英翔が上空にいる内藤とルシータ目掛けて跳びあがるのを見送ると、御老公は凶つ月の柄と自分の手の平に唾を吹きかけた。
そして、瞬時に全ての状況を把握した。
ほんの少し、周囲の目を向けただけでだ。
(・・・・十七)
御老公は、自分に向かって飛び掛ってくる髑髏面たちを瞬く間に数え上げる。
そして、たった一言。胸中で吐き捨てた。
骨がない相手だ。
少しの身体の動きで、相手の全ての力量を測りきる。この程度の者共など、自分は幾千も屠ってきた。
もっと強い羅種を、百人同時に打ち倒したと言う伝説まであるほどだ。
刀を構える様は気だるそうに、だが表情は狂喜に満ちて、御老公は一閃した。
瞬間、戦慄が走る。
御老公に襲い掛かった髑髏面たち、十七人は、たったの一薙ぎで一蹴された。
胴や首が一瞬でばらばらになり、民家の屋根などにばら撒かれる。
「・・・・見事だ・・・」
その、あまりにも鮮やかで神業じみ一太刀を遠くから見ていた山田は身震いした。
昔から僧会でも名門中の名門とされた、代々最高僧を輩出してきた哉原の地位を、さらにより強固に不動のものにした男。
哉原諺該。
髑髏面たちなどでは、束になっても歯が立たないだろう。
別脈種でさえ、名を聞けば恐れ戦くほどだ。
その強さは最早、人智の外である。
御老公は、続けて別の獲物へと矛先を変えた。
今度は、相手から仕掛けてくるのを待ったりなどはしない。
こちらから一気に畳み掛け、殲滅。
奇襲、暗殺、そして圧倒的武力による殲滅は、奇術師の戦法のセオリーだ。奇術師達が対するは常に人外の化け物。
いかに効率良く、迅速かつ効果的、圧倒的に相手を殺せるか。それだけだ。
そして、御老公のこの人間離れしたこの強さも、言ってしまえばそのセオリーを極めただけのことである。
目の前の敵を殲滅するためだけに存在する『自分』。他に必要なものは、獲物と信念。それだけだ。
一瞬のうちに、十何人もの仲間が殺られた様を見た、髑髏面たちに微かな動揺が走った。
それが、本当にたった少しの動揺だったとしても、人間最強とまで畏れられた御老公の前では自殺行為も同然だ。
怯め、そうすれば・・・・・・少しは楽に死なせてやる。胸中で、嘲笑った。
「・・・・・ッガ!?」
ぱっと、一人の髑髏面の首から血が吹きだす。しかし、斬られた本人は突然のことに状況を把握できてはいなかった。
首から止め処なく零れ落ちる血を、必死に両手で押さえている。
だが、御老公に容赦するという甘さは一切無い。
髑髏面の背中に、凶つ月の刃を深く突き刺し、心臓を直接破壊した。あっという間に死体いっちょうあがり。
びくびくと痙攣する死体から刀を引き抜くと、その死体を蹴り倒す。
御老公の立っていた家屋の屋根が、爆ぜた。
それはやっとのことで体制を立て直した髑髏面たちの、“超常能力”と呼ばれる未知の力の攻撃だった。
だが、埃が混じった煙が晴れると、そこにはつい先ほど御老公に止めを刺された仲間の死体しかなかった。
「遅いのお・・・もう殺し終えてしもうたわい」
何時の間にか、数百メートル離れた民家の屋根に飛び移っていた御老公は、胡座をかきながら欠伸をしていた。
隙だらけ、というよりも、攻撃してくださいと言わんばかりの態度だ。
だが、攻撃を仕掛けるものは誰も居ない。
御老公の周囲を囲んでいた百人近い髑髏面達は、既に全員が死亡していた。
そのどの頭にも、小さな銀製のナイフが深々と突き刺さっていた。
髑髏面達の不可視の攻撃を避けた、その一瞬の間。その、コンマ数秒に値するかどうかのごく僅かな時間の間に。
御老公の殺戮は終了した。
ばた、ばた、と髑髏面達の死体が倒れ始める。その音を聞きながら、御老公は愉快そうに、少しだけ、微笑んだ。
「追加か、なかなか喰いがいがあるのお」
相変わらず胡座をかいたまま、御老公は言った。
それを号令としたかのように、新たな髑髏面たちが姿を現した。
その数は、ざっと見渡しても先の三倍以上。相手にとって不足は無い。これほどの力量の者がこようと、敵ではない。
まるで蜘蛛の子のように、ぞろぞろと民家の屋根に這い上がってくる。害虫駆除、という言葉がまさに相応しい。
御老公は再び、凶つ月を抜き、構えた。
「せめて、あと五分は楽しませてくれよ?」
余裕の台詞と表情で、悠然と立ち上がる。
凶つ月を、まるで玩具でも扱うかのように肩に担ぐ。
しばしの、対峙。
髑髏面達の、四方八方からの視線が御老公に集中する。
だが、それは無意味に終わった。
「一人」
凶つ月の刃が、何時の間にか一人の髑髏面の首を貫通していた。
またしても、まったく動作が見えなかった。
本当に、子供っぽい言葉ではあるが、瞬間移動でもしているのではないかと思いたくなる。
咽喉を貫かれた髑髏面は、突き刺された刀を掴んで必死に抗う。
御老公は無情だった。髑髏面の咽喉から刀を抜く際に、その首を両断する。血が小さな噴水のように噴出し、首が転げ落ちる。
不気味なヘルメットに覆われた首が民家の屋根を転がり、下の道路に落下する。
次からは、御老公が獲物に肉迫する必要は無かった。
五十人近い髑髏面たちが、津波のように一気に御老公に飛びかかってきたからだ。
黒衣に浮かんだ白い髑髏の群れ。それは、一度見れば背筋が凍るほどの不気味さを孕んでいた。
それを、御老公は鼻で嗤う。
一人で駄目なら、大勢で。戦いにおける、単純明快な方程式。しかし、そんな定石は御老公には通用しない。
「起きろ、凶つ月・・・・」
迫り来る髑髏面達を尻目に、御老公は刀に向ってそう囁きかけた。
どくん。
刃が陽炎のように揺らぎ、鼓動が響く。
これこそが、凶つ月の唯一にして最大の能力―――――。
「森羅万象を断て、狂える者よ!」
次元裁断。
御老公は刀を大きく振りかぶると、そのまま真横に一閃した。
だが、髑髏面達はまだその太刀筋の間合いには程遠い。空振りだ。
それでいい。
次の瞬間、髑髏面の群れは、一瞬にして肉塊と化した。
何の前触れも無く、まるで見えざる巨腕に押し潰されたように。
髑髏面達は、派手に血飛沫を撒き散らしながら全員絶命した。
血と肉と骨の欠片が混じった紅い霙が、降り注ぐ。
御老公は頭上で刀を一薙ぎすると、落下してきた血やら肉やらがぱっと散り。御老公の立っている場所だけを避けるように、地上に降った。
これこそが、凶つ月が三大偽神葬具の一つに目されるこの刀の真の力。
凶つ月は、次元を裁断する能力を持つが、本当の破壊力は次元を裁断した“後”に訪れる。
次元裁断の引き起こす現象、“次元流動”。
これこそが、凶つ月の破壊力の源だ。
次元は、裁断されると、一部が他の次元へと流れ込んでしまうのだ。
例えるのなら、水の入ったポリタンクに亀裂を入れると、そこから水が漏れ出すのと同じことだ。
だが、これを次元に置き換えるのなら話は別。
この世界のものは全て、次元の上に形成されている。次元は、言わば絶対の基盤なのだ。
その基盤が、流れていく。巻き込まれれば、否応無く押し潰される。
「ほっほ、真門が隠し持っていた虎の子刀の威力は桁違いじゃのう」
満足そうに、周りに転がっている肉片や血を見渡すと、御老公は更に次なる獲物へと刃を向ける。
その時だった。
遠くで、大きな爆音が地響きを伴って聞こえた。
その音は、先ほど内藤が店を破壊する時に使った弾丸型偽神葬具“修羅風船”の爆音だった。
まさか、英翔が直撃で受けたのだろうかと不安に思うが。
そこまで間抜けではないだろうと、すぐに意識を戦いへと戻した。
「ここは・・・・・」
英翔は、目蓋を開けた。見渡すとそこは、何も無い真っ白な世界だった。
上下前後左右、何処を見渡しても、白白白白の、真っ白け。
何故自分がこんな所にいるのか。ここは一体何処なのか。疑問符が頭の中を埋め尽くす。
だが、不意に直感で理解した。
此処は―――――。
「そうか、死んだのか私は」
所謂、あの世。
いや、もしかしたらその一歩手前の、所謂、河の前という場所かもしれない。
だがどちらにしても、自分が死んだということに変わりは無いように思えた。
この戦いが無かったら、ここに来るのはもう少し先の事だったかも知れない。今となっては、それも無意味な想像だが。
それにしても、立つ瀬が無い。
誰も死なせない、敵も、味方も。などど大口を叩いておいて、結果がこのざまだ。
他人どころか、自分一人さえ救えやしない。大馬鹿者だ。
「ごめんよ、霧恵・・・・・」
分かれの言葉を交わすことさえ出来なかった。
心残りがあるとすれば、きっとそれだけだろう。
そう、きっとそうだ。
それだけだ。
自分に、無理矢理に言い聞かせる。
出なければ、心が挫けそうになる。
戻りたい、彼女のいる世界に。生きたい、彼女と共に。もっともっと生きる喜びを共に謳歌したい。
そんな願いばかりが心を占め、締め付ける。
それを、英翔は必死に殺し続けた。
“帰りたい、エイショー?”
ルシータの、声・・・・・に聞こえた。
慌てて周囲を見渡すが、やはり目に映るのは果て無き白。何処にも人影など無い。
幻聴だったのだろうかと、諦めかける。
“いきたい、エイショー?”
いや、違う。
これは幻なんかじゃない。確かに聞こえる、ただ場所がわからないだけだ。
「どこだ、君は一体どこにいるんだルシータ!」
必死に叫ぶが、それが相手に届いているのかどうかさえ分からない。
“もっと・・・・生きていたい、エイショー?”
「それは、どういう意味だ?」
声は届いたようだが、彼女の真意が解らず、大声で問い返す。
生きたい。そんなの、誰だってそう答えるに決まっている。
もっと生きたい。もっと生きて、生を謳歌したい。精一杯、最後まで駆け抜けたい。
「・・・君は、私が欲しいんじゃなかったのか?」
苦渋の表情で、英翔は訊いた。
確かに、もし彼女が私を生き返らせてくれるのなら、それはとてもありがたいことだ。
だが、あそこまで私に固執していた彼女が、急に手の平を返すように態度を変えたのだ。
相手の善意とは思えども、警戒してしまう。
“そうよ、私はエイショーが欲しい。貴方が私だけを見てくれるのだったら、私は何だってする。でもエイショーは、あの女が好きなのでしょう?”
「ああ。私は誰よりも霧恵さんを愛している・・・・・君よりも、ずっと」
“ね、そうでしょう?だから、私は別の方法をとることにしたの”
「それは何だ?」
姿が見えない、声だけの彼女に向って話す。
彼女の声だけが響くこの白い空間は、まるで、ここが彼女の胎内のように思えてきた。
白い子宮。
温かいが、おぞましい。優しいが、恐ろしい。
“私は、私という存在をエイショーの心の中に刻み込んで欲しいの、一生忘れないように。それだけで十分”
「刻み込む・・・?」
気付けば、ルシータが目の前にいた。
まるでコマ落としのように、唐突に目の前に現れた。
何故だろう。
今の彼女は、まるで憑き物が落ちたかのように晴れて見えた。
「ルシータ・・・」
何て、言えばいいのだろう。
ごめん、と謝るのか。
ありがとう、と礼をするのか。
何て言葉をかければいい。どうやって、彼女に報いればいい。
“エイショー、ごめんね?”
「どうして、君が謝るんだ」
“これで・・・・・・・・二度目だね”
まさか――――と言いかけた時には、もう遅かった。
ルシータの小さな手と細い腕が英翔の首に絡まり、彼女の小さな顔が近づいた。
二度目の、キス。
しかし今度のキスは、前回のような稚拙なものではなかった。
彼女の小さな舌が、英翔の唇を強引に開き、入り込んできた。
互いの舌と舌が、絡み合う。
「っぷはあ、ル、ルシータ何をいきなり――――!?」
数秒間の交わりを、英翔はルシータを強引に引き離すことで終わらせた。
その顔は、今まで生きてきた中で一等赤くなっている。それは、英翔があのような接吻を知らなかったからだ。
彼だって伊達に若い男ではない、キス等に代表される女性との接触は幾つか知っている。
だが、こんなキスは知らなかった。お互いの舌が触れ合う、濃厚なディープ・キス。
最初の、ただ唇が触れ合うだけのものとは全く違う感触に慌てる。
“・・・ありがとう、私のこと・・・・忘れないでね”
あの全く新鮮な感触と感覚に未だ頬が上気している英翔に、ルシータは耳元でそっと囁く。
浮き足立っていた英翔は、その微かな一言で意識が急に冴える。
「どうして急にそんなことを―――――ッ!?それは・・・」
ルシータの肩を掴んで真っ直ぐ見つめた英翔は、目を丸くした。
先ほど触れ合ったばかりの、彼女の唇の端から―――――。
タールのような黒い液体が、流れてきていたからだ。
てらてらと光るそれは、一滴。シャープなラインを描く彼女の顎を伝って英翔のつま先に落ちた。
血、ではない。確かに黒く変色することもあるが、それは固まってからだ。
それ以前に、血はこれほどドロドロしたヘドロの様な液体ではない。
なら、これは一体・・・・。
“もう、苦しくないよ――――――”
「待って――――――ッ」
それが、霞んでいく白い世界の中で聞いた、彼女の最後の言葉だった。
意識は沈み、現実へと引き戻される。
熱い――――。
初めに、そう感じた。身体中が満遍なく、至る事が熱い。熱くて、そのまま焼けていってしまいそうだ。
目を、開く。
そして、自分が今炎の中に横たわっていることを知った。
炎の海に身を横たえ、自分は静かに眠っていたのだ。空気がごうごうと唸り、乾燥し、激動している。灰になってしまいそうな熱を持つ火中。
だが、服や身体に火は移っていない。周りでは盛んに炎が勢いをあげているが、決して触れてはこない。
何故自分がこのような状況に置かれているのか分からず、とりあえず身を起こした。
「悪く思うなよ、これも正義のため・・・・・」
内藤の声が、聞こえた。
炎越しに、黒いスーツを着込んだ彼の姿を見つける。彼が構えた銃口からは、微かに硝煙が昇っている。いま撃ったところなのだろう。
内藤にルシータ共々撃たれ、爆炎に包まれた記憶が蘇える。
つまりまだ自分は、内藤のあの特殊な弾丸で撃たれたところなのだ。
あの白い世界での出来事は、きっとほんの数秒間の事だったのだろう。
つまり、自分は内藤のあの弾丸で一度死んだ――――。だが、生き返ったのだ。
ルシータの、おかげで・・・・。
それはあくまで漠然とした推測に過ぎないし、そもそもあの白い世界事態がただの夢だということも否定できない。
だが、確信した。
自分は一度死んだ、だけど、ルシータのおかげで一人だけ生き返ったのだと。彼女を置き去りにして、自分だけ・・・。
ならこの命、絶対に無駄には出来ない。
生きていることも同様に―――――だ。
「あああああああああああ!!」
炎の中から、咆えた。
搾り出すように、咽喉の奥から搾り出される雄叫び。
まるで、この世に生まれでたことを告げる産声のような慟哭だ。
白い子宮に生じ、炎を取り上げられた、新たな『自分』。
内藤が、驚いてこちらを振り向く様が、紅く燃え盛る壁越しに見てとれた。
-back-