座席下からくる振動に身を揺られながら、俺は窓の外に広がる景色を眺めた。
クソ面白くもない。電車の窓から見る景色は、とてつもなく面白みがない。どんな物も、すぐに流れていく。
そのまま、その景色たちは大して印象に残ることもなく、俺の脳から消え去っていく。
そんな些細でどうでも良い事でさえも、今の俺を酷くイラつかせる。気に食わない。
「春貴、どうしてあんなことをしたの?」
「うるせえ。それに、今さらそんなこと聞くか、普通?」
横から話し掛けてきたお袋に向って、俺はぞんざいに言葉を返す。
ただでさせお袋と一緒に電車に乗っているということ自体がダサいというのに、話し掛けられたりなどしたら最悪なのだ。
この女は、今ひとつそういうことが分かっていない。
「・・・新しい高校に馴染めないのは分かるわ。今までいた中学が悪すぎたんですもの。でも、もう少し素行良く生活できないの?」
「俺は好きであんなガリ勉どものいるガッコウに入ったんじゃねえよ」
俺はこのお袋と一緒に学校に呼び出されたのだ。理由は、昨日俺が蹴飛ばしたクラスメイトが、やれ怪我をした、やれ責任をとれだのと言って騒いできたからだ。
だから休みである日曜にも関わらず、わざわざお袋なんかと、あんな胸糞悪い場所に出向いたのだ。
そもそも、あの学校は俺の気質には合わない。
俺のいた中学は県内でも有数の不良校で有名だった。だから高校も、県内―――――いや、国内でも有数の不良校と目される甲賀高校に入ろうと思っていたのだ。
甲賀高校なら、テストの答案用紙に名前を書くだけで誰でも入れる。そんなレベルだ。
だが俺は何を間違ってか、甲賀高校とは全くの正反対である高校、私立東條高校へと進学させられた。
私立東條高校は県内で一番といわれる超難関校で、毎年多くのがり勉どもがその狭き門をくぐって行く。俺は、そんなクソ真面目な所に行く気なんか微塵もなかった。
だが、母と教師の策謀により、県立の甲賀高校ではなく、私立の東條高校を専願で受験させられたのだ。
中卒になるつもりは無かった俺は、成す術も無く東條高校へと行く羽目になった。
「頭は良いのに、なんですることはこんなに馬鹿なのかしら・・・」
「るせえ、好きでこんなに勉強が出来るわけじゃねえんだ」
何故か俺は昔から、勉強というものが良く出来た。不思議なことに。
教師の話を全く聞かなくても、公式さえ憶えれば大抵の問題はこなせた。いや、ほぼ全ての問題をこなせた。基礎から応用まで何でも来い、だ。
だから、甲賀ではなく真面目バカが集まる東條なんかに入学させられたワケなのだが。
それで当然納得の行かない俺は、その鬱憤を学校の奴らにぶつけまくっているというわけだ。
毎日毎日飽きもせず、気に食わねえ奴や調子コイた馬鹿を殴り倒してきた。だが、退学には絶対にならなかった。
それは、簡単なことだ。俺が、秀才集まる東條高校の中でも、相変わらず飛び抜けて成績が良かったからだ。
定期テストで一番以外はとったことなどない。この前受けさせられた模試でも、つい本気になってしまって全国一位などという成績を収めてしまった。
学校側も、それほど勉強ができる俺を手放すのが口惜しいのだろう。馬鹿だ。
そこで、電車が止まった。ドアが開き、客が降り始める。
「じゃあ、先に帰っとけよお袋」
「ちょっと、何処に行くの春貴?」
「パチンコ」
簡潔に答え、電車から降りるのと同時に、背後でドアが閉まった。
慌てて駆け寄ったお袋がドアを叩き、こちらに向って何かを叫んでいる。だが俺はそんなことは気にもかけず、さっさとホームをあとにした。
ムカツク。息子の考えを無視して勝手に変な学校にいれやがって、そのうちスゲーことして退学処分になってやるからな。覚悟してろ。
学ランのポケットに手を突っ込むと、五百円玉が一枚、それと百円玉が三枚出てきた。
今日はこれを三倍ぐらいにしてやろう、そう勇むと、春貴は駅前近くにある古びたパチンコ店へと足を向けた。
すっかり陽が沈んだ時刻。
「ちっ、今日はトコトンしけてやがるぜ・・・」
すっかり空っぽになった懐に悪態をつきながら、春貴は家路を歩いていた。全額すってしまったので、電車に乗ることさえできないのだ。
パチンコ屋に入るときに店員に止められたが、そいつの顔面に拳を叩き込んで無視した。
確かに、学ラン姿でパチンコ屋に入れば止められるのは当然だ。それ以前に、東條高校は学ランではなくブレザーである。
だが春貴は中学時代から愛用しているこの長ランを、断固として使い続けているのだ。
裏地には紅い生地の上に金糸で繕った龍と虎の模様があり、「死して屍拾う者なし」という文句まで刺繍されている。軽く十数万円はする代物なのだ。
そんな大事で高価な長ランを、ダサくてガリ勉臭漂う東條高校のブレザーに替えるなど、死んでもお断りだ。
いま歩いている道は、ニュータウン計画で作られた街道だった。元々は山の中腹だったところを、わざわざ切り拓いて道路と街をこしらえたのだ。
故に、この道からは街が眼下に望めた。家々の明かりが、まるでミニチュアのように小さく、現実味がなかった。本当に、あそこに人間が暮らしているなどと。
そんな土地の高いこの場所からは、もう一つ見える物があった。
眼下にある街の光の海に浮かぶようにして存在する、山かと見紛うほどの巨大なドーム。
“ダイソン東京”
この呼び名は、一般的な通称だ。正式な名前は、対テロ外殻要塞モデル都市――――――天球都市・東京。
ニュースを見ない俺でも、それぐらいは知ってる。何せ、中学の時に社会の教科書に嫌というほど、このダイソン東京についての記述があったからだ。
1996年に起きた、世界史上最悪のテロ事件・・・・八・二事件。当時の八月二日、シグルドリーヴァと名乗る国際指名手配中のテロ組織が東京を占拠したのだ。
一国家の首都を、丸々その手中に収めたのである。これは世界を震撼させ、同時にテロに対する危機感を高まらせた。
その対テロ気運に乗って建造されたのが、ダイソン東京なのだ。
ダイソン東京は、そのドーム状の外殻の中に、東京都を収めているのだ。つまり、一つの都市をドームで丸々覆ってしまったという訳だ。
それには当然、途方も無い金と技術と時間が投入された。結果、完成したのがあの武装で固められた馬鹿でかいドームだった。
こうして日本は、国際社会の中でも最も対テロ意識と対策力の高い国となった。これが、今時の中学生でも知っている天球都市の全容。
「あんなボタモチひっくり返したみてーなドームの何処が良いんだか・・・」
闇に浮かぶダイソン東京を見つめながら、そう吐き捨てた。
確かにダイソン東京の外殻に守られれば、人々は安全を約束されるだろう。だが問題なのは、それがごく一部の人間にしか約束されないという点だ。
ダイソン東京に居住を許可されるのは、政治家や科学者、大企業の社長から重役、おエライ公務員、又は天才や特殊な才能をもった人々だけなのだ。
だから、天球の外に住む人々は、ダイソン東京のことをあまり快くは思っていないのだ。
「・・・・?」
そこで春貴は不意に、足下にあった水滴に視線を落とした。
雨は、ここ数日ふっていない。だからといって、特に気にかけるような物でもない。だが春貴にはそれが何故か、妙にひっかかったのだ。
腰を屈めて、その水滴を指先ですくう。
「血だ」
指先の上で、赤黒く光る液体を見つめ、そう呟いた。
それは紛れも無く、血液だった。何回も殴り合いや修羅場を潜り抜けてきた春貴が、見慣れたモノだ。見紛うはずがない。
だが本当に血液だったとしても、気にかける必要なんて無いはずだった。そのまま、その血液のことを少し不思議に思い、通り過ぎれば良かったのだ。
しかし俺は、捜したのだ。その血液の先を。
(こんな風に道路に血痕ができるってことは、けっこー出血してるはず。そんでもって血液がまだ乾いてないから、そう遠くない・・・)
冷静な判断を頭の中で巡らしながら、春貴は歩みを進めた。
するとすぐに、二つめの血痕を見つけた。あまりにも呆気なかったのと、本当に血痕が続いていたという事実に驚く。
よくよく見れば、その血痕の跡は、先のビルとビルの間の路地に向って伸びていた。
この血痕の主ならば、怪我をしているはずだ。なら、治療が必要だ。心の隅で、無償で傷を手当てするのもカッコイイかも、とか思ってしまう。
そして、路地の前まで来ると、闇に沈んだその奥を覗き込んだ。血痕は相変わらず続いているが、人の姿は無い。
仕方なく、足場もあまりよく見えない路地へと足を踏み込んでいった。ダンボールやビール瓶のケースが積んであったが、たいした障害にはならなかった。
「あれ・・・?」
血痕が、大きなダンボール箱の前で途切れていた。だが、人影は相変わらずない。
ここまできて骨折り損かよ、と心中でうなだれるが、仕方ない。人生とはえてしてそういうものだと、何とか諦めをつけようとする。
だが、諦め切れなかった。
自分でも糞切れが悪いなと思いつつ、血痕の途切れているダンボール箱の前まで歩く。もしかしたら、治療したあとがあるかもしれない。
それで、治療したのか、していないのか、それだけでも見届けようと考えた。
「ま。何も無いよな・・・・・・・・・・・・・。あ?」
やはり血痕のあとがが切れていて、包帯なども転がっていないことから治療した痕跡もないことから、踵を返そうとした、そのときだったのだ。
視界の末端に、何かが入ったのだ。そのまま気付かずに帰っていてもおかしくないほど、微妙なものだった。
だが、見えたのだ。
不審に思って、もう一度大きなダンボール箱のを覗き込んだ。
すると――――――。
「な、何だ――――――!?」
春貴は、思わず驚愕の声を漏らした。それもそのはずだ、血痕の跡の途切れた場所、大きなダンボール箱の陰、こちらの死角に。
傷ついた、少女が横たわっていたからだ。
病院の検査服のような質素な衣服を着て、腕には細く深い切り傷の痕があった。だが、それ以上に春貴を動揺させたのは、その少女の容姿だった。
小柄な体格に、シャープな輪郭に目鼻の整った可憐な顔立ち。墨のような漆黒の黒髪。それこそ、この世の全ての男がどきっとさせられそうな綺麗さだった。
少女は、気絶していた。かすかに上下している胸から、死んでいないことが辛うじて分かった。
(どうするべきだ・・・?)
かつてない状況を前に、春貴は混乱した。
偶然見つけた血痕を興味本位で辿っていたら、幸運にもこんな綺麗な女の子を見つけてしまった。そんな場合は、どうすれば正しい選択なのか。
知りえる筈も、考え出せる筈もなかった。頭を抱え込んで、苦慮してしまう。
(に、しても・・・・)
盗み見るように、春貴は横目でちらっと横たわる少女を見つめた。
よくよく見れば、少女は自分と同じくらいの年齢だと分かった。確かに華奢で小さな体格をしているが、顔や胸などはすでに成熟に向っている。
・・・・まあ、十六で既に身長百八十センチの大台を越えてしまった自分から見れば、大抵の人間は小さく見えるワケなのだが。
(けっこう・・・・好み――――かな?)
胸中でそんなことを呟き、勝手に一人で赤面してしまう。
眠りについている表情からでも、少女の普段の容貌が窺えた。確かにまだあどけないが、芯の強そうな性格が良く表れた顔立ちだった。
少しつり上がった目は、猫科の生物を連想させる。
好みだ。気の強い、それこそ出会い頭に噛み付いてくるような女はかなり好みだ。尻軽の馬鹿な女より、何倍も魅力を感じる。
しげしげと観察している自分に端と気付き、頬を叩いて喝を入れた。
「とりあえず、連れて帰って手当てでもしてやっか」
これは下心抜きの本心だ。確かに俺は世間一般から見ればただのツッパリだが、筋の通ったツッパリだ。
そこいらのジャンキーや腐れ根性のパー野郎とは、信条が違う。
「軽っ!」
少女の怪我をしていない方の腕を掴み、強引に持ち上げて背中に載せて思わず驚いてしまった。
本当にきちんと飯を食っているのかと疑問に思うほど、軽かったのだ。喧嘩に明け暮れる日々で鍛えた筋肉でも、この軽さは異常だと分かった。
見ると、少女の身体は少々痩せ気味にも見える。この少女がどういった生活を送り、どういった経緯でここに怪我をして横たわっていたのかは知らない。
だが、異常すぎる。何故ここまで体が軽く、そしてこんな路地裏に転がっていたのか。良くない考えが過ぎる。
「う、ん・・・・・」
「お。目が覚めたか?」
背中に抱え込んだ少女がうめきながら寝返りをうったので、目が覚めたかもしれないと春貴は声をかけた。
すると。
「がぶ」
「・・・・・・・・・・・はい?」
肩に、鋭い痛みが走った。
「いってええええええええ!」
「きゃっ!」
あまりの痛みに、春貴は負ぶった少女を振り落としてしまった。だが、それよりも先に、肩の痛みの原因を確認した。
見ると、肩にはくっきりとした歯形が残っているではないか。
よーするに、噛まれた。助けようとした女に。
「・・・・・・てめえ、こちとら親切に手当てしてやろうと負ぶってやったのに、噛み付くたあどういう了見だ!ああ゛!?」
「うるさい!」
春貴の背中から勢い良く振り落とされた少女は、落下の際にぶつけた尻をさすりながら怒鳴った。
猫科――――という表現は案外、的を得た例えだったようだ。今のこの少女はまさに、毛を逆立てて警戒する猫そのものだった。
「お前、誰だ!御館様の使い!?私は絶対に戻らないからね!」
「待て待て待て待て!話が見えねえっての。それに、誰だよ“御館様”って。俺はそんな野郎とは無関係だよ」
「・・・・・・本当?」
「ああ」
春貴の言葉が信じられないのか、少女は疑りの眼差しで、じっと見つめてきた。どうやら、相当警戒されてる。
いや、もしかしたらこれは警戒なんてレベルじゃなくて嫌われてるかも。ただ親切心で負ぶっただけなのに、ヒドイ扱いもあったものだ。
「・・・・何で私を背負ってたの?」
「俺は良心からてめえを手当てしてやろうと思って、負ぶって行こうとしただけだよ」
「“良心”っていう理由だけで、私を助けようとしたの?」
「おう。んだよ、それじゃいけねえってのか?」
「ええ。理解不能だわ。そんな一時の感情に任せて何でもかんでも首を突っ込んでると、そのうち死ぬわよ」
相手がいくら外見が好みの女だとしても、この言葉は聞き捨てならなかった。額に青筋が走る。
「るせえ!てめえみたいなケツの青そうなガキにとやかく言われたかねえ!それに自分の気持ちに正直に生きて、どこが悪いっていうんだよ!」
「そんなあやふやな感情で助けてもらっても、こっちが迷惑だわ!」
「んだと!?自分が気に入った女助けんのも駄目なのかよ!」
はっと我に返り、春貴は口を噤んだ。俺は今、何を口走った。
こんな見ず知らずも同然も女の前で、一目惚れしたことを打ち明けるなどと。湯気が立ち上りそうなほど顔が熱くなっているのが、自分でも分かる。
人生最大の失態だ。この女のことだ、きっと「馬鹿じゃない」とでも一蹴してくるだろう。
「・・・そう、なら別に良いわ」
「え?」
「別に良いわ、って言ったの。聞こえてないの」
「あ・・・・すまん」
相変わらず目の端を吊り上げてそう言ってきたので、春貴は戸惑った。
何でこいつはこうも掴み所の無い女なんだ。何を考えているのかさっぱり分からん。もしかしたら、俺を手駒として丁度いいかもと踏んだのかもしれない。
こちらに友好的なのだから少しは使えるだろう、とか。可能性は高そうだ。
「ん」
「・・・・何だ?」
少女が、春貴に向って両手を差し出してきた。意味が分からず、その手を指差して質問した。
「負ぶって」
「お前、散々俺にケチつけといて急にそれはねえだろ・・・」
「うるさい。早く負ぶれ」
「わーったよ」
そうして背中を差し出し、少女を負ぶろうとした。
だが―――――。
「はーい、ちょっと待ったそこの若い方」
「!?」
突然の声に、春貴は素早く反応した。見れば、何時の間にか路地の入り口に二人の男が立っていた。
一人は、金髪のシルバーアクセを満載したロックミュージシャンを彷彿とさせるパンクスタイルをしていた。いかにも頭が軽そうだ。
おまけに、右目に眼帯までしている。
もう一人の方は金髪シルバーアクセとは正反対で、黒いタートルネックを着たおかっぱ頭のメガネ野郎だ。こっちは、かなり落ち着いた雰囲気である。
声をかけて来たのは、金髪のほうだった。
「いやー、捜したぜえ。それにしてもまさかこんな所でオトコをひっかけてるなんて、意外と隅におけないコだね」
飄々とした口調で話し掛けてくる金髪に、少女は春貴の背中で身を竦めた。怯えているのだ。
先ほどまでの威勢とは打って変っての、弱気な態度だ。恐らく、この二人はこの少女にとって恐怖の対象なのだろう。
「帰るぞ。御館様が待っている」
続いておかっぱ頭も口を開いた。一世代前の恰好のくせに、声は妙に低く渋い。
少女が、背中でさらに身を竦めるのが分かった。
「ちょ、待てよ」
「おお〜、邪魔しないでくれるお若い方?俺らこれ仕事なんだから」
「仕事だか何だか知らねえが、コイツは引き渡さねえぞ?」
「ほわ〜い?どうしてかなー」
「怯えてんじゃねえかよ、こいつ。お前らが原因みたいだしな、それを分かっててソッチに渡すほど、俺は馬鹿じゃねえ」
いちいち癪に触る喋り方をする金髪野郎にイラつきながらも、春貴は毅然とした態度で答えた。
もしもの場合になったとしても、腕には自信がある。そんじょそこらのヤクザ屋にも負けないと、自他共に認めているほどだ。
それに得物なんて使わない。この拳で、どんな奴でも殴り倒すことが、俺には出来る。
「じゃー、しゃーねーなー。実力行使と行くけど、いいかセガール?」
「好きにしろ」
「あんがとね」
すると金髪野郎は、懐からおもむろに一本の得物を取り出した。それは、刃渡りが数十センチはあろうかという、大振りなナイフだった。
いや、もはやナイフではなくナタに近い刃渡りだ。刃は途中でくの字に曲がっていて、ブーメランのようにも見える。
迫力のある一振りだった。
「知ってるかな、このナイフ。グルカ・ナイフっていうんだけど、気を付けろよ?これけっこう戦闘向きだから」
「ああ、そうかい」
そう言うが早いか、金髪野郎は春貴に向って突進した。前傾姿勢で、ぶつかるような勢いで迫る。
春貴は背後にいる少女を路地の奥に押し込むと、その場から動かず迎撃態勢に入る。
「右腕いただき!」
嬉々とした表情で、グルカナイフが振り下ろされた。
春貴はそれを手首ごと払い除ける、そしてずっしりと腰を落とした姿勢から、がら空きになった相手の懐に正拳突きを見舞う。
それは見事に相手の胸の真芯に直撃した。だが。
「惜しい惜しい、良いセンスしてるが、そんな拳じゃ俺にゃ効かねえぜ?お若いの」
今度は春貴が胸に相手のぞんざいな蹴りを喰らった。正拳を繰り出した体勢に、まるで踏みつける様なその足技を喰らい、後方に吹き飛ばされる。
素早く起き上がるが、相手が肉迫するのはそれより早かった。
中腰の姿勢の状態に容赦無くグルカナイフの巨大な刃を叩き込んでくる。
「転べ!」
それを弾かれたように前方に飛ぶことで、春貴は何とか回避した。
つんのめる様に跳びながら、相手の足を掴む。そのまま、相手を足から強引に投げ飛ばした。
「!?しまった・・・・!」
だが、それは失策だった。春貴に投げ飛ばされたことにより、相手は路地の奥へと――――つまり、少女の方へと飛ばされたのだ。
苦も無く着地すると、金髪野郎は投げられた勢いを活かして突進する。
「させるかあ!」
「おりょ?」
春貴は寸での所で相手の襟首を掴むと、力任せに引き戻し、そのまま路地に積み上げてあったビール瓶のケースに叩き込んだ。
硝子とプラスチックの破片が派手に飛び散った。
「退場だ!」
ケースの破片に埋もれた金髪を無理矢理引き上げると、路地の入り口向けて蹴り飛ばしてやった。
しかし相手には全くダメージが無いのか、蹴り飛ばされてもまた華麗に着地した。
「ふいー、強いぜあのツッパリ。眼帯の死角を狙われたわけでもねえのに、なかなかやるぜ!伊達に咆えてねえ!」
「お前が油断しすぎなんだ、響次。俺が片付ける」
「けっ、横取りかよセガール」
拳の間接を慣らしながら、おかっぱ頭―――――セガールが近づいてきた。こちらは先の金髪―――――響次と違って、隙が無い。
殺気を全面に放ちながら、悠然と春貴に向って歩み寄る。
「お前はこの地域の不良のようだが・・・大したものだ。相当な場数を踏んでいるのだろう、その強さはすでに一格闘家にも匹敵する」
「・・・・どうも。けど、だからって手加減はしねえぜ?」
「無論、こちらもそのつもりだ」
「あっそ」
今度は春貴が先制に出た。疾走し、瞬く間に間合いを詰めると、拳を繰り出した。
幾多の修羅場をくぐりぬけ、鍛え上げてきたこの拳は速度も威力も半端なものではない。
「甘い」
しかしあろうことか、春貴の拳はいとも容易く止められてしまった。それも―――――足でだ。
振り上げられた足に、拳が阻まれたのだ。並みの人間がそんなことをしようものなら、その足ごと殴り飛ばされる。
だがこの男は、それを事も無げに止めて見せたのだ。
「俺は響次とは違って遊びはしない。一気にいくぞ・・・!」
おかっぱ頭ことセガールは、ガードした足で春貴の拳を強引に撥ね退けると、そのまま片足を上げた姿勢で上段回し蹴りを見舞った。
それは春貴の顔面に吸い込まれるように決まり、一瞬ふらつきながらも、春貴は何とか耐える。
そこに追い討ちをかけるかのように、セガールは更に、まるでビンタでもするかのように何度も足技を顔面へと叩き込んだ。
「調子こいてんじゃ、ねえぞ!」
「む」
むんず、と相手の足を捕まえると、春貴は重心を低く構え、正拳突きを放った。
足を掴まれて身動きの取れないセガールは、腕を交差させる様な構えで何とか防御する。だが、あまりの拳圧に、路地の入り口まで押し戻される。
そのまま、冷静な表情でずり落ちた眼鏡を整えた。
「強いな」
「な、俺の言った通りだろ?」
だが、彼らの口調はあくまで軽かった。
町のツッパリ相手にここまで苦戦させられているというのに、まるで焦っていない。
「ならば、こちらも本気でかかるか」
「そうだな・・・」
途端、空気が変わった。
今まで場を張り詰めていた空気ががらりと変わり、背中を怖気が走る。そのあまりの変貌に、春貴は戦慄した。
「な、なんだこいつら・・・。急に―――――」
変わった。
まるで全くの別人になったかのように、雰囲気が、覇気が、周囲の空気が変わった。
何なのだ、これは。
「化け物相手にどこまで頑張れるかな・・・・ナイト君」
愉しげに響次は舌なめずりをした。
先と同じ、軽薄な態度だ。だが、迫り来る気迫、闘気、その全てが桁違いだ。
今まではデモンストレーション、ここからが本番とでも言うのか。
「遅い」
「なっ・・・・!?」
突如、目の前にセガールが肉迫した。だがその動きを、春貴は全く見ることが出来なかった。速過ぎるのだ。春貴の動体視力を軽く超越している。
戸惑う春貴に構わず、セガールはがら空きの腹部に痛恨の蹴りをかます。
腹筋を引き締めることもままならず、春貴はその一撃を諸に喰らった。
「がああああ!!」
そのまま路地の奥へと吹き飛ばされ、這ってあったフェンスに直撃し、勢い余ってそれを突き破る。そこで、ようやく止まった。
止まれたは良いが、ダメージは甚大だった。先ほどまでとは、まるで威力が段違いだ。
車が突進してきたような錯覚さえ覚える、重く、強力な一撃だった。気迫といい、威力といい、先刻までの戦いとは別次元だ。
こちらが優勢だったはずなのに、瞬く間に形勢を覆された。
「ほらほら〜、休んじゃダメだってば」
大ダメージを被り、立ち上がることすら侭ならない春貴に、響次がにじり寄ってきた。
手には、夜光煌くグルカナイフが握られている。殺す気だ――――――直感的に悟り、何とか逃れようとするが、身体は言う事を聞いてはくれない。
「さっき蹴り飛ばしてくれたお礼、受け取ってね」
猫なで声でそう言うと、彼は無造作にグルカナイフの大き過ぎる刃を春貴の脇腹に突き立てた。
鍛え上げられた肉体に、銀色の刃が沈み込む。
「・・・・・っぐ!!」
「ほー、我慢強いんだ。いいね、そうこなくっちゃ、でなきゃ殺し甲斐が無いないからね」
脇腹からナイフを引き抜くと、適当に春貴の胸をニ・三度浅く斬りつける。出血は大したことは無いのだが、精神的にはかなり堪えた。
こいつは、言動から分かるように常軌を逸している。春貴には、とてもこんな風に人を斬る事は出来ない。
人を人と思わず、命になんの尊さも感じない者に、こんなふうに弄ばれることが、こんなにも背筋の寒くなることだとは・・・。
「やめて!」
「あん?」
そこで、意外な声が飛び込んできた。春貴をさらに斬りつけようと振り上げられた腕に、あの少女が抱きついたのだ。
本人からしてみれば制止のつもりなのだろうが、体格差が違いすぎた。止めるというよりも、ぶら下がるといったほうが近い。
「おやおや・・・。御館様には出来るだけ傷付けずに連れ帰って来いって言われてたんだけど。しゃあねえな、こーいう場合わ」
ゆらりと、グルカナイフを握った腕が上がる。この男は、まさかこんな少女までも手にかけることを厭わないというのか。
気付けば体が弾かれるように動いていた。
あれだけの傷を負い、精神的にもいたぶられたのが嘘のような動きだった。体が、何故か軽く感じられた。
「どおりゃあああああ!」
「ッ!?」
突然に起き上がった突進してきた春貴に、響次はすぐさま反応することが出来なかった。
グルカナイフの刃先を、腕にぶら下がる少女から春貴へと変えるが―――――到底間に合わなかった。
それより遥かに速く春貴は起き上がり、響次の顔面に渾身の右ストレートを叩き込んだ。おまけに左ストレートも見舞う。
偶然にも顎に拳が当たったのか、たった二発のパンチで響次は足下をふらつかせた。
いくら彼等が唐突に強くなったからといっても、顎への衝撃による脳へのダメージを防ぐことなど絶対に出来ない。
腕にぶら下がっていた少女を引き剥がすと、ふらつく響次の腹部にさらに蹴りを加えて飛び上がらせる。
「――――っこの!?」
蹴り上げられた響次の身体は、混乱に乗じて接近しようとして跳躍していたセガールに空中でぶつかった。
縺れ合いながら、彼らは無様に落下する。いくら身体能力が劇的に飛躍しようと、所詮最後にモノを言うのは力や技ではない。
覚悟――――気持ちといってもいいだろう。要は精神面の問題だ。
いくら優れた肉体や武器、技や知識を持っていても、少しでも相手に気後れしたらそこで負けだ。
これが、長年にわたって多くの修羅場と死の瀬戸際を拳一つで潜り抜けてきた春貴の持論である。戦闘のプロが聞いたら難しい小言を並べるだろうが、関係無しだ。
事実、彼はこの持論と己が強さのみを信じ、不敗を誇ってきたのだ。
「千変万化、天に臨みし大いなる君臨者よ、古き盟約に従いて我の手に下らん――――。第三大氣術―――――“蒼穹の囁き”」
路地を、何の前触れも無く風が吹き始めた。それはせき切った河の濁流のように、抗い難い奔流となって押し寄せる。
まるでそこだけに超局地的な台風が訪れたかのような状況になった。その風は――――というより強風は、路地にあるものを根こそぎ吹き飛ばしていく。
ダンボールからビールのケース。そして、響次やセガールもその例に漏れず、強風を前に成す術も無く煽られるといった状況だった。
しかし、春貴と少女は違った。
「風が俺らを避けて・・・どうなってやがんだ」
「錬精術よ」
「なに?」
風は、二人だを避けて吹いていた。
進路を強引に曲げて通り過ぎる風は、二人の周囲に高圧の空気により霞んだ景色を見せるだけだった。風は、全くといっていほどに吹いていない。
その奇怪としかいいようのない現象に、春貴は呆気にとられた。
「錬精術、別脈種の中でも賢種のみが扱えるとされる内気活用術法。覚えておくと良いわ」
「何じゃそりゃ?」
内気、別脈種、錬精術、賢種・・・。いったいそれは何なのか。まるで聞いたことの無い単語の数々に、彼の頭の中は瞬く間にクエスチョンマークで埋め尽くされる。
「それよりもお前、言ったわよね?」
「はあ?何をだ。俺、何か言ったか?」
「言ったわ。私を助けるって」
「ああ、それなら言った。それがどうしたってんだ、今更」
「なら私の力になりなさい」
少女は背伸びして、背中から春貴の肩を掴んだ。だがいかんせん、身長が違いすぎる為、何がしたいのかは知らないが少女は悪戦苦闘した。
強引に、春貴の肩を下にぐいぐいと引っ張る。
「何だ何だ、今度は!」
「しゃがめ。今すぐ!」
「わーったよ、ったくいちいちうっせーな・・・・」
指示通りに、春貴は腰を落として膝立ちになった。それでようやく、少女は春貴より頭一つ分大きくなる。
春貴の肩にそっと手を乗せると、少女は静かに目を閉じた。そして小さな紅い唇が、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「古に失われし大樹の片鱗よ。生れ落つるが運命を見出せぬ迷い子よ。我が声を聞き、その躯を起こせ。我らは誓約を果たす者達なり」
少女を、淡く紅い燐光が包む。
変換式から内気が溢れ出し、春貴へと流れ込んでいく。それを彼は、漠然とした感覚で受け止める。
温かい、懐かしいようで、酷く悲しい、どこか忘れてしまったパズルの欠片を見つけた――――――そんな感覚だった。言い表すことなど出来ない。
ましてや彼にはそれが、人類の血に古くから宿る契りからくるものだということなど、夢想だにしなかった。
「不味いぞセガール!」
強風に弄ばれ、飛ばされまいと必死に踏ん張る響次が、その背後で同じように耐え凌いでいるセガールに叫んだ。
耳元で五月蝿く鳴り響く轟音に負けないように、声を張り上げた。
「あの小娘、あの小僧に“アレ”を使う気だ!覚醒するぞ!」
「その前に何としてでも止めろ!シナリオに無い覚醒は未知数だ、危険極まりない!」
「分かってる!」
四肢をつき、這い蹲るようにして響次とセガールは前進を開始した。
それを少女は、風の守護の中から見ていた。彼らはそれを止めようと必死で這い寄るが――――どう考えても間に合うまい。
「目覚めよ・・・・・。源の暁―――――――“ジェネシック・ドライバ”」
そして、少女はそっと春貴の首筋へと顔を近づけ――――――――口づけした。
彼女の全身に巡っていた内気が、決壊したダムのように春貴へと流れ込んでいく。
「う、あ――――――」
うなじに急に感じた唇の感触に仰天した春貴だったが、驚く間もなく身体を怖気が襲った。彼女の唇が触れた部分から、何かが這入って来る。
良くない、何かが―――――その気色悪さと不気味さに悪寒が走るが、体は満足に身じろぎする事も出来なかった。
首筋を流れる不快な感覚に、凍りついたように動けなくなる。
「お前に、力を―――――やろう。何物にも屈しない、最強の力を」
金縛りにあったように動けない状態の春貴の耳元で、少女がそう囁いた。
五月蝿い、そんなことを言っている暇があったら、何とかしてくれ。こっちは気色悪さと怖気で気が狂いそうだ―――――。心中でそう叫ぶが、声には出なかった。
「畏れるな、それは恐怖すべきものでも嫌悪すべきものでもない。お前が持つ、本来の力だ」
俺本来の力だって。どういうことだ。
この気色悪い感覚が、俺の力とどういう関係があるんだ。
「さあ、闘え」
その言葉を聞いた途端、全身から怖気と気色悪さが引いた―――――というよりも、それらの感覚が、変わった。
あれだけの不快感が一転して、心地よくなったのだ。体が新品になったように、腕が、足が、間接が、体の何もかもが軽い。
首筋が、熱い。焼ける様に。
そしてその熱さから、力が漲ってくるのが分かった。掘り当てられた源泉の様に、ざばざばと止め処なく溢れかえる。
風が、やんだ。
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