もう、陽が昇り始めてしまった東京。
その上空を、一機の戦闘機が通過していく。
眼下の都市は、静まり返っている。
早朝だから、という理由ではない。
それは、いまこの東京という都市が一つの戦場だからだ。
だから、これほどにも緊張にし、物音一つたてないで息を潜めている。
いつもは人の息吹に満ちている都市ゆえに、その光景はまるで都市が死んだように思えた。
死せる都市の上を、戦闘機は悠々と渡る。
陰ったその姿は、死骸を貪るハゲ鷹だ。
「パイロットさんよお、いつになったら着くんだよお」
その戦闘機のコクピット後部座席、そこに足を組んで大層な態度で座っている男。
片峰響次は、パイロットに不満の声を投げ掛けた。
しかし、パイロットは何の反応も示さない。
黙々と操縦桿を握り、周囲に警戒をしている。それに、彼のぼやきはこれが最初ではない。
緊張感が無いのか、発進してからもう何十回と言い続けている。
パイロットの無線に、不意に通信が入った。
それは同時に発進し、途中から別行動に入った仲間からの通信だ。
どうやら、仲間のほうは無事に『荷物』を届け終えたらしい。そして、無人の小型戦闘機に気を付けろと注意を促してきた。
「了解、こちらも警戒する。ああ、問題ない。こちらもすぐにリリース・ポイントに到着する」
『では先に帰還する。気を抜くなよ』
そうして、通信を終えた。
これほどの上空であれば、まだ無線での交信は可能だが、眼下に佇むあの都市の中ではそうはいかない。
敵勢力によってばら撒かれた化学兵器の影響で、電波の状況が酷く。とても無線は使用できない。
つまり、一度この真下の都市に降りれば、孤立無援。なんの補給も増援も望めなくなる。
そんな前代未聞の戦場に、今から彼は後部座席に座っている、この若者を降ろしてこなければならない。
だが、彼は納得がいかなかった。
いくらテロリスト達が、科学兵器により東京都民をマインドコントロールし、即席兵としてるとはいえ、
何故こんな何処の馬の骨ともしれぬ若者に、首都の奪還を委ねばならないのか。
それに、この若者に対して上官からは何も聞かされてはいない。
「ただ、降ろしてくるだけでいい」
その一言だけだった。
他に説明は無い。
「おい」
「なんですかあ?」
パイロットの呼びかけに、響次は緊張感のない声で返事をする。
これから戦場へ行く者とは到底思えない。
「あと五分でリリース・ポイントに到着する。準備をしろ」
「あ、別にいいですよ。リリース・ポイントじゃなくて」
「は?」
突然の発言に、パイロットは唖然とした。
降りるのは別に降下地点でなくとも良いなどと、この若者は一体何を言っているのか。
実は、頭のネジが三、四本飛んでいるのではないか。
「ほら、あそこに見える赤い看板のあるビル。あのビルの屋上に降りてください」
「な、なにを言ってるんだ、そんなこと無理に決まっているだろう!」
「大丈夫ですよ、あの屋上広いから、ハリアーでも十分に着陸できますよ」
「そういう問題ではない!貴様の勝手な一存で、作戦に支障をきたしたらどうするつもりだ」
「どうも何も、俺この作戦に参加しねえからカンケーないね」
パイロットのヘルメットが、後ろから小突かれた。
何で小突いているのかは知らないが、嫌に硬い感触がある。
「貴様、いい加減にしないと――――――!!」
「いい加減にしないと?」
怒りが頂点に達したパイロットは、操縦中にも関わらず、後部座席に振り返った。
パイロットにあるまじき行為ではあるが、我慢の限界である。
そして真っ先に彼の目に映ったのは、自分の眉間にぴったりと狙いをつけた・・・・銃口だった。
それも、異様に大きい銃口だ。
恐らく大口径のライフルだろう。
それが、自分の頭部に狙いを定めている。
「な・・・・・!?どういうつもりだ!」
「どうもこうも、あそこに降ろして欲しいだけですよ」
「っく・・・!そんなことが――――――ッ」
「出来る、出来ないの問題じゃねえよ。するか、しねえかだ。ま、素直に言うこと聞いてくれたら弾も一発無駄にせずに済むしね」
「外道が・・・・!」
「その手の捨て台詞も・・・・聞き飽きたねえ・・・」
まるで虫を見下すような目線で、響次はヘルメットに銃口を押しつけた。
「来たようだね」
シルヴァリーは、上空を見上げた。
そこには、彼の佇むビルの屋上に向かって来る一機の戦闘機がいた。
彼の後ろには、チェルノボグがレールガンを構えながら戦闘機を見据えている。
もし、あの戦闘機から攻撃を受けたときの保険のためだ。
だが、それも杞憂に終る。
戦闘機はシルヴァリーたちの上を跨ぐと、そのまま屋上のど真ん中の、何も障害物の無いスペースに着陸した。
流石はSTOL搭載機の事だけはある。
このような場所は、ヘリや垂直離着陸機でなければ着陸は不可能である。
コクピットが開き、そこから悠々と一人の若者が姿を現した。
それは戦闘服を着込み、両手には異常なまでに巨大なライフルを担いでいる。
だが、そんなミリタリースタイルに反して、頭は典型的なパンクスタイルだ。
「やあやあ、お迎えご苦労さん。“シグルドリーヴァ”!」
コクピットから身を乗り出した若者は、緊張感の無い声でシルヴァリーたちに手を振る。
チェルノボグも、銃は降ろしているものの、警戒はまだ解いてはいない。
「良く来てくれた、新たな我が同志よ。KOTRTの末席に名を連ねる、ミスター・片峰」
「いやいや、こちらこそ。ご足労、ありがとう。まさかこんな大勢に迎えてもらえるとはね」
コクピットから降りてくると、響次はシルヴァリーと握手を交わす。
「パイロットはどうしたんだい?」
「ああ、今は気絶させてる。好きにしていいよ」
「そうか、じゃあ後始末は任せるよ、チェルノボグ。僕とミスター・片峰は隊長に挨拶に行く」
三人は、シルヴァリーの指示に頷く。
そして無言のまま、ハリアーのコクピットへと向かっていく。
「じゃあ、我々は行こうか」
「おう・・・・・・で、あれがシグルドリーヴァ最強っていわれる“チェルノボグ”か・・・」
「興味が?」
「いや、ロシア語は分かんねえけど、“チェルノボグ”って、文法的にいうと単数だろ?」
「そうだが、何か不具合でも」
「別に、ただ三人のチームなのに、なんでチーム名が複数じゃないのかなって。ま、俺は特殊部隊とかあんま知らねえし、それが普通なのかもしんねえがよ」
その言葉を聞いて、シルヴァリーは口元に手を当てながら、くつくつと笑った。
「何か可笑しかったか」
「いや、存外君は優れた感性をお持ちだと思ってね。そう、君の言う通りだよ」
「は?」
シルヴァリーの意味深な言葉に響次は首を傾げる。
だが、不思議がる響次にシルヴァリーは決して真意を話そうとはしなかった。
決して。
後ろから、銃声が響いた。
アサルトライフルの掃射だ。
ちらっとだけ振り向くと、チェルノボグがハリアーのコクピットに容赦無く弾丸を撃ち込んでいる。
中から助けを求めるように一瞬手が伸びたが、それはすぐにライフル弾に削られてズタズタになった。
何事も無かったかのように、シルヴァリーと響次は屋上を去った。
階段を下りるとき、背後から更に爆発音が響く。
「手際が良いねえ・・・」
機体の爆破処理。それでは、パイロットは本当に骨しか残らないだろう。
その哀れさを思い、響次は胸元で十字を結ぶが、気持ちなど最初から篭っていない。形式だけだ。
それに、元から神様を信じている訳でもない。
そんな、希望じみた考えは、もう幼い頃に捨てた・・・・。
生き残るために、信じるのは己自身。
空高くに、居るか居ないのか良く分からない存在など、何の意味も無い。
確かなモノでなければ、価値がないのだ。
「・・・・・・・アーメン」
だから、響次は神の言葉を紡ぐ。
「ハァッ・・・・ハァッ・・・・ハァッ―――――・・」
ちゃりん、と硬貨が落ちていった。
次いで、ボタンのランプが点灯する。
英翔はスポーツ飲料を選ぶと、ランプの点灯したボタンを押した。
続けざまに、乱雑な音を立てて缶が取り出し口に落ちてくる。
それをひったくるように取り出し口から引きずり出すと、英翔は素早くプルトップを開け、缶を一気にあおった。
喉が、貪欲なまでに音を立てる。
だが、今はそんなことは気にならない。
それほどに今は、水分が欠乏しているのだ。
「ぶっはあ!!――――あーーー・・・美味い」
スポーツ飲料の缶を握り締めながら、うめく様に呟いた。
しかし、九死に一生とはまさにこのことだ、と英翔は痛感していた。
あの後、英翔は見事高速を走破し、シグルドリーヴァが占領している市ヶ谷駐屯地近くまで来た。
しかし、流石に体力が続かなかった。
それもそのはず、英翔は高速を本当に車並みの速度で駆け抜けていたからだ。
天下の両極ならそれぐらいの距離を駆け抜けるのは造作もないはずなのだが、いささかこの戦闘服が熱すぎた。
冷却等の装備を施されていないのか、まるで蒸し風呂を着ているような感覚である。
けれどもよく考えれば、こんなぴったりとしたダイバースーツのようなこの戦闘服が蒸れないはずがない。
浅慮だった、と反省する。
もし高速を走っている時に、ふと脇目をふってこの自販機を見つけなければ。きっと数キロ先で水分の無さに喘いでいただろう。
「でも・・・・今は東京都全域が戦闘区域だというのに・・・・」
英翔は自販機の隣に腰を降ろして、周囲を見回した。
前には、高速道路の下を走る大きな道路がある。だが、当然のごとくそこを走る車はいない。
いや、本当に何もいない。
野良猫一匹。
人っ子一人。
車両一台。
何も無い。
逃げ送れたとの報告があった、自衛隊員すら・・・・。
ただ、静寂だけが都市を包み込んでいる。
敵がナノマシンで操っている民間人も見当たらない。
やはり素体が人間だから、ある程度の休息が必要なのだろうか。
だとしても、見回りの一人もいないのは不審である。
英翔は、コウタカと対峙した時の事を思い出した。
あの時コウタカの背後から自分に襲い掛かってきた民間人の力は尋常ではなかった。
確か、ガルボさんか内藤さんかの報告で、ナノマシンが脳を通じて人間の筋力等も操作するとかどうとか・・・。
なら民間人を不眠不休で見張り従事させるという事も可能ではないのか。
流石に長期間の不眠不休は難しいだろうが、この東京が占領されたのは昨日の今日の出来事だ。
警戒を強くしていても不思議ではない。
では、いったい何処を警備させているのか―――――。
頭は、冷静に嫌な答えを導き出す。
しかし、それを事実として認めるには、冷や汗が滲む。
「・・・・私の目的地、市ヶ谷駐屯地の総力警備・・・・!」
手に持った缶を、思わず握りつぶす。
缶にはスチールと明記されているが、今はアルミ缶以上にグシャグシャに潰されている。
敵は、一体何人なのか。
否、何万人なのか・・・・。
シグルドリーヴァがナノマシンを散布したのは、東京都全域。
つまり、一千万東京都民の何割かを即席兵として獲得したということ。
どれだけ軽く見積もっても、万単位の敵が待ち構えている。
「―――――ッ!?」
突然の出来事に、英翔は跳ねるように立ち上がった。
胸元が、震えている。
それは、着信を伝える無線機のバイブレーションだった。
ただの無線機か、と胸を撫で下ろす。
そしてジャケットの胸ポケットから、無線機を取り出し、イヤホンを耳につける。
だが、その無線機を使うという行為に、英翔は言いようの無い違和感を覚えた。
何か、大事なことを忘れていないか・・・。
『おーう。聞こえてるかー、英翔。俺、響次、返事してくれー』
イヤホンから、ノイズの混じった響次の声が聞こえてきた。
英翔は慌てて応答する。
「あ、うん、聞こえてるよ!響次!」
『お、やっと繋がったぜ。ったく、どんだけ周波数変えても中々通じねえしよ・・・』
「はは、それは大変だったね」
『だろ?おまけに電波状態が酷くってさあ』
鼓動が跳ね上がる。
心臓は慌てたように、頭に血液を送り始めた。
息苦しい。
電波状態―――――。
脳裏に、ガルボの言葉が蘇える。
そうだ、出撃前に言っていた。
――――電波が妨害されている東京都内では無意味だがな
電波が妨害されている。
即ち、無線機に代表される電波での交信は不可能ということ。
「響次・・・・一体、どうやってこの無線をかけている――――!」
『やだなあ、そんな怖い声出すなよ。後ろの連れが驚くだろ?』
「―――――ッ!?」
連れ・・・。
この作戦は、人員の関係からそれぞれがスタンドアローンで動く。
なのに、連れとはどういうことか。
良くない事ばかりが頭の中に浮かんでは沈んでいく。
『お前の泡食った表情が無線機越しに分かるぜ、英翔?』
「・・・・どういうことだ。説明しろ、響次」
イヤホンから、嘲笑うような響次の忍び笑いが聞こえてくる。
『飽きたんだよ』
「・・・・・・・・」
『KOTRTっていうのも、この作戦も、お前も、ぜーんぶ飽きたんだよ。つまんねえ』
「・・・・・・・・」
『だから俺は面白みのある、“シグルドリーヴァ”のほうについたんだよ。お分かり?』
英翔は何も言葉を返さない。
砕けそうなまでに、歯を噛み締めていた。
『おーい、聞こえてるかあ?もしもーし』
「・・・・・・・・一つだけ、聞いていいか」
『何だよ、最後の会話に相応しい話題にしてくれよ?』
「お前は、本当にただそれだけの理由で、全てを切り捨てたのか・・・!」
『・・・・・・・・』
今度は、響次が黙った。
イヤホンからは何も聞こえない。
いま、響次がどんな表情をしているのか。伝わってこない。
まるで、本当に全てが隔たれてしまったようだ。
『お前さ、本当にそういう変なトコだけ鋭いよな』
「話を逸らすな」
『へへ、手厳しさも相変わらずだ』
「話を逸らすなと言っている。私の質問に答えろ」
『じゃあ言ってやる、英翔。知ってるか、チャーハンってのはな、いったんオタマに盛ってから形を整えるんだ。
お前いっつもフライパンから直だったからな。直せよ、そういうとこ。中華料理屋開きたいんだろ・・・・?』
「ちょっ、まて答えに――――――!」
だか、英翔の言葉を遮るように無線は切られた。
響次からの、一方的な切断だ。
英翔は、手に持った無線機を握りつぶした。
プラスチックカバーの中から、コードや火花が飛び散る。
あまりにも、呆気なく。容易く壊れてしまった。
脆い。
脆すぎる。
「そういえば・・・・・・響次が初めてだったんだよな・・・」
思い出したように呟いた。
英翔が遊び半分で開いた「all things(株)」の初めての客は、響次だった。
KOTRTに入隊した時からいつも一緒で、よく戦場で背中を預けあった。
今にして思えば、「all things(株)」の看板を描いたのも彼だった。
そして、英翔が初めて作ったチャーハンを食べたのも、彼だ。
お遊び気分で経営していた店に、良く遊びに来た。
「チャーハンはオタマに一度盛ってから形を整えるか・・・・・・・知ってるよ、響次」
しかしいつ頃からか、彼はめっきり英翔の店を訪ねてこなくなった。
なんでも、仕事が色々と舞い込んできて忙しいそうだった。
いつ頃だろう、響次との間に、しだいにブランクが出来始めたのは・・・・・。
今では、その境が曖昧になっている。
ずれた場所が、思い出せない。
どこから間違ったのか、正すことさえ出来ない。
響次に、一体何があったのかは知らない。
何故、“シグルドリーヴァ”に寝返ったのかは分からない。
しかし、そんな自分にも一つだけ分かる事がある。
「全部一人で抱え込んでたんだな――――――響次・・・ごめん、気付いて、あげられなくて・・・」
涙腺は乾いていた。
だからか。
眼から、代わりに砂が流れてきたように感じたのは。
「気は済んだか」
「はいよ、おかげさまで。ありがとう御座いますコウタカ隊長」
市ヶ谷駐屯地地下ジオフロント。
響次はそこに招かれていた。
そしてついさきほど、最後の通信を終えたところである。
制圧された地下の会場。
そこには、相変わらず縛りに縛られた人質が卸される魚のように放置されている。
どれもすっかり疲れ切っているのか、誰一人として呻き声ひとつあげようとしない。
傍目から見ると、死んだように見えなくも無い。
「では片峰響次君、君に早速仕事を与えたい」
「なんなりとお申し付けください、隊長殿」
響次は、大仰なお辞儀をしてお道化てみせる。
しかしコウタカの表情は微塵も変化しない。
「つい先ほど、東京都内に侵入する者を感知した。君には早速それを片付けに行ってもらいたい」
「了解しました・・・」
すると響次の姿が揺らぎ、まるで蜃気楼のように霞んで消えた。
錬精術による高速歩法の一種だろう。
あっという間に、地下会場から響次の気配が消えうせる。
「大丈夫なのですか、あのような男に任せて・・・」
「問題は無い。アイツは、俺と同じ眼をしている」
「同じ・・・・眼ですか?」
「そうだ。憎悪を湛えた、良い眼だ」
「それはそれは・・・・楽しみですね」
おもむろに、コウタカは懐から一本の剣を取り出した。
それは、鞘に収まっていなかった。
刃が剥き出しの状態で、コウタカの懐に収まっていたのだ。
もし、その刃が己が身に突き刺されば、大怪我では済まなくなる。
「それは、例の小僧から奪った?」
「そうだ。三大偽神葬具の一つに数えられる、最強の物理的破壊力をもった聖剣・・・エクス・カリバーン」
「物凄い得物ですね・・・」
シルヴァリーはエクス・カリバーンの刀身を眺めて、感嘆の息を漏らす。
「シルヴァリー」
「なんでございましょうか」
「お前も、出撃しろ」
「かしこまりました」
響次と同じく、シルヴァリーも音も無く会場から姿と気配を消した。
会場には、コウタカと見張りの兵、そして無数の人質だけが残された。
コウタカは、刀身を自分の目と鼻の先に掲げる。
そして、その照り返す刃面に見入った。
「取り戻しに来るがいい・・・・狼よ。奪われた己が誇りを、全存在をかけて奪い返しに来い!」
鬼の咆哮が、残響する。
早朝の東京。
そこには、似つかわしくない甲高い声が響く。
「えー!お孫さんがいるんですか?」
「そうなんじゃよ。それがまたわしに似て眉目秀麗で聡明での?正に自慢の孫じゃよ」
「一度お目にかかってみたいですねえー」
「お?なら写真を見るかえ、いまちょうど持っておるしの」
「本当ですかあ!見せてくださーい」
哉原老人は懐から写真の束を取り出した。それも、軽く辞書並みはあろうかというほどの厚さだ。
それを霧恵に手渡す。
「うわー。可愛いですねえ!」
「そうじゃろそうじゃろ!」
写真を一枚一枚捲りながら、霧恵は黄色い声を出す。
その写真には、赤ん坊が写っていた。
出産直後のものから、日常の食事風景まで、様々な姿がある。
写真を捲るごとに、その赤ん坊の成長も見て取れた。
幼稚園の入園から、運動会、歌の発表会、そして卒園。
次に、小学校の入学式の写真だ。
校門の前に立った、可愛らしい男の子が写っている。
校門前で撮った写真は、何パターンかあり。家族一緒に撮った物から、哉原老人とのツーショットまである。
何枚も何枚も撮られた数多くの写真からは、哉原老人の、孫に対する並みならぬ思い入れが感じられた。
「・・・・・」
写真を捲りながら、いちいち一喜一憂している霧恵と哉原老人を、結ヱは後ろに付きながら、冷めた目つきで見つめていた。
三人はつい先程、厳重にしかれた自衛隊の警備網を掻い潜り、未だ占領下にある東京都内への侵入を果たした。
自衛隊の警備網をくぐる時もそうだったのだが、霧恵と哉原老人には緊張というものがまるで無かった。
いつ見つかるか分からない状況にも関わらず、大きな声で会話をして、挙句は孫の写真に黄色い声。
確かに、姉には変に緊張されても困るのだが、ここまで全く緊張感が無いうと言うのも考え物である。
だがもっと問題なのは、これほど堂々と侵入しているというのに、自衛隊も占拠しているテロリストも、全く気付かないという事である。
不自然などを通り越して、異様だ。
いや、ありえないだろう。
自衛隊はまだ良いとしても。
いくら占拠しているテロリストが愚鈍であろうとも、これほど騒ぎ立てている自分たちが全く誰の目にも触れないというのは異質だ。
それ以前に、これほどの事に気付けない者たちでは、東京都全域を掌握するということは不可能だ。
「あ、写真全部見ちゃった。もうこれだけなんですか?」
「いやー、すまんな大きい嬢ちゃん。持ち歩いとるのはこれだけなんじゃ。家には軽くこれの倍以上あるんじゃがな」
(まだあるの・・・?)
結ヱは霧恵が持っている写真の束を見て、頬をひきつらせる。
霧恵が今手に持っている分だけでも、アルバム三冊は消費するだろうという枚数だ。それに軽く倍以上・・・。
きっと、天文学的数字に匹敵する孫の写真を撮って保存しているのだろう、この老人は。
「そうじゃ、ビデオもめいっぱいあるぞ」
「うわー、それも見てみたいなー」
げんなりとした表情をする結ヱに、霧恵が気付くことは無かった。
そうして結ヱがそろそろ、二人を放ったまま踵を返して家路に着こうかと、本気で思ったころだった。
孫談義に華を咲かせていた哉原老人が、唐突にきり出した。
「では、わしの道案内はここまでじゃな」
「え?もう行っちゃうんですか?」
「そうじゃ、ここから先は導かれるのではなく、己で切り拓いて行くのじゃ」
ゆっくりとステップを踏むように、哉原老人は霧恵と結ヱに背を向ける。
小柄ゆえに、その足取りは軽い。
「では、グッドバイ。じゃな、お若いの」
そうして、哉原老人は悠々と歩いていった。
その背中を、霧恵と結ヱは呆然と見送った。思わず、手を振るのを忘れてしまう。
最後まで、あの年の老人には相応しくないヘラヘラとした軽薄な態度のまま、靄のように去っていった。
「・・・・ありがとう、おじいちゃん」
「・・・・・」
霧恵は、もう影さえも見えなくなった哉原老人に礼を告げる。
結ヱは押し黙ったままだった。
そんな哉原老人が帰っていった後を見つめている霧恵と結ヱは、気付いてはいなかった。
自分たちに向けられている、殺意ある視線に・・・・。
「自衛隊の再編状況はどうだ?」
「現在は・・・・約五十二パーセントといったところです。司令」
そうか、とガルボは頷いた。
英翔と響次を見送った後、彼は仮設本部での指揮に奮闘していた。
先ず、戦場に向かった二人の、少しでも手助けになろうと、自衛隊を中心に編成した国連軍の再突入部隊の編成。
その雑務に追われていた。
だが、その作業は思いのほか進まなかった。
どういうわけか、どの国も作戦の参加を快く承諾しない・・・。
一体、どういう事なのか。
市ヶ谷駐屯地ジオフロントには、世界各国の代表者が募っている。
そんな国際的一大事にも関わらず、なにを渋る必要があるというのか。
(・・・何者かが、圧力をかけているというのか?)
そう考えるのが妥当か。
しかし、そんな大勢の、しかも地位のある国家を抑える。そんなことは不可能だ。
たとえ常任理事国が束になっても、そんなことは出来ない。
では、圧力をかけているものが、常人理事国以上の存在であるというのか。
(・・・・まさか、そんなことは無い。第一、彼らが表舞台に出てくるはずが無い・・・!)
浮かんだ答えに首を振る。
今は、とにかく英翔と響次のためにも増援の準備を整えばならない。
「司令、そろそろ報道管制が破られます。どうしますか?」
「止めろ。発砲してでも構わん。何としてでも東京都上空への侵入は阻止しろ」
しかし、こうも作業が進まないのでは、増援を送れるようになるには三日はかかるのではなかろうか。
それでは遅すぎる。
できれば、今すぐに。
少なくとも五時間以内には出撃できる有能な部隊が欲しい。
だが、その応援にはどの国も応じてくれない・・・・。
(どうすることも・・・できないのか・・・!)
拳を、デスクに叩きつけた。
霧恵と結ヱは、哉原老人と別れた後、英翔を探して歩き始めた。
あらかじめ用意しておいた地図を広げ、霧恵はその図面を睨む。
「結ヱ・・・・」
「なに、お姉ちゃん?」
「今私たち、どの方角を向いてるの?」
「・・・・・・貸して」
結ヱは霧恵から地図を奪い取ると、現在位置の確認を始めた。
時折顔を上げて、道路標識や電柱に記されている住所などを比較する。
そして、地図と格闘すること約十分。何とか現在位置が分かった。どうやら、意外と東京の都心近くまで来ていたようだ。
それほどに侵入している自分たちに気付かない・・・。
やはり、何かがある。確信めいた、そんな予感が結ヱには感じられた。
「お姉ちゃん、いま私たちがいる場所が分かったよ」
「本当に、ありがとう結ヱ」
えらいえらい、と言いながら霧恵は結ヱの頭を撫でた。
「じゃあ、とりあえずこのまま都心に向かうね」
「結ヱは頼りになるな〜」
それは、単に霧恵が頼りなさ過ぎるだけなのだが。
それを結ヱは、あえて口にしないでおいた。
「どうしたのかな、お嬢ちゃんたち?」
何処からともなく、声が響いた。
霧恵は、一度首を傾げてから、きょろきょろと周囲を見回す。
それに対して、結ヱは切迫した表情で周囲に目を配る。
いったい、今の声はどこから。誰がかけてきたのか。
額に、冷や汗が浮かぶ。呼吸も、どことなく忙しない。
「ここだよ、ここ」
結ヱは、声のした方に瞬時に首を向けた。霧恵は相変わらず、声の元が分からずきょろきょろしている。
結ヱが目を向けた先、そこは自分たちの真後ろだった。
それも、ほとんど距離が無い。
ちょっと小走りすれば、すぐに触れられるような位置だ。
そんな位置まで、何時の間にか接近されていた。
その事実に背筋が冷える。
「どうしたのかな、こんなところで。誰かをお探しかな?」
「ふえ・・・?」
そこで、ようやく霧恵も、何時の間にか近くまで接近していた者に気がついた。
そして、呆然を顔を見上げる。
霧恵たちの近くにまで来ていたのは、男だった。それも、戦闘服を着た。
戦闘服だけを見れば、どこかの軍隊の者なのかと思うが、彼のヘアスタイルがそれを否定していた。
規律の厳しい軍隊などでは絶対に認めてもらえなさそうな、アッシュブロンドのパンクヘアー。
それこそ、そこいらの路上にタムロっている若者のようだ。
「あ、あの!黒咲英翔っていう人、ご存知ありませんか?」
「黒咲・・・英翔・・・?」
「は、はい!」
突然、霧恵はその男に英翔のことを尋ねた。
その行動に結ヱは胸中で仰天した。霧恵の行動は、いつも突飛すぎるし、場違いなことが多い。
だが、今回のそれは最たるものだ。
見ず知らずの不審な男に、英翔のことを尋ねるなど。それを言うなら、先程の哉原という老人の件も十分に問題だが。
「・・・何か?お嬢ちゃんたち・・・英翔の知り合い?」
「え!?もしかして、英翔さんを知ってるんですか!」
「ああ。良く知ってるよ、今は生憎、敵同士だけどね」
「え・・・・?」
霧恵の疑問に答えるかのように、男は腕を上げる。
そして、手に持ったモノを霧恵に向けた。
大きなライフルの銃口が、霧恵の眉間に狙いをすえる。
だが、突然の事に、霧恵は頭が真っ白になったのか、微動だにしない。
じっと、自分の頭に向けられた銃口を見つめている。
トリガーに、指がかけられた。
「お姉ちゃん!!」
-back-