「まだ終わらんぞ、黒咲、霧恵・・・!」 その憎しみに彩られた声を聞き、英翔の胸に抱かれていた霧恵も顔を上げた。 そこには、先ほどの傷など跡すらない黎明が宙に立っていた。 眼には、先ほどまでの荒ぶる炎にも似た憎悪は無かった。ただ、深海の底に蠢く、静かな、そして強大な殺気を代わりに放っていた。 「止めを刺さんとは・・・。我が妹ながら呆れたぞ、霧恵。もっとも貴様程度の力では予を倒せるはずも無いが」 最悪だ、英翔は内心で青ざめた。 黎明にはもう、先ほどまでの油断や満身は欠片も無い。だが、あの圧倒的な錬精術と変換式の規模はそのままだ。 勝てるのか。 挫けそうになるが、抱いた霧恵を感触が、それを払拭する。 勝てるか、何て甘いことを言っている場合じゃない。 勝つんだ。 勝って、生き残るんだ。明日へ。霧恵と一緒に。 「英翔さんには指一本触れさせない!」 先に勝負を仕掛けたのは、霧恵の方だった。 背に間髪いれずに『翼』を具現させると、黎明向けて疾駆させた。 純白の巨大な『翼』が、容赦無くしなる。 「笑止、所詮は貴様も下種の類か」 そう言うと、黎明は先刻の戦いと同じように、肉迫してきた『翼』を強引に掴み取った。 そして、それを乱雑に自分のほうへと手繰り寄せる。 だが、同じ轍を踏むほど霧恵も間抜けではない。一つぐらい『翼』を捕らえられても、何の問題も無い。もう片方が残っている。 霧恵はしめたと内心でほくそえむと、もう片方の『翼』を、黎明を打ち殺さんとけしかける。 しかし黎明はそれよりも早く、 「予を受け止めきれるか、霧恵!」 「ッ!?」 黎明まであと一分というところまで迫りながら、『翼』は静止した。 それは、『翼』の具現者である霧恵の異常が原因だった。 (なに・・・これは、あた、まが―――――――割れそうっ!) 霧恵の体が電気を流されたように痙攣した、口からは声無き悲鳴があがり、苦しみの余りに胸と頭をかきむしる。 何かが、身体の中―――――それも特に頭の中で激しく暴れ回っている。 流れ込む水のようでもあり、のた打ち回る虫のようにも感じる。とにかく、異物が体内を冒しまわる激痛。 「霧恵さん!」 英翔の呼びかけも虚しく、彼女はそのまま気絶してしまった。四肢が力無く垂れ、それを英翔は慌ててもう一度抱きとめる。 その拍子に彼女の目から―――――ひと滴の涙が零れた。 それも、ルビーのように深く、黒く、透き通った紅い紅い涙だった。 「・・・・ッ!彼女に何をした!」 英翔の問い掛けにも気付かず、黎明は呆気な表情をしていた。 それはまるで、遊んでいた玩具が何の前触れもなく壊れた子供のような表情にも見えた。 しかしそんな呆けた表情も直ぐに消え。切れるような笑みが、口元に浮かんだ。 「存外、脆いものだな。予の内気を少し送り込んだぐらいでこうとは」 「何てことを・・・!」 苦々しげに吐き捨てた。 黎明は先に自分自身で霧恵のことを身内といった。なのに、何故このような惨いことが出来るのだろうか。 英翔にも妹はいるが、自分がその妹に手をかけるなど想像もできないし、したくない。 「遠吠えも構わんが・・・次はお前だぞ黒咲」 黎明は、手の平を押し出すように英翔と霧恵に向ける。手の平が一瞬赤く光ると、次の瞬間に何の前触れもなく錬精術を放った。 それを直前に察知した英翔は、霧恵を抱いたまま弾けるように屋上から身を投げた。 入れ違いに、つき先ほどまで英翔たちがいた場所が爆炎に包まれた。 その爆風に押し出されるように、英翔は隣りのビルの屋上へと転がりながら落ちた。 霧恵を抱いたままだったためまともに受身も取れず衝撃が直に襲い掛かるが、アスファルトに一直線に落下するよりは遥かにましだ。 「外したか」 舌打ちもせず、怒りの様子も無く、黎明は何の気も感情も無いという声で吐き捨てた。 そのまま手の平をゆっくりとスライドさせ、その先を英翔たちへと向け直す。 そして、かわす暇すら与えずに第二撃を放った。 「くっそ!」 未だ体勢すら立て直すことが出来ず、寝転がったままの英翔は毒づくと鞘に収まったままのエクス・カリバーン地面に突きたてた。 鞘の守護が発動し、紙一重の所で黎明の爆撃を凌いだ。 「ほう、鞘の内臓術式“アイギスの盾”を使ったのか。なかなか懸命で素早い判断と行動だ」 「それはどうもっ」 エクス・カリバーンを引き抜きながら、英翔は皮肉めいた返答をした。 例え黎明がどれほど優れた錬精術師であっても、圧倒的規模の変換式を持っていたとしても、力押しではこの“凶つ王”ことエクス・カリバーンを打ち破ることは不可能。 そう、ただの力押しなら。 「ならばこれはどうだ」 ビルの屋上に、まるで英翔たちを取り巻くように光の筋が走った。 紅い光が尾を引きながら、英翔を中心に周囲をイタチのように駆け回る。 あっという間に、屋上に一つの光の紋様が画きあげられた。 (こ、これは・・・!) それは、円陣だった。 英翔を中心に何重もの円と文字が刻まれた、屋上一つをまるまる飲み込むほどの円陣が出来上がったのだ。 どんなに優れ、高名な錬精術師であろうと、このように自分は手も触れずに円陣を画く事など不可能だ。 立ち上がり、英翔はその円陣から抜け出そうとするが、 「耐えれるものなら耐えてみろ、黒咲」 黎明のその言葉を号令に、円陣の“内部だけ”が爆発した。 先ほど放った程度の爆発力ではエクス・カリバーンは到底に打破できないと踏んだ黎明は、一工夫を加えることにした。 先ずは、爆発の威力を上げる。そして、その爆風の中に、ある“呪術”を混ぜ込んだのだ。 呪術系統の中でも特に難易度が高いとされる、第四十二呪術“強食陣界”。 この呪術は、円陣内にいる内気をほぼ絶対的に分解することができる。黎明は、それを爆風の中に織り込んだのだ。 流石のエクス・カリバーンでも、この二重の策には一たまりも無いだろう。黒咲の倅も、所詮はその程度だったということだ。 「・・・・ほう、興ざめになるのではないかと肝を冷やしたぞ、黒咲」 だが黎明の期待に、英翔は応えた。 爆煙が晴れると、そこから満身創痍ながらも立ち尽くしている英翔が姿を現した。全身に中度の火傷を負い、煤を被っている。 その後ろには、無傷の霧恵もいた。大体の察しはつく。 恐らく彼は、アイギスの盾を超高密度の内気で展開したのだ。 エクス・カリバーンの中にある内気を使えば、アイギスの盾を質量が生じるほどの超高密度で展開させることも可能だろう。確かに、理論上では十二分に有り得る話だ。 それほどの内気の層であれば、いくら強食陣界であろうと突破に時間はかかる。それにたとえ外側の層を破壊されても、直ぐに無限の内気で補えば良いのだ。 しかしそれは同時に、桁外れの錬精術の技量を要する。 あの数秒も無い時間の間に、それだけの錬精術の行程を行うことは、黎明からみても至難の業だ。 だから英翔は少しでも成功率を上げる為に、霧恵だけをアイギスの盾の中へと入れたのだ。 内気を展開する範囲が狭まれば狭まるほど、その作業は比較的容易になる。 しかし術を展開している自身は、文字通り爆風の嵐に晒されるのだ。何の守護も無い、自分の肉体を信じて耐えるしかないのだ。 「見事、実に見事だ黒咲。その的確な判断力に迅速な行動力、非の打ち所が無い」 全身傷だらけで満身創痍の英翔は、肩で息をするだけで答えない。 「・・・頑なだな」 黎明は、ゆっくりと足を踏み出した。そのまま、英翔のへと歩み寄っていく。黎明の視線は、英翔の眼に釘付けになっていた。 満身創痍。打開策など見つけることは到底不可能な状況に陥っているというのに、失われる気配が無い瞳の奥にある闘志。 感心気に、それを見つめながら間合いを詰める。 「どうだ黒咲、私を殺すか?」 ある程度の距離まで近づくと、黎明は唐突に質問した。 彼が立っているのは、間合いとしては十分に近いが、剣で斬るには遠すぎる距離だった。 それに、英翔は詠唱無しには錬精術は発動できない。黎明の前では埋めようの無い致命的な遅さだ。 霧恵が『翼』で討とうにも、彼女の前には英翔が立っている。無害で済む保障は無い。 つまり私がこれだけ近づいていようとも、彼らは私に手を出すことは出来ない。 「衝け入る隙は、幾らでもある」 「吼えるな、ならば予に見せてくれないか、その隙とやらを」 「ああ、そのつもりさ」 そう言うが早いか、英翔は足に手を伸ばすと太ももに巻いたホルスターから拳銃を引き抜き、霧恵の肩越しに発砲した。 九ミリ口径の、紙風船に似た銃声が響いた。 「ちっ!小癪な、こんな物が―――――」 だが、そんなものが黎明に通じるはずも無かった。 吐き出された弾丸は目標に当たることなく、明後日の方向へと弾き飛ばされた。 そして、一瞬の隙が生まれた。 戦いに慣れていない黎明にとってそれは、何気ない空白だった。 けれど黎明に対して桁違いの場数をふんでいる英翔にとっては、決定的な空白だった。 英翔はすかさず、霧恵をよけて疾駆した。 「はあああああああああ!!」 気迫の怒号と共に、神速で間合いに踏み込むと英翔はエクス・カリバーンを薙いだ。 それを後ろに跳んで何とかやり過ごそうとした黎明だったが、遅かった。 切先の数センチが黎明の胸へと喰い込み、ざっくりと深い傷が走った。 黎明は斬られた動揺と傷の痛みにたたらを踏み、英翔は容赦無くさらに追い討ちをかけた。 「図に乗るなああああああ!」 肉迫し、袈裟に斬りつけようとする英翔に向って黎明は純粋な内気の塊をぶつけた。 その威力は、人間百人を粉砕してもまだ余るほどだ。 英翔も負けじと、エクス・カリバーンの内気を解放する。 強大な内気がぶつかり合い、短い鬩ぎ合いの末に爆散した。だが、それでも英翔はなお疾走した。 「来るなと言っているだろうがあああ!!」 弾丸のような速度で、黎明は貫手を繰り出す。だが―――――。 その指先は、僅かな所で英翔に届かなかった。 貫手より遥かに早く、英翔はエクス・カリバーンを一閃させていたのだ。 黎明の胸に、深々と突き刺さった。刀身の三分の一が、埋まってしまうほどだ。 「ば、かな――――予は“邂逅の門”を持っているのだぞ・・・?負けるはずが―――」 「続きは地獄で聞こうか」 そう吐き捨てると、英翔はエクス・カリバーンの柄から手を放した。 その途端、エクス・カリバーンが白い光に包まれる。 「聖剣よ、最後の命令だ!内に湛えた数千の命の結晶を―――――――いま、解き放て!!」 英翔の言葉に応じ、黎明の胸に刺さったエクス・カリバーンが爆発した。 炎や衝撃を伴わない、溢れんばかりの光のみの爆発だった。 その爆発の渦に、黎明は真っ先に取り込まれ、すぐにその姿が見えなくなった。 「霧恵!」 「英翔!」 黎明が光の爆発の中へと消えたことを確認すると、英翔は霧恵へと手を伸ばした。 霧恵も同様に、英翔に向って手を伸ばす。 その手と手が重なった瞬間――――――二人は、光の爆発の中へと包まれた。
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