※この二次創作は、管理人が9Sを四巻まで読んだ時点で書いたものです。
9Sとは電撃文庫で連載中のライトノベルです。知らない人はスルーしてください。
それと二次創作ですので、本編とはなんの関係もありません。
その所をきちんと了承した上で、読んでくださいマシ。
その日のことは、鮮明に記憶に残っている。
なかなか蒸し暑い、夏の入りの頃のことだった。
まだ、新しさが残るNCT研究所内で、私は黙々と、遺産の解析に没頭していた。
配属されたばかりで、まだ施設や伊達にも馴染んでいなかった。
おまけに、ブレイン・プロテクトや、日の光の当たらない場所での長期の仕事は、たいそう堪えたものだ。
その中で解析に没頭している最中、施設内が、にわかに騒がしくなっていた。
私はそんなことは気にも留めなかったが、それはやがて大きなどよめきとなって、研究所内に蔓延していった。
傍らで私語している研究員の話に耳を傾けると、どうやら、あの峰島勇次郎の娘が、国の機関に保護されたそうだった。
峰島勇次郎。
今では、すっかりマッドサイエンティストの代名詞と、典型になってしまった人物。
彼の発明や理論はどれも人智と常軌を逸したものばかりで、私の私的見解では、彼の活躍により科学は数世紀分進歩したのではないのだろうか。
絶対の智と狂気を兼ね備えた、現代の錬金術師。
そんな男の子供であるのだから、きっとその娘も常軌を逸した非現実的な思考をした、人ならざる人だろう。
そう、思っていた。
しかし、そのときの私には、まだ峰島の娘に対する興味は皆無と言って等しかった。
そう、まだその時は。
あの光景を、目の当たりにするまでは。
二日間不眠不休で遺産の解析にあたって、すっかり疲れ果てていた私のもとに、何故か伊達がやってきた。
その表情は、いつもより一層険しい。
研究室の椅子に深く沈んでいた姿勢を、素早く整える。
「・・・こんな時間に、私になんの用ですか?伊達さん」
「? 知らないのか岸田博士、拘束された峰島の娘が、今日ここに送られてくることを」
「ああ、そいうえば部下が私語でそんなことを話しているのは小耳にはさみましたね・・・・それと私に何の関係が?」
「それで、貴方には峰島の娘の保管を一任したい」
「何を言っているんですか?伊達さん、馬鹿言っちゃいけない。私はこのラボでの遺産の解析だけで残業尽くしだ、とても余裕なんてないよ」
「そのことに関しては、後に異動の報せが届く。心配無い」
「い、異動・・・!?そんな、急に言われても―――」
「これは決定事項だ、三十分後に峰島の娘がここに到着する。それまでにデスクの荷物を、新しい部署に持っていく準備をしておくんだな。
あと、服装もどうにかしろ。一人だけ白衣で出迎えては不恰好だぞ」
畳み込むように次々と喋ると、伊達は振り返らずにさっさと研究室を後にした。
研究室内には、言葉をなくした岸田が、唖然と突っ立っていた。
三十分後、NCT研究所メインゲート前には、物々しい装備を携えた警備員とLC部隊がすっかり並び終えていた。
そこには、一人だけスーツを着込んだの伊達の姿もある。
「岸田博士、遅かったじゃないか。一体何をして―――――・・・白衣は不恰好と言った筈だが?」
「私はここ四日間、満足にシャワーも浴びていないんだ。不恰好も何もないでしょう」
「まあいい。あと数分で目標がここに到着する。それとここにいる者には既に告げてあるが・・・岸田博士」
「なんです?」
「くれぐれも細心の注意を払って欲しい、でなければ貴方の生命は保証できない」
「え・・・ここにもうすぐ来るのは峰島の娘でしょう?峰島勇次郎本人でもないのに、そこまで注意する必要はあるんですか?」
「峰島研究所から目標を捕縛するために、優秀なLC部隊員十名が病院送りになった。これでも、貴方にとって脅威ではないのかね?」
そんな重要な事を、伊達はしれっと言い放つ。
LC部隊員十名が負傷・・・。
たしかに、LC部隊は特殊部隊としては若い。
だが、その実力は既に世界各国の特殊部隊と比較しても引けを取らないほどだ。
十分な実力も場数も踏んでいる。
そのLC部隊員を十名も。
そう不安に思考を巡らせているうちに、施設メインゲートが稼動音をあげた。
重く分厚い鉄扉が、ゆっくりと上に開く。
すると、外からは蒸し暑い空気が流れ込む。
このADEM施設は山間部に建造されていた筈なのにこれほど暑いということは、外は今夏の季節なのだろう。
ずっと篭りっぱなしで研究していると、こういう季節感などが鈍くなる。
正午に差し掛かった時間帯なので、暑さはピークだ。
メインゲートの外から、ヘリの着陸する音が聞こえる。
タイヤの接地音からして、そうとう巨大で堅牢な、要人輸送専用の大型ヘリだろう。
ヘリから降りてきたと思われるLC部隊員が数名、施設内に入ってきた。そして、真っ直ぐに伊達のもとに向かう。
「時刻ヒトフタ、ニーマル。第十七班、目標の輸送を完了しました」
「分かった。早速運んできてくれ」
「すでに作業に入っております」
伊達の指示に、隊員はすぐに応対する。
そして、約二十名近くのLC部隊員が施設内にメインゲートから入ってくる。
その中心には、一人の少女がいた。
手と足には枷がはめられ、目は無骨なアイマスクで閉じられている。
なにより岸田が驚いたのは、その少女の幼さだった。
彼は「峰島の娘」としか告げられていなかったため、年齢やその他の特徴を全く知らなかった。
「では、先の通信で伝えたとおり、この先にある貨物エレベーターで向かってくれ」
「了解しました」
伊達の指示により、少女は多くのLC部隊員に囲まれながら、メインゲートのすぐ近くにある貨物エレベーターに連れて行かれた。
その後に、岸田は不安そうな視線を送る。
「伊達さん、これは一体どういうことですか!?」
「何がです、岸田博士」
「あれがLC部隊員十名を病院送りにしたって?冗談も大概にしてくれ、あれは・・・あれはまだ、ほんの小さな女の子じゃないか」
「・・・・岸田博士、勘違いして貰っては困る。あれは、あの「峰島」の娘なのですよ?油断すればこちらが、死にます」
「・・・・・・あの子はどうするんだ?やっぱり、第七収容所に入れるのか?」
「違う。あれには、例の地下1200メートルの部屋に入ってもらう」
「な、なんだって!?正気ですか伊達さん、あそこはあんな子供を置いておく場所じゃないし、なによりまだ建造中じゃないか!」
「いま、あの化け物を安全に閉じ込めておくには、あそこしかないんだ。それに、あれを普通扱いしないでほしい・・・!」
押し殺した声で、伊達は呟いた。
それには、確かな殺気が込められていた。
「伊達さん・・・!あんた、人として心が痛まないのか!?」
「それはあの化け物の方だ!アイツは・・・・・LC部隊にいた私の同期を植物状態に追い込んだのだぞ!!」
「・・・・・」
岸田は、黙るしかなかった。
あの少女の待遇も悲惨だが、伊達の言葉もまた悲惨だった。
どちらが悪いなど、第三者に等しい自分が言えるはずが無い。
関係者以外は入ることすら不可能な、超高速エレベーターに、伊達と私は乗り込んだ。
空気は、相変わらず重い。
エレベーターが動くと同時に、足下に浮遊感が生まれる。
それは、このエレベーターが高速で降下している証拠だ。1200メートルまで、そう時間をかけずに行ける。
1200メートル。
少女一人を閉じ込めるには、過ぎる深さだ。
神経質極まりないと言えばそうなのだが、なにせその少女が訓練された大の男十人に重軽傷を負わせたとなれば話は別だ。
「で、私がする仕事の具体的な内容は一体何なんですか?」
「奴の監視と、できればその脳に入っている知識も聞き出して欲しい」
「知識・・・ですか」
「そうだ、奴の頭の中には父親に負けず劣らずの、禁忌の知恵が詰まっている。それを聞き出して欲しい」
「・・・・・努力はします」
「頼むぞ」
程なくして、浮遊感が消えた。
地下1200メートルの牢獄に、到着した。
エレベーターを降りて伊達の後について行くと、ほどなくして一室のラボに着いた。
迷うことなく、伊達はその部屋の戸を開け、中に入る。
そこには、数十人のスタッフがすでに仕事に取り掛かっていた。
しかしその顔には、どれ一つ見覚えが無い。
「今日から、貴方がここの主任です。岸田博士」
「私が主任なんですか?」
「そうです。貴方が先導して、奴の監視等を行ってください。それでは私はこれで、まだ上に仕事を残してきてあるので」
「は、はい。わかりました伊達さん・・・」
そう言い終えると、伊達はさっさと出て行ってしまった。
岸田は、それを見送るとさっそく仕事にとりかかる。
とりあえず、峰島の娘の詳しいデータを見る。先に移動されていたデスクの荷物の中から、その情報の書かれた資料を見つける。
そこには、簡素にこう書いてあるだけだった。
氏名:峰島 由宇
年齢:七歳
他の欄は、コピー段階で黒く塗りつぶされていた。
その資料から、改めてこの峰島の娘―――――峰島由宇の危険性を知る。
「えーっと・・・だれか、峰島由宇の監視カメラの映像は見れないかね?」
「はい、こちらです岸田博士」
忙しなく仕事をしている研究員の中の一人が、岸田の声に気付き、峰島由宇の拘束されている部屋の監視モニターの場所を教えてくれた。
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして」
機械的な動作で一礼すると、研究員はさっさと自分の仕事に戻ってしまった。
その態度に出来るだけ構わず、岸田は監視モニターを見る。
そこには、峰島由宇が収容されている部屋の、全て部位が監視できた。
今でこそ由宇君の収容所は一般の部屋の形式をとっているが、あの時は全くの別物だった。
普通の部屋―――とは、空の彼方より遠い。
それは、「何も無い部屋」だった。
ただ広い空間なだけだ。しかも建造途中のため、壁のコンクリートはほとんど剥き出しである。
その隅の方に、申し訳程度に、簡易的なトイレとシャワーがあった。
しかしトイレといっても椅子部分があるだけで、プライバシー保護のための仕切りなどは無い。
シャワーに至っては、ノズルと排水溝だけだ。
いくら今回の受け入れが急だったとはいっても、これは酷すぎる。
そんな、およそ人を入れておくなど考えられない部屋の隅で、その少女は膝を抱えていた。
岸田は、カメラをズームにする。
由宇は簡易的な検査服に似た質素な服を着せられているだけであった。
先ほどのように目隠しや手足の枷は無い。が、その代わりにプライバシーも人権も皆無な牢獄。
七歳の少女に強いるには、あまりに過酷である。
そのはずだった。
それを見た瞬間、私は己が目を疑った。
それは、収容されている峰島由宇の目だった。
燃えるような、ぎらぎらと輝かんばかりの思いを灯していた。
これが、これがまだ十にもいかない少女のする目つきであろうか。
そう思うと、岸田には由宇が不憫でならなかった。
それから数週間後、私は研究員ともそれなりにコミュニケーションが取れるようになってきていた。
仕事の要領も大分掴み、地上のラボに勤めていたときの忙しさが嘘のようだった。
確かにここもある程度は忙しいが、地上にいた頃のハードワークに比べれば、天と地の差である。
伊達さんも、ちょくちょくと様子を見に来てくれていた。
仕事の方はどうか。
何か進展はあったか。
差し入れを持ってきた。などなど。
ああいう無愛想な人だが、何だかんだ言っても気になるのだろう。
だが、仕事には慣れても。
仕事の対象である峰島由宇は、一向に変わっていなかった。
岸田は暇さえあれば由宇の監視モニターを見ていたが、ここ数週間の間は何の変化も無い。
ずっと部屋の隅で、膝を抱えて座っていた。燃える瞳を湛えて。
日常生活なども、普通に行っている。
トイレやシャワーなども、監視の目など知らん、といった感じで普通にこなしている。
食事も、三食きちんと残さず食べている。
だが、私はいてもたってもいられなかった。あんな少女が、あんな劣悪な環境に一人監禁されていることが。
そして、ある日私はそれを行動に移した。
私は研究員らと共に昼食を食べ、終えるとすぐに仕事に戻ろうとした。
そして不意に、ある扉の前で立ち止まった。
それは、峰島由宇が閉じ込められている部屋を真上から観察できるところだった。
天井が硝子という仕様は、このときから既にあった。
そこには、常時数名の武装した警備員が待機している。
「お待ち下さい」
「え?」
迷わず、峰島由宇の収容室を天井の硝子越しに見られる部屋に直行しようとした岸田を、警備員が呼び止めた。
「なんですか?」
「ここに入るには、専用のパスカードが必要です。岸田博士にはまだ発行されていませんので、ご了承下さい」
「構わん」
「し、司令!」
「伊達さん・・・・」
急に割って入ったのは、以外にも伊達であった。
「岸田博士、貴方には後日きちんとパスを発行しておく。だから今日は私のパスで中に入ってもらおう」
「え?中に入ってもいいのですか、伊達さん?」
「もちろんです、貴方は峰島由宇の監視の第一責任者だ。より近くで観察するのは当然の事でしょう」
パスをスロットに通すと、伊達はドアロックを解除し、中に入っていった。
それに続いて、岸田も入っていく。
そこには既に、数名の武装警備員がいた。
監視モニターからはいつも収容室内しか見ていないので、このような警備員が上で構えていたとは知らなかった。
「ここ数週間、ずっとあの状態だそうですな。岸田博士」
「はい。特に変わった素振りも見せず、普通に生活を送っています」
「そうか・・・・。では、私は先に失礼させて頂きます。出るときはそのままで、ロックは自動でかかりますから」
「あ、分かりました」
眼下にいる由宇を一心に眺めていた岸田を置いて、伊達はさっさと地上に戻っていってしまった。
そして再び、岸田は由宇を上から見つめた。
いつもいつも、同じ位置で膝を抱えて座っている。
不意に、峰島由宇が、上にいる岸田の方を向いた。
その動作に、岸田は驚愕に目を丸くする。
それは、ここ最近で見た唯一の、由宇の動作だったからである。
岸田は、革靴の先で、こつこつと硝子を突く。
完全な防音と防御力を兼ね備えた特殊強化硝子で、大音量のスピーカーでもびくともしない。
ふと、岸田はある考えに至った。
下から、自分のことをわき目も振らず見つめている峰島由宇。
そして、父親に引けを取らないほどの頭脳明晰さ。
それを踏まえたうえでの、一つの考だった。
しゃがみ込むと、硝子越しに峰島由宇に話し掛ける。
彼女が報告通りの天才なら、唇の動きを読んで、何を話しているか分かるはずであろう。
きっと、造作もなく。
「こんにちわ。由宇ちゃん」
返事をあまり期待せず。
慎重に、接する。
だが、眼下の峰島由宇は見つめてくるだけで、何の反応も返さない。
やはり無理があったか、と諦めかけた。その時だった。
『私をそのように呼ばないで欲しい。その位置といい、見下している感覚が否めない』
中の音声は、収容室内にしかけられた無数のマイクから容易に拾うことが出来た。
だが、そんなことは、圧倒的な感動の前に掻き消されていた。
この数週間、なんの反応も見せなかった峰島由宇が、自分の呼びかけに答えたのである。
それは、何故か新鮮な感動であった。
まるで幼き日に、何も知らなかった自分が、無為に感じる喜び。それに似ていた。
「そ、そうか・・・それはすまない。では、なんと呼べばいいのかな」
『私の認識コードはまだ決まっていないのか?』
「ああ、あの案か・・・・あれはまだ上で審議中―――――なぜ、それを知っているのかね・・・?」
『君達科学者は言葉遊びが好きだからな。文字ばかりに拘って、物の本質を見失う―――。良くあることだ』
それだけの会話で、思い知らされた。
確かに、この子は天才だ。
いや、もしかしたら、もうそんなレベルで測れるモノではないのかもしれない。
この子は、ADEMが躍起になって抑え込むだけの事はある。
「そ、それで、なんと呼べばいいのかね。私は」
『君は部下の事をどのように呼んでいる?』
「え・・・?ああ、そうだな・・・「君」、かな?」
『それでいい』
「こ、これでいいのかね?」
返事は、無かった。
代わりに返って来たのは、峰島由宇の満足げな視線だけであった。
「そうか・・・・じゃあ、由宇君」
『なんだ?』
「私の名前は岸田・・・岸田群平だ、これからもよろしく」
『――――』
今度は、意外そうな視線で返事を返された。
岸田には、その理由が掴めなかった。
「どうしたんだね?」
『・・・・そんな風に他人に接されたのは久しぶりだ・・・いや、初めてか?』
その一言。
その、たった一言だけで、彼女がどのような環境下で育ってきたのか、大部分の予想がついた。
そしてその環境が、決して子供が育っていく環境として適していないのは、明確だ。
「・・・・そうか」
『どうした?消沈しているが?』
「いや、そんな歳で・・・こんな所に閉じ込められて、不憫だと」
『そんな風に同情される謂れはない、不愉快だからやめてほしい。それと、危険である存在を早くに確保・拘束することは正しい対処だ。
何も間違ってはいない』
「・・・陽の光」
『―――!』
由宇は、岸田の呟いたその言葉に、一瞬眉を引きつらせた。
「由宇君、君はもう・・・何週間も外の景色を、いやその部屋の外すら見れたことがない。いくら君が普通の子供の常軌を逸していても、
そのような精神的苦痛は耐えられないはずだ・・・。これでも、問題ではないのかね?」
『じゃあ・・・私を外に出してくれるのか?』
自分がここまで愚かだったということを、岸田は初めて認識した。
そして、由宇から視線を離すと、残すべき言葉もなく、ただ無言で去るしかなかった。
1200メートル。その数字が、今はこんなにも重い。
そして、その事件が起きたのは数日後のことだった。
由宇は、岸田が訪れた日を境に、食事を一切取らなくなった。
定刻になって、鉄扉越しに差し出された食事にも、全く手をつけなかった。
トレイに乗った食事が、そのままの状態で戻ってくるという日々が続いた。
せめて栄養注射の一つでもしてやりたいのでが、実際に倒れた場合でなければ、警備上の問題で部屋に入る許可が下りなかった。
私も何度も伊達さんのもとへ直談判に行ったが、「死ななければ問題ない」という無情な一言の前に追い返された。
最初は軽い気持ちでいた由宇の監視室の職員達も、由宇の断食の日数が増えるにつれて、その雰囲気を重くしていった。
私自身、由宇君の事が心配で、仕事がほとんど手につかない状態であった。
そんな張り詰めた空気は、数日後に突然破られた。
「主任!峰島由宇が倒れました!」
「な、なんだって!?」
交代で監視モニターを見ていた一人の研究員が、モニターを指差しながら叫んだ。
私や他の職員・研究員は、急いでモニターを囲んだ。そこには、確かに倒れている峰島由宇の姿があった。
「い、急いで医療班を部屋に・・・!」
「しかし主任、司令の許可がなければ警備の者以外は部屋に入れませんよ!?」
「それなら、全センサーを使って意識レベルを確認しろ!」
狼狽する研究員に、私は怒鳴りつけた。
全員が素早く持ち場に戻り、すぐさま由宇の状態を確認する。
由宇の収容されている部屋に仕掛けられた、ありとあらゆるセンサーを駆使した。
「体温、呼吸、心音、脈拍、血圧、発汗状態・・・・どの数値を見ても、意識があるとは思えません!
これ以上細かい状態確認は、直接でないと。ここからでは無理です!」
「わかった、すぐに司令に伝達!由宇君の部屋の全ロックの緊急解除を要請しろ!」
「了解!」
私が指示を下してから数分後、急遽連絡を受けた伊達司令が、この第一管理室にまで降りてきた。
その表情は、険しいなどの問題ではない。鬼気迫るものだった。
「――――現状の報告をせよ・・・!」
「現在、峰島由宇は約150時間27分に及ぶ絶食により衰弱。このままでは生命の保証はできません」
私は冷静に、伊達に返事を返す。
その返答を聞いた伊達が、歯軋りをする音は私の耳にまで届いた。
監視室に張り詰めていた緊張の空気が、度を増す。
「・・・分かった、収容室の第一から第八までのザンジバル・ロックの解除を許可する。ただし、室内に入る場合はLC部隊も同行させる。
いいな?」
「・・・はい」
私は直に医療班に指示を出した。
すると、数分後に、由宇君の収容されている部屋の鉄扉のロックが轟音を立てて外されていく。
「・・・あれ?」
「どうしたのだね?」
由宇の身体状況をモニターしている一人の研究員が、唐突に声を上げた。
「いえ・・・あの、一瞬目標の心拍数が変動したように見えて―――」
「最近由宇君の断食に皆つき合わされたからな、疲れが溜まっているんだろう。あともう少しだ、頑張ってくれ」
「は、はい」
見れば、監視室の中の研究員と職員は皆、頬が少しこけていた。
中には、足下が覚束ない者までいる。
これが終わったら、地上の食堂で皆に何か奢ってやるか―――。私は、呑気にもそんなことを思っていた。
その時だ。
『ぐわあああああぁぁ!!』
『きゃああ!』
突然、峰島由宇の収容室をモニターしている画面から、悲鳴と絶叫があがった。
全員が一斉に、モニターに噛り付く。
そこには、血を流し倒れ伏すLC部隊員。恐怖に身を丸めてうずくまる医療班。
そして、その中に一人立ち尽くす峰島由宇の姿が写っていた。
その瞬間、伊達が研究員から備え付けの館内放送マイクを奪い取る。
「緊急事態発生!セキュリティレベル・アンノウン発令!」
そう言い終えるが早いか、伊達はマイクを放り捨てると、そのすぐそばに備え付けられている非常事態発令宣言のボタンを、ガードの硝子ごと叩いた。
同時に、けたたましいアラートの音がNCT研究所地下ブロックに鳴り響く。
その様を、私は何も出来ずに、ただ呆然と見守っていた。
アラート発令により駆けつけたLC部隊が収容室内に突入したが、そこには既に峰島由宇の姿は無かった。
その報告を受けた伊達の舌打ちが、やけに耳元で聞こえたような気がした。
私の頭の中は、様々な思考が入り乱れていた。
いくら演技とはいえ、衰弱した体で何故あそこまで動けるのか。
常人なら、指先を動かすことさえ、相当な苦痛を伴うだろう。
いや、意識を保つことさえ難しいはずだ。
だが、そんな状況にも関わらず、あの峰島由宇は立ち上がった。そして、LC部隊員まで伸したのである。
驚愕、その一語に尽きる。
「くそっ!あの小娘が、やはり猿芝居だったか!まんまとはめられた!!」
伊達が、デスクを力強く叩く。
あの後、私たち全員は緊急エレベーターを稼動させ、LC部隊と警備員の堅牢な護衛により、いったん地上に戻ってきていた。
峰島由宇の姿は、依然として確認されぬままで。
そして今私は、伊達の部屋。即ち司令室に呼ばれている。
目の前では、相変わらず伊達が激昂している。
その怒りの矛先は、突如私に向けられた。
「岸田博士・・・貴方は一体何をしていたんですか!?いくら一週間近く奴が絶食していたとしても、意識の確認はできたでしょう!」
「それについては、地下に残っているコンピューターの記録を見ていただければ問題はありません。あの時の峰島由宇は、
数値上では間違いなく無意識状態でした。それに、あのまま放っておけば、例え演技でもあの子は確実に死んでいます!」
「言い訳は聞きたくない!いいか、それを覆したいのなら、奴の監視責任者であるあなた自身が身を張って、それ相応の証明をしろ!」
「わかりました・・・!身を張って証明すれば良いんですね!」
吐き捨てるようにそう言い残すと、私は踵を返すように司令室を後にした。
その背後で、伊達の怒声が聞こえていたが、無視した。
私は子供のように、頭に来ていた。
由宇に対する、差別的な対応。
伊達の由宇に対する執拗な敵意。
何より頭に来ていたのは、自分のあまりの不甲斐なさ。
途中、医療室に寄り、そこから栄養注射を数本徴用する。
そして、まっすぐに超高速エレベーターへと向かった。
昇降ボタンの横についているセキュリティ・カードスロットルに、カードを通す。
「待て!」
開かれたエレベーターに今にも乗り込もうとしていた私の背中を、ある声が呼び止めた。
怪訝な表情で振り向くと、そこには何と――――息を切らした伊達がいた。
恐らく、私が医療室から栄養注射を拝借したのを聞きつけ、その考えに気付き、追ってきたのだろう。
「なんのつもりだ、岸田博士。私は確かに身を張って証明しろと言ったが・・・自殺しに行けとは言っていない!」
「? なんのことですか、私は自殺をする気などありません」
「では何故武器も防具も無しに降りようとする!あそこにはまだ奴が――――――」
「そうだ、あそこには由宇君がまだいるんだ!私はあの子の監視責任者であると同時に、彼女の身の安全を保障する義務もある!
だから、あの子が死にそうになっているのを見逃すわけにはいかないんだ!分かったか!」
私は、ありったけの強きを篭めて言い放った。膝が笑っていなければ、それなりに格好がついていただろう。
伊達は、変わらず険しい表情を視線を向けていた。
「・・・・頼んだぞ」
「え・・・?」
「だから、頼むと言ったのだ。峰島由宇の命は、貴方にかかっている。無事に帰ってきてください」
「あ、ああ。分かった」
一瞬、目の前の光景と、聞こえた言葉全てを疑ってしまった。
まさか、あの強面の伊達からそんな言葉が聞けるとは、全く考えもしなかった。
伊達の視線を背中に感じながら、私はエレベーターに乗り込んだ。
足下に、浮遊感が生まれる。
数分もしないうちに、このエレベーターは地下1200メートルに到着するだろう。
だが、由宇君の無事を確認できても・・・・・・・自分が攻撃を受けないという保障は全くない。
殺されても、それは当然のことと言えるだろう。
しかし私の中には、それは違うと叫ぶ自分がいた。
今の私はその叫ぶ自分を信じて、地下に向かっている。
・・・愚かなのかもしれない。
だが、私の中には今も木霊しているのだ。
あの時、由宇君の言った言葉。
『 じゃあ・・・私を外に出してくれるのか? 』
締め付けられる。
その一言に。
あれはあんな幼い子供が、言うべき言葉ではない。言わせてはいけない。
それは、子供を育てていく者の最低の条件だ。
その思考の巡りは、エレベーターが到着した音で遮られた。
ドアが、ゆっくりと開く。
そして、目に映った光景に叫んだ。
「由宇君!!」
エレベーターのドアの目の前には、衰弱しきって倒れている由宇がいた。
誤算だった。
あの収容室からLC部隊を掻い潜って脱出したは良いが、その後が不味かった。
増援で駆けつけたLC部隊の数は、予想をはるかに上回るものだった。
そして、彼らは地下のいた者全てを引き連れて、地上へと戻っていった。
何もかもが、予想外。
まさか、危険対象である自分のことを放り出して地上に脱するとは思ってもみなかった。
それともう一つ。
体の衰弱が、計算より激しかった。
私は何とか衰弱した体に鞭打って、這いずりながらエレベーターの前まで行ったが、そこで終りだった。
私には、立ち上がって、エレベーターのボタンを押すことは叶わなかった。身体の疲弊は、それほど激しいものだったのだ。
無念だけを残して、私の意識はそこで途絶えた。
体に、揺れを感じた。
次いで、浮遊感も生まれる。
微かに、意識が浮上する。
次いで声が聞こえた。
『だ・・・・ぶか、・・・!』
しかし、力の残されていない体は、それすら満足に聞くことが出来ない。
『いま・・・・を・・!・・・、・・・・くれ!』
腕に、痛みを感じた。
同時に、なにかが体内に入ってくる。
体内に入ったソレから、何かが注ぎ込まれる。
じわじわと、体が奥から熱くなってくる。
体が、衰弱していた身体が、みるみる回復していく様が分かる。
私は、目を開いた。
「由宇君!!」
エレベーターのドアが開くと同時に目に入った光景。
由宇君が、倒れていた。
私は、すぐさま駆け寄ると、由宇君の体を抱え上げた。
身体は、過ぎた絶食により軽い。
腕や足などは、病的に細い。
「だいじょうぶか、由宇君!」
抱え上げた軽すぎる由宇君の体を、私は揺さぶった。
だが、意識が完全に無いのか、返事は無い。
「いま栄養注射をする!痛いが、我慢してくれ!」
白衣のポケットに手を突っ込むと、そこから注射器を取り出した。
先ほど医療室から拝借した、NCTで開発されていた最新の栄養注射である。
戦場での使用を想定されていた物で、非常に高い養分を即効かつ持続的に与える事が出来る。
使用想定が戦場なだけあって、針も事前の消毒が要らない特殊な物を採用している。
それを由宇君の腕に押し当てると、血管に針を刺す。
一瞬血が逆流して注射器内の薬液に浮かぶ。
ピストンを押して、ゆっくりと流し込んだ。
注射してから数十秒後、由宇君の体が微かに反応した。
指先が、跳ね上がるように動く。
「き・・・・し、だはか・・・せ?」
「そうだ、私だ!もう大丈夫だぞ由宇君!」
私は頭の隅で、もうダメなのかもしれないと覚悟していた。
あの長時間に及ぶ絶食である、死んでしまっても不思議とは言えない。
だから、由宇君が目を覚ましたことは本当に奇跡で、嬉しかった。
不意に、由宇の腕が上がった。
それは由宇が、自らの意思で持ち上げていた。
「ど、どうしたんだ由宇君?今の君は少しのことでもキツイのでは―――――」
「・・・・そ、と」
後頭部を、木槌で打ち貫かれたような気分だった。
あまりのショックに、目の前が霞む。
彼女は、指差していたのだ。
この地の底から遥か1200メートルも上に臨む、雄大な『外』を。
焦がれているのだ。
「・・・たいよう・・・か、ぜ・・・・くも・・・・・そら」
涙が溢れた。
私は、止めどなく溢れさせた。
私は、ここからこの子を解放しなくてはならない
そうしなければならない。
でなければ私は・・・・・人としての尊い部分を多く失うだろう。
だが、私にはそれを行うことはできない。
職に仕える者として、一人の人間として。
この子を解放すれば、私は職を失う。
この子を解放すれば、更なる悲劇がこの子を襲うかもしれない。
そう思ってしまう。
それが逃避なのか、現実なのか。
私には皆目検討もつかない。
ただ一つ言えること・・・・それは、
岸田群平は・・・・一人の人間を、殺した。
だから、捧げよう。
これからの私の人生を、君に。
どんな形でかは分からないが、君がこの牢獄を去る・・・・その時まで。
私はこの人生の全てを、君のために使おう。
それが私のできる唯一の償いだ。
人として失格した、私のできるせめてもの・・・懺悔と浄罪。
分厚い地面を隔てた空を望む少女に、私はそう誓った。
「はい、はい・・・・その通りです、はい、ですから今回のセキュリティの発動はシステムの誤作動です。なにぶん出来てあまり間のない施設でして・・・、
もうしわけございません。では」
伊達は、最後の謝罪の電話を終えた。
疲れきった動作で通話をきると、携帯をソファの上に放り出した。
そして、司令室に相応しい、豪奢な革張りの椅子に深く座り込む。
「今回の事件は、記録には残らない。無かった事件だ。収容して一ヶ月も経たぬ内に脱走などという醜態を晒しては、奴の廃棄処分が決定してしまうからな」
「え?」
その伊達の一言に、司令室に呼ばれいていた岸田は声を上げた。
岸田は、由宇を地下から助け出すと、そのまま医務室に直行した。
そして医療班と一緒に、由宇の介抱をしていたのである。
それが終って一息つこうと思っていた矢先、アナウンスで伊達の司令室に呼ばれたのだ。
「伊達さん、それって・・・」
「峰島由宇は当初、その危険性から廃棄処分がほぼ確定していた・・・だが、あの頭の中には多くの遺産が詰まっている。殺すには惜しい。
だから私が上層部に進言して、保護を申し出たのだ」
その一言で、岸田の頭の中に陣取っていた憤りが全て風に消えた。
伊達は、由宇をただ邪見にしていたわけではないのだ。
誰よりも由宇君の処遇を憂い、行動している。
そんな理解ある人物。
ただ、決してそれを見せない。
「・・・・優しいんですね、伊達さん」
「優しさとは、相手に分かってこそ意味あるものだ。私のしていることは優しさでもなんでもない。ただの節介だ。
岸田博士・・・・、このNCT研究所で、あの子に『優しさ』をかけてやることが出来るのは、貴方だけだ・・・」
「・・・そんなことないですよ、私の『優しさ』も結局は・・・・自分の為ですから」
「それでも相手が『優しさ』と受け取るなら・・・・それは立派な『優しさ』だ。その裏にある感情は関係ない」
「・・・・そうですか―――――」
「ああ、今思えば・・・・・何もかも皆懐かしいな・・・・・」
そうして、岸田は一連の回想を終えた。
由宇が、このNCT研究所に来てからの数年間。
それは苦難で、決して誇れたものではない。
岸田は、由宇が走り去っていったゲートの外を眺めた。
下の階層では、木梨の暴走の騒ぎが続いている。
「子は巣立った・・・・・・私の役目も、終わり・・・・かな?」
風が、一陣の風が吹き去る。
それが巣立ちを伝え、讃える自然の声のようで、岸田の心の中に深く刻まれた。
空になった巣には、もう何も無い。
/the end.
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