「少し、休んでいてください」 霧恵は抱いている英翔を『翼』で優しく包むと、そのまま手近なビルの屋上へと彼を降ろした。 何とかビルに足をつけた英翔だが、相当疲弊していたのか、そのまま尻餅をついて座り込んでしまう。 あんなに疲労困憊するまで――――彼は戦っていたのだ。 守る為に。大事なものを、失わない為に。 彼は本当は、物凄く臆病なのだ。何も、その手から失いたくない。離したくない。 そのくせ、やせ我慢して無理にでも守り抜こうとする。自分の限界などとうに超えた無理をしているのだ彼は。 守り、失い、その度に傷つく。割り切ることなどしない。真正面からぶつかって、悩み、苦しみ。 それを次なる戦いへの糧とする。 だから、そんな彼だからこそ、私は好きなのだ。 「ほほう・・・貴様が初塚霧恵か」 英翔を退避させた霧恵を見て、黎明が言った。 別脈種の中で最も力のある家の当主だ、こちらの素性は割れていることぐらい容易に想像できた。 「許さない・・・・」 「何故だ」 「英翔さんを、傷付けたから。それだけよ」 「そんな蛆よりも下らん理由で・・・・・貴様は唯一の肉親に刃を向けるのか」 「え?」 唯一の肉親・・・。 確かに、そう聞こえた。いや、何かの手違いだ。そんな筈はない、ありえない。聞き間違いだ。 だって、私の肉親は父さんに母さんに結ヱだけだからだ。 あんなモノが、肉親のはずがない。 「なにワケの分からないこと言ってるの・・・・?」 「お前が、そうだと知らないだけ。これは事実だ」 「嘘よ」 「真だ。お前は我が母“姫百合”の血を別けた、この世にただ二人のみ残った真門の血を継ぐ――――――兄妹だ」 「きょう・・・だい」 訝しげな眼差しで、霧恵は黎明を見つめた。 こいつは、頭がおかしいんだ。だから、あんな事実無根の世迷言を吐き散らしているだけだ。 でなければ――――――、その事実が、真実だったら。 自分の中の大切な何かが、壊れそうな気がしたからだ。 「霧恵さん、真門の言うことに惑わされちゃ駄目だ!自分をしっかり保つんだ!」 「英翔さん・・・」 下方のビルの屋上から、英翔は声を張り上げて何とか霧恵の背中を支える。 英翔もまた、当惑していた。 有り得ない。真門黎明と、霧恵が――――――血の繋がった実の兄妹なんてことは。認めたくない。 「黒咲の倅よ、貴様は不審には思わなかったのか?霧恵の異能さを―――――」 「ッ!?」 英翔は、口をつぐんでしまう。 そうだ、霧恵の力は―――――異常だ。 何の訓練もなく、『天使』や『翼』をただ内気の力押しだけで具現できるわけがない。四則計算を知らずに方程式を解くようなものだ。 何の下積みもないのに、いきなりそんな離れ業ができる筈がないのだ。 それだけではない。あの、尋常ならざる変換式の規模・・・。 あれは、明らかに両極を凌いでいた。英翔はガンバレルがある分、何とか霧恵に勝っているが。 おかしい。 彼女の力は、納得のいかない部分が余りに多すぎる・・・。 「違う!そんなことは関係無い!」 英翔は叫んだ。 考えれば考えるほど、良くないことばかりが浮かぶ。だからこんな思考は、少しでも早く打ち切ってしまいたかった。 「認めよ、目の前にある真実を。実は貴様も薄々勘付いていたのだろう?霧恵の異能さと、予の懸絶さが似ていることに」 「霧恵さんはお前なんかとは違う!」 「強情だな。なら問おう、初塚の血筋は既に変換式が途絶えてしまっている、では何故そのような貧弱な血筋から、このような子が生まれた?  答えは容易にして明快だ。霧恵が本当は真門の子だったからだ」 「じゃあ、結ヱさんはどうなる」 「あれは言わば覚醒遺伝、偶然の賜物だ。それに、あの娘では霧恵の変換式には到底及ばん」 そうだ。確かに結ヱも変換式を有している。が、それも人並みに錬精術が使えるという程度で、霧恵には到底及ばない。 でも、だからといって・・・。それだけを理由に、彼女が真門なんかの血族なんだという事実は認めたくなかった。 こんな、命をまるで道端に転がる石のようにしか思わず、ぞんざいに扱うこの男と同じ血が流れているなどと。 「持て余すしかなかった内気で、結ヱまで殺しておいてまだそんな逃げ口上を吐くのか?」 「な!?・・・・言うなああああああああああああ!!」 絶叫した。 言っては、ダメなのだ。彼女の前で。 彼女は、自分が結ヱを殺してしまったことを知らない。いや、私が記憶を封じ込めた。 だが、それは封じただけである故に、ちょっとしたはずみで決壊する。だから、彼女の前で・・・。 「言うな!彼女は誰も殺していない、殺してなんかいないんだ!」 「哀れだな、黒咲」 彼女は誰も殺していない。それでいいじゃないか。 でなければ、繊細で華奢な彼女の心は―――――――耐えられない。壊れてしまう。 そんな彼女は絶対に見たくない。 「誰も殺してなんかいない!彼女は・・・・霧恵は――――――!」 「もう、いいですよ英翔さん・・・」 「え?」 顔を上げると、霧恵が頭上から優しく微笑み返していた。 どうやら、記憶の封は敗れていないように見えたので、胸を撫で下ろす。 だが、何故彼女は微笑んでいるのだ。こういう時、彼女は決まって私に不安げな視線と共に助けを求める。しかし、今の霧恵はどうだ。 「そんなに、苦しまないで下さい英翔さん。私はもう・・・・・・全部、知ってますから」 「それは、どういう意味ですか?」 「記憶は、最初からちゃんとあったんです。封じられてなんか、無かったんですよ。じゃなきゃ、ここまで英翔さんのことを好きになったりしませんよ」 彼女は、屈託の無い笑みで晴れやかに言った。 驚いた。 霧恵の中には、私の知らない強さがこんなにもあったのか・・・。 「私は、英翔さんが思ってるよりタフなんですよ?だから、もうそんなに自分を責めたり、苦しめたりしないで。ね?」 「霧恵さん・・・」 私はバカだ。 彼女を弱いものと決め込み、手前勝手に必死に守ろうと躍起になった。それこそが、霧恵への負担となるのも知らずに。 それに、あれほどの変換式を持つ彼女だ。記憶操作系の錬精術を跳ね返しても、別段不思議なことではない。 ・・・今まで、抱え込み過ぎたのかも知れない。彼女の言葉で、今更ながらそう思った。 何でもかんでも自分が守らなければという、半ば脅迫に近い信念に追われて、周りすら見ずにただ無謀に走り続けてきた。 「見ていてください、私の強さを、戦いを・・・・!」 「はいっ」 そう言うと、霧恵は英翔に背を向け、黎明へと向き直る。 純白の翼が広がり、花びらのような真っ白な羽根が乱舞した。 「例えあなたが本当の兄だったとしても・・・・私はあなたと戦います」 「何故だ。何がお前をそうも頑なに突き動かす」 「今の私には、何物にも代え難い大切な人がいる。なら、私はその人を守るために――――――肉親であろうと、手にかけます」 「愚かな妹だ」 黎明は芝居掛かった仕草で、悩ましそうに額に手をあてた。 「ならお前の望むとおり・・・・・殺しあおう、我が妹よ」 先手を打ったのは、霧恵だった。 背に冠した白無垢の『翼』が、吼える様に疾走した。黎明へと、空気を切り裂きながら突き進む。 「ほう、流石は同じ血を分けた妹だ、大した実力だ。だが・・・・」 肉眼で捉えるのもかくや、というほどの速度で肉迫した『翼』を、黎明は軽々と鷲掴みにした。 両手で、まるで手綱でも操るかのように、『翼』を握り締める。 「予の方が、上だ!」 口元に笑みを浮かべたまま、掴んだ『翼』を強引に引き寄せた。それも、尋常ではない腕力だった。 霧恵は、踏ん張ることも出来ずに、乱暴に黎明の元へと引き寄せられた。 「きゃっ!」 「おっと・・・」 余りの勢いに、霧恵は肩から黎明の胸板へとぶつかる。 「いや、来ないで・・・!」 何とか離れようとする霧恵だが、それより早く黎明が霧恵の顎を掴み、くいと上げさせる。 そして、品定めするように霧恵の顔をじっくりと眺めた。その目は、暗い。一遍の光さえ無い。 そんな底知れぬ恐怖を湛えた黎明に、霧恵は思わず背筋を震わせる。 「やめて、放してっ!」 「・・・・お前は、本当に美しいな」 「なっ!?」 急な賛辞の言葉に、霧恵は赤面してしまった。 この男は何故、このような状況でそのような言葉を言えるのだ。 「お前の方が多少大人びているが・・・・似ている、その風貌、そっくりだ・・・・・・“姫百合”に」 「ひめゆり?」 そのワードに、霧恵は首を傾げた。 記憶に間違いが無ければ、“姫百合”とは黎明の母の名前のはずだ。 もしかして、こいつ・・・・。 「まさか、あんたマザコン?」 「?何だその『まざこん』とは」 今度は、黎明が首を傾げた。どうも、育ちが育ち故に横文字が苦手なようだ。 そしてそのやり取りを、ビルの屋上から聞いていた英翔が、ずっこけていることに二人とも気付かなかった。 黎明の話を肯定するつもりはないが、もし二人の血が繋がっているとしたら、真門の血はよほど天然ボケが多いらしい。はっきり言って、そっくりだ。 「だーかーらーっ、まだ母親から乳離れ出来ていない、ガキって意味」 「・・・・・」 その答えに、黎明はまるで雷に打たれたかのように固まった。 言葉も無く、唖然とした表情で霧恵を見つめていた。 「・・・・・・・・・・・・ない」 「え?何て言ったの、いま」 蚊の鳴き声よりも小さな声に、霧恵は耳に手をあてて聞き返す。 「・・・・・・・・・は言わない」 「だから、何て?」 もう一度聞き返した。 「母上は、そんなことは言わない!!」 金切り声にも似た、悲鳴じみた声で叫んだ。 黎明は、その手を勢いに任せて霧恵の咽喉へと向け、そのまま潰すように握り締めた。 「っはが・・・!」 「貴様なぞもう要らん!死ね、死んで悔いろ!予は何人にも勝る、この世にただ一人のみの救いの光なのだぞ!?」 霧恵の咽喉から、掠れるような声が漏れる。 喉に黎明の長い爪が喰い込み、皮膚を裂いた。だが、黎明の握力は止まる事を知らず、絞める力を段々とあげていく。 このままいけば、霧恵が窒息死するより早く、黎明の手が彼女の首を捻じ切るだろう。 それを直感的に霧恵は悟ると、反撃に転じた。 自分の力では黎明の手は退けないと判断すると、意識を首に絡みついた手から自分の背にある『翼』へと変える。 まだ、私は錬精術を学び始めたばかり・・・。はっきりいって、集中できないこのような状況で上手く『翼』を扱える自信はない。 だがそこで諦めたら、負けだ。生き延びるのだ、英翔と一緒に。 「死ねえぇ!」 獣のように見開かれた黎明の目にはもう、暗い虚はなかった。代わりに、狂喜の沙汰に足を踏み入れた者のみが持つ、黒い光を湛えていた。 正直、ぞっとする。怖気づくな。相手は内気も錬精術の腕前も、自分より遥かに上回っている。 なら、せめて気迫だけでも負けたくない。 意識を集中させると、霧恵はイメージした。 『翼』に、形を与えるためのイメージを。この狂人を討つに足る、堅牢で強力無比な『力』だ。 霧恵のそのイメージに応えるように、背に冠された『翼』が蠢いた。まるで螺旋のように捻じれたかと思うと、収束し、細い円錐状へとその形を変えた。 長槍。 そんな言葉がしっくりとくる形状だった。 霧恵はそれを、首を絞め潰すことに躍起になっている黎明の横腹へと躊躇なく突き刺した。 人の身の丈よりも大きいかと思うほどの長槍が、胴を両断せんというような勢いで深々と黎明へと穿たれたのだ。 「っっはあ゛!!」 突然の衝撃と激痛に黎明は過呼吸に陥り、上手く悲鳴をあげることすら出来なかった。 霧恵の首を絞めていた手は当然の如く、その長槍の一撃の前に呆気なく解け。口の端から血をたっぷりと流しながら、霧恵の『翼』で編まれた長槍に串刺しにされた。 恐らく彼女の長槍の一撃で、黎明は多数の内臓を破裂、損傷。おそらく肋骨も数本骨折し、肺を傷つけている可能性もある。 下手をしたら、背骨も負傷したかもしれない。そうなれば、並みの人間ならば一生下半身不随だ。 いや、本当はその前に即死だろうが。 「き、りえ・・・・貴様、予を・・・予を、傷つけたのか?この、予を・・・・!」 致命傷を超えた傷を負いながらも、黎明はなおも霧恵を睨み続けた。 「哀れな人」 「あわ、れだと・・・?予が、哀れだと・・・っ?」 何故だろうか。 この、吐き出されるような憎しみの言葉が。 泣きじゃくる子供の声に聞こえたのは。 そんな考えを、霧恵は頭を振って思考から追い出す。 何を考えているんだ。そんなはずはない。この男の本性はもう既に垣間見た。このような男が、子供と一緒なわけがない。 この、邪気の塊のような男が・・・。 「・・・・・・・」 霧恵は無言のまま、串刺しにした黎明の胸元へと足をかけた。足蹴にされたことに更に憤慨しているのか、黎明から発せられる殺気が増大する。 しかし霧恵はもうこの戦いに安っぽい感情を挟む気は無かった。 こいつは、英翔をあそこまで傷つけ、苦しめた。なら、その何百倍も苦しめばいい。足掻けばいい。 黎明の横腹から長槍を引き抜くと、霧恵は足をかけた黎明の胸元を蹴り飛ばした。 いや、蹴り飛ばすというより、踏みつけて叩き落すという表現が近い。 長槍が抜かれた傷口からは今更にように多量の血液が流れ出し、黎明はその跡をひきずりながら重力に任せて自由落下していった。 それが眼下のビルとビルの隙間に消えていくのを見届けると、霧恵は英翔のいる屋上へと向き直った。 英翔はあぐらをかき、身体から白煙をあげながら霧恵を待っていた。 傷をエクス・カリバーンから汲んだ膨大な内気で治しているため、このような白煙が傷口から起こるのだ。 今のところ、ルシータや内藤、黎明との戦いで負った傷の八割がたは回復した。あともう少しで前回といったところだ。 「英翔さんっ」 頭上から降り注いだ声に、顔をあげると、そこには無事な霧恵の姿があった。 どうやら、何とか黎明を退けたようだ。 「霧恵さん、大丈夫でしたか。真門は」 「多分まだ生きてると思う」 そう言うと霧恵は、倒れこむように英翔の胸にすがりついた。 そして、その大きな胸元へと顔を埋める。 「怖かった・・・」 「すいません、私が不甲斐ないばかりに、こんな目にばかり遭わせてしまって」 胸の中で打ち震える霧恵を、英翔はそっと撫でる。 このまま、全てが終って欲しかった。 このまま何事も無く、真門もKOTRTも、別脈種も関係なく・・・・・二人で平穏に暮らして生きたい。 だが、運命がこのまま二人を簡単に手放すとは思えなかった。 霧恵を抱きしめたまま、英翔は暗い面持ちになる。 全て終ってくれ、このまま、何事も無く。それでいいじゃないか。 そんな儚いささやかな祈りさえも、運命の君臨者に脆くも砕かれた。 「なかなか痛かったぞ、霧恵」 霧恵を抱きしめた英翔の前に、気付かぬうちに黎明が立ちはだかっていた。 あの、悠然とした物腰で。絶対的視点に立ったような、侮蔑の視線を交えて英翔を見下ろしていた。 彼の着物には、傷も血痕も欠片も無かった。
-back-