陽が昇ってから、もう何時間経っただろうか。
太陽はすっかり頭上に昇りきり、真夏の都市に容赦無く、その熱い眼差しを振りまいている。
アスファルトはとうに焼け付き、湯気を上げんほどに熱されている。
だがそれでも、今日は涼しかった。
人が、いないからだ。
この街に、今は一人も人がいない。だから、車も動かなければ電車も動かない。
コンビニやスーパーはシャッターが固く下ろされ、開いている店など無かった。
都市丸々の人々が、神隠しにあったかのような錯覚に見舞われる。
それほどに静かで、街は焼け付いていた。
その炎天下の下を、英翔はゆっくりと歩みを進めていた。
その頬を、一滴の汗が伝う。
ジャケットの下に着ているダイバースーツのようなライト・ランドウォーリアー装備は、暑さを防いではくれなかった。
ガルボの話では、耐寒耐熱に優れる筈なのだが・・・。意外と当てにならないものだ。まあ、蒸れないだけでもマシだが。
今は、いったい何時なのだろう。
陽は高いが、まだ昼には差し掛かっていないだろう。だったら、午前の十時から十一時ぐらいだろうか。
少々、時間を食いすぎたようだ。
響次との通信の後、英翔はその場から動くことが出来なかった。
まるで、地面に縫い付けられたかのように腰が上がらなかった。。
何故なのか。それは自分でも良く分かっている。
気後れしている暇は無い。急がなければ、この東京は地図から抹消されるかもしれないのだ。
肩に載っているものは、大きい。
「・・・着いた・・・か」
足を止めた。
そこで、英翔は立ち尽くした。どうやら、自分は無事に目的地に着くことが出来たようだ。
シグルドリーヴァに占拠されている、市ヶ谷駐屯地まで迷うことなく来た。
だが。
そこは、埋もれていた。
幾千・・・・・幾万という数の人間が、駐屯地を囲うようにして構えていた。
あまりの人数に、その向こうに有るはずであろう駐屯地が見えないほどだ。
予感は、的中した。
敵は、予めここに大半の戦力を集中していたのだ。
突入してくるであろう多国籍軍などのことなど、もとから考えていない。いや、気にかけていないという方が正しいのだろうか。
腰に携えた、日本刀モドキに手を伸ばす。
出撃前に、ガルボに貰った得物。
このライト・ランドウォーリア―装備の事を考えると、あまり信用に置けないが、今はそんなことを言っている場合でもない。
英翔は日本刀モドキを、鞘に収まったまま構えた。
これでは、この刀の最大の売りである超振動刃が使えないどころか、唯の刀としても扱えない。
言うなれば、木刀だ。
そう、英翔はここで誰も殺す気は無かった。
いや、誰かを殺すということは、もう彼には考えられないことだった。
分かっている。
この考えが小手先の偽善で、全然向こう見ずで、本当に善いことだと限っている訳でもないのは・・・分かっている。
人から見れば、それはやせ我慢と無理強いの自己中心的な考えだ。
だが、だからといって殺すことを、正しいとも思ってはいなかった。
殺さずに済むなら、それが良い。
生きる者として、当然の事だ。無為な殺生は何も生まない。ただ奪うだけだ。
だから、鞘を被せたままの刀を構える。
駐屯地を囲んでいる、ナノマシンで操られた一般人は、呆けた様に立ち尽くしていた。
恐らく、一定の距離に入ったモノを攻撃するように命令されているのだろう。
例えそれが猫や犬、果てには風で飛んだゴミであっても。
近づくものは、かえさない。
意を決して、英翔は足を踏み出した。
「・・・・起きろ、マーロフ、アラタニ」
市ヶ谷駐屯地近く、雑居ビルの屋上。
その看板に身を潜めるように居を構えたサハリンが、後ろで大の字で寝ている二人の大の男を起こした。
寝ていたアラタニとマーロフは、まるで狸寝入りでもしていたかのように、目を擦る動作もせずに、ゆっくりと身を起こした。
別に、彼らが本当に寝ていなかったわけではない。事実、彼らは熟睡していた。
寝れる時に寝て、起きる時は起きる。
戦場で身に染み付いた、彼らからしてみればごく自然な習慣なのだ。
「どうだい、サハリンの旦那。何か網に引っかかったかい?」
「ああ・・・大物だ」
尋ねてくるアラタニに、サハリンは大きな双眼鏡を渡した。
手渡されると、アラタニはそれを覗いた。見つめる先は、市ヶ谷駐屯地。
それも、その真正面。丁度、ナノマシン簡易兵が警備にあたっている箇所だ。
その警備網に、近づく影が一つ。
無言のまま、アラタニは双眼鏡の倍率を上げた。
警備網に近づく人物が、レンズに大きく映し出される。
そこに映った人物に、彼は見覚えがあった。
この作戦が開始される前に、隊長に手渡された資料に載っていた男・・・。
名を、黒咲 英翔。
KOTRTの第十二席にして、優秀な実働メンバーである。
別脈種の中でも稀に見る「両極」で、その戦闘力は想像を絶するとかどうとか。
資料に載っていた文面を、頭の中に思い浮かべる。
「えらく大きな獲物がかかったな・・・で、どうするんだい?」
「このまま様子を見る」
「ここでアイツがナノマシンの兵にやられるようなら・・・そこまで。もし倒したとしたら―――――」
「俺達の出番ってワケか」
沈黙を守っていたマーロフが、AKを構えながら呟いた。
構える様は、双眼鏡に意識を集中しているアラタニにも、特有の金属音で伝わった。
「おっ、奴さん動き始めたぜ」
「先ずはお手並み拝見といったところか」
「だな・・・」
三つの黒い影は、静かに佇みながら見守っていた。
確かめるように、足を踏み出した。
その合図を待っていたかのように、英翔の目の前に立ちはだかっていた人の群れが蠢いた。
(ここが境界線か―――――――)
英翔はさして驚かず、手に持った日本刀モドキを握りなおす。
彼の目には、押し寄せてくる人の波が映っていた。
ナノマシンで操られた人間は、意識も理性も完全に吹き飛んでいる。
それが、どういうことを指すのか。
つまり・・・彼らに出来ないこと、恐れるものなど何も無いということだ。
喩え目の前で誰かが斬り付けられようとも、臆することなく押し進み。
喩え目の前に誰が居ようとも、気にも留めず押し退ける。
喩え自分が傷つこうとも、痛みなど感じないので噛み付く。
そんな人間が・・・・およそ万単位で居る。
津波の如く、押し退け押し寄せ迫り来る。
そして、自分を殺そうと牙をむくのだ。
奇声を発した黒い波が、眼前に迫る・・・・。
英翔は、構えた刀を薙いだ。
たった、一振り。
そのたったの一振りで・・・・。
英翔の目の前に居たはずの人間は全て吹き飛んだ。それは後方へと落ち、荒れ狂う人の波に飲み潰される。
刃は鞘に収まっているので、誰一人として斬られてはいなかった。死んで、いなかった。
一撃で数十人の人間を掃った英翔だったが、それも束の間だった。
敵は万人。
止め処なく押し寄せてくる。
「最適化・・・・・!」
口の奥でそう呟きながら、英翔は再び刀を振るった。
二撃目の剣戟に、押し寄せる人の波は成す術もなく吹き飛ばされる。
それはまるで、迫り来る大海の大波を蹴散らすようでもある。
「――――圧縮言語詠唱・・・!“我、憤る”――――― 第八地術、憤怒する大樹 」
瞬間、英翔を中心に地が揺れた。
それは瞬く間に立っていられない様な大きな地震となり、大地を揺るがす。
英翔を囲むように、岩盤が捲れ上がった。
地面に上に敷かれているアスファルトをも巻き込んで、まるで水面に雫を垂らすかのように広がる。
その岩盤の波に、押し寄せていた大群は一斉に後ろへと押し返される。
しかも、その範囲は桁違いに広かった。
英翔を起点とした岩盤の津波は、止まると言う事を知らなかった。
勢いも速度も全く衰えず、その脅威を維持しながら次々にナノマシン兵の群れを呑んで行く。
半径数百メートル、英翔の周囲は岩盤が荒れ狂い立ち、生ける者は押し返された。
指揮棒を掲げるように、英翔が手を上げると、地を弛ます波が静止した。
揺れが止まったかと思うと、捲れ上がった岩盤をナノマシン兵が芋虫のように乗り越えてくる。
大分を駆逐したつもりの英翔だったが、存外に敵が多い。
このままでは、きりがない。
やはり、相手を気絶させるだけでは倒せないのか。
先の錬精術も、見た目こそ派手だったものの、実際には殺傷能力に欠ける術なのだ。
元来、暴徒などを効率良く追い払うための錬精術で、この術を使った英翔の判断は的確といえるであろう。
如何なる場合に陥っても、殺すつもりは無い。
岩盤が抉れ、荒れた大地をナノマシン兵が疾駆する。
一直線に、外敵として認識した者のもとへ駆けていく。
その速さは尋常ならざるもので、最早人間業とは思えない。これが、ナノマシンで操られた人間の特性・・・。
限界以上を、死をも厭わずに出し切る。第三者の意志によって。
数百メートルの距離をものの十秒で走破したナノマシン兵が、英翔へと飛び掛った。
十分すぎる助走を経ての飛翔は、空気を切り裂いて飛び掛る猛禽類のようでもある。
それを英翔は、鞘を被せたままの日本刀モドキでいなす。
間を置かずに、すぐに次のナノマシン兵が牙をむいて飛びついてくる。
次々と、
次々と、
休むまもなく襲い掛かってくる。
それどころか、一度に襲い掛かってくる敵の数が徐々に数を増していっている。
結構な数を無力化したと思ったが、思い違いだったか。
敵は、こちらの予想を遥かに上回る戦力をここに集中している。このままでは、やられる・・・。
いくら彼が別脈種最強と謳われる両極であっても、基本は生物。ロボットではない。
だから、疲れ知らずという訳ではないのだ。
これだけの数を、これだけの正確さと速度で捌いていたら、精神的にも肉体的にも、いつか疲弊しきる。
だったら、疲弊しきる前に――――――――― 一気に叩く
「はあああああああああ!!」
天に向かって吼える。
そして、焼け付くほどの速度で刀を振るった・・・・・・・・・。
・
・
・
・
・
・
「出番・・・だな」
市ヶ谷駐屯地正門前。
その前に立ちはだかる、三つの影。
シグルドリーヴァ最強を誇る・・・黒い神、“チェルノボグ”。
それぞれが、手にアサルトライフルを握っている。
AK47スペツナズβ。だが、これは世間一般に知れ渡っている俗称でしかない。
彼らは、コレを単に“AK”と呼ぶ。
部隊の象徴でもあり、自分たちの掛け替えの無い誇り、そして得物である・・・この漆黒のライフル。
決して、歴史の表舞台に姿を見せる事無く、忘却の彼方へと葬られた悲運の部隊の生き残り。
「さあ、いつでも来な。エイショーちゃん」
そう言うとアラタニは、ライフルのボルトを荒々しく引き、チェンバー内に弾丸を送り込む。
一緒に佇んでいるサハリンやマーロフも同様に、ボルトを引く。
彼らの目の前には、ただ倒れ伏す人々があった。
それも、二・三人などというレベルではなく、何万という人間が倒れていた。
だが、そのどれもが死んではいない。
微かに息をしている・・・恐らく殴打による気絶だろう。数時間もあれば目を覚ますに違いない。
その人の海を、一人の男が渡ってくる。
服の所々が裂け、額からは微かに血が滲んでいる。
そして、異常なまでに息を荒らげていた。
フルマラソンを走破した直後であるかのように、今にも倒れそうな頼りない足取り。
呼吸は、肺に穴でも開いたのかと心配になるほど荒い。一歩間違えれば、過呼吸に陥るのではないのだろうか。
英翔は、ゆっくりと顔を上げた。
そして、駐屯地の正門前を陣取っている三人組に視線を向ける。
その目は疲労の末に生気がなく、沼のように濁っていた。
(当然といえば、当然だな・・・)
サハリンは、その姿を見て胸中で思った。
この男は、この駐屯地の警備に当たらせていた数万のナノマシン簡易兵を単身で・・・一人残らず駆逐したのだから。
疲れないほうが異常である。
いくらこの男が別脈種であっても、そんな生物として不可能なことは出来まい。
「あ・・・・貴方たち、は・・・?」
喋ることもままならないのか、英翔は言葉も途切れ途切れに、チェルノボグの尋ねる。
そんな状態の彼に、三人は冷徹な眼差しを向けたままだ。
「私たち三人は、貴方様の良く知っている御方の部下です」
三人の真ん中に構える、サングラスをかけた黒人の男――――サハリンが、英翔の疑問に丁寧に返答した。
その答えを聞いて、英翔の眉が微かに跳ねる。
良く知っている御方―――――――。
つまりは、あの男の部下と言う事か。
この一連の事件の首謀者であり、彼から貴子と、聖剣を奪った憎むべき仇敵。
コウタカ・・・・・。
「でき、れば・・・そこを――――、退いて、くれないか・・?」
「出来ない相談です」
「私は・・・き、みたちを、傷付けたく・・・ない」
「ならばこちらが殺すまでです」
そう言うと、サハリンは肩にスリングベルトで携えた黒いAKを英翔に向けて構えた。
続いて、両脇に控えているアラタニとマーロフも同様に構える。
その銃口は、それぞれぴったりと英翔の各急所を狙っていた。
「・・・・頼む」
「そちらから仕掛けないのであれば―――――こちらからの先制攻撃も辞しませんが、如何致しますか?」
「くっ――――!・・・上手く、避けてくれ――――」
苦渋の決断と共に、英翔は日本刀モドキを構えた。
彼らは、先ほどのナノマシンで操られた民間人たちとは違う。なら、説得も通じるかと思ったが・・・。
それは、甘すぎる考えだったようだ。
彼らは、先ほどのナノマシンの兵たちには無いものを持っている。
揺ぎ無い、確かな信念。
ナノマシンによる小手先の強化とは訳が違う。
おそらく、身の構えからして相当な手練だろう。
確かな信念を持ち、強い意志と士気に支えられた熟練の兵士ほど恐ろしい者はいない。
この勝負、血を流さずに終わる方法など、無いのかもしれない。
「疾ッ―――――!」
否応なしに、英翔は先手を打った。
相手は手練だ、ならばそれには全力を持って応える。
そして、殺さずに闘いを治める。
こればかりは、曲げられない。
誰しも生きている。それを奪う権利など、如何なる理由、如何なる者であれど、有するはずが無い。
だから・・・。
英翔は、腰にさしていた日本刀モドキの替え刃を一つ、鞘に収めたまま目の前の三人に向って投擲した。
だが、それは当然の如く散開して避けられる。
散開したチェルノボグは、それぞれが英翔を取り囲むように陣形を組む。
(このまま、三方向から攻め落とす気か・・・・・・)
相手の戦略を、英翔は素早く看破する。
自分を中心に円を描くように動き、それぞれが背後に回りこんだ瞬間に得物のアサルトライフルで狙い撃つ。
単純だが、破り難い戦法だ。
しかし、所詮は人間の編み出した戦法・・・。
別脈種、そしてその中でも頂点に立つ自分に、そのような小手先の戦術が通じるはずが無い。
それにいくら手練とはいっても、優れているのは大方は人間レベルの戦術。
奇術師のように、対別脈種戦闘の訓練を積んでいない者に、遅れをとるはずがない。
「・・・・・・・・最適化――――!」
一度深く息を吸い込み、英翔は呟いた。
変換式を起こし、内気を汲み上げて周囲の大気を術を発動するに最良の状態へと整えていく。
だが、その英翔の姿を見て、チェルノボグが一人・・・アラタニは、その口元に不敵な笑みを浮かべた。
そして円周運動をしながら、懐から空き缶ほどの大きさの物を取り出す。
その上部に付けられているピンを、手元も見ずに引き抜く。
「3・・2・・1―――――!」
そしてカウントと共に、その空き缶ほどの物体を、最適化の最中の英翔に向って投げ付けた。
それは狙い違わず、放物線を描きながら真っ直ぐに英翔へと向っていく。
バウンドし、ころころと転がりながら英翔の足下に止まった。
それを見た瞬間、英翔は息を呑んだ。
「手榴弾―――――!?」
反応しようとした時には、遅かった。
辺りは一面、光と音に包まれた。
まるで太陽が落とされたかのような光。
そして鼓膜を突き破りそうな金きり音。
先ほどアラタニが投げた物、それは手榴弾ではなかった。
音響閃光手榴弾・・・通称、スタングレネード。
従来の手榴弾とは違い、爆発エネルギーを用いた殺傷能力は皆無である。
しかし、炸裂と同時に発する光と音は、一般に言われる手榴弾とは桁違いである。
(スタングレネード!?・・・・しまった、これじゃ最適化が・・・・!)
破壊的な光と音に知覚を塞がれながら、英翔は胸中で毒づいた。
これでは、ろくに最適化など出来たものではない。
最適化において最も重視されるのは集中力。
最初に行う最適化の善し悪しで、その後に発動する術の全てが決まる。と、言われるほど、最適化時の集中は重要なのだ。
しかし、こんな光と音の大狂乱の中では集中のしようがない。
先に英翔は、彼らをただの戦争屋だと思った。
だが、それは大きな間違いだったのだ。
彼らは、ただの戦争屋などでは断じてない。
錬精術を知り尽くし、別脈種に対抗する奇術師としての知識も持っている・・・。
まさに、対別脈種戦闘のエキスパート。
(私の考えが甘かったということか)
だが、このような状況では自分はもとより彼らも光と音で動けないはずだ。
ならどちらが早く知覚を回復し、先に仕掛けるか。
そこが勝負の分かれ目になる。
そう思い、英翔は身を屈めた。
その時だ。
「あがああああッ!?」
英翔の左足の太股を、突如として激痛が襲った。
爆ぜるような痛みと共に、血が飛び散るのが触覚で分かる。
(さらに誤算だ・・・!相手はスタングレネードを防ぐ術を知っている。それに、足の痛みは恐らくは銃創・・・。
だが、銃声が聞こえなかった。いくら耳が残響音で使い物にならないからといって、銃声が聞こえないのはおかしい。
ということは、相手はサプレッサーまで持っているというのか)
度重なる、誤算に、英翔は胸中で毒づいた。
相手のポテンシャルは、こちらが想像していたのよりも遥かに高い。
それに、ただ別脈種との戦いの心得がある訳ではない。
彼らは知識があるうえに、さらに別脈種との戦いに慣れている・・・。
KOTRTのメンバー以外に、こんな猛者がいたとは。
ただただ驚くばかりだ。
しかし、こちらもやられてばかりいる訳にはいかない。
失われていた聴覚と視覚が、徐々に回復し始めた。
そして、すぐに辺りの状況を把握することが出来るまでに戻った。
うっすらと白く霞んだ目で、辺りを見回した。
「・・・・・誰も、いない?」
周囲には、彼ら三人の姿は見当たらなかった。
多分、付近の建築物へと身を潜めたのだろう。
不味いことになった、建築物に身を隠している者を見つけ出すことなど、ほとんど不可能に近い。
そのため、こちらからは先制攻撃は出来ず、相手はワン・キルのチャンスを独占状態だ。
「けど、内気の網を張れば見つけられる・・・」
内気の網を張る、というのは、内気を触角のように伸ばし、一定区域内の敵の有無を探ることだ。
最適化と同じ要領なのだが、術の精度とは関係無いので、最適化に比べれば難易度は遥かに低い。
従って、さして集中する必要もない。
歩いてでも出来る事なので、これなら比較的楽に見つけられそうである。
英翔は、早速内気の網を周囲へと広げた。
そして付近の建物を、一つ一つ調べていく。
空を切る、音が聞こえた。
「ッ―――――!?」
その方向に、英翔はすぐさま振り向いた。
そこには、明らかにビルの窓から放られたであろう物体が飛翔していた。
見覚えがある、つい先ほども喰らった物。
スタングレネード。
恐らくは、投げ返されるのを恐れて空中で炸裂するように秒数を図って投げられているだろう。
今からでは、間に合わない。
英翔は、急いで両手で耳を塞ぎ、目を硬く閉じた。
からん。
という、乾いた音が人気のない街に響いた。
それだけで、先ほどのような光と音の炸裂は無い。
「え――――――?」
拍子抜けした英翔が、思わず耳から手を離して目を開いた。
案の定、そこにはピンすら引き抜かれていないスタングレネードが転がっている。
訳が分からないまま、英翔は弾け損ねたグレネードを見つめた。
その姿を、近くのビルからマーロフは照門と照星を継いで見つめていた。その口元には冷笑が浮かんでいる。
そして構えたAKのトリガーを引いた。
狙うのは、英翔の目の前に転がっている不発のスタングレネード。
サプレッサーを付けた銃口から、風船から空気が抜けるような音ともに弾丸が撃ち放たれる。
それは見事に不発のスタングレネードの脇腹に直撃し、
その衝撃で、不発だったスタングレネードは炸裂した。
「っづあ!!」
不発だったはずのスタングレネードが、突如として撃ち抜かれ炸裂した。
それに対して、呆気に取られて全くの無防備だった英翔は成す術も無く光と音の渦に呑まれる。
瞬く間に、聴覚と視覚は使い物にならなくなった。
鼓膜をつんざく残響音しか聞こえない。
白く強すぎる光の残照しか見えない。
少し時間が経ち、聴覚と視覚が戻り始めた。
そして、後頭部に金属の感触を感じた。
それは押し付けるように、頭に食い込む。
「チェックメイト・・・・終わりだ。イレギュラー」
終わりを告げるかのように、声が響く。
自分が知覚を潰されている間に、彼らは自分に悠々と近づいてきたのだろう。
知覚できなければ、生物は反応することなどできない。
「なぜだ・・・なぜ、君たちは奴に従うんだ」
自分の頭にAKの銃口を押し付けている、頭にバンダナを巻いた男――――――アラタニに、英翔は尋ねた。
その質問に、アラタニは英翔の頭に突きつけた銃口にさらに力を加える。
「どういう意味だ、そりゃ?」
「君たちは、これほどの力があるのに・・・なんで奴に――――コウタカに付き従う、あいつの真の目的が、人類の粛清だということを知っているのか!?」
「・・・・知っているさ」
「じゃあ、なぜ――――!」
「うるさい!!」
アラタニは声を荒らげると、AKを振りかざし、その銃床で英翔の頭を殴りつけた。
そのまま、英翔は地面に倒れ伏す。
そこに、アラタニは馬乗りになって、真正面からAKの銃口を突きつけた。
「お前に・・・お前に何が分かるって言うんだ!あの人は、俺たちの命の恩人――――いや、それ以上の存在だ!」
「な――――」
狼狽する英翔に構わず、アラタニはさらに銃口を近づける。
ほとんど、目と鼻の先といった状態だ。
「分かんねえだろうなあ、お若いのには。特に、こんなぬるま湯みたいな国に浸かって育った温室のお坊ちゃんにはな・・・」
「君たちにとって、それほどに大事な・・・・価値のあるほどの、男なのか、奴は」
「はい。貴方には解せぬかもしれませんが、あの御方は我々にとって最後の故郷なのです」
「こ・・・きょう?」
マーロフとサハリンの言葉に、英翔は眉をひそめる。
故郷とは、一体どういう意味なのか。
それに、もうひとつ気になる事もある。
コウタカは、いったい何処でどうやって、これほどの優秀な部隊を手に入れたのか。
今の自分には、それが一番疑問に思うところかもしれない。
これほどの優秀な者達が、なぜこのような犯罪組織に与しているのか。
「ミスター・エイショー。私たちは、元々はソ連の特殊部隊員だったのです」
サハリンが膝を折って、組み伏せられている英翔に顔を近づける。
その目は、サングラスに隠れて、どんな感情を浮かべているのか分からない。
「ソ連の・・・?ということは、スペツナズか。なぜだ、それほどの実力がある君たちがなぜ奴なんかに―――――」
「私たちは、連邦の崩壊と共に取りこぼされたのです。他の部隊は現在のロシアに引き継がれましたが・・・我々だけは、そうはいかなかったのです。
ソ連内における、対別脈種戦闘を前提にした特殊部隊の育成・・・・・・我々はその第一世代」
「・・・!?」
その言葉に、英翔は耳を疑った。
まさか、昔ソ連がそのようなことを行っていたなどと。全くの初耳である。
「・・・・なるほど、そういうことか。現在でも、アメリカですら対別脈種戦闘を想定した特殊部隊を保有していない。
にも関わらず、ソ連は少なくとも1990年以前からそのような部隊を持っていた。別脈種と対等に戦うには、
必然的に従来の特殊部隊を遥かに上回る力が必要とされる。そんな物を、ロシアがソ連から引継ぎ、もしアメリカに知られれば、重大な外交問題になる」
「そうです。我々は、いささか強すぎた。世界の特殊部隊の水準を遥かに凌駕し、大国さえも脅かす存在になってしまった。
そんな化け物を、生まれ変わった祖国は必要としなかった。
そして私たちは、国外へと追放されたのです。連邦政府崩壊の余波で荒れている他国へと。
我々は成す術もなく祖国を後にして、陸路でモンゴルを縦断し、中国へと流れました・・・。しかし、そこにすら私たちの居場所は無かった・・・!
裏社会にすら、我々を必要とする者はいなかったのです。・・・まあ、それもそのはずでしょう。私たちは連邦内で極秘中の極秘で育成されました、
そんな、何処の馬の骨とも知れない、実績も名も無い部隊を拾うものなど・・・・皆無でした。たった、一人を除いて―――――」
「そう、その時俺たちを救って下さったのが・・・隊長だ」
AKを英翔に向けたまま、アラタニが呟いた。
その目には、溢れんばかりの怒気を孕んでいる。
「あの絶望的状況において俺たちに手を差し伸べてくれたのは・・・・・・隊長。そのたった一人だけだ!!
だから、あの人のためなら俺たちは何だってする!あの人は、かつて俺たちが身も心も捧げた連邦共和国と社会主義に代わる・・・・、
俺たち、最後の『国』なんだ!!」
悲痛なまでのその言葉に、英翔はなにも返せなかった。
返せる・・・訳がなかった。
自分は、一応人並み異常の苦境の中を生きてきたつもりだった。自慢じゃないが、そこそこに不幸な目にあっていると思っていた。
だが、彼らは度合いが違う。
全てを捧げたものに裏切られ、追い出され。誰一人として、助けてはくれない絶望の渦中を生きてきた。
「だから・・・あの人に立ちはだかるものは、全て排除する」
一語一句が、心に突き刺さる。
彼らは、自分たちが信じるもののために。全てを賭して戦っている。
全力でぶつかっている。
なら、自分もそれに全力をもって応えよう。
それが、彼らへの手向けとなるのなら。私も、己の全てを出し切ろう。
この醜悪としか言いようの無い、左腕を使って。
「分かった・・・・・・・・なら、私も私達の前に立ちはだかる者は治めよう」
「そうかい」
アラタニは、そう言うとAKのトリガーを引いた。
いとも簡単に、なんお躊躇も無く。冷徹に。
だが、それを英翔は首を極限にまで捻って避ける。
頬の真横に着弾し、そこから白煙を上げた。黒々とした、浅い穴がアスファルトに穿たれる。
貫通力を重視したライフル弾だったらか良かったものの、これがもし破壊力を重視した弾だったら、頬の肉を削がれていたかもしれない。
「せい!」
「ごふッ!?」
英翔は馬乗りになっているアラタニの背に膝蹴りを喰らわした。
そして、一瞬身体の力が抜けたアラタニを振り落とし、戒めから逃れた。
だが。
「動くな」
戒めから逃れ、体勢を立て直そうとした途端、制止がかかった。
サハリンとマーロフが、AKの銃口をしっかりとこちらに向けている。
ここで指一本でも動かせば、恐らく容赦は無いだろう。
「がはっ、ごほっごほっ・・・・あー、やってくれるじゃねえか」
アラタニは背をさすりながら立ち上がると、肩からスリングベルトでかけてあるAKを構えなおした。
そして、その照門の先を、英翔の頭部へと向ける。
「・・・いつでも反撃は可能だったということか」
「ええ、ただ君たちがあんな奴に従っているのが不思議でならなかったんで、ちょっと話を聞くためにね――――」
「ふざけた野郎だ・・・」
マーロフが吐き捨てる。
いつもギリギリの死線間際で戦い抜いてきた彼らには、このような方法は解せないのであろう。
「流石は別脈種さまって言ったところか、その余裕」
「だが、我々は知っている。別脈種も、場合によってはただの人間だということを」
「!?」
その言葉に、英翔は驚愕した。
彼らの別脈種に対する精通ぶりには感嘆させられたが、これは最たるものだった。
場合によっては、別脈種もただの人間――――――。
まさか、そんなことまで知っているとは。
憶測だが、恐らくコウタカの入れ知恵だろう。別脈種の最大の弱点にして本質を知っているのは、別脈種であるあの男以外考えられない。
「別脈種も、変換式が使えなけりゃただの人間と変わらねえ。隊長から聞いたぜ、え?
変換式を除けば、別脈種も人間も全く差が無いってことをなあ!」
そう。
アラタニの言うとおり、別脈種は変換式を除けば、普通の人間と身体の作りに全く差は無い。
賢種も羅種も、その超人的筋力と錬精術は、変換式からもたらされる内気あってこその物なのだ。
そして、もう一つ言えること。
それは、人間と身体の作りが同じということは、
急所の位置も人間と全く同じということである。
つまり、人を殺すことに長けている彼らの手に掛かれば、変換式を使えない別脈種は何の脅威でもないのだ。
これほどまでに別脈種のことを知り尽くしているとは、敵として出会ったことを口惜しく思う。
「でも、君達は私には絶対に勝てない」
「んだと野郎―――――ッ!」
「待てアラタニ・・・。それはどういう意味ですかな。無駄な挑発は控えたほうが良いと思いますが」
サハリンは、飛びつこうとするアラタニをなだめながら英翔を問いただした。
しかし、本人はハッタリや口から出任せを言っているつもりは微塵もない。
あくまで、事実。
「理由は二つあります。一つは、私が“両極”であるということ。両極に、一般に言われる別脈種のセオリーは当てはまりません」
「つまり、変換式無しでも超人的力を発揮できると」
「そういうことです。
そして二つ目の理由は――――――私が本気では無いからです」
その言葉に、礼節な対応を取っていたサハリンも流石に頭にきたのか。あからさまに顔をしかめた。
そして、殺意ある眼差しで英翔を睨みつける。
沈黙を守っているマーロフも、刺す様な視線で英翔を見つめている。
「・・・本気で言っているのなら、こちらも対応を考えざるおえませんが―――――宜しいのですか?」
「本気です。理屈は単純です、私は通常、力を抑えて闘っているからです」
「黙りなさい。それ以上そのような言葉を吐けば・・・顎ごと口を吹き飛ばしますよ」
向けられた銃口に、力が篭る。
普段は冷静沈着なリーダーとして振舞っているサハリンだが、今回は相当トサカにきているようだ。
それもそうだ、今更相手に「本気なんか出してない」と言われれば、怒らないはずがない。
恥も外聞もわきまえない子供のような言い訳にしか、聞こえない。
しかしそれでも、英翔は頑として対応を変えなかった。
「私の家系では、代々“ガンバレル”と呼ばれる特殊な術を継承していきます。そして、普通はその力を常に解放しているものなんです。
ただ、それじゃあ周りに大量の内気をばら撒くことになるんです。しかし大出力ゆえに、今まで誰もそれを制御しようとはしませんでした。
けれど、私は違います」
「その命、よほど要らぬのですか」
「私はガンバレルを抑えるがために全力が出せないんです。だから、普段の力がたったの十三分の一程度にまで減衰してしまう・・・」
英翔は戦闘服の左袖を掴むと、それを一気に引き千切った。
そして、その下にある腕が露になる。
その左腕には、紅い回路図のような紋様がびっしりと走っていた。
それは淡く発光し、鼓動している。
血流と、同調しているのだ。
「だから今から私は・・・・全力を出します!」
「もう減らず口は沢山だ、死んでもらいましょう!!」
英翔の腕から、紅い光が爆発したように輝いた。
それと同時に、チェルノボグの三人は構えたAKの引き金を絞った。
英翔のガンバレルが胎動する音が、切り裂く銃声に掻き消される。
息をもつかせぬフルオート掃射。あたりは、着弾の土煙に覆われる。
三人は、マガジン内の弾をあっという間に撃ちきった。
何十発というライフル弾の雨に晒され、英翔の立っていたはずの場所は土煙が立ちこめ、何も確認できない。
しかし、今のタイミングだ。
最適化どころか、変換式を起動することも侭ならなかったに違いない。
そして、成す術も無く肉塊へと成り下がっただろう。そう、誰もが思っていた。
英翔さえも、だ。
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