「しかし、限が無いな・・・」
山田は、襲い来る髑髏面を黒天翔で斬り伏せながらぼやく。
だが、その数は微々たるものだった。大半の髑髏面は御老公へと向かい、尽く蹴散らされている。
「よっと」
指先で巧みに黒天翔を操りながら、飛びかかってくる髑髏面たちの手足を切り裂き、峰で延髄を突く。
その動きは、まだまだ余裕だ。
これほどの相手には、なんの脅威も感じない。昔、少年時代を過ごしたベトナムでの戦場の方が百倍厳しかった。
まだ技量がそれほど無かったとはいえ、銃弾と狂気が飛び交う戦場はまさに地獄だ。
誰もが、生き残るために何でもする生き地獄。そんな中で、山田は育ち、鍛え上げられた。
彼が錬精術よりも銃器や刃物を好むのは、その兇器の恐ろしさを骨身にしみて知っているからでもある。
「山田さん」
「ん、どうしたんだい霧恵君?」
山田の着ている薄手のロングコートの中から、霧恵がひょいと顔を覗かせる。
霧恵が潜り込んでいるこのコートは、機織の段階から錬精術が編み込まれた特殊な代物で、そこいらの防弾ベストよりもよほど役に立つ。
ある一定範囲内までなら質量保存の法則を無視することも可能で、中は外から見るより遥かに広い空間が広がっている。
だからこそ山田は、この中に霧恵を匿ったのだ。
「あれ・・・」
「?」
霧恵が、手を伸ばして空を指差す。
その指先の延長線上に、微かに小さな点のような物が見える。それが、何かの陰であると気付くのに少し時間を要した。
そしてそれが、上空で戦っている英翔の影だと知るのに、さらに時間を費やした。
「英翔君ですね・・・」
「大丈夫でしょうか」
「ええ、彼なら大丈夫ですよ、きっと」
不安げな霧恵にそうは言うものの、実際のところは山田もかなり不安だった。
英翔は自分と同じで、他人を殺めることを極端に嫌い、回避しようとする。
だがそれも、自分の命を優先するならば、我が侭は言っていられない。理想は大事だが、そのために命を落とすのは間違っている。
どんな戦いでも、戦場でも。どんな信条を持っていようと、生きて帰らなければ意味が無い。
しかし、英翔は違う。
彼の命の優先順位は、常に他人が最優先なのだ。自分はいつも二の次で、生に対する固執というものがない。
それが良いのか悪いのか。山田は判断しかねた。
確かに私も人は殺さない、でもそれは自分が死なない範囲でのことだ。
けれど、英翔はそんなことはお構い無しだ。どんな事態になろうと、自分が命を落とそうと、何とかして他人を救おうとする。
(気付くんだ、英翔君・・・・・自分の命を守れない者は、他人の命など決して守れないということを)
霧恵の指差す空の先を見つめながら、そう願った。
だが、無理だろう。
あの頑なさは、馬鹿と同じで、死ななければ治らない。
その頑なさが、彼の強さの一因である事もまた事実なのだが。割り切ることを、いつまでも憶えない。
本当に困った弟子だ。
「英翔さん・・・!」
「ちょ、ちょっと霧恵君」
空を仰ぎながら、霧恵は山田のコートから出た。その表情は、険しい。
山田はそんな彼女のを不思議に思いながら、同じように空を見上げる。
そこには、相変わらず点の様な陰があるだけだった。
「―――――ッ!!」
しかし見上げた途端、全身の毛が逆立つような悪寒に襲われた。震えが止まらなくなり、膝が嗤う。
あそこには、英翔と・・・・何かが居る。得体が知れず、不気味な恐怖を垂れ流す何かが。
本能が叫び、逃げ出せと慄く。
そして、なぜ霧恵はそんな不気味な陰を―――――こんなにも凛として見つめられるのか。
彼女の一体どこに、そんな強さがあるのだろうか。このとき私は、戦場では培えない強さを感じた気がした。
「待ってて、いま行くから―――」
花が開く様に、霧恵の背中から『翼』が具現する。
それは百合のような高貴な白さを孕んだ、全き純白の『翼』。
舞い散った羽根が一枚、山田の頬を撫でる。
「き、霧恵君、駄目だ――――!」
しかし制止も虚しく、霧恵は『翼』を羽ばたかせ・・・空へと舞い上がった。
穢れを知らぬ白き『翼』で、彼女は空を目指す。
山田は、それを追う事も出来ず。ただ地上から見送るしかなかった。
右足の膝から下を斬り落とされ、腕を貫かれた内藤は気が絶えるか否かの境を彷徨っていた。
血が失われていく感覚に意識が遠のくが、腕と足に走る激痛に意識が呼び戻される。
一思いに殺してくれと哀哭したいところだが、相手があの黒咲ではそれも望めない。
黒咲は、絶対に人を殺そうとはしない。たとえどんな理由や事情があろうとも。そんな相手に殺してくれと言っても、虚しいだけだ。
だが、このまま朽ち果てるのは余りにも口惜しい。
もし私がこの境地から脱することが出来れば―――――公私混同になるが、黒咲を嬲り殺す。
義父直伝の拷問で、ゆっくりとゆっくりと時間をかけて自我を破壊してやる。そう固く誓うが、所詮は負け犬の遠吠えか。
今は死を待つしかなさそうだ。
「死ねるなんて思わないで下さいね。内藤さんの傷は、こちらで常に治癒しています。造血器官機能も増強してありますので三時間は失血死の心配はありません」
「・・・・舌を噛み切るぞ?」
「その程度のことでは死ねないことぐらい知っているでしょう。痛いだけです、止めておいてください」
そう、よく捕まった犯人などが舌を噛んで自害をはかろうとするが、実際それはかなり無謀な試みだ。
確かに舌は人間の急所であり、もし噛み切りでもしたらショックで死んでしまうかもしれない。
だが人間と言うものは存外、頑丈にできているもので。噛み切るだけでは死ぬ確率は非常に低い。
殺されないということが、時としてこんなにも残酷になる。
「殺してやる・・・・いまここで私を殺さなければ、後で絶対に殺してやる・・・・」
内藤の吐き出すような復讐の宣言を聞いても、英翔の態度は一向に変わらなかった。
哀れむように内藤を見下ろすのだ。
「もう殺してやれ。黒咲の倅よ」
凍った。
若い、気丈な少年を彷彿とさせる声だった。
その声が、頭上から英翔と内藤に降り注いだ途端。空間が凍結した。そう感じた。
あらゆる感覚器官が、刺すような冷たさに包まれ、全身が粟立つ。
「人を殺めず殺めさせず・・・それが絶対の正義と考えるはあまりに短慮。世は非情にして酷薄なり、死は生ける物の一部にして当然の理なのだ。
それを否定して何とする。生きることは殺すこと、殺めるも殺められるも同じ事だ。血が流れ罪に塗れるは必然。そんな偽善に予の内藤を付き合わすのは酷だ。
そなたも人の子なら、せめてもの情で殺してやれ。それが出来ぬと貫かすのなら――――返してもらおうか。それは予のモノだ」
その声は、子供のような透き通る無垢さを孕んでいて。
同時に、底知れぬ虚無の闇を湛えていた。
そんな二律背反が介在する声に、英翔と内藤は動くことが出来なかった。
動けば、自分がもう、自分では無い『何か』に変えられてしまいそうな錯覚に苛まれる。
身体は一部も動かず、嫌な脂汗が滝のように全身から流れだした。
「両名、面を上げよ。予が参ったのだぞ」
死刑を宣告されたような面持ちで、二人は顔を上げた。
そして、声のする頭上を仰ぐ。
そこにいる人物を、二人は知っている――――いや、知っているなどというものではない。
刷り込まれている、と言っても過言ではない。
悠然と二人の頭上に佇む、“神”を連想させる容貌と、朱色の着物を纏った青年・・・・。
別脈種における絶対の君臨者にして、絶対に恐怖でもあるその存在。
御三家の頂点にして、世界の覇者―――――。
真門黎明。
その男が、英翔と内藤を天高くから見下ろしていた。
彼から放たれる雰囲気は超然とし、もはや何者の追随も許さない。
以前会ったときとは、桁違いの存在感、そして内気。
対峙することさえ、侭ならない。
「内藤――――これはどういうことなのだ。弁解しろ」
「は、はいィ!」
鶴の一声。返答も、思わず声が裏返ってしまう。
内藤は傷の痛みも忘れて上半身を起こすと、すがり付く様に話し始めた。
「そ、その黒咲が“門”の存在に勘付いたので、計画を深く知られる前に享け賜りました部隊で確保しようとしたのです。それで・・・」
「何故予に一報入れなんだ」
「それは、その・・・・」
「・・・まあ、どうせ貴様のことだ。予に知らせずに、密かに手柄をたて点数を稼ごうとしたのだろう。・・・・・今はそう思っておいてやる」
「は、はいっ。申し訳御座いません・・・・!」
生きた心地がせず、内藤は必死に頭を下げた。
心臓は早鐘を打ち、今にも破裂しそうだった。
汗が止め処なく、滝のように流れ落ち、スーツを湿らせる。生きた心地がしない、といった状態。
「・・・・・」
だが、英翔は違った。
気丈に、天高く着物の裾をはためかせている真門を見上げている。その眼は、獲物を見据える獅子の様にも見えた。
しかしやはり、英翔の頬にも嫌な汗が伝う。
内藤でさえあの様なのだ、どれほどプレッシャーがこの一帯を占めているのか。想像に難くない。
英翔は、エクス・カリバーンで足下に反重力を展開、唸りをあげて内気が搾り出される。そして内藤を一人屋上に残し、飛び上がる。
少しもかからずに、真門と同じ目線の高さにまで上昇した。
その英翔の行為に真門は不満そうに眉間に皺を寄せるが、そんなことは気にしない。気にしていられない。
こんなところで、気圧される訳にはいかないのだ。
「どうした、黒咲の倅。予に問答でもあるのか」
「はい」
端的に、即答した。
その裏に、微かな怒りの炎がちらつく。
「あの東京の一件、シグルドリーヴァ・・・・あれは、貴方の仕業なんですか?」
答えは、すぐには返ってはこなかった。しばしの沈黙が流れる。
真門はどういうつもりか、英翔に対し不敵な笑みを浮かべている。
何が可笑しい。
こっちは、人の生死について話しているのだ。真面目に答えろ。と叫びたくなるが、そうもいかない。
焦る怒りを抑え、相手の返答をひたすらに待つ。
「そうだ。あれは予の使わした者供だ」
「どうして―――――」
「“どうしてそんなことを”・・・・そう言いたいのであろう?分かっている、全て。お前は不思議なのだろう、予の行いが。無理もない、
予はKOTRTの創設者。もしシグルドリーヴァのような輩を東京に放れば、双方が合い間見えることは必至」
「そこまで分かっていながら、貴方はなぜ!」
「至極単純な話だ。シグルドリーヴァに東京を襲わせ、国連にある計画書を実行に移させる」
「計画・・・?」
ただの酔狂でKOTRTとシグルドリーヴァをぶつけたのではなく。明確な目的があってのことだった、ということか。
だからと言って、あれほどの犠牲を出す事件を起こして良い理由にはならない。
「お前は知らぬのか?予が夢想す、この世に真の終焉を齎す“天球計画”を・・・・」
絶句した。
この世界に真の終焉をもたらすための計画―――――――“天球計画”。そんな、そんな下らないモノのために、あれほどの血と涙が流れたというのか。
傷つき、嘆いたのか。
頭の中に、コウタカの死体にすがり付き、必死に訴える貴子の姿が、記憶の底から蘇える。
何だったのだ・・・・・・何のための死だったのだ、何のための嘆き、苦悩だったのだ・・・・何のための、殺し合いだったのだ。
抑え切れなくなりそうになる怒りに、息が乱れる。
「・・・・その様子だと、“邂逅の門”についても何も知ってはおらんようだな」
「―――――ッ」
英翔の耳には、真門の言葉など入ってはいなかった。
ただ、憎らしかった。真門のあの悠然とした物言い、立ち振る舞い、全てが癇に触った。
すぐにでも抜刀し、切り伏せてやりたい気持ちを懸命に堪える。
「ああ、そうだ。あの試験部隊の調子はどうだ。お前から見て」
「試験部隊・・・・?」
嫌な、予感がする。
胸に虫がざわつくような、言いようのない不快感と不安が広がっていた。
「あの髑髏の兜を被った者たちだ。中々の傑作であろう?あれはな、ルシータという雌を介して全ての隊員の意識を統轄してあるのだ。
万が一その雌が死んでも、ある程度は自律して戦闘を続行することもできる。それで、刃を交えてどうだった。心中を聞かせろ」
頭の中に、もし理性が紐として存在したのなら。今この瞬間。
私の中の理性は全て、音を立てて弾けとんだ。
「貴様あああああああああああ!!」
怒りに駆られ、英翔はエクス・カリバーンを振るうと真門に向って突撃した。
ガンバレルを解放した、本気の力で、力任せに剣を振り下ろす。
その威力は、地に直撃すれば地殻を深々と抉り取るだろう。
だが。
「身の程を弁えろ、下郎」
真門は、あくまで余裕だった。
猛烈な勢いで斬りかかろうと肉迫して来る英翔に向って、すっと手の平を向ける。
「第百七雹術、“天穿つ眼差し”」
「!?」
瞬く間の最適化、そして詠唱無しでの三桁の高位錬精術の発動。全てが、常軌を逸していた。
三桁もの錬精術となれば、要する最適化もより正確かつ綿密であり、詠唱もかなりの長さとなる。発動は、どうしても遅れがちになる。
だが、この男は一瞬の間に最適化を終え、しかも詠唱を全て省略した。こんな離れ業は、学院の院長にして錬精術の権威でもあるヴィードルッシェですら不可能だ。
真門の背後の空気が一瞬にして結露し、水ができたと思ったら―――――そこから、身の丈よりも大きな氷柱が伸びて来た。
それも尋常ではない速度で氷柱は疾駆し、英翔に襲い掛かる。
しかし、これほどの事で討たれる英翔でもない。
エクス・カリバーンを即座に振るい、肉迫する氷柱を粉砕していく。
真門の背後の空気は次々に結露し、矢継ぎ早に新たな氷柱を繰り出してくる。
「くっ!」
英翔はそれらをエクス・カリバーンとサムライ・ソードの二降りの刀剣で何とか凌ぐ。
しかし、その数はあまりに多く。一本や二本を破壊したぐらいでは、何の意味もない。その次の瞬間には、十数の氷柱が控えているのだ。
そんな嵐のような猛攻を、辛うじて退け続ける。だが、こちらも押されているだけではない。
「ガンバレル!」
左腕を突き出す。
左腕に刻まれた回路図にも似た擬似変換式が唸りを上げ、内気を捻出していく。
そして、そこから生まれた膨大な内気を英翔は惜し気もなく全て前面に放射した。
荒ぶる紅い光が放たれ、英翔を襲わんと向い来る氷柱を全て粉砕した。数十はあった巨大な氷柱が、一瞬のうちに全滅する。
その光は、氷柱を屠るだけには飽きたらず、真門まで襲おうと牙をむく。
「笑止」
あれだけの氷柱を蹂躙した紅い光を、真門は片手で軽くあしらう。
その、たったそれだけの動きで。
津波のような内気の塊が、一瞬にして霧散した。
その光景に、英翔は愕然とした。
あれほどの強大な内気を、片手だけで撥ね退けた・・・。格が――――次元が、違う。
真門の力は、最早両極を超越している域にある。
だが、それはありえない。両極はその名の通り、賢種と羅種のどちらの特性も併せ持ち、そのどちらの種をも遥かに凌ぐ変換式を持っているからだ。
故に、名は全てを収めた完璧なる種―――両極。
そのはずなのに―――――真門は、その両極である自分より強い。
矛盾している。だが、事実なのだ。
「なら―――――正面切っての力押しで勝負だ・・・・!」
「ほう、面白い」
英翔は、邪魔なサムライ・ソードを投げ捨て、エクス・カリバーンを両手でしっかりと構えた。
対する真門は、相変わらず脱力したような余裕の構えを見せている。
そんな態度をとっていられるのも、今のうちだ・・・・。
英翔は険しい面持ちをしつつ、内心で笑っていた。いくら相手が卓越した錬精術師で、底なしの内気を持っていたとしても関係無い。
こちらには、数千人分の魂を使って打たれた聖剣“エクス・カリバーン”があるのだ。
その力を一度でも解放すれば、どんな生物であろうと抗う術はない。
だが、それだけに英翔に掛かる負担も反動も大きい。失敗すれば、どれほどの疲弊になるか分からない。諸刃の剣でもある。
しかしこの状況を打破し得て、かつ迅速に事態を解決できる方法はこれしかない。
この肩には、様々な想いと命が託されている。負けられない。
「いくぞ、真門黎明!!」
「来い、蹴散らしてやろう」
エクス・カリバーンの刃が、砕け散った。
その破片は光へと姿を変え、再び柄の方へと集まり、刃の形を成していく。
聖剣の刀身が、鉄から光の刃へと変貌した。
黒い天使の時はあの異常な回復力を封じる為に、核から破壊する必要があったため、解放したエクス・カリバーンの内気を全て体内に取り込んだが、今回はそのような必要はない。
ただ我武者羅に、目の前の敵にありったけの内気の光をぶつければいい。だから解放した内気を、光の刃として再構成したのだ。
そういえば、東京に撃ち込まれた核を迎撃した時にも、同じようにした。
「消えて無くなれえええええええ!」
出来上がった光の刃は、英翔の身の丈よりも何倍も大きかった。
しかしその大きさでも、内気は極限にまで圧縮されているの。鬩ぎ合うその力は、完全には御しきれないほどだ。
星ひとつを両断してしまいそうな威力を秘めたその刀身を、英翔は真門に向って振り下ろした。
大気を揺るがし、沸し、全てを無に帰す必滅の光。
「下らん」
しかし真門はその圧倒的威力と脅威を秘めたその光を前にしても、悠然としていた。
全く畏れていない。それどころか、迫り来る必殺の光を嘲笑すらしている。
「黒咲、敗れたり」
全ての音が、ぴたりと止んだ。
正確には全てではない。先ほどまで大気を占めていたエクス・カリバーンの光の刃の轟音が消え去り、一瞬全ての音が聞こえなくなったように錯覚しただけだ。
では、何故。
なぜ急に、エクス・カリバーンの轟音が消えたのだ。
どうして、大気が唐突に平時の静けさを取り戻したのか。
エクス・カリバーンの溢れんばかりの内気を結集させた光の刃が、何故今は無いのか。
そして真門黎明は、未だああも全身から余裕の雰囲気を漂わせて立ちはだかっているのか。
頭の中が、突然真っ白になったようだ。どうして、いきなり光の刃が消えたのだ。
真門は、一体何をしたというのだ。如何に彼奴が優れた錬精術師でも、今の間であれほどの内気を一瞬の内に消し去る術など無い。絶対に。
だが現実に、真門は生きて私の目の前にいる。
「え・・・?何がどうなって――――っ」
「不思議でならんようだな、その呆けている顔を見れば一目で分かる、実に愉快」
「まさか――――――エクス・カリバーンの最大出力の内気を消し去ったとでも・・・」
「その通りだ。察しが良いな」
さも楽しげに話す真門とは対照的に、英翔の感情は高まる。
「有り得ない。そんなことは、不可能だ。数千人分の人間の魂から汲み上げた内気を丸々ぶつけたんだぞ、それを消し去れるはずが・・・」
「消し去れる、予はな。故に、現に今此処に予はこうして健在しておる。それが不動の証拠だ」
「そんなはずは―――――ッ!」
「口説い。同じような問答を予に繰り返させるでない、己の身を痴れ。それに、貴様が思っておる以上に予は多忙なのだ」
未だ愕然とした表情をしている英翔に、真門はすっと指差す。
「少し予定がおしている。それではさらばだ黒咲英翔――――――。第五十六大氣術“十字鋭風裂開”」
「くそっ――――――! 滴る雨、荒ぶ風、下る雷、猛る炎、落ちる空、何時如何な事象も我に触れ得ず・・・。第二十五気術“真珠朱殻”」
真門から、文字通り切り裂くような風が吹き荒れた。その荒ぶ中、強すぎる風の中で髪を靡かせながら黎明は切るような笑みを口元に浮かべる。
それは、焦りながら急いで真珠朱殻を展開し、十字鋭風裂開を凌ごうとしている英翔の足掻きを見据えてのものだった。
その感覚は、庭先の花の上にのさばる虫を潰すのに酷似している。邪魔な存在だが、殺すのは愉しい。
そう、黎明はこの戦いを――――いや、彼はこれを戦いとではなく、あくまで一つの娯楽として楽しんでいる。
楽しんでいるのだ。戦いを、殺し合いをだ。最早、正気の沙汰ではない。
英翔の目の前に、薄い虹色を孕んだ薄い光の膜が現れた。
それは間一髪の間で、十字鋭風裂開の切先を防ぐ。
「ぐぐっ・・・・な、なんて力だ――――!」
真珠朱殻を、変換式とガンバレル、そしてエクス・カリバーンから抽出した内気で支えているが、それでも状況は芳しくない。
これほどの、絶大な内気で術を行使しているというのに―――――――明らかに、押されている。
「どうした、顔が青いぞ?」
「五月蝿い!」
忍び笑いしながら、挑発してくる黎明に、英翔はさらに感情を昂ぶらせるが、それは自分を見失わない範囲でのことだ。
ただ怒りに駆られて我武者羅に力を振るうだけという、素人の戦い方などしない。
(何なんだ、この力の差は―――――ッ!?)
もう、技量の差などでは説明がつかない。黎明は両極ではないというのに、何故私を超える変化式を有しているのだ。
いや私の変換式だけではない。エクス・カリバーン、ガンバレル、そして変換式を束にしても敵わない。
この絶対的な力の差は一体。まるで、霧恵のようだ―――――――。
ぴしり。
不吉な音と共に、真珠朱殻の光の隔壁に、糸くずの様な罅が走る。
十字鋭風裂開との鬩ぎ合いは凄まじく、その激しい摩擦に、双方の間に紫電が迸った。
真珠朱殻はひび割れは益々広がり、今にも砕けそうだ。だが十字鋭風裂開の猛攻は一向に弱まる気配を見せず、それどころか勢いを増している。
ここでまだ、更にもう一押ししてくるのか・・・。胸中で毒づくが、成す術は無い。
この光の守護が消えれば、英翔はあっという間に切り裂かれ――――――終わりだ。耐えねばならない。
けれども・・・。
「もう、これ以上は・・・・!」
そう言って苦虫を噛み潰すと、ほぼ同じほどに。
鬩ぎ合いに打ち負けた真珠朱殻の光の守りが、砕け散った。硝子の破片のような光の片鱗が舞う。
何の障害も無くなった十字鋭風裂開が、遠慮無しに襲い掛かった。
衝撃と共に、胸に十文字の深い傷が刻まれた。鮮血が迸り、傷口から赤い血肉が覗く。
「がああっ!!」
鮮血はあっという間にどす黒い唯の流血になる。切り口から、心臓の鼓動に合わせて強弱をつけながら噴出した。
その痛みを、歯を食いしばって必死に絶える。
このまま気を緩めて気絶すれば、足下の反重力場は消え、そのまま地上に落下し、叩きつけられてしまうだろう。それだけは避けなければ。
「はあっはあっはあっ・・・・ぐぅ――――!」
「ふむ。一応は手心を加えたつもりだが、貴様には少々厳しかったようだな」
「な―――――ッ!?」
これほどの深い傷を負わせておいて、これでもまだ手加減したというのか。
全く出鱈目な話だ。両極と讃えられ、畏れられた自分が、こうも簡単に弄ばれ、手心まで加えられるとは・・・。
この異常者が、と胸の中で吐き捨てた。
「苦しいのか?」
空中を、まるで滑るように移動しながら黎明は英翔へと近寄った。
そして英翔の肩を掴むと、そっと自分の胸へと抱き寄せる。彼の着ている朱色の着物が、さらに赤黒く染まった。
「楽にしてやろう、そら」
「ッ!!」
黎明の、雪のように白く、枯れ枝のように細く、引き絞られた弦のようにしなやかな指が――――英翔の胸に刻まれた十字傷へと埋まる。
その指先は傷の中へと入ると、その爪を突きたて、肉をぐちゃぐちゃとかき混ぜた。
「うあああああ!!」
「はははははは!!」
英翔の激痛に対する絶叫と、黎明の屈折した笑い声が混ざる。
胸の十字傷の端は、両極の人ならざる回復力のおかげで今はもう塞がり始めているが、黎明がかき回している部位は別だった。
傷はどんどん深く抉られ、次々と新たな鮮血が噴出してくる。
だが、ただ思うままに嬲られている英翔ではなかった。苦痛に悶える黎明の顔面狙って、ぶらりと垂れ下がった腕の拳を密かに握り締めた。
そして、黎明が完全に油断していると推し――――――間髪いれずに拳を振るった。
それは狙いのままに、吸い込まれるように黎明の端正な顔へと直撃した。骨と骨がぶつかる硬い音が、響いた。
黎明は、顔面に拳をめり込まれたまま、呆然としていた。
きっと今の彼の頭の中は大混乱の真っ最中だろう。それもそのはずだ、彼の家事情を考えると、誰かに殴られたことなど生まれて初めてだろう。
その混乱と唖然は、すぐさま怒りと狂乱へと姿を変えて英翔に降りかかる。
「貴様、予の、予の・・・・顔に拳骨など・・・許されると―――――ッ!」
「黙れ、捻くれ坊ちゃんが!」
黎明の声は、震えていた、信じられないといったように。だが英翔は構わず二発目を見舞う。
再び、黎明の顔に拳が叩き込まれ、今度は鼻から、血が垂れた。
「この下種が、図に乗るなあああ!!予は、予は、お前などとは違う至高の存在・・・この世界に唯一瞬く光なのだ!!」
ヒステリックにそう叫ぶと、黎明は有無を言わさず無加工の内気を力加減も見境も無く、叩きつけるように英翔へと放った。
英翔は咄嗟に腕を交差させて顔を伏せるように身を固めるが、意味は無かった。
大きな力の奔流に抗うことなど出来ず、紙切れのように吹き飛ばされる。
そのまま力無く、引き寄せられるように地上へと落下していく。
そんな英翔の姿を黎明は苛立ちながら、だが多少の安堵も感じながら、一瞥した。
黎明のそんな複雑な表情を見て、英翔は先の一撃に打ちひしがれて脱力し切った身体に活力を再び巡らそうと力を込めたその時だった。
「英翔さん!」
聞きなれた声と共に、背中をふわりとした優しい感触が包み込む。
そして、視界を無数の白い羽根が覆い尽くした。
「霧恵さん・・・・?」
辛うじて、口を開いた。
何故だろう。戦いの最中なのに、私はとても安堵した。安らぎ、戦いで溜まった疲労が一気に押し寄せ、身体を重くする。
それほど、彼女の包容力は私を心地よくさせたのだ。
「良かった、間に合って」
「ありがとうございます・・・・。駄目ですね私は、誰かに助けて貰ってばかりだ」
「・・・・英翔さんはそれ以上に多くの人を救っていますよ」
霧恵は今一度しっかりと、英翔を背中から抱き締めた。
そして、背に冠した羽根を一段と伸ばし、引き広げる。
「だから、次は私の番です・・・・・」
気丈に頭上を睨みながら、霧恵は宣言した。
その視線の先にいるのは先ほど英翔を事も無げに蹴散らした男―――――真門黎明の姿があった。
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