貴は背を向けて階段へと向った。 「どこへ行くの?」 「寝る」 吐き捨てるように言うと、春貴はさっさと階段を上って行った。お袋はため息をつきながら紅茶を飲み干すと、後片付けのために椅子から立ち上がった。 割れたティーポットの破片を摘み上げ、誰と無く呟く。 「本当に・・・・愚直すぎて馬鹿みたい。まるで、アイツや英翔にそっくりね、私や春みたいに、のらりくらりと生きるってことを知らないんだから・・・。  いっつも気張って背負ってこけて泣いて、その度に悩んで足掻いて苦しんで、結局答えが見つからなくて・・・・それでも馬鹿みたいに歩き続けて」 荒んだ気分のまま、春貴は二階に上がると自室に入った。そしてダンボールの中から布団を引っ張り出すと、それを何の考えもなしにばっさと床に敷く。 部屋の電気を消すと、そのまま倒れ込むようにして布団の上に大の字で横になった。肺から、栓の抜けた風船のように空気が漏れ出す。 何故か、何もかもが酷く億劫に感じられる。倦怠感・・・虚脱感・・・無気力・・・とでも言うのだろうか、兎に角、気力がごっそりと落ちてしまったようだ。 『・・・そう気を落とすな。我は主の味方だぞ』 「頭の中の声が味方―――――か、心強いんだか、そうじゃないんだか・・・。で、昼間のことを聞きたいのか」 『それもある』 「ほう、じゃ他の理由は」 『いや、主の星火の対する気持ちについて聞きたかったのだが・・・やはりいい、自己解決した』 「ああ、そうかい」 ごろり、と布団の上で寝返りをうつ。電気の消えた、暗い部屋に目が慣れ、うっすらと部屋の輪郭が闇から顔を出す。 見慣れない部屋だ。まるで、どこか他人の家に勝手に上がり込んで寝ているみたいだ。 自分がこうしてここに寝ていることが、酷く不自然に思えてくる。いや、自分の存在自体が、最近、何故かとても異質な者に思えて仕方が無いのだ。 それはこの―――――――別脈種の力の所為なのか。 今まで普通の、なんの変哲も無い人間として暮らしてきた自分に突如として現れた力に対する、混乱の一種なのだろうか。 違う。そんなものじゃない。 確証はまったく無いが、心がそう確信している。このざわつきは、そんなものではない。もっと―――身体の奥底に眠る何かにリンクしているような、そんな感じだ。 とても、嫌な予感がする。 「で、聞きたいんだろ?俺がどうして――――――どうして・・・」 『死なないのか、について・・・。だな』 「ああ・・・」 『春貴、主は不死身なのか?』 「“不死身”なんて良いもんじゃねえよ・・・ ただ“死に難い”ってだけだ」 『何故そう言いきれる?』 「まだ死ぬまで試したことはねえからな。だから、“死に難い”ってだけだ。証明されてなきゃ、意味が無いんだよ」 『主はそれをいつ意識するようになった』 「・・・小学校の、高学年の時だ。それまでは、怪我をしてもすぐに治る自分の身体をおかしいとは思ってたけど、あるとき車に轢かれて、やっと自覚した。  ま、車は車でもダンプカーだったけどな」 『な・・・!?ダンプカーだと!』 「おう、今でも覚えてるぜ、バラバラになった自分の手足をよ。それが、まるで巻き戻し再生みたいに戻っていくんだよ。・・・・それなりにショックだったな」 ウィスパーは、不思議でならなかった。何故春貴は、こうも明るく、まるで世間話でもするかのような軽快さで話すのか・・・。 単に自分の身体に対する認識が甘いのか、それとも意図的に軽快に語っているのか、恐らく後者のほうだろう。直視するには、あまりに酷なことだ。 端から見れば死なないほど頑丈な身体は便利に見えるかもしれないが、当人からすれば便利どころかただの苦痛でしかない。 死なない――――――言い方をかえれば、死ねないのだ。 本来死ぬべき時に、死ねないのだ。どんな重症を負っても、どんな病気にかかっても、どんな苦痛を味わっても決して死ぬことは出来ない。 手足が千切れ飛び普通なら発狂死する痛みも、彼の前ではただの“極大の苦痛”なのだ。どんな死も彼には生殺しにしか成りえない。 これがどれほどの苦痛で、どれほどの絶望か・・・。本人でなければ、その暗き虚は語れないだろう。 そんな地獄に耐える彼の精神にウィスパーは感嘆し、また恐怖する。 『主の母は知っているのか?』 「とっくに知ってるさ。だからお袋には『いつも通りだ』で通じるんだよ」 『そうか・・・』 我が春貴の内にて覚醒したときに、彼が戦った響次とセガール。彼らとの戦いにおいても、春貴は腹部に鋭利な刃物による致命傷を負っていた。 右下腹部に追った刺し傷は、兇器の先端が内臓を傷つけ、出血も著しかった。常人ならばすぐに倒れ伏していただろう。 だが彼はそんな傷にも構わず善戦、見事オフルマズドの二人を撃退することに成功している。 後日襲撃してきた、同オフルマズドメンバーのオックスと、春貴への抱腹に再来した響次の襲撃。この戦いの際にも春貴は致命的な一撃を被っている。 オックスと名乗る巨漢の豪腕による、頚椎の破壊。あれは完全に首の骨を破壊していた、普通なら人間はそこで即死する。 春貴は違った。彼は死亡するどころか、そんな致命傷を物ともせずにオックスへの反撃を開始する。そしてこれもまた、敵を退けるにまで至った。 そして今日の、山田の弟子である黒咲理代子との戦い。この戦いの時に春貴は確かに、眼球にゴム弾の接射された。 事実、私はその時に春貴の水晶体の漏洩を確認している。だが、結果はまたも同じだった。彼の眼球は、数秒もしない内に再生されていた。 これらの事実が、確かに裏付けている――――――。 春貴は自身のこの体質を“死に難い”と称した。だが、もうこの自然治癒力は単に“死に難い”というレベルを逸している。 本人は否定するだろうが、春貴は確かに―――――――――“不死身”だ。 原因は分からない。これが先天的なものなのか、後天的なものなのか、それさせも分からないのだ。彼を不死たらしめる要因を突き止めるには、情報が無さ過ぎる。 もっと彼の記憶をこと細やかに検分し、慎重に探っていかねばらない・・・。もしかしたら本当に、本人の言うとおりの“限界”があるかもしれない。 それは、この先想定されるであろうオフルマズドとの戦いにおいては必要な情報だ。 夢うつつになり始めた春貴の意識の海にウィスパーは身を沈めると、彼の記憶の眠る奥深くへと沈降していった。
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