「えーと、それでは予てから言っていた錬精術の講座を始めたいと思います・・・・準備はいいですか?」
「いつでも大丈夫です!」
不安げに訊ねる英翔に、霧恵は自信満々に答える。
店のテーブル席を挟むように座った二人を、カウンターに座ってあやとりに勤しむ結ヱはさり気なく盗み見る。
今日英翔は、霧恵に本格的に錬精術を教えることとなった。
東京奪還作戦の時に、霧恵と約束しているので、別段驚きもなければ不安もなかった。
だが、迷っていた。
本当に霧恵に錬精術を教えるべきか否か。
あの時は、霧恵の自制も兼ねて錬精術をマスターしてもらえば良いと思っていた。
それが彼女の為に、少しでも役に立つと考えていた。
だが今は違う。
本当に、このような力が彼女に幸いをもたらすのだろうか。もしかしたら、不幸を招くだけではないのだろうか。
しかし、英翔はそんな弱気な思考を振り払う。
錬精術が彼女に及ぼす影響は、全く判らない。
けれども、いまの彼女には溢れ出す内気をコントロールする術が必要なのは事実だ。
今は、それを念頭におけばそれでいい。
「では、まず基本的な事から始めていきましょう。・・・・それと、霧恵さんは本当に賢種なんですよね?」
「た、たぶん――――」
「あれだけの出力の内気を持つには羅種では不可能に近いですから、きっとそうでしょうね。もしかしたら、両極ということも考えられますが」
「えっ、本当ですか」
「まあ、両極の特徴は内気の大出力だけではなく、内気を必要としない突出した身体能力も含まれますから、可能性は低いですけど」
「そうですかあー」
それは遠回しに、貴方は運動音痴だと言っているようなものだが、当人は全く気付いている様子はなかった。
こんな彼女に本当に錬精術が習得できるのか、英翔と結ヱは不安せざるを得なかった。
「次は、基礎知識のほうに移りましょう。では、人間と別脈種の違いは分かりますか?」
「えーっと・・・その、変換式が有るか無いか?」
「そうです。そして逆を言えば、人間と別脈種の違いはそれだけしかありません。それほどに、別脈種における変換式の意味は重要ということですね」
「ほー」
分かっているのいないのか、霧恵は感心そうに首を振る。
「そして、その別脈種を大別するのが“賢種”と“羅種”です。両者の違いは変換式の規模と、もう一つは?」
「・・・・それは・・・その、えっと・・・運動能力の違い?」
「確かに、賢種と羅種の違いには身体能力の差異が良く挙げられますが、厳密には、これは間違いです。羅種の身体能力の高さも結局は内気に依存したもので、
錬精術を使えば、賢種にもそれは再現可能です。正解は、錬精術が使えるか、使えないかです」
「え、羅種の人は使えないんですか?」
「一般にはそう言われています。羅種は賢種に比べて変換式の規模が平均的に乏しく、錬精術を発動することは困難なんです。でも訓練さえ積めば、
少ない内気でも多少の錬精術は行使できます。事実、貴子さんも少し錬精術を使えますからね」
「じゃあ、それも不正解じゃないんですか?」
「いいえ、これにはまだ続きがあります。いくら高い身体能力を有していたとしても、羅種は錬精術を使えない限り賢種と大きな差が開いてしまいます。
それを補うために、羅種には種族別に“固有能力”が存在するんです。これが、羅種と賢種を隔絶する最大の要因です」
「その固有能力って、そんなに凄いんですか」
「そうとも限りません」
英翔は平然に、きっぱりと言い切る。
「固有能力は、羅種の中でも区々で、その優劣には大きな差があるんです。昔、御三家に数えられていた“上条”などの鬼種の羅種は、
強力な固有能力を有していますが」
「鬼種?」
「羅種独特の種族系統に属する種族です。賢種はそのような「〜種」という区別はなく、一括りに賢種と呼ばれていますが、羅種には様々な種族が存在するんです。
例えば先に挙げた上条のような“鬼種”、鬼種とは、羅種の中でも最上位に属する血統です。その中でも頂点に君臨するのが上条に代表される“吸血種”。
それに次ぐのが、貴子さんのような“人喰種”。そしてその下に“獣人種”があります。羅種は年々減少の一途を辿っているため、最近ではもうほとんどみかけませんが」
「何でですか?」
「やはり固有能力だけでは、賢種との差を埋められなかったから、というのが通説です」
「あっと、その御三家っていうのは・・・?」
「御三家とは、別脈種の中でも特に強力とされる一族のことです。ですが今は上条の一族が滅びてしまったため、実質、御二家といった状態ですが。
羅種の御三家は上条だけだったので、残っているのは全て賢種の種族ですね。ベルゼルドや、真門のような」
「あ、ベルゼルドっていう家の名前は聞いたことがあります。なんでもロシアで、代々一族で“学院”を営んでいるっていう」
「そうです。ベルゼルド家が代々院長を務めるベルゼルド・ナッシュ・リンガムド学院は唯一存在する別脈種養成学校で、両極の輩出率が高いことでも有名です。
真門に関しては、世間との交流を一切断っているのが有名で、その内情は殆ど知られていません。
基本的な地理に関しては、これぐらいですかね」
「はい」
そう言うが早いか、英翔は早速次の準備に取り掛かった。
足元をまさぐり、一冊の大きな本を、どんとテーブルに乗せる。
年期の入った、良く使い込まれている本だ。
「英翔さん、これは・・・?」
「霧恵さんが見るのは初めてでしたね。これは「錬精演義」と言って、どの賢種の家系にも一冊はある錬精術の練習書です」
「これで、錬精術の練習が出来るんですか?」
「はい。この書物の中には錬精術で構成された仮想空間が広がっていて、分かりやすく言えばテレビゲーム感覚で錬精術の訓練が出来る優れものです」
封の紐を解くと、その最初の頁を開いた。
だがそこに、文章は無かった。
ただ頁一面に、満遍なく回路図のような線が描かれている。
所々に文字の羅列なども含まれており、それは漢字から英語、果てには象形文字にまで及んだ。
「こ、これは・・・・」
「これが錬精演義を著す錬精廻廊図です。ここに手をかざす事によって、その頁ごとに記された錬精術を学ぶことが出来ます。これは、基礎の最適化の頁ですね。
じゃあ霧恵さん、早速やってみましょうか」
「え!?今すぐですか?」
「大丈夫ですよ。最適化といっても、これはまだ初級のものです。ただ集中して錬精演義に従えば、失敗することはありませんから」
「は、はい・・・」
納得し切らない顔のまま、霧恵は英翔の言葉どおりに書に手をかざす。
すると、頁に刻まれた幾何学模様の線達が、薄く光り始めた。
手の平が熱い。
同時に、霧恵を不思議な感覚が襲った。
頭の中に、情報が入り込んでくる。
今まで全く知らなかったような言葉、感覚、力、それが溢れんばかりに霧恵の中に押し寄せてきた。
これが別脈種最大にして唯一の武器、変換式の使い方・・・。
錬精演義から流れ込んでくる情報に従い、霧恵は神経を研ぎ澄ませた。
最適化、それは錬精術の基礎にして、最大の肝でもある。
全神経を総動員して、己の意識を高め、研ぎ澄まし。
大気に渦巻きひしめく外気に、感覚神経が身体を飛び出して手を伸ばす。
途端、外気に伸ばした感覚神経に鋭い痛みが走った。
ほんの少し触れただけなのに、まるで針を深く突き刺すような痛みだ。
これが、如何なる錬精術の発動も許さない・・・外気。
内気とは、変換式を通じて生まれる、魂を源にした霊的エネルギー。
そして外気とは、大気中に漲る森羅万象の霊的エネルギー。
たった一人の人間から溢れるエネルギーと、世界を覆う万物のエネルギー。
その差は明確にして絶対。広大な砂漠と、その中の一粒の砂塵。いや、それ以上だ。
喩えようの無いほどの、覆しがたい差。
そんな中にいくら内気を放っても、すぐにかき消されてしまう。これでは錬精術の発動など到底不可能だ。
だが、その不可能を可能にするのが最適化・・・。
内気とは、人間の中に渦巻く霊的エネルギー。
なら外気も、人間の体内に酷似させれば、内気の霧散も防げる。
錬精術の発動も可能となる・・・。
「っはあ・・・!」
そこで、霧恵の意識は引き戻された。
頭と、首筋が酷く痛む。
それだけではない、息が苦しい。
まるで呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、口は陸に揚げられた魚のように開き。
肺が痙攣しているように感じる。
「大丈夫ですか、霧恵さん!?落ち着いて、呼吸を整えてください!」
「っが、かは!ごほごほ―――――・・・・っはあ、はあ、はあ」
英翔の言葉を頼りに、何とか呼吸を持ち直すことに成功した。
しかし心臓は未だ早鐘をうち、喉は荒い呼吸に痛い。
「霧恵さん、しっかりしてください!」
「・・・もう、もう大丈夫です。英翔さん――――――」
「本当ですか?すいません、私としたことが。確かに霧恵さんにはまだ錬精演義による実技はまだ早すぎました。申し訳ありません・・・」
「いいえ、そんなことはありません。それに、そんな生半可な覚悟じゃ、これから先やっていけないじゃないですか」
「ですが、私のミスで霧恵さんが苦しむ姿は私は見たくありません・・・」
霧恵は、小首を傾げた。
身を案じて不安げな表情をする英翔が、何故か・・・。
怖れているように、見えた。
ただ、漠然にだが、そう思った。理由は分からない。
見間違いなのかもしれない。だが、霧恵にはその表情が気になって仕方がなかった。
英翔は自分の過ちを悔やみはするだろうが、恐れるなどという事は決してない筈だ。
では、一体彼は何に怯え、何に震えているというのか。
「実技はこれぐらいにして、後は錬精術の基礎知識をまとめて今日は終わりにしましょう」
「はい」
錬精演義の緒を締め、早々にテーブルの上から引き下げた。
目に入らないようにと、隅の方へ追いやる。
「では、講義といきましょうか霧恵さん」
「お願いします」
「最初に、錬精術のカテゴリーから説明していきましょうか。基本的に、錬精術は森羅万象の理に則った上での法ですので、四大要素を元にした術が一般的です」
「一般的・・・ということは、一般的じゃないものもあるんですか?」
「はい。錬精術は地・水・火・風のどれかに属するものですが、例外もあります」
「例えば?」
「四大要素に準じないもの・・・呪術や、内気を無加工のまま使用する気術、そして『翼』や『天使』を代表とする天術、などが有名ですね。
それでは話を戻しましょう。四大要素の術は、二段階に難易度が別けられているんです」
「どんな風にですか?」
「例えば、火の属性なら火術・焔術といったように段階が進み、水は水術・雹術、地は地術・核術、風は吹術・大氣術、といった具合です。
錬精術にはそれぞれ番号がふられていて、数字が大きくなるにつれて威力も増大します。一段階目の術は第一番から第十番までで、二段階目に制限はありません」
「制限がないっていうことは、どれくらいになるんですか?」
「はい。二段階目の術はだいたい三百番ぐらいまであって、焔術はその中でも多く、千五百十二番目まであります。火属性の術は全錬精術中最も簡単で、
そして攻撃に長けた術です。入門者も、たいてい火術から焔術、そして格要素の基礎と二段階を修了していきます」
「そ、そんなに覚えられるんですか・・・?」
「無理ですね」
「え?」
「錬精術といっても、言語詠唱で発動する基本形もあれば、陣を展開若しくは作図する円陣系、そして予めの準備を必要とする儀典系。
さらには圧縮言語詠唱や思想詠唱によっても、新たに発動方法を学ぶ必要があるので、その総数は換算するとほぼ数千万単位。
いくら別脈種といえども寿命も人間と一緒なので、とても修得しきれませんよ。良くて二割ですね」
「たったの、二割ですか・・・」
「それでもだいたい、数千種類に及びますけどね」
「私、頭痛くなってきました――――」
数千万、という天文学的な数字に、霧恵は頭を抱えた。
錬精術を作る人たちは、それを学ぶ人のことも考えて欲しい、などという子供じみた考えまで浮かぶ。
確かに、錬精術も、見方によれば一つの学問である。
学問の追及、開拓に終わりはない。
それこそ、人類が朽ち果てるまで永久に続き、そしてその膨大な知識は山のように積み重ねられていく。
「では、本格的な実技は明日にして。今日の講義はこれにて終了です」
「ありがとうございましたー」
椅子に座ったまま、霧恵は深々と頭を下げる。
「いえ、私はそんな大したことは―――――――――――――――ッ!?」
「・・・・英翔さん?」
急に言葉に詰まった英翔に、霧恵は呼びかける。
だが彼は顔真っ青にしたまま、微動だにしない。
「ッつ!!」
「ど、どうしたんですか英翔さん!?」
そして、弾かれたように椅子から立ち上がると、そのまま転がるように店の奥にあるトイレに目掛けて駆けていった。
その後を、急に様子がおかしくなった英翔を心配した霧恵がすぐさま追いかける。
だが、それより早く英翔はトイレに駆け込むと、内側からしっかりと鍵をかけてしまった。
錠が落ちる、金属音がドア越しに聞こえた。
それに構わず、霧恵はドアノブを握りながら、トイレの戸を必死で叩いた。
「英翔さん?どうしたんですか、急に走り出したかと思うと――――どこか体調が優れないんですか?」
「だ、だいじょうぶ・・・・・です・・気にしないで――――下さいっ」
「気にしないでって・・・あんな様子で、気にしないも何も―――――ッ」
「私は・・・・本当に大丈夫ですから・・・・っ!」
問い詰める霧恵に、英翔は声を荒らげた。
その声に、霧恵は驚いた表情のまま、ただ立ち尽くすしかなかった。
一体彼の身に何が起きたのか、彼女に知る術はない。
「こんな姿を見せるわけには、いかないじゃないですか・・・・」
トイレと併設されている洗面所に手をつき、英翔は呟いた。
その白い流し台は、今は真っ赤に汚れていた。
赤い液体が、流しに入りきらず床までも汚している。
唇には、未だ零れ続ける血が滴っていた。
(まさか、あんなタイミングで・・・)
流石の英翔も、自覚症状が霧恵との会話中に襲ってくるとは思ってもみなかった。
急に頭に電気のような痛みが走ったかと思うと、次には頭蓋が砕けそうな激痛が駈け巡る。
そして、口からもまた、血が逆流してきた。
これは本格的に、医者に診てもらう必要がありそうだ。
「・・・・英翔さん」
ドアの外から、消え入りそう声で霧恵が話し掛けてきた。
「どうしました、霧恵さん」
「・・・・いいえ、いいです。英翔さんも、本当に無理だけはしないで下さいね」
「ありがとうございます。大丈夫ですよ・・・・」
嘘だ。
大丈夫なわけがない。この身体は今も、じわじわと蝕まれ、冒されている。
このままでは、そう遠くないうちに死ぬ。
・・・・死ぬ。
日常にまで死神は忍び込み、鎌を構えて、この命を狙っている・・・。
気が触れそうだ。
怖い。このまま死んでしまうのは。
幾多もの人を殺めておいて、今さら自分だけは死にたくない。そんな自分の考えに、感情に、英翔は嫌悪する。
覚悟していたのではないのか。死を。
この修羅の道に脚を踏み入れたその時から、必ずこういう時が訪れることを、分かっていたはずだ。
だが、願わずにはいられない。
もし、もし霧恵にこの事実と、思いを伝えたら。彼女は一緒に、この絶望の夜を越えてくれるだろうか。
それが叶うのなら、それはどんなに甘く、輝かしく、残酷な幻想だろう。
もう一人の自分が、叫ぶ。
こんな自業自得の結果に、彼女を巻き込むのか、と。いま自分が死に瀕していることを告げても、彼女を苦しめるだけだ。
それだけは、避けたい。
しかし、弱い自分が哀哭する。
一人は怖い。一人で、誰にも知られずに立ち消えるのは、たまらなく恐ろしい。嫌だ。
二つの想いの中で、自分の心が擦り切れる音を、聞いた・・・・。
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