「おかしい・・・・」
ヴィードルッシェは、ビルの屋上から街々を見回し、呟いた。
そこには、いぜんとして活動を続ける暴徒の姿がある。
「制御していた奴は殺した・・・なのに何故動く?」
まさか、あの男から発せられていた電波はフェイクだったのだろうか。
いや、その程度の区別を付けられない自分ではない。
だとしたら、考えられる事は一つ。
あれが、制御に関係なく動く代物ということ・・・。
「ハメられた・・・・ってこと?」
先程捻り潰したあの男に、自分はまんまと騙された。
脳に制御装置を組み込んでいるアイツを殺せば、それで暴徒は鎮まると思い込まされた。
これでは逆に、もう何の手立ても無くなった事になる。
「まあ・・・・良いか。私の任務はあくまで『制御装置の破壊』・・・それ以上はタダ働きね」
そうして、ヴィードルッシェは背を向けると、そのままビルの屋上の床を蹴って飛び上がった。
そのまま東京都を一望できる高さまで上昇し、仮設本部への帰路についた。
大気が、震えた。
次いで電撃が空気を焦がし、大地を焼く。一帯の空間が帯電した。
そして、その中を鉄球が駈ける。
大きさは、直径一センチから二センチほどの、銀色をした鉄球である。
それが、尋常ではない速度で飛翔していた。
秒速数キロメートルという、殺人的な速さだ。ただ飛ぶだけで、周囲の建築物を押し潰し、風で蹂躙し尽くす。
まるで、地面を這うように進む竜巻のようだ。
「・・・・・・つぅッ!」
それほどの威力を秘めた鉄球が、霧恵の真横を掠めて行った。
展開した『翼』で防御しているが、それでも空気を伝ってくる地を揺るがすほどの衝撃は凄まじい。
重心を低くして、しっかり立っていないと直ぐにでも吹き飛ばされそうだ。
そんな圧倒的存在を前に立ち尽くす霧恵に、貴子は問い掛けた。
「・・・・これでもまだ行くというの、霧恵?」
「・・・・何でですか、何で、ここまでするんですか―――貴子さん」
「貴方がこれ以上痛い目をみない為よ―――――」
「嘘です」
霧恵のきっぱりとした言葉が、貴子を遮った。
「嘘です。もっと、他に理由があるはずです」
「・・・・どんな理由よ。他に、一体どんな理由があるっていうのよ・・・!」
「どんな事情があるのか分からない。でもいつもの貴子さんは、私を追い返すためだけに暴力を振るう人じゃなかった!
何なんですか、本当に。いったいどんな理由が、貴子さんをそこまで追い詰めているんですか!?」
返す言葉が、無かった。
返せるはずが無かった。
霧恵は、前を向いて歩いている。一生懸命に、その足を踏み出している。
だが、自分はどうだ。
自分はどうなのだ。前を見つめているか、その足を踏み出しているか。
否。
動けない。不甲斐なさ故に、心が縛り付けられる。
前に踏み出すどころか、過去に引きずられない様にするのが精一杯だ。
そんな自分が、いま霧恵を妨げている。前を向いている彼女が、過去に呼ばれる自分に足を引かれている。
分かっている。
だけど、この身体は止まらない。止められない。
コウタカという存在が芯まで沁み込んだこの体躯は、過去に惹かれている。
決別を選ぶことも、共同を選ぶことも出来ない、この脆弱な心ゆえに。
揺れている。
その揺れに彼女を巻き込んでいる。駄目だ。
「・・・・死なせたく・・・ない、あの人だけは――――絶対に。だから―――」
「目を覚ましてください。私の知っている貴子さんは、もっと優しくて、面倒見が良くて、強くて・・・・迷わない人でした!」
真っ直ぐな霧恵の言葉が、心を穿つ。
「今の私には・・・こうするしか方法が無いのよ・・・!」
「どんな理由であれ、争ったりしたら英翔さんが悲しみます!」
「私には・・・喩え彼を切り捨ててでも・・・守りたい人がいるのよ!!」
「!?」
そう。
確かに、自分は英翔の事を好いている。一人の異性として。
だがそれは、愛でる・・・という愛情に近い。
それに対して、コウタカに対する感情は・・・愛でるというものではなく。
愛する。
親と子という関係を尻目に。ただ純粋に、一人の異性に溺れる。
それが自分の中にある、英翔とコウタカの決定的な差。
「・・・・本当に、もう以前の貴子さんじゃないんですね―――」
呟く声は、届かない。
貴子の手によって、トリガーが引かれた。
同時に、黒い鉄柱から電磁的に加速された超高速弾が撃ち放たれた。
音速を超え、プラズマ化寸前まで加速した金属球が飛ぶ。
「守って!」
霧恵は、『翼』を何重にも前面に展開した。
手には目を伏せた結ヱが抱かれている。彼女を守るためにも、この一撃、凌がなければならない。
穢れを知らぬ、白き鉄壁が形成される。
レールガンの弾はその堅牢な守りに阻まれ、あえなく地に落ちる。
しかし『翼』も、流石に無傷とはいかない。衝撃を相殺する際に、幾層かの『翼』が粉砕される。
だがその傷も、霧恵から供給される無限大・無制限の内気によって瞬く間に再生する。
このままの攻防では、いずれ手詰まりなるレールガンでは勝機はない。なら戦法を変えるしかない。
貴子は、レールガンのトリガー近くに設けられたスイッチに指を伸ばした。
そしてそれをセミオートからフルオートへと切り替える。
同時に、銃身下部に備え付けられたバイポットが展開した。バイポットの先端は、従来の物と違いアンカーのようになっている。
貴子はそのバイポット型のアンカーを、地面に深々と突き刺した。
トリガーを、絞るように引く。
嵐だった。
マズルフラッシュが、途切れる事無く続く。
銃口から、止めどないほど弾丸が吐き出された。
圧倒される、連射。
「させない!」
霧恵も、『翼』を展開した。
それも先程の比ではない。背中に冠する数は・・・・・およそ百近く。
内気がそこいら中に迸り、レールガンの速射に負けぬほどに空間を揺さぶる。
数多の白き翼を背負うその姿は、圧倒するほどの神々しさに満ちていた。
秒速数キロメートルの兇器は、息をもつかせぬ勢いで霧恵に迫り、襲い来る。
白き『翼』と、黒き弾丸が衝突する。
雷鳴が、轟いた。
いや、それは正確には雷鳴ではない。しかし、空間を殺すほどの大音量で、その音は響いた。
『翼』は、神速で動く。
寸分違わぬ正確さで、弾丸を迎撃する。撓る鞭のように俊敏に、猛る鉄槌のような威力を伴って。
狂騒する弾丸を叩き潰す。
その神業的な迎撃の際に・・・・・・・・・轟く、雷鳴に似た激突音。
百にも及ぶ『翼』による、弾丸との衝突。
それは雷雨のような激しさで、機械の様な正確さ。
猛る中に、静寂。
レールガンの掃射が、やんだ。
「・・・これでも駄目か」
貴子は舌打ちして、バイポットアンカーを引き抜く。
銃身から、白煙が上がっている。息をもつかせぬ矢継ぎ早の連射だったのだ、発生する熱量と負荷は計り知れない。
「・・・・貴子さん、もう一度・・・思い直してください」
「・・・・無理ね」
「もう、どんな声も届かないんですか?私の声も、英翔さんの声も、もう貴子さんには届かないんですか・・・!?」
「貴方が行けば・・・彼はきっと死んでしまう」
「彼・・・・・・?」
霧恵は一瞬、貴子が英翔のことを言っているのかを思ったが。
しかし、直ぐにそれを否定する。貴子は、決して英翔をそんな風に呼ばない。
長くは無いけれど、決して短くも浅くも無い時間を共に過ごしてきただの。それぐらいは分かる。
では「彼」とは一体・・・・・・・・・。
自分などには、決して入れない深い溝を感じた気がした。
「・・・教えてください。本当のことを」
「この一連の事件・・・・・首謀者は私の義父なの」
絶句した。
まさか、と思った。彼女の義父は死んだと聞いている。
その証拠に、彼女のKOTRT志願動機が、義父の仇討ちである。
その義父が生きている・・・・。
さらには、この事件の首謀者とまで来ている。
頭がこじれそうだ。
「その事と、私が英翔さんのもとへ行くこととどんな関係が?」
「貴方が英翔と落ち合えば、彼に生きる望みが無いからよ。貴方の力は強大すぎる、だから、あの人はきっと負けてしまう」
「そんな・・・例え負けたとしても、死ぬなんてことは絶対とは言えません」
「いいえ、人喰鬼に敗北は有り得ない。闘いは常に死合い、果てにあるのは勝利か死か、その二つのみ」
「だから・・・ここで私を――――」
「そう、だからここで――――――霧恵、貴方を止める。コウタカの命にかけて」
未だ銃身の冷え切っていないレールガンを、貴子は再び構えた。
その銃口の先は、ぴったりと霧恵の心臓を狙っている。
殺す気だ。
なら、こちらもそれに全力で応えなくてはならない。
それに、英翔のためにも、こんな所で止まれない。
突き進む。
友と闘うということは正しい選択とは思わない。
だが、最善の選択であると、信じている。
「行くわよ・・・・・霧恵!!」
「臨むところです貴子さん!!」
同時に咆える。
トリガーの引かれたレールガンから鉄球が。
背に冠された『翼』の白い矛先が。
それぞれが、相手を討たんと疾駆する。
空気を揺るがしながらの激突。
その衝撃の前には、アスファルトが、コンクリートが、鉄筋が、砕け歪む。
「・・・お姉ちゃん」
「結ヱ!?今は危ないから、あまり動かないで!」
胸に抱いている結ヱが、霧恵の服の袖を引っ張る。
その息は、先の傷が響いているのか、どこか弱々しい。完治したとはいえ、やはり辛いのだろう。
「少しだけ・・・・ほんの数秒だけ、集中させて」
「・・・・え?どうして」
「お願い」
「・・・・・・・・分かった、やってみる」
きっと、霧恵は貴子に向き直る。
砲撃はいぜんとして続いていた。しかも、ランダムに移動しながらの的確な射撃。
『翼』で迎撃しようとしても、恐らく到達前にレールガンで撃ち落されるだろう。いくら霧恵の『翼』が堅牢でも、あれの直撃を受ければただでは済まない。
なら、攻撃して隙を作り、時間を稼ぐという作戦は不可能だ。
そもそも先程から押しては押し返されの攻防を繰り返していたのだ、攻撃が届くわけが無い。
攻めても無駄。それならば、守る。
守って時間を作る、それ以外に方法はない。結ヱが何を考えているのかは分からないが、きっとこの闘いの流れを変える策を練っているに違いない。
だったら、自分はそれ信じて最善を尽くす。
「はああああああああ!」
「!?」
霧恵の背中が、一段と輝く。背に冠された無数の『翼』が、次々と霧恵たちを覆い始める。
まるでドームのように、半円状に包み込む。背中からはさらに追加の『翼』が顕現し、ドームをコーティングするように折り重なっていく。
そうして、『翼』を織り込んだ純白のドームが完成する。
隙間などは到底無い。少しの斑も欠けもない、均一にして究極の障壁。
「これで、大丈夫だよ結ヱ」
「ありがとう・・・お姉ちゃん」
白い空間に包まれ、霧恵はその天井を仰ぐ。
背中からは、その大元である『翼』の束が繋がっている。
結ヱは、すっと目を閉じた。
「・・・こんな事まで出来るなんてね、霧恵。やっぱり貴方を、英翔と合流させるわけにはいかない―――!」
臆することなく、貴子は白いドームへと疾駆した。
疾風の様に駆け寄ると、その『翼』で編まれた外壁へとレールガンを突きつけた。
銃口は、隙間無く壁に押し付けられている。その状態で、貴子は発砲した。
紫電が迸り、電気特有の爆ぜる音が聞こえた。
だが、白い壁には傷一つ付いてはいなかった。
濛々と白煙が上がり、発射された弾丸が転げ落ちる。
戦車砲もかくやという威力を持ったこのレールガンですら、対抗できないのか。
いや、そんな筈は無い。
それにこちらはまだ一発しか撃っていないのだ。いかに堅牢な守りであろうとも、このレールガンの零距離射撃を何度も受ければ、無事ではすまない。
壊れるまで撃ち続けるのみ。
相手も、自分も。
トリガーに、再び指を掛け、引き絞った。
『翼』の守りの外で、何か大きな音が響いている。
車が一斉に玉突き事故を起こし、そのうえガソリンに引火し炎上。というほどの轟音だ。
分厚い金属を、鉄槌で何度も叩くようでもある。
とにかく、耳を覆いたくなるほどの大音量だ。
結ヱに頼まれて、このドームを展開したが、これではかえって余計に集中できないのではないだろうか。
そう案じて、霧恵は抱えている結ヱに視線を落とす。
結ヱは轟音のする方を向き、手の平をかざしている。じっと目を閉じ、何かを探り当てようとしていた。
「最適化、完了」
そっと、囁くように呟く。
同時に結ヱの手の平が、淡く光り始めた。
それは次第に形を成していき、小さな円陣を描き始める。
結ヱの手の平にすっかり収まってしまいそうなほどの、小さな円陣だ。
「 地を駈け、天を灼き、母なる源を渇かす焔よ。我に仇なす者を 遺さず 還らず 無に帰せん。 」
言語詠唱だ。どんな術を発動するために用いるものなのか、霧恵には判別がつかない。
しかし、ニュアンス的に攻撃系の錬精術だということは、何となく推測できた。
「お姉ちゃん」
「なに、結ヱ」
「私の合図で、あそこの『翼』をどけて」
そう言って、結ヱは手の平をかざしている方の『翼』の壁を指差した。
そこは、丁度先ほどから轟音が響いてくる箇所だ。
恐らく貴子さんがレールガンで攻撃を加えているのだろう。
「 第三焔術 “アグニの眼差し” 」
結ヱの手の平に顕現していた円陣が、膨張した。
手の平に収まる程度だった大きさが、あっという間に霧恵を見下ろすほどに大きくなる。ざっと二メートルといったところだろうか。
「お姉ちゃん、今よ!」
「わかった!」
合図とともに、霧恵は『翼』を操作する。
『翼』はねじれる様に蠢き、指示通りの場所に、トンネルの入り口のように孔をつくる。
その向こうには、唐突に開いた孔に同様する貴子の姿があった。
レールガンを構えたままの姿勢で、雷に打たれたかのように硬直している。
しかしその眼差しは、真っ直ぐに霧恵と結ヱを捉えていた。
「術式、発動!」
「ッ!?」
円陣が爆発した。
まるで、前面に押し出すように、爆風と熱と衝撃、その全てが貴子に向かって襲い掛かる。
奔る炎は、瞬く間に貴子を飲み込んだ。
荒れ狂う炎に、貴子がいた場所を中心に灼熱の海が出来上がる。
生ける者を灰に帰す、万物を滅する炎。
これが、錬精術・・・。
人でなき人、変換式と呼ばれる特殊中枢神経を持つ別脈種の、本質ともいえる力。
改めて、霧恵は身震いした。
自分のこの、禍々しいまでに白い『翼』といい、結ヱの放った錬精術といい。
思い知らされる、自分が、化け物なのだと。
「・・・ごめんお姉ちゃん。しくじっちゃった」
「え?」
見ると、熱に揺らめく赤い海が、一層揺らいだ。
揺らぎ、分かたれる。
灼熱の海を割り、姿を現すは貴子。
着ていた浴衣は、所々が炎に焦げ、手に持っているレールガンからは紫電が吹いている。
その形相は、まるで炎さえ従える鬼。
畏怖の念を感じずにはいられない、本能的な恐怖が身体を駆け巡る。
これが、彼女本来の強さなのか。
敵うのだろうか・・・。弱気な考えが思考を占領しようと巡る。
しかし、そんな訳にはいかないことは、心が重々承知している。
行かねばならない。喩え、立ちはだかるが鬼であろうと。
進むのだ。
「ちッ、レールガンがオシャカになったか・・・」
紫電を吐き、もう動くことの無いレールガンに見切りをつけ、投げ捨てた。
先程の錬精術を防げたは良いが、盾にしたレールガンが壊れたのは痛かった。まあ、あれだけの焔術を凌げたのであれば僥倖だ。
もし何の守りもなく、そのまま直撃していれば、今ごろは消し炭にもならず、影も残さず消えていただろう。
「貴子さん・・・」
霧恵が、不安げに声をかけてくる。
「どうしたの、霧恵。戦いはまだ始まってもいないわよ」
「それって、どういう意味ですか・・・」
「こんなのはまだまだウォーミングアップ、本当の戦いは、もっと身体を温めてからよ」
言い放つと同時に、貴子は焦げ目のついてしまった浴衣を脱ぎ捨てた。
それを、未だに燃え盛る熱の海に投げ捨てる。
そして浴衣の下に着ていたインナースーツが顔を出す。
手足共にノースリーブで、まるでダイバースーツのように全身にフィットている。
腰部や胸部にモジュールが設けられており、機械的な雰囲気をかもし出していた
KOTRTに近々配備される予定の、特殊強化防護服の先行試作型だ。
ちなみに隊に配備される予定の特殊強化防護服はベストタイプである。
彼女のものは技術的な都合上により、このような、俗に言うならば“水着”のような形に収まっているのだ。
「ッシ!」
何の前触れもなく、貴子は疾駆した。
姿勢を落とし、地を這うように駆ける。
霧恵との間合いが、息をもつかせぬ間に無くなった。
腰を落とした突撃体勢から、貴子は拳を繰り出す。
それは狙い違わず、霧恵の顎に直撃した。
もとより、なんの格闘訓練も受けたことの無い霧恵に、かわすことも耐えることも叶わなかった。
背中の『翼』が消失した。それは、術者の気絶を意味する。
立った一発のアッパーカットで、意識が吹き飛び、殴られた衝撃により仰向けに倒れる。
そこに、貴子は慈悲無く止めの一撃を見舞おうと、再度拳を振り上げた。
「だめッ!」
「!!」
貴子の拳が、寸前で止められた。
拳と霧恵の間に、結ヱが割って入ったからだ。関係の無い子供を、貴子は殴るつもりは無い。
だが、邪魔をするのなら止む無しということにもなる。
「退きなさい。でなければ、私でも手加減しないわよ?」
「・・・させない・・」
「辛いんでしょう?さっきの腕の修復で、だいぶ無理したんじゃない?そんな疲労困憊で、一体何が出来るというの」
下目使いに脅すが、結ヱは頑として退こうとはしなかった。
きっと睨み上げ、その小さな身体で、後ろに倒れている姉を必死に守ろうとしている。
「もう・・・大丈夫、いいよ結ヱ―――――」
不意に、霧恵がかすれる声を漏らした。
仰向けになった身体を叱咤し、無理矢理に起こす。
打たれた顎は薄くだが赤く腫れ、衝撃に口の中が切れたのか、唇の端を血が伝う。
脳が揺さぶられたのだ、彼女の視点は未だドロドロに溶けた状態だろう。
恐らく、目の前に賢明に立ちはだかっている結ヱすらおぼろげにしか判断できていないに違いない。
「意識が戻ったのね・・・でも、まともに闘える状態じゃないはずよ。貴方みたいな何の訓練も受けていない者なら、
視界と意識が完全に鮮明になるまであと十数分は要するわ」
「・・・・見えます」
「強がりを言っても、無駄よ」
「見えます・・・はっきりと。目に、焼きついて・・・・!痛いほど鮮明に見えてます、貴子さんの姿は!!」
「訳の分からないことを」
霧恵は、結ヱをそっと後ろから抱きしめ、自分の後ろへと移動させた。
これ以上、結ヱに迷惑をかける訳にはいかないし、傷つけるわけにもいかない。
「結ヱ、危ないから離れてて・・・」
「お姉ちゃん、私も―――――」
「お願い。ね?」
「――――――っ」
そうして、結ヱは霧恵の背中から遠ざかった。
二十メートルほど下がり、姉を見守る。
昔から何処か抜けていて、頼りない姉だったのだ。だからか、不安が膨れ上がる。
「よっこいしょ・・・」
「そんな風に、立ち上がるのも精一杯なんでしょう。満身創痍と言っても過言じゃない状態で、私に勝つつもり?」
「ええ、英翔さんが待ってますから」
穏やかに微笑み返した。
確かに、貴子の言う通り霧恵はもう限界だった。
先のアッパーよりも、『翼』の乱用が、予想以上に彼女の身体に負担をかけているのだ。
それもその筈だ、付け焼刃よりも土壇場で使った初めての錬精術。それも『翼』。
普通の賢種なら干乾びていそうなほどの内気を使い、連続して使用していたのだ。
身体は、とっくに限界だった。
これ以上限界を超過して使い続ければ、どんな事態を招くか分からない。すぐにでも絶対安静の休息をとるべきだ。
しかし、それでも霧恵は身体を奮い立たせる。
ここで倒れたら、何もかもが駄目になってしまう気がするのだ。英翔の努力が、結ヱの思いが、今までも自分の軌跡が。
全てを、無意味にしてしまう。だから、喩えここで限界を超えて朽ち果てようとも。
立ち上がり、立ち向かわねばならない。
不思議な感覚だ。
身体は悲鳴を通り越して、金切り声を上げているのに。
力が湧いてくる。
意志を強く保ち、神経を研ぎ澄ませ、奮い立つ事で、自分の心の奥底から力が止めどなく溢れてくるようだ。
「はあああああああ!」
「まさか!?」
貴子は、目を疑った。
もう、彼女の変換式は『翼』の乱用により疲弊しきっているはずだ。もう、どんな低級の錬精術でも使えまい。
その筈なのに・・・。
霧恵は再び、背中に『翼』を冠した。
しかし、変換式の疲弊は確実に響いていた。その『翼』の規模は、先ほどの比べるとあまりに小さい。
精々四つから五つだ。ドームを形成するほど顕現させた先ほどに比べれば、天と地の差だ。
だが次に、彼女は信じられない行動に出た。
背中に顕現させた『翼』を、腕に纏い、ファイティングポーズをとる。
ファイティングポーズといっても、我流で重心の位置も構えも何もかもがなっていなかった。
見ようによっては、ただ腰が引けているように見えなくもない。
しかし、それは誤りだ。それは、貴子には一目でわかった。
目が、違うのだ。
構え云々よりも、目が違うのだ。
燃えるようではない。だが、激しい闘志を湛えた真っ直ぐな目線。
人とは、明確な意思を持つことにより、ここまで変われるものなのか。
ついこの間までは、いつもベソをかいていたような少女が。
ここまで、真っ直ぐな闘志を持てるものなのか。
ぞくりと、背筋が寒く感じる。
貴子が悪寒を感じたことに気付いたのか、霧恵は笑みを浮かべる。
挑発・・・ではない。ただ純粋に笑っているのだ。不純なものは一切無い。
混じり気の無い・・・笑顔。
そこまで明確な闘志を抱えながら、そんな風に笑うのか。
なら、全力で答えよう。
その闘志に、笑みに、―――――――――――決意に。
合図は、無かった。
火蓋を切られること無く、闘いは始まった。
それぞれ、かけているものの為に。渾身で最後の戦いが無唐突に開始しされる。
先手をきったのは、勿論貴子だった。
肉弾戦は、彼女のほうが霧恵よりも段違いに手馴れている。だから、もしも先手を打たれようとも、何ら問題は無い。
だが、そこまで貴子は甘くもなければ優しくもない。
何の構えもせず、無拍子・無唐突に拳を繰り出す。何の前触れも無い拳撃。
それは、例え熟練した格闘かでも回避は難しいだろう。
しかし、その拳は防がれた。
必滅のタイミング、速さ、威力で繰り出された拳を、霧恵はなんと鷲掴みにしたのだ。
普段の彼女からは考えられない。彼女には、繰り出された拳を見切る動体視力も無ければ、それを止めるだけの筋力も無い。
では、何故受け止められたのか。
『翼』か・・・・!
貴子は、胸中で舌打ちした。
そう、霧恵は腕に補助として『翼』を巻きつけているのだ。恐らく、それで筋力をカバーしたのだろう。
だが、動体視力は。
彼女の目には恐らく、先ほどの拳を捉えることは不可能だったはず。では、何が彼女に拳を見切らせたのか。
まぐれ、の一言では片付けられない。彼女がどうやって見切ったのか、それを貴子は見切らねばならない。
なら、今度は―――――!
空気を裂く様に、貴子の蹴りが炸裂する。腹部に狙いを定めた中段蹴り。
一般的に、足技は拳打に比べて三倍の威力があると言われている。つまり、先の拳より全てが三倍増し。
いかに霧恵であろうと、この蹴りはさばけまい。
だが。
貴子の脚は、霧恵の腹部に届く直前で止められた。
霧恵は、貴子の脚を両手でがっちりと受け止めていた。その力は尋常ならざるもので、掴まれた脚が全く動かない。
いかにして見切っているのか、それは依然として分からない。
だが、反撃の糸口は見つけた。
霧恵は、この時点で一つ大きなミスを犯している。それは、過剰な力で貴子の脚を掴んでいるということ。
即ち。
貴子は、掴まれていない方の脚を宙に浮かべた。
霧恵が異常なまでの力で、もう片方の脚を掴んでいてくれるお陰で、両足が宙に浮く状態になってもこけることはない。
そのまま、掴まれていない方の脚を、貴子は押し出すように、霧恵の腹部へと蹴り込んだ。
「がッ!?」
「貰った・・・」
いきなり鳩尾に深い一撃を見舞った霧恵は、苦しさの余りに貴子の脚から手を離した。
まさか、こんな風に反撃されるとは思いつきもしなかった。
これが、場数の差の違いだった。
数多の敵と幾多の戦場を潜り抜けてきた貴子と、今までの何の戦闘経験の無い霧恵の、僅かな・・・だが決定的と言える差だ。
「まだまだぁ・・・!」
貴子は、手を緩めることはしなかった。
腹を押さえて、膝をつきかけた霧恵の頭を鷲掴んで、無理矢理に立たせる。
「ぁあ・・・はあ・・・・」
「衝撃で過呼吸になったか。まともに息をできなくて、苦しいでしょう?」
返事が出来る状態ではなかった。
口からは、掠れた呻き声が漏れるばかり。意識を保つのも難しいだろう。
「すぐ、楽にしてあげる・・・・」
そう言うが早いか、貴子は霧恵の顔面に容赦無く右ストレートを叩き込む。
拳に、頬骨が砕ける感触が伝わってきた。
だが、それでも彼女は止まらなかった。
更に何発も拳を無抵抗な霧恵の顔面に見舞い、手の甲ではたく様にも殴る。
霧恵の身体に力は無く、ただ貴子に頭を鷲掴まれてぶら下がっているという状態だった。
顔はもう、無残に腫れ上がり、唇も口の中も鼻腔も切れ、血が滴り落ちている。
意識はとうに無く、目は半開きだが光は無い。
「・・・・!?」
更に追い討ちをかけるように、貴子は殴打を続行しようとした。
が。
その打ちつけた拳を、霧恵が掴む。
指先が喰い込むほどに、霧恵は受け止めた貴子の拳を握り締める。
意識は途絶えているはず。なのに、反応した。
何故掴むことができ得る。どうして、ここまで力を出せ得る。
こういう彼女の行動に、貴子は、彼女の中に渦巻く深いものを感じずにはいられない。
戦の利がこちらにあるように・・・霧恵にも、貴子には無い何らかの利を持っているような気がしてならない。
しかしそれは憶測と杞憂の域を出ず、確信にまでは至らない。だが、確実に背筋に忍び寄る戦慄。
「・・・足掻くなよ―――!」
だが、貴子は霧恵の腕を強引に振り払った。
もうあと二・三発でも拳を叩き込めば、それで終る。
その・・・はずだ。きっとそうなのだ。
「・・・・・・・・負け、な・・・・ぃ・・・」
すぐにでも消え入りそうな、蚊のさえずりよりも小さな声。
そんな微かな声が、霧恵の喉から漏れる。
意識が・・・あるのか。
いや、そんなはずはない。そんなはずはないのだ。さっきも確認した。絶対にない。
だったら、なぜ喋ることが出来る。
もうこれは、信念や決意などという問題ではない。なにが彼女をここまで突き動かしているのか。
「・・・わたし・・・は・・!」
霧恵の足に力が篭る。
頭を掴まれてぶら下がっている状態から、立ち上がった。
しっかしと両の足を地に着き、踏みしめ、身体を支えている。
「・・・・!?」
恐怖した。
背筋に、良くない寒気が走り、鳥肌がたつ。
確かに、彼女の意識は無かった。それは彼女の目の瞳孔状態を見れば一目瞭然だった。
だが実際に彼女は立ち、言葉を発し、立ち上がり、立ち向かってきている。
夢現、という状態で。
「どうして・・・どうして貴方は、そこまで必死に立ち上がるの・・・?・・・・どうして!!」
感情に任せて、拳を再度振るう。
一直線に、まるでそれは吸い込まれるように霧恵の顔面へと滑るように走った。
だが、拳は阻まれた。
霧恵の前面に、『翼』がすかさず展開され、彼女を守った。
もう、変換式は疲弊しきり、発動するには相当な苦痛を伴うはず・・・いや、まともに発動することは、不可能に近いはずだ。
そんな、数多くの不可能を乗り越えてまで、彼女は立ち向かってくる。
不可能を可能にする。
それは、限界を超過すると言うこと。
限界を超える。
人は、何か一つ限界を超えるたびに、何か一つを失っていく。
代償無くして、成せることではないのだ。
それを辞さずして、彼女は立ち向かってくる。
「うあああああああああああ!」
意識無きはずの霧恵は天に向って吼える。
それを皮切りに、背に冠された『翼』が一斉に貴子に向って疾駆する。
反応することは、叶わなかった。
豹より速く駈け、獅子をも超える重き一撃が貴子を襲った。
高質量・高密度の『翼』が全身を打ち、さらにはその羽先が打ち付けざまに身体を切り刻んでいく。
着ていた特殊強化防護服も、その意味をなさなかった。切れ目無く繰り出される『翼』の猛攻に、遭えなく裂ける。
一撃一撃が鉄槌で殴られたかのように重く、そして一つ一つの羽の刃先は日本刀もかくやというほどに鋭い。
瞬く間に打ちのめされ、貴子は膝を折った。
そのまま力なく、のめり込むように地面に倒れた。
「・・・っはあ・・・・っはあ・・・・はあ―――――」
貴子が倒れ伏したのを見届けると、霧恵は背に冠した『翼』を戻した。
背筋に、太い注射針を突き刺されたような痛みが走る。限界だ。
急に糸が切れたかのように、霧恵の体が崩れる。
それを、間一髪。結ヱはそれを肩で支えた。
貴子が倒れた後、彼女は素早く霧恵のもとへと走っていたのだ。
遠くから見ていた結ヱの目にも、姉の限界は一目瞭然だった。変換式は疲弊しきり、身体も満身創痍。
いつ倒れてもおかしくはなかった。
結ヱは肩で支えた霧恵をゆっくりと降ろし、地面に寝かせる。
そして、霧恵の胸の上に交差させた手をのせる。
精神を研ぎ澄まし、一点に集中する。
どのような錬精術においても、最も重要とされるのは最適化時における集中である。
これを失敗すれば、例えどんなに上手く術式を組み立てることが出来ても、術は発動しない。
最初が一番肝心なのだ。
「 内に秘められし命の華よ、我が力を糧にし、その華、いま咲かせん 」
仮設本部で英翔にも施した、治癒系の錬精術。
これは細胞に元々ある自然治癒を活性化させ、その回復を促すというポピュラーなものだ。
治癒系の錬精術は、高度なレベルになれば、他の生物から細胞を拝借して傷を修復するという方法もある。
しかし結ヱにはまだそんな高度な錬精術は使用できないし、それに周りには細胞を採取するための生物がいない。
東京なので街路樹は乏しく、しかも異常な緊張感漂う街の中には子猫一匹見つからない。
改めて、今がとても緊迫した事態なのだと思い知らされる。
「お姉ちゃん・・・頑張って」
傷に手をかざしながら、祈るように結ヱは呟いた。
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