昼間ぐずついていた空は、夜になってとうとう崩れ出した。ここ一週間ずっと曇天だったのが、今日になって急に泣き出すとは。 私は、墨というよりタールのようにどす黒く濁った空から注ぐ雨を全身に受けながら、忌々しげにそう思った。 いま居る場所は、うず高いビル群がひしめき合っているこの街の中に置いて尚、突出した大きさを誇る摩天楼の上だ。 ここからは地上を走る車が、ありきたりな言葉ではあるが、まるでミニチュアのように小さく現実味無く走っている。 時折交差点を大量に人間が渡る様は、なかなかの見ものである。だが、私はそんな都会の中の絶景に目をくれることは決してなかった。 地上何百メートルという高さのビルの屋上の、それも一歩足を踏み出せば落ちてしまいそうな、フェンスを乗り越えた端の端で、私は目を瞑って佇んでいた。 そこで、目に見えぬ指揮棒をゆっくりと、穏やかに、ともすれば息を呑むように早く、そして荘厳に・・・醜悪に。ただ唯一の報せを待ち、沈黙の調べを奏でる。 そこには楽器と呼べる物は無く、奏でるは世界。この世界が――――人が、木が、風が、空が、雲が、この雨音が・・・・・・万物が楽器、演奏者、楽譜。 ひとしきり幻想の指揮棒を振るい終わった頃に、懐のスティック状の通信端末が震えた。雨雫を髪の先から垂らしながら、私はそれを取り出し通話ボタンを押す。 「私だ・・・」 『こちらスカル・ワン。目標を確認、いま“息子達”で追い詰めてる。・・・・どうする、リーダー』 「お前らしくないな、響次。いつもの強気な態度はどうした?」 『・・・俺は、昔アイツと組んでたから、アイツの強さは知ってる。だから、こんだけの戦力で勝てるとは到底思えねえ・・・』 「案ずるな、こちらには竜種がある。それに何より・・・・・この私がいるではないか。心配は無い」 『・・・分かった』 「それと、“愛架”はどうした?出来れば代わって欲しいのだが」 『え?あのワガママなお嬢さんなら、今日は現場にいねえけど?』 「そんなはずはない、今日あいつはオックスと一緒に作戦に参加しているはずだ」 『オックスなら隣りにいっけど、とりあえず聞いてみるよ。・・・・・・ふんふん、あっそう。リーダー、生理だってよ』 「もういい」 乱暴にボタンを押して、私は通話を終了させた。全く、あいつときたら一体何を考えているのだ。今回の作戦の危険性と重要性は、あれほど言って聞かせたはずなのに。 彼女の能力がなければ、オックスも響次も駒として満足のいく力が出せないではないか。帰ったら、ゆっくりと話し合う必要があるようだ。 そうして私は再び、眼下の街を見下ろした。一般人では分からないだろうが、変換式を持つ別脈種である私達には痛いほど分かる。 今この街に犇いている、内気の波動が―――――。半径何十キロと広範囲に拡散しているであろうはずなのに、気圧されるほどの威圧感を秘めた波動。 それはもう、一般の別脈種に成せる業ではない。だが本当に恐ろしいのは、この波動を発している本人が、これほどの波動を発しているという自覚がないところにある。 つまりこれは意識して頒布されたものではなく、ただ無意識に垂れ流されただけの、波動なのだ。垂れ流しているだけで、これほどの圧力。 これが、別脈種最強の存在―――――――“両極”の力か。 思わず身が震える。それは勿論恐怖からではなく、戦闘に対する高揚からくる武者震いだ。響次に吐いた大言壮語を撤回するつもりは、ない。 さて、そろそろ目標もいい具合に“息子達”に追い詰められただろう。後は相手が痺れを切らすか、袋小路に追い込まれるのをじっくり待つとしよう。 それまでは、ここでゆっくり高見の見物と―――――――。 「来たか、速いな」 誰とでもなく呟く私の視線の遥か先には、街から立ち昇る白煙が映っていた。遅れて、地響きのような爆発音と振動が伝わってくる。 恐らく、目標が痺れを切らしたのだろう。あれでは、追跡にあたっていた“息子達”はほぼ全滅だろう。だが、これしきのことは予想の範囲内。 私は懐からまたスティック状の端末を取り出すと、響次へと回線を繋げる。 「見えたか?」 『ああ、いまオックスの旦那と向かってるとこだ。五分ぐらいでつく』 「そうか、私もすぐに向おう。竜種も独自に動き始めているはずだ、上手く連携を取ってくれ」 『了解ぃ』 通信し終わった端末をしまい込むと、私はゆっくりと前のめりに倒れた。前には、落下を防ぐ為のフェンスなどの類は一切無い。身体は重力に従い、 ゆっくりと倒れ込むと、刹那、急速な落下を始めた。あっという間に、風が頬を切り、耳元で唸りを上げる。 景色は滝のように、流水が如く流れ。光は尾を引いて視界の端から端へと消えて行く。私はそれを、ただ無感情に、何の感慨も無く落下し続ける。 勿論、このままむざむざと自殺する気など毛頭無い。 「・・・・・・“白夜の君主”」 その言霊を呟いた途端、身体を落下方向とは反対の力―――――強力な揚力が襲った。全身に激しい過負荷がかかるが、苦悶の声は一切無い。 この姿になった私に、これしきのことは苦痛として当てはまらないのだ。強大なまでの揚力に持ち上げられて、私は落下から一転、黒い曇天へと舞い上がっていった。 もしそれを視認することが出来る人間がいたのなら、いまの私の姿は、天へと上っていく白き使徒に見えたことだろう。 斥候から送られてきた情報に従って小さな裏路地の現場に到着した響次は、その惨状を見て絶句するしかなかった。いくら下っ端の雑兵であるとはいえ、 “息子達”をこうも容易く虐殺してしまうとは。 オックスは、その頑強で巨大な体躯に似合わず、サングラスに覆われた目を手で伏せ、目の前の惨劇の爪あとから目を逸らした。無理も無い。 そこには、生ける者は存在しなかった。ただ肉片と、内臓と、骨の欠片と、おびただしいまでに大量の血液と、咽帰るほどの死臭が立ち込めていた、散乱していた。 徹底的に、完膚なきまでに、ただの肉片へと還された者達の末路と残骸。こういう現場には慣れているはずの響次でさえ、吐き気を催すほどだった。 ・・・ここまでする必要はないだろうに、と胸中で嘆息する。そう、ここまでする必要は全く無いのだ。 普通、人が人をバラバラに解体して殺すには、二種類のタイプがある。一つは、怨恨からくる殺人による解体。これは殺害対象である人間を解体することにより、 犯人が支配欲を充足させるために行われる行為だ。 もう一つは、敵の動揺と士気の低下を誘う為の解体。だがここはどこぞの紛争地域の戦場ではない、日本だ。それに、自分たちはこれぐらいの死体を見て怯むほど、 神経は細く出来ていない。それは目標も重々承知のはずだ。 では、何故。 何処にこの者達をここまで解体する必要があったのか。答えは明瞭にして、至極単純。 “ただ解体しただけ”だ。そこには何の必要も必然も理由も理論も存在しない。ただ、解体という行為を行っただけなのだ。これほど恐ろしいことはない。 つまりいま自分たちが追っている目標は、何の心理的要因も脅迫観念も大義名分も必要性もなしに、ただの気紛れで、人を殺した上でバラバラに出来る人間なのだ。 いや、人間と言うにもおこがましい。これはもう――――――悪魔か化物の領域だ、とても・・・・・とても人間には、人間という生物にはこなせない。 「ひでえモンだぜ・・・ここまでするか、普通?」 「殺されたのハ、全員なのカ?」 「みてえだな・・・。斥候に出した十二人、全部のパーツを繋ぎ合せて組み立てねえことには分かんねえが、たぶん全滅だろう」 目を細めながら、響次は裏路地の暗闇に目を凝らした。そこにはおよそ―――――十二人分あるであろう、人間という形を形成していた部品が転がっている。 ここまで完膚なきまでにバラされれば、かえって現実味が薄れる。そう、現実にこんなことを行える人間などいないし、いてはいけないからだ。 嘆息し、肩を竦めると響次は路地を出ようと踵を返した。オックスも、それに続く。だが突然、彼らの足は地面に縫い付けられたかのように動かなくなった。 彼らが入ってきた路地の入り口に――――――人影が立っていたからだ。 そう、まさに人影。そう形容するのが相応しく、またそれ以外の形容を許さないような装い。 頭の天辺から、つま先に至るまで。まるで闇が凝固したかのような、一遍の光を徹さず受け付けずというほどの――――禍々しいまでの漆黒。 響次は額から脂汗を流しながら、ゆっくりとスティック状の通信端末を構え、交信する。 「リーダー・・・目標と会敵。どうする?」 『私も今そちらに向っている。四十秒ばかり足止めしておけ』 向こうから一方的に通信は遮断されてしまった。仕方ないと肩を竦めながら、響次は通信端末を丁寧にポケットにしまい込む。 四十秒か――――永遠にも等しい長さだ。そう思いながら、響次は目の前の人影を見つめ直した。 人影は踝までありそうな真っ黒なロングコートを羽織り、さらにはコートと一体になったフードを目深に被っている。どういう容貌なのかは、こちらからは窺えない。 が、響次にはそのフードの下の顔が容易に想像出来た。もう十五年以上も前のことではあるが、アイツの顔は今も鮮明に覚えている。忘れようが無い。 「行くぜえ、オックス!遅れをとるなよ!!」 「・・・任されタ」 同時に二人は疾駆した。手には、武器の類は一切持ち得ていない。徒手空拳だ。響次もオックスも羅種の血を持つ者、元来の戦い方がこれである。 それに、今宵の相手に小細工は無用にして無意味。蟻がどんな手立てを講じようと、獅子に勝つことが出来ないのと同じ事だった。それほどに差があった。 響次の切れるような速拳が閃き、オックスの打ち砕くような鉄拳が唸りを上げる。両者の拳は、同時に人影にへと命中した。 「・・・ッ!?なんだ、こりゃあ!」 驚きの声を上げたのは響次だった。確かに、自分の拳もオックスの拳も、人影に当たった。だが、嫌なほどに手応えが無かった。 見れば、二人の拳は人影の黒いコートの中に、文字通り沈んでいた。まるで、黒い泥の中に突っ込んでしまったかのように、手首から先が埋もれてしまっている。 それを見て、慌てて拳を引き抜く。幸いにも、手はあっさりと引き抜けた。 「物理的干渉を遮断すル、呪術の一種だナ・・・恐らくあのコート全体が同じように出来ているのだろウ、やり辛イ」 「おいおい、それじゃあ殴るしか知らねえ俺たちには手出しできねえじゃねえかよ」 「そうでもなイ」 「?」 「顔ダ」 オックスは、自分のごつごつとした岩の様な頬をとんとんと指差す。瞬時に、彼の言わんとするところを察した。つまり、あのフードを引っぺがして、 顔面に右ストレートを容赦無くぶち込んでケーオーさせるということらしい。シンプル以外の何の長所も無い、策とも呼べない策。だが、分かり易くていい。 そう、戦いにごちゃごちゃした感情や頭の体操や気兼ねは不要。殴って殴られ、殺して殺され、それ以外の何物もなく何物でもない、単純な法則と方程式。 戦場を支配するのは、ただそれのみだ。 「オッケー・・・良いじゃねえか、良いだろう、良いんだよ。こういう、シンプルでギリギリな戦いこそ、本当の殺し合いってモンだ。これなら死んでも悔いはねえ」 「だナ」 オックスは新たに構えを直し、響次は懐からグルカナイフを引き出す。前の春貴との戦いで使ったような、市販モデルではない。 別脈種を狩る専門集団“僧会”でも使われているような、別脈種を殺すことに主眼を置かれた専用モデルだ。刀身は特殊な方法で鋳造されており、その気になれば、 一般人の腕力でも鉄を裁断できるほどの業物だ。これを、羅種である響次が扱えば、如何な堅牢な皮膚も、容易く突破できる。 先陣を切って、響次がグルカナイフを振るい、人影に飛びかかる。フードごと顔面を切り裂こうとするが、人影は数歩バックステップを踏んで、それを容易くさける。 そこをすかさずオックスが追い討ちをかけ、鉄槌をも凌ぐ一拳を繰り出し、だがそれは屈んでやり過ごした人影の頭上を虚しく揺さぶった。 屈んだ姿勢になり機敏に反応が出来なくなったところを、ここぞとばかりに響次が斬りかかった。今度こそ捉えた――――――と思ったが、 一瞬速く人影の黒いコートが翻り、その裾が斬撃を吸収してしまう。フォローでオックスがローキックを繰り出すが、その間に体勢を立て直した人影は、 後方に大きく跳躍して路地の外に出ることにより、難を凌ぐ。 「タイムアッぷ」 「俺たちの、勝ちだ・・・」 べろん、と舌を出して、響次は人影にそう告げた。刹那、人影の背後が、どんと爆発した。砕けたアスファルトが舞い散り、その中から二人に人間が出てくる。 「いよ、待ってました。リーダー、カッコいい」 「茶化すな」 蒼志は軽口が抜けきらない響次嘆息しつつも、四十秒無事に目標を足止めすることが出来た彼らに微笑んだ。蒼志の後ろを、セルゲイが続いて歩く。 「さて、セルゲイ。折角だ、ここでお前の力を一つ拝見させてもらおう。禁忌の種――――――竜種の力をな」 竜種、という単語を聞いた途端、人影がぴくりと反応した。それを見て、響次は愉快気に微笑む。 そうだ、竜種だ。いくら両極とは言えど、この難敵は凌げまい、せいぜい怯えるが良いさ。胸中でせせら笑った。 「オックス、響次、非難していろ。規格外同士の戦いだ、巻き込まれて死んでもしらんぞ」 「はいよー、了解了解」 「・・・了解」 彼らはざっと跳躍すると、あっという間に戦線を離脱した。蒼志とセルゲイ、そして人影だけが取り残される。 「それではセルゲイ、その男を始末して――――――」 そう言いかけて、蒼志は己が目を疑った。何時の間にか肉迫していた人影が、セルゲイに襲い掛かり、いとも容易く斬り伏せたからだ。 反応することすらままならなかったセルゲイは、胸から鮮血をぶちまけながら仰向けに倒れた。 莫迦な―――――――。 この男は・・・セルゲイは別脈種の中で唯一、両極にも対抗しうる血統、竜種の血を継ぐ男だ。そんな化け物の中の化け物が、反応することすら侭ならず、斬伏せられた。 迂闊だった。安易に、セルゲイが竜種であるなどと発言するべきではなかったのだ。私のその一言が人影の中に焦りを生み、このような予想外の行動を取らせる、 原因を作ってしまった。しかし後悔先に立たず、現にセルゲイはこうして斬殺されてしまった。響次とオックスも、もうとっくに遥か後方で待機しているだろう。 私が戦慄していると、人影は手に持った剣の切先をゆっくりと私に向けた。 人影が持っていた剣は、全長が人の身の丈よりも高い、コートと同じく漆黒のツーハンデッドソードだった。本来は両手で扱うのが基本のそれだが、 人影の男はそれを片手で楽々と保持している。 突き刺すことを、躊躇うことはなかった。 人影はツーハンデッドソードをずいと押し出すと、そのまま蒼志の喉を串刺しにする。鋭い刃と、十分すぎる自重が合い間って、剣は簡単に喉を貫通した。 刃と肉の隙間から鮮血が飛び出し、気管を流血が満たしていく。 「ひっがかっだな゛」 「!?」 口から血の泡を吐きながら呪詛のような言葉を搾り出すと、手に白亜の断章を冠する。喉に食い込んだ刃を無理矢理に引き抜く、首が半分殺げて頭が落ちそうになるが、 私は抜いた刃をがっちりと掴んだまま―――――疾駆し、人影の男に息がかかりそうな距離まで肉迫し顔を近づけた。流石の人影の男もこの暴挙には驚き、 半瞬その動きに隙が出来た。白亜の断章の自重をおよそ六億トンに設定すると、容赦無く拳を叩き込んだ。 衝撃が大気をずんと揺るがし、周囲の建物の壁にヒビが走る。呪いでも相殺し切れなかったようで、フードの隙間から辛うじて見える男の口元を、血が一筋伝っていた。 瞬間的に核兵器をも遥かに凌駕するエネルギーを叩き込まれたのだから、当然の結果であろう。 「いきなり斬り付けるとは、紳士とは言えんよ」 突然の声に人影の男が振り向くと、そこには再起したセルゲイの姿が。彼は人影の頭をフードごと乱暴に鷲掴みにすると、顔面に先の蒼志とほぼ同威力の拳を見舞う。 吹き飛ばされ、男は路地の中へと転がり込む。蒼志とセルゲイはすぐに駆け寄ったが、既にそこには人影の男の姿は見当たらなかった・・・・。 蒼志は舌打ちをしつつも、懐からスティック状の携帯端末を取り出す。喉の傷は、とっくに完治していた。 「あ゛ー、私だ響次」 『どうだった、リーダー。なんかスゲエ音がしたけど』 「それは私とセルゲイが本気で殴った音だ。それよりも、目標に逃げられた」 『・・・本当っスか』 「嘘はつかん。しかし、不味いことになった。これだけこちらの取って置きのカードを使って不意打ちをしたにもかかわらず仕留められなかったとは、不覚だ。  次に会ったら勝てんな」 それは弱気でも僻みでもない、ただ純粋な事実だった。そう、次にあの人影の男と会えば、確実に負ける。 今回は、自分とセルゲイの常人ならざる回復力を使って相手の隙を衝けたが、次は相手もそれを見越して戦いを挑んでくるだろう。 だが、こちらにはもうそれ以上のカードが無いのだ。敢えて言うならば、人外どころか生物の範疇を逸した、この筋力であろうか。 ・・・まあそれも、セルゲイに限った話なのだが。 彼には本当に筋力と回復力しかカードが無いが、私にはまだ取って置きの―――――最悪最強のジョーカーが、一つ。多く見て二つ残っている。 しかし私としては、出来ればそのジョーカーを使うことは極力避けたいことなのだが。ここはもう、セルゲイに任せるしかないだろう。 「・・・蒼志」 「なんだ」 「お前は今、頭の中で私があの黒いコートの男に勝てないと思っているだろう?」 「そうだが」 隠しもせず、きっぱりと言い切る。それを聞いて、彼は少し淋しげに肩を竦めた。 「・・・酷いな。それよりも、私を舐めて貰っては困るな。こちらも、伊達に禁忌の種と呼ばれてはおらん」 「まるで勝てる見込みでもありそうな物言いだな」 「勝てるさ。確かにあの男は強かった―――――が、それも私に比べれば幾分と劣る。力関係ならば、私の方が上だ」 「大した自信だな」 「事実だ」 呆れ混じりに嘆息すると、蒼志は懐からいつもの銘柄の煙草を取り出した。雨の中だというのも構わず火を点けようとするが、思い悩んだ末にそのまま握りつぶした。 「吸わないのか?」 「煙草は身体に良くないらしい、弟がそう言っていた」 雨は、まだ雨脚を強くしていた。アスファルトに落ちる雨音は、轟音となって街を、蒼志を包んだ。 「最初はグー」 「じゃんけん・・・」 「「 ぽん!」」 春貴、チョキ。星火、パー。 「あー!また負けたあ!」 「そんじゃ俺が先攻な」 頬を膨らませて不満を訴える星火を他所に、俺はジェンガの一片を慎重に抜き取った。 先日の任務の失敗により春貴は厳重注意を受け、黒咲は謹慎処分となった。故に、任務の話がくることなど無いので、トレーニングなどをしつつ、 こうやって星火と適度に遊んで暇を潰しながら、春貴は日々を過ごしていた。 そういえば明日は、お袋が北海道の出張から帰ってくる。一週間など短いと思っていたが、意外に長く感じた。それよりも、任務の結果は内藤さんを通じて全て、 お袋に通じているらしく、帰ってきたら説教が待っていると推測される。 「ほれ、次、星火だぞ」 「う〜ん・・・」 グラン・クリュの総合的な処分がどうなったのかは、内藤さんからは聞いていない。まあ、どんな結果になっているのかは、聞くまでも無いか。 そういえばオフルマズドに関してKOTRTが独自に調査したところ、つい最近大きな動きがあったようだ。何でもダイソン東京の外殻外で大規模な戦闘があったとのことだ。 幸いにも一般人には被害も出ず、周囲の建築物等にもそれほどの損害は認められなかったものの、いくつかの疑問点があったそうだ。 先ずは、オフルマズドとおぼしき集団が―――――何と戦ったのか。どうやらKOTRTにも、僧会とかいう組織にもそれらしい勢力との交戦した記録は無いらしい。 では、彼らは何者たちと戦ったのか・・・。 「よしっ!次はハルキだよ」 「ん、そうか」 他にも、俺自身が疑問に思っていることもある。先ず、オフルマズドの本拠地は一体どこなのか。星火がダイソン東京から逃げてきたという話から、 本拠地と言わずとも何らかの重要な拠点がダイソン内にあるのは確実なのだが、何故こうも一向に見つからないのだろうか。 彼らのバックにどんな存在があろうと、これほど見つからないということはいささか不自然ではなかろうか。それに、彼らが星火を幽閉していた理由も気になる。 やはり、俺に漆黒の断章を目覚めさせた、あの能力――――――――――ジェネシック・ドライバという力の所為だろうか。 元々別脈種としての力を持たなかった俺だが、別脈種として覚醒することにより莫大な能力と力を得るようになった。確かに、オフルマズドのような血の気の多そうな、 集団には魅力的な能力だろう。 「・・・・うし、つぎ星火」 「うぬぬぬぬ・・・・」 それにしても本当に、KOTRTの能力を貶すわけではないが、もう少し本腰を入れてオフルマズドについて調べて欲しい。そもそもダイソンは犯罪者とは無縁な、 ドームの中のエデンでは無かったのか。セキュリティも完璧で――――――――。 セキュリティも、完璧・・・・・・・・・? 待て。じゃあ、星火はどうやってダイソンを抜け出して、俺たちの街までやって来たんだ・・・。そうだ、おかしいじゃないか。何故今まで気付かなかったんだ。 オフルマズドが潜伏できるほどにダイソンと繋がりがあるのなら、ダイソンを脱出しようとする彼女を捕まえることぐらい簡単なはずだ。 では彼女はどうやってダイソンを脱することが出来たのか。 それだけじゃない、どうして急にお袋にKOTRTの隊長復帰の任が舞い込んだのか。・・・・星火が脱出してきたダイソン、そのダイソンに赴くことになった俺たち。 これは少しばかり・・・・タイミングと出来が良すぎないだろうか。 「ああー終わらん!!」 急に張り上げられた大声に、俺と星火は吃驚して振り向く。そこには内藤さんの残した書類のノートパソコンと格闘する黒咲理代子のやつれた姿が。 いつも通りの凛々しさは、今は見る影も無い。どうやら彼女は性格と見た目に反して、デスクワークは苦手なようだ。 我慢の限界に達したのかスーツの胸ポケットから煙草の箱を乱雑に取り出すが、俺の視線に気付き、ばつが悪そうにそのまま仕舞い直した。 そうしてまた、苛つきを隠そうともせずに、がたがたとパソコンのキーを打ちだした。どうやら、傍目から見ても分かるほど相当にストレスが溜まっているようだ。 そんな黒咲の意外な一面を目の当たりにし、なんとも言いがたい心境になったが、気持ちを切り替えてジェンガを再開しようとする、が。 「あ」 「マジかよ・・・」 積み上げられていたジェンガは、ものの見事に倒壊し切っていた。星火はそれでジェンガから興味を失ってしまったらしく、テレビを点けていた。 見る番組は、何故か昼ドラ。元来なら主婦が見るべき番組なのだが・・・・当の本人が楽しそうに見ているので、まあよしとしよう。 特にすることが無くなってしまった。 『ジムでトレーニングでもするか?』 「いや、別にいい」 ウィスパーの提案に、あっさりと否決を出す。 「そういやウィスパー、お前さ。最近なんか、俺が呼んでも返事しねえ時あるよな。一体何してんだ?」 『うむ。主の記憶に引っ掛かるところがあってな・・・それを探る為に、主の記憶にダイブしておるのだ。その間は主の声は我には届かんらしいな』 「ふーん。あっそ」 てっきり頭の中で引き篭もってるのかと思ったが、違ったらしい。適当に相槌を打ちつつ、俺は黒咲の横に腰を下ろした。 「・・・・なに?」 「手伝うよ」 そう言うやいなや、彼女は無言のまま、ずいと一束の資料を俺に突き出した。 「それ、足下に置いてある資料と比較して間違いがないかどうか確かめて」 「・・・分かった」 紙束、紙くず、様々なものが入り乱れている彼女の足下から、一冊の分厚い冊子を取り出した。本人にこれで合っているという了解と得ると、早速照会を開始した。 その冊子には様々な政界人や、その関係者の名前が明記されていた。顔写真まであり、おまけにプライベートについても事細やかに記載されている。 それをパソコンで打ち直した資料と違いが無いかを、俺は一つ一つ丁寧に照らし合わせていった。はっきり言ってこういう細かい作業は性分に合わないのだが、 先日の失敗により彼女に迷惑をかけたこともあるから、これぐらいのことはしないと、という意識が俺の中にはあった。 しかしこの資料、何処かで見たような気が・・・・。 「あっ」 「なに?誤字・脱字・改行ミス?」 「違う、そうじゃねえよ。何かこの載ってるオッサン共に見覚えがあるなーって思ってたら、そうだよ、むかし俺の親父が嫌ってた政治家達だよ、これ。しかも全員」 「・・・本当か?」 「ああ、間違いねえ。耳タコになるぐらいに聞いたから、嫌でも正確だぜ」 「その資料にピックアップされた政治家は全員、いま起きている“ファントム”事件で殺害された被害者達だぞ・・・」 「ファントム事件・・・・?まさか、最近起きてる政界人連続殺人事件のことか?」 「そうだ。KOTRTでは今事件の犯人を、“ファントム”と仮称している。そこからきたものだ」 「“ファントム”・・・・亡霊ねえ・・・」 しばしの間、沈黙が流れた。 「もしかしたら、琴坂春貴、お前の父は今事件に何らかの関係があるのかもしれないな」 「そりゃ大有りだろう、なんつってもヤクザだからな」 「・・・は?」 おお、ここまで呆けた顔をしている黒咲は初めて見た。かなり貴重な場面だ。 「ヤ・ク・ザ。俺の親父はそーゆー自由業を営んでんだよ。だから、そんな親父が嫌ってた政治家がバタバタ死んでったらこりゃもう・・・関係ありありだろう」 「だな、疑わないほうがどうかしている」 「だろ。じゃあいっちょ、本人にでも聞きに行きますか」 すっくと立ち上がった春貴だったが、理代子はそれを制した。 「待て、問題があるぞ」 「? なに?」 「星火はどうする」 「あ・・・」 そうだ、星火の護衛と世話をすっかり失念していた。不味い、どうしたらいいものだろうか。内藤さんはKOTRTの仕事で今日一杯は戻らないそうだ。 まあ、だから代わりに黒咲がいまこの家に居る訳なのだが。それにしても困った。俺と黒咲が出て行ったら、星火を一体誰が守って面倒を見るというのだ。 そこに不意に、インターホンが鳴った。この忙しい時に誰だと舌打ちしながらも、春貴は玄関に向かい戸を開けた、するとそこにいたのは―――――。 「あっ、あんたは確か・・・・」 「どうも。先日は内藤様がお世話になりました」 「楠野さんっ」 相変わらず髑髏面を被った黒子姿の彼を指差すと、春貴は合点がいったように手を叩いた。先日俺と内藤さんいカラオケのタダ券を渡した、あの楠野さんである。 それにしても、どうして彼はこうも良いタイミングに現れてくれるのだろうか。 「内藤さんの忘れ物を取りに来まして、上がってもよろしいですか?」 「おう、いいぜ。――――――それといっちゃなんだが、一つ頼まれてくんねえかな?」 「はい?」 仮面越しに純粋そうな声で聞き返してくる楠野に、春貴は上辺だけのにんまりとした笑みを浮かべた。そして強引に、彼の手をとった。 「いやー、ホント助かったぜ」 「全くね」 ロードスターを軽快に走らせながら、春貴と理代子はさも愉快という風にお互いに頷きあった。つい先ほどダイソンの外殻外に出たところで、今は一般道だ。 ドームの中も快適といえば快適なのだが、やはり人工のライトより本物の太陽の方が良い。今日が晴れの日で、本当に良かった。 そういえば楠野さんは無理矢理星火の面倒を見させようとする俺たちに「仕事が残ってるんで本当に勘弁して下さい!」とすがり付いて来たが、 俺たちはそれを身も裂けるような思いで振り切ってきたのだ。当の星火はテレビに熱中していて、そんな騒動には全く気がついていなかったが。 確かに楠野さんにも内藤さんにも悪いことをしたが、もしこれで“ファントム”事件を進展させることが出来るような情報を持ち帰れば、一気に汚名返上である。 そういう意味も含めて、親父には是非とも有力な情報を、締め上げてでも吐いて貰わなければならない。 「あ、そこの角を左に曲がってくれ」 「分かった」 ウィンカーを標示すると、理代子は車を即座に左折させる。ここさえ曲がってしまえば、親父の事務所は目と鼻の先だ。 それにしても親父の事務所がダイソンにこんなに近かったとは意外である。何度となく行った事はあるのだが、意外と気がつかないものだ。 角を曲がりきると二人の目の飛び込んできたのは、周囲の雑居ビルとは一線を画す大きな高層ビルであった。だが、ダイソン内のビルに比べればまだ大人しい。 そのビルの玄関付近に「東堂組合中央総会同ビル」と、仰々しくプレスされた金属プレートが。もう、ヤクザの雰囲気ばちばちといった風である。 「・・・本当に、諸にヤクザ屋って感じね」 「だろ?」 半ば呆れながらも、理代子はロードスターを堂々とビルの真ん前に路上駐車する。彼女も彼女で、なかなかに豪気だ。ヤクザ屋の家の前に路駐など、 まっとうな神経と考えと根性の持ち主ならば、しようとも思わないだろう。 すると早くも、理代子が目の前に路上駐車をしたことに気付いた組合員がビルの中から、まさに鬼の形相でずかずかと出てきた。 「おぅコラ姐ちゃん、ここがどんなトコか知ってて車停めて・・・・」 ヤクザ屋さん名物の特徴的な口調でにじり寄って来る組合員だが、春貴が居るのを見受けると、態度を百八十度改めた。 「こ、こりゃあ春貴のお坊ちゃん!とんだ失礼を、まさかイロを連れてるとは露知らず――――――」 「イロじゃねえ」 「またまたご謙遜。やっと、あの鑑別所でもトラウマが治ったんでさあね」 「それもちげえ!あの時の心の傷はまだ癒えてねえよ!つうか余計なこと喋んな!」 鑑別所。あの時の心の傷。激しく気になるワードだったが、理代子はそれを聞くことはしなかった。何せ、春貴の怒り方が尋常ではない。 よっぽど掘り返したくない記憶なのだろう。本人の為にも、ここは不問という選択がベストだ。 「失敬。で、今日はどんな御用向きで?」 「親父に会いに来た」 「そらあちょうど良かった。組長、昨日出先から戻ってきたばかりなんっすよ。ささ、直ぐに行きましょう」 そうか、と呟いて組合員の案内について行こうとする春貴の肩を、理代子は待ったと言わんばかりにむんずと掴んだ。 「・・・・琴坂春貴、組長とはどういうことだ?」 「? 親父のことがどうかしたのか?」 「聞いてない。組長だなんて、激しく全く微塵も聞いていない」 「そうだっけ」 「そうだ!何故そんな大事なことをもっと先に話しておかない!?」 「いやだって俺の親父、俺が生まれる前からずっと組長だからよ。何か凄い役職っていう印象がなくてさ。ついつい説明し忘れがちなんだよな」 返す言葉も無く、理代子はただ深く深く嘆息した。春貴はそんな彼女の前を、さして反省した様子も無く、飄々と歩いていった。 彼女は不安になり、スーツの下にホルスターで吊ってある拳銃を確認した。 「そんじゃあ少し待ってて下せえお坊ちゃん」 ビルに入り、最上階に上ったエレベーター降りて直ぐの部屋の前で俺たちをそう言って待機させると、組員の男は部屋の中に入っていった。 立派な木造のドアからは、流石組長の部屋といった風格が漂ってくる。 「琴坂春貴、どうしても聞きたいことがある」 「何だ?言っとくが、鑑別所云々に関することは一切答えねえぞ」 「ぐっ」 先に釘を刺されてしまい、理代子は思わず口篭った。しかし、そこでめげて引き下がる彼女でもなかった。 「トラウマとは何だ」 「人には決して癒えない言えない傷がある」 あくまで隠し通そうとする春貴。だが、理代子もここまで興味心をくすぐられては、事の真相を知らずにはいられない。 「・・・・・・・星火に言うわよ?」 「あっ!汚ね!」 春貴に何らかのトラウマがあるなどと星火の耳に入れば―――――推して知るべし。それはもう、理代子など比にならぬ詰問の嵐となるだろう。 強引に真相を聞き出し、かつソレを聞いて強引に笑うと言う事も十二分に考えられる。そう、この手の話は絶対に星火の耳に入れるべきではないのだ。 彼女はいたって無邪気だ。その無邪気さが、この場合は春貴の心をさらに深く――――抉るように傷付けることになる。本人も、出来ればそれは避けたいところだった。 「・・・絶対星火には話すなよ?」 「誓って」 「・・・はあ・・・。あれは、三年前。俺が中学に上がるときのことだ、まあ俺は例によって例の如く――――まあ、その、なんだ。同学年の男子を半殺しにしたんだ」 半殺し・・・なんとえげつない。それが本当に小学生のすることだろうか。いや、春貴ならありえる話ではあるか。 「そんでもって鑑別所にぶち込まれて・・・・・そこからが地獄だった。部屋は汚いわ飯は不味いわ臭いわで、もう踏んだり蹴ったり。挙句は、  もう少しのところでおかま掘られそうになったり。そんでもって極めつけは・・・・あの女だった」 「あの女?」 「ああ、恐ろしい女だった」 おかまを掘られることよりも恐ろしい女とは一体どんな人間なのだろうか、といより本当に人間なのだろうか。 「筋肉マッチョだったの?」 「そんな生易しいもんだったら、まだ心は楽だったよ・・・・。その女は鑑別所の職員で、かなりの美人で有名な監督員だったんだ。俺はその外見に惑わされ、  奴に、奴に――――――ッ!」 もうこれ以上はとても話せないと、春貴は頭を抱えこんだ。どうやら、その女に相当に辛い仕打ちを受けたようだ。 この万年喧嘩馬鹿にそれほど深い傷を負わせるとは、その女の人は一体彼に何をしたというのか・・・。謎は深まるばかりだ。理代子は春貴に回答を急いた。 「あの女はあの夜―――――――あろうことか、まだ小学生だった俺の―――――純潔を奪おうとしたんだ・・・・!!」 「・・・・はい?」 「それだけじゃねえ、慌てて逃げ出す俺に、あの女なんて言葉を吐いたと思う?あろうことか、『逃げんな!この根性なしの○○○○野郎ッ!』って言ったんだぞ!?  それも小学生に!!信じられるか、こんな話が!?」 「あー、ご愁傷様」 とんでもない話を聞いてしまったと理代子は春貴から顔を背けるが、後悔先にたたず。こんな話なら聞かないほうがよほどマシだった。 好奇心猫を殺すとは、本当だ。これからはよく心得ておこう。そんな馬鹿げた、しかし本人には重要な話をしていると、組員の人が部屋から出てきた。 そして春貴と、理代子も一緒に、部屋に入るようにと手招きする。二人は、招かれるがままに部屋に入った。組員の人は「ごゆっくり」と言って、 そのまま出て行ってしまった。 そして二人は対峙する―――――――――。 若干二十歳にして日本全国に名を馳せる東堂会を一手に担った男――――琴坂春貴の実父・・・・。 琴坂春に。 彼はフロアの半分をぶち抜いて丸々オフィスとした部屋の真ん中で、ぽつりと置かれた仰々しいまでに派手で豪奢なデザインのデスクに足を乗せて、 革張りの巨大な椅子に腰を浅くして座っていた。一見すれば、ただ上等なスーツを着込んだだけの不良である。アッシュブロンドが混じった髪の毛が、 その雰囲気を更に増長さしていたが、それを覆すほどのオーラもまた同時に放っていた。彼をその一見二律背反する風見たらしめているのは、何と言っても、 年齢に反した若い容姿の所為だろう。実際はもう三十路を越えて、もう少しで四十代に手が届きそうな年齢なのに対し、外見は二十代のそれと変わらない。 彼は春貴たちが部屋に入ってくるなり、足を机から下ろし、一言。 「久しぶりだな、春貴。元気にしているか?」 月並みの台詞を吐いた。それに対し春貴は刺も華も無く、感慨なくただ一言。 「それなりに」 とだけ答えた。理代子はたったそれだけの会話から、彼らの関係の異常さを感じ取った。二人の言葉には、親子の会話と呼ぶにはあまりに感情が無いのだ。 非常に淡白で、まるで親しみも信頼もない他人と話しているようにさえ、感じた。たったあれだけの会話で、そう感じ得させたのだ。 春貴の口振りから父との関係はそう悪くないものかと思っていたが、とんだ見当違いだ。これは、最早相容れぬ仲などと生易しい言葉では言い表せない。 まるで、怨敵に相対した武人に挟まれているかのような心持だ。 「突然で悪いけど、質問」 「遠慮しなくていいぞ」 「そんじゃお言葉に甘えて・・・。最近起きてる政界関係者連続殺人事件、親父、それに一枚噛んでるだろ?」 「随分と単刀直入だな。答えは勿論、イエス」 「隠さねえのな・・・」 「お前が知ったところで意味が無いからな」 「意味が無いついでにもう一個突っ込んだ質問。親父、あんた実はこの事件の犯人と繋がりがあるだろ?」 「・・・・・」 「繋がりどころか、殺す対象を親父が犯人に直接指示してるとか・・・・」 「それは考えすぎだな」 苦笑しながら答える親父だったが、その目は嗤ってはいなかった。 「それと親父の組が最近随分と羽振りがいいのは知ってるけど・・・けどあんな量のモルヒネを普通の組は買わねえだろ。あれだけありゃ、百人の癌患者を楽に出来る」 それを聞いた親父は、わずかに目を細めた。どうやら、ここまで調べられているということは予想外だったらしい。 無理して出掛けにKOTRTのコネやら何やらを使って調べておいた甲斐がある。 「お前がそこまで調べられるようになっていたとは・・・正直驚いたよ。だが、それがどうした?」 だがそこで簡単に屈するような男ではない。挑発的で威圧的な言葉と視線で、春貴を牽制してくる。伊達に今の地位についていないというワケだ。 けれどこちらも、伊達で死線と修羅場を潜って来てはいない。オフルマズドとの戦いやや理代子との試合などで、幾多の危険と直面してきたのだ。 もうアンタが知ってる昔のガキじゃないんだ。 「確かにモルヒネも紛うことのねえ麻薬の一種だが、どっちかってえと医療的な面が強い。医療に関係が深ければ、入手も必然的に困難になってくる。  コカイン、ヘロイン、大麻、マリファナ、覚せい剤・・・これらのヤクに比べても需要は低い。そんな手間ばっかりかかるヤクをあんだけ仕入れる理由・・・」 「それが、私と今事件の犯人の繋がりに何らかの関係があると?」 「そゆこと。痛み止めとかの医療目的に使うには、普通の麻薬よりもやっぱりモルヒネのほうがいいからな」 「・・・ふふふ、なかなか良い考察だ。いや、上出来だ。九十点といったところかな」 否定するかと思っていたが、あっさりと肯定されてしまった。どうやら本当に、春貴に事の真相を知られてもどうでもいいと思っているようだ。 「マイナス十点の理由は?」 「こじつけ過ぎるというところだな。なるほど確かに私が医療目的で事件の犯人にモルヒネを報酬代わりに提供しているというのは一見すれば的を得ているようだが、  そもそも犯人がモルヒネを使う理由が見えない。モルヒネを使わなければならないほどの病人をわざわざ殺し屋に使って何になる?」 「モルヒネを・・・報酬代わりに・・・?」 「おっと、失言だったかな?」 わざとらしく、口元を覆う手振りをする。そこに、要らぬ事を話してしまった焦燥感というものは全く感じられない。それとも、ヒントを与えたつもりだったのだろうか。 しかし俺にヒントをわざわざ与える必要が無い。まさか親父の野郎、俺が事件の犯人を知っても良いなどと本気で思っているのではなかろうか。違う。 俺に犯人を知られるのは向こうとしても都合が悪いの真実のはずだ、だがその上であっても、彼には問題はないのだ。 死人にくちなし。 どうやら、こちらが追い詰めていると思ったら、逆に追い詰められているようだった。相手にわざわざ殺される理由を作ってしまうとは。けれど、甘いな親父。 もう、アンタが知ってるガキじゃないんだ俺は。俺は、別脈種としての力を手に入れた。傲慢するわけではないが、人間なぞ遥かに越える力を持っているのだ。 それどころか、大概の別脈種に相対しても倒せる自身もある。おまけにこちらにはKOTRTの現役隊員である黒咲までいる、敗北は先ず有りえないだろう。 ・・・親父の言うところの犯人が、まさかではあるが、オフルマズドでなければの話だが。別脈種の類である可能性は高いだろう。 「ではこちらからも質問して良いかな?」 「ギブ・アンド・テイクはビジネスの基本だ、構わねえ」 「ありがとう。その隣りの女性・・・・失礼だが、何者だ?身のこなし、私を観察する時の目、懐のホルスター・・・何処かの組織の人間であることは確かだな」 「化け物・・・とだけ言っとくよ」 理代子にすかさず頬をつねられた。おお、これは軽く三十センチ近くは伸びているのではなかろうか。 「なるほど・・・見たところ“拝火”の関係者ではなさそうだな、ということは“騎士”か」 「琴坂春、それ以上私のことについて詮索することは死を意味する。これは命令でも警告でもない、忠告だ」 「痛み入るね」 どうやら理代子が何処に属する人間なのか親父には分かったようだが、彼女はそれを毅然と圧した。彼女も人が善い。こんな男に、そこまで気をかけることはないのに。 「最後に一つ、例の話の返事は変わったかな?」 「それはいつだって変わらねえよ。俺が早死にすることに期待するんだな」 「そうか、残念だな・・・。では、もう用件は済んだな。さっさと帰ってくれたまえ。私はこれでも多忙なんだ」 「言われなくてもそうするよ」 春貴はさっさと背を向けて、理代子に一緒に部屋を出て行った。二人が出て行った後、部屋の中で一人になった春は、再び足を机の上に乗せた。 そして机の調度であるガラス製の灰皿を無造作に掴むと、それを床に投げ付けた。見事に真っ二つに割れて、それは床に鎮座した。その他にもペンやメモ用紙を、 掴んでは投げ出し、壊した。一切の感情を表に出さず、ただただ無感慨に、そうした。
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