「それでは、出発します」 「お願いします」 前のパイロットシートに座っているパイロットに、英翔は返事をする。 ほどなくして、シートの下から機体の微振動が伝わってきた。 先ほどガルボから手渡されたヘルメットをかぶり、シートベルトを締める。 きゅっという、タイヤが道路と擦れるかん高い音が響いたかと思うと、英翔を浮遊感が襲った。 タイヤが地面から離れる、きゅっという甲高い音が聞こえた。 シートに座っているのに、妙な安定感の無さがある。 元々飛行機などに乗りなれていない英翔は堪りかねて前席のパイロットに訊ねる。 「あの、これ大丈夫ですか?」 「はい。国連から借用したハリアーです、整備に抜かりはありませんよ。STOL機に乗るのはこれが初めてですか?」 「えすとーる?」 「垂直離着陸システムの事ですよ」 パイロットがそう言うか早いか、英翔はコクピットのガラスに顔を貼り付ける。 確かに、彼の言うとおり、この戦闘機は垂直に上昇していた。 そういえば、この戦闘機が来る時も垂直に着陸していたような気がする。 ヘリではなく、戦闘機がこのようの空に昇るのに違和感を感じ得ない。 「では、これより最大推力で東京都上空まで向います」 「え、最大推力でですか!?」 「ラプターほどの音速戦闘機では厳しいでしょうが、このハリアーはそんなに速度は出ませんよ。安心してください」 『こちら二番機、お先に目標降下地点リリースポイントに行かせて貰う』 ヘルメットに内臓されたイヤホンから、隣で同じように上昇しているハリアーから無線が入る。 「了解。幸運を祈る」 交信が終わると、隣のハリアーのエンジン部分が赤く輝く。 そして、目にも止まらぬ速さで発進し、あっという間に視界の彼方へと消え去っていった。 そのあまりの速さに、英翔は冷や汗が垂れる。 「それでは行きますよ・・・」 「は、はい――――――」 英翔が言い終わる前に、機体は発進した。 同時に、体をシートに押さえつけられるほどの重力を体に感じる。 「そんなに速度はでない」 これほどの速度でも、このパイロットの感覚からしてみれば遅いほうなのかと。 消え入りそうになる意識の中で、英翔は叫んだ。 上空を見上げるガルボの視線の先には、ついさっきハリアーが発進した際に残された煙しか映っていなかった。 だが、それを飽きずに彼はいつまでも眺めている。 そしてゆっくりと右腕を上げ、敬礼した。 彼が思うことは一つ。 死ぬな。 ただそれだけであった。 英翔の視界を、景色が文字通り目にも止まらぬ速さで駆け抜けて行っている。 このハリアーとかいう戦闘機の速さにも、やっと体が慣れてきた。 しかし、機体は以前全速力で飛んでいる。その証拠に、コクピット内のあらゆる物がその振動に震えている。 一体、いまどれほどの速度で飛んでいるのだろうか。 体感速度的には、明らかに音速を超えているように感じられる。 だが、そんな英翔の思考は突如コクピット内に鳴り響いたブザー音に断絶された。 英翔はコクピット内の有線を使って、パイロットに話し掛けた。 「な、何ですかこのブザーは!」 「敵機です!」 返って来たパイロットの声は、緊迫していた。 敵機。 まさか、内藤とガルボの話の中にあった、あの無人攻撃機UCAVとかいう戦闘機だろうか。 「もう東京都内上空に入ってたんですか!?」 「はい、目標降下地点リリースポイントまであと十キロなんですが・・・!」 「突破は出来ないんですか!?」 「無理です、敵は少なくとも十機はいます!」 「何か武器で応戦を・・・!」 「それもほぼ不可能に近いです、敵はサイズが小さい上にステルス性が高くて、とてもロックオンできません。  おまけに小回りまで利くから、機銃での掃討も恐らくは・・・!」 「くっ・・・・!降下地点までの時間は!」 「あと五分ほどですが―――――」 「それまで時間を稼ぎます。頭を伏せてください!」 「え――――――?」 何の迷いも無く、英翔は後部座席の天窓を拳で叩き割った。 ガラスに開けられた、大きな穴から、容赦なく突風が押し寄せてくる。 そしてその穴を、残っているガラスを更に割ることで拡張した。 入ってくる風の勢いは増し、機体のバランスが僅かに崩れる。 その時だ。あろうことか、英翔はそこから身を乗り出した。 シートベルト等の固定するものは、何も身に付けていない。 いつ風圧で吹き飛ばされても不思議ではない。 「な、なにをしてるんですか!?」 「いいから操縦に専念してください!」 パイロットは泡を食って、急いで英翔に怒鳴るが、馬の耳に何とやら。 英翔はコクピットから身を乗り出したまま、後ろを向いて追随してくる無人攻撃機UCAVに向き直る。 目を閉じて、精神を集中した。 呼吸を正して、体と心を平静に保つ。 首筋が、ちりちりと熱く感じる。 (最適化――――――!!) かっと目を見開く。 同時に、首筋の熱さが、背中全体に拡がる。 頭が、目が、体が・・・滾る。 「 大気を焦がし、全てを昇華する大いなる力よ。我が手に形を成せ・・・・生けるものを灰に帰す灼熱の矢! 」 言語詠唱。 それも、特大の最適化により繰り出される、強大な出力の攻撃錬精術法。 ハリアーを丸ごと飲み込むほどの、巨大な紅い円陣が英翔の背に冠された。 それに描かれた文様は、五芒星。 その五芒星を囲むように、膨大な文字が刻まれている。 漢字や英語。果ては古代文字や数字まで。 術を発動させるために必要であろう情報が所狭しと円陣に記されている。 しだいに、円陣は発光し、ゆっくりと回転を始めた。 それは徐々に速度を増していき、終いには狂ったような速さにまで達する。 全体が発光している円陣の一部が、特に発光を始めた。 それはまるで、雨の日の貯水池に、雫が点々と落ちるかのように。 「 第三焔術、煉獄の矢 」 その瞬間、高速で回転していた円陣が、文字通り火を吹いた。 まるでガトリングガンのように、切れ目無く炎の塊を吐き出していく。 吐き出された熱の塊は、矢と言うより、弾丸のように飛翔する。 十数機はいたであろうUCAVの、大半がその炎の弾丸に飲まれ、成す術も無く撃沈していった。 圧倒的火力で、英翔は無人攻撃機の群れを駆逐していく。 その一連の動作は、マシンガンで小鳥を無情に撃ち落していくように見えなくもない。 それほどに、英翔の力はUCAVにとって圧倒的だった。 だが、何とか難を逃れた一機がいた。 英翔は、眉をひそめた。 撃ちもらしたUCAVの一機の影が、何故か煙に霞んでいる。 どこか損傷でもしたのだろうか。 『伏せてください!』 「え!?」 英翔は、ヘルメットの内蔵されたイヤホンからの呼びかけに、大声で返事をする。 いくらイヤホンとは言え、この風圧が直に当たるこの場所では聞き辛い。 「何ですって?」 『ミサイルが来ます!回避行動に出ます、急いで身体を固定して下さい!』 確かに、見えた。英翔にも。 自分に迫り来る、ミサイルの姿がくっきり。ありありと。 瞬間、展開していた円陣を急いで消すと、英翔は急いでコクピットに潜り込んだ。 その額には、うっすらと冷や汗が浮かんでいる。 いくら英翔が別脈種の中でも最上種とされる両極でも、結局は生物だ。 怖いものは怖い。 というより、死ぬ。 「目的地までは、あとどれくらいですか!?」 『いま真下です!』 「いまですかあ!?」 思わず英翔は、また顔をガラスにへばり付けた。 真下に見えるのは、首都高速だ。 それは、戦闘機の進路上に沿って長く伸びている。 まるで、滑走路のようだ。 滑走路・・・・・。 脳裏に、一つの方法が過ぎる。 それはこの状況を打開するものだが、はっきり言って背筋が震える。 無謀、という言葉がぴったりの方法。 「すいません、一つ聞いていいですか?」 『何です!?いまはミサイルを振り切るのに精一杯なんですけど!』 「この戦闘機、裏返しになる事ってできます?」 『・・・・・・・・・・・・・・はあ?』 「えーとですねえ・・・つまり、逆さまになるんです。飛びながら」 『な・・・!?まさかバレルロールを、いまこの状況で!』 バレルロール。 戦闘機の飛行技術の一つで、機体を三百六十度回転させる技である。 「無理ですか・・・?」 『・・・・出来ないことはありません。しかし、そんなことして一体どうするんですか?』 「機体が逆さになった一瞬の間に、下にある首都高に降ります」 パイロットからの返事が、途切れた。 多分、言葉を失っているのだろう。 『あ、あんた何考えてんだあ!!!』 「っづ・・・!」 イヤホンがハウリングせんばかりの、怒号が返ってきた。 相当怒っているようだ。 無理もない。いや、当然だろう。 『パラシュートも何も着けていない人間を、こんな所で落とすことができるか!』 「無理を承知の上で頼みます。いま、ここでバレルロールをして下さい」 凛とした、力強い声で英翔は訴えた。 生半可な思いでの発言ではないということを、パイロットに告げる。 『・・・・・・本当に良いんですね?』 「あ、ありがとうございます!」 『では、私がスリーカウントを切ります。合図と同時にバレルロールしますから、タイミングを見計らって飛び降りてください』 「わかりました!」 機体が、速度をわずかに落とし始めた。 後ろを追随しているミサイルとの距離が、狭まる。 だが、それに構わず機体は徐々にだが減速していく。 『スリー!』 英翔は、シートベルトを外し、シートから僅かに腰を浮かせる。 緊張が鎌首をもたげ始めた。 だが、カウントは止まらない。 『ツー!』 一気にシートから立ち上り、そして先程天窓に開けた穴から身を乗り出した。 突風が、首から上に吹きつける。 『ワン!』 穴の枠を掴んでいる手に、自然に力が入る。 呼吸が、荒くなる。 『ゼロ・・・!』 機体が、傾いでいくのが分かった。 実際にはかなりの速さで傾いていっているのであろうが、英翔には酷く遅く感じられた。 まるで世界がスローモーションになったようだ。 頭上に、地上が聳える。 一回深く息を吸い込んでから、英翔は手を離した。 手を離した途端、身体は嘘のように、するりとコクピットから滑り落ちた。 崖から身を投げたような落下。 激しさはない。 ゆっくりと、空という海に沈むように落ちていく。 胸中で、英翔はハリアーのコクピットに向かって敬礼した。 ぐんぐんと地上が近づいてくる。 一体、どれくらいの高さから自分は落ちたのだろうか。 遥か眼下にうっすらと見えていたはずの首都高が、今は目前に見える。 落下の速度も、段々と増していた。 英翔は、思い切り四肢を伸ばしたかと思うと、胎児のように足を抱えて丸まった。 四肢を伸ばした勢いで、体がグルグルと回転している。 落下の速度に比例するかのように、回転の速度もまた上がっていった。 膝を抱えているので、当然まわりは見えていない。 いま自分が、上を向いているのか下を向いているのか。 どれほどの高さにいるのか、目では全く分からない。 だが、肌で分かる。 いま自分は何処を向いているのか。 どれぐらいの高さにいるのか。 全て、空気が肌に囁きかけてくれる。 かっと、目を開いた。 膝を抱えた姿勢から、一気に四肢を存分に伸ばす。 肌に囁きかける呟きが、地表近くであることを告げていた。 囁きの通り。見開くと目の前には、目と鼻の先にアスファルトがあった。 普通、このような場合。 格闘技などの心得があるものは、全身の力を抜く。 そのことにより、全身にかかる衝撃の負担を減らすのだ。 だが、もし本能に従って体を強張らせたら。 衝撃は容赦無く体を貫き、骨や内臓を粉砕する。 英翔は、そのどちらも選択しなかった。 ブーツの靴底が、僅かにアスファルトに触れた。その瞬間、英翔は両の足を地面に思い切り突きたてる。 しかし、それほどの事で衝撃はすぐには相殺されない。 彼はついさっき、高度何千メートルという高さから飛び降りてきたのだ。 しかも、高速で飛行している戦闘機からである。 したがって今の英翔は、慣性の法則により、落下と同時に超高速で移動していたということにもなる。 高高度からの落下の衝撃。 そして慣性の法則に則っての、超高速。 それを英翔は、両の足だけで受け止めたのだ。 高速道路に突きたてた足が、案の定アスファルトを抉る。 だが勢いは止まらず、高速道路の上を滑るように走る。 それはまるで削岩機が疾走しているが如く。 粉塵と破片を巻き上げ散らしながら突き進む。 英翔は腰から、出撃前にガルボから受け取った日本刀モドキを鞘ごと抜いた。 それを、さらなるブレーキとして道路に突きたてた。 うまい具合に、つっかえ棒の要領で地面に鞘は突き刺さる。 速度は目に見えて減速し始めた。 あっというまに、あれほどあった速度が嘘のように無くなり。英翔は無事首都高の上に降り立つことに成功した。 足下からは、白煙が上がっている。 それが無言にうちに先ほどの落下の衝撃と速度を物語っていた。 首だけを後ろに向けて、後ろの道路を振り向く。 そこには、さきほど英翔が抉ったばかりのアスファルトがまだ煙をあげていた。 そう言えば、あのパイロットはまだ無事なのだろうか。 ふと疑問が脳裏に浮かび、英翔は空を仰ぐ。 もうすでに姿も音も無かった。 もしかしたら、撃ち落されてしまったかもしれない。 自分が、あんな事を頼んだせいで・・・。 暗い思考を断ち切らんと、英翔を己が頬を両の手で叩いた。 小粋の良い音が鳴る。 力が少々強すぎたか、頬が疼くように痛むが構わない。 良い気付けだ。 ブーツを確認した。 あれほどの衝撃を伴った落下に、流石にお釈迦になったかと思ったが。 意外にもほとんど無事だった。 擦り傷は多大についたが、それは表面上の話だ。 実際使うに関してはまるで問題無い。 感嘆する。 その他にも、体の各関節や骨格の異常を確認するためにストレッチをした。 どこにも異常は感じられない。 そして英翔は、シグルドリーヴァが占拠したプレゼン会場、市ヶ谷駐屯地に向って走り出した。 その背中で、陽が昇っていた・・・・。 夜明け。 まだ、夜が明ける前。 英翔がハリアーで飛び立った直後の頃。 仮設本部前では 「・・・・・・はい?」 霧恵が首を傾げていた。 その表情は一見呆けているように見えなくも無いが、本人からしてみれば本気で不思議がっている。 そんな霧恵に、仮設本部前の警備を担当している自衛官は機械的に答えた。 「だから黒咲英翔氏はさきほど、作戦のために発たれた。いまここにはいない」 「ええ―――――!?もう行っちゃったんですかあ!」 「言伝があるなら、一応伺っておこう」 「あ、いえ。私も一緒に行こうかと」 「・・・・・・・・」 「ふえ?」 霧恵は自衛官の視線に、再び首を傾げた。 それが、心底呆れた眼差しということに本人は気付いていない。 「・・・・さあ、冗談言ってないでさっさとこの区域から出るんだ!」 「あーん、冗談じゃないのに・・・」 半ば怒鳴りつけられる形で、霧恵は仮設本部前から追い払われてしまった。 すっかり落胆した霧恵は、とぼとぼと立ち去る。 そして、少し離れた公園に待たせてある結ヱを迎えに行く。 ベンチでジュースをすすりながら待っていた結ヱは、すっかり肩を落として戻ってきた姉の姿を見て、 世話が焼ける姉だと、一息つきながらベンチから飛び降りた。 「うー、英翔さん、もう行っちゃったんだって」 「・・・・私たちが行っても足手まといになるだけだよ?」 「確かにそうかもしれないけどー・・・」 頭を垂れ、やるせないため息を吐く霧恵。 流石に、もう首を引っ込めるしかないか。そう思った矢先だった。 「・・・あれ?」 「どうしたのお姉ちゃん」 「いや、あのテントで英翔さんは見たんだけど・・・・貴子さんは見なかったなあって・・・」 「あの人ってKOTRTの隊長なんでしょ?忙しかったんじゃない?」 「そうかなー」 「どうなされた、お嬢さん方?」 突然、霧恵と結ヱは後ろから声をかけられた。 聞き覚えは無い。 第一、もう夜明け近いこの時間帯に普通の人は出歩かない。 「・・・・・・・?どちら様ですか?」 振り向いた先にいた、声の主。 それは、小柄な老人だった。 服はいかにも「御老公」といった、時代劇じみた渋みのある雰囲気をかもし出している。 だが、軽薄すぎる浮ついた表情がそれを見事かき消していた。 普通、この手の老人は厳格な顔つきとかをしている。 しかし、いま二人の目の前にいる老人は、まるでそこいらを歩いている若者と大差ない。 「ん、わしか?わしの名前は哉原じゃよ」 「はあ・・・・哉原さんですか・・・」 いきなり自己紹介を始めた哉原という老人に、霧恵はぺこりと頭を下げる。 しかし隣に立っている結ヱは直立不動で老人を見つめていた・・・・。 「で、お嬢さんらの名前は?」 「え?あ、私たちですか?」 「そうじゃよ、名乗られたら名乗り返すのが道理ってもんじゃろ」 そんな変なところだけ時代劇くさい。 「私は初塚、初塚霧恵です。こっちは妹の結ヱです・・・・・・・・どうかしましたか?」 名前を行った途端、心底驚いたとでも言いたげな表情で老人の動きが固まった。 まるでビデオで「一時停止」をしているかのようだ。 「・・・初塚・・・あんた、初塚霧恵かえ?」 「はい、そうですけど・・・」 「な、なんたる偶然じゃ!そうか、あんたがあのお嬢さんかい。いやー、こんな所で遇えるとは!」 「あの、私のこと知ってるんですか?」 有名人にでも会ったかのように、手を握って強引に握手してくる哉原老人に尋ねる。 「そりゃ知っとるとも、良ーくな!あんたみたいなお嬢ちゃんたちが、こんな時間こんなへんぴなとこで何しとんじゃ?」 「い、いえ・・・その、友達に会いに―――――!」 「ほー、英翔と香坂の娘さんにかい?」 「――――――!?」 気がつけば、何時の間にか霧恵の身体は宙を飛んでいた。 一体何がどうなったのかと混乱する。 しかし、その間に自分は着地した。 見ると、結ヱが自分の体を腰から抱えていた。 霧恵を抱える結ヱの表情は険しい。 まるで親の仇にでもあったかという形相である。 「お前・・・!!」 普段の大人しく冷静な結ヱからは想像できない、殺意の篭った声。 別人のように思える。 「ちょ、どうしたの結ヱ!?」 「お姉ちゃん、こいつ危ない!関わっちゃ駄目だよ!」 「え・・・?」 「だっておかしいよ!こいつ、人間のくせに周囲の大気の外気マナを歪めてる!」 霧恵は、もう完全に混乱していた。 たまたま公園で出会った老人が、一体何だというのか。 状況が全く呑み込めない。 「かっかっか!大丈夫じゃよ小さい嬢ちゃん。わしゃあんた等には何も手出しせん」 「黙れ!そんな言葉が信用できるか、この“奇術師”!」 結ヱが吐き捨てるように言った言葉。 “奇術師” その単語に反応して、哉原老人の眉が一瞬だけはねる。 「・・・・まあ、そう目の敵にせんでもいいじゃろう。そうじゃ、わしがお主らを東京まで案内しよう」 「え!?本当ですか、それ!」 「お、お姉ちゃん―――――!」 「おお、勿論じゃ。責任を持ってきちんと、安全にエスコートさせてもらうよ」 結ヱの制止に構わず、霧恵は哉原老人の話に食いついた。 目を、まるで無邪気な子供のように輝かせながら。 それを必死に、結ヱは思い止まらせる。 「駄目だよ、この人危ないよ!」 「何の根拠も無いのにそんなこと言っちゃだめだよ、結ヱ?それに東京まで無事に送ってくれるって言ってるし」 「そうじゃぞ、小さい嬢ちゃん。無為に人を疑うのは善くない。わしに任せなさい。なに、後悔はさせんよ」 なし崩しの話の展開に、結ヱは成す術も無かった。 霧恵は哉原の老人に案内してもらうことをあっさりと了承してしまい。 妙に軽薄な雰囲気の漂う二人に引き摺られるようにして、結ヱは東京に向かう羽目になった。 その眉間には、深々と皺が刻まれていた。 誰も、何も言葉を発しない。 ただ何かを待つかのように、各々は座り込み。じっとしていた。 照明は一応ついているが、何の設計ミスなのか、嫌に暗い。 市ヶ谷駐屯地地下、ジオフロントは静まり返っていた。 黒い戦闘服を着た男達が見張りに立ち。 床にはビニールテープで、まるで寿司のようにグルグル巻きにされた人質達が横たわっている。 先程まで彼らは盛大に助けを求める悲鳴を、塞がれた口の隙間から発していた。 だが流石に疲れたのか、今はみな静かだ。 静寂に支配されたホールは、いとも簡単に破られた。 かるく軋む音と共に、ドアが開かれる。 それは、会場の奥のほうに設けられた一室。 そこから、浴衣姿をした女性が姿を現す。 毅然とした、芯の強そうな風貌。 彼女は、会場に陣取るシルヴァリーやチェルノボグ、そして黒い装甲服を着込んだ男達などには、目も繰れずに歩き出す。 出口に向って。 「待つんだ・・・」 だが、その背中を呼び止めるものがいた。 一拍おいて、彼女は振り向く。 その表情は穏やかだが、微かに怒気が感じられる。 声をかけたのは、シルヴァリーだった。 「貴様が、何故それを持っている」 睨みつけてくるシルヴァリーは、貴子が肩に担いでる物を指差す。 この場所に来る時には、明らかに持っていなかったもの。 それは、布に包まれた大きな何か。 細長い長方形をしているソレは、大きさが尋常ではない。 全長だけなら、長さは彼女の身長と同じくらいだろう。 それほどの大きな物を、何の苦も無く担いでいる。 「ソレは隊長がスポンサーから受け取った特注品だ、返して貰おうか」 「・・・・!?」 彼女は、一瞬身を強張らせた。 シルヴァリーは、彼女に向って手の平を向けている。 そこからは、内気が感じられた。 だがそれは、驚愕するほどの高出力でない。 しかし、その“鋭利”さが桁違いなのだ。 錬精術の為に、極限まで密度を高め凝縮された内気の塊。 「やめろ、シルヴァリー」 「!?隊長――――!!」 その一触即発の場を、鶴の一声が制する。 あれだけの緊迫した状況を、たった一言で治める。 シグルドリーヴァ隊長、コウタカ・・・・。 コウタカは、会場奥の一室から、何時の間にか出て来ていた。 シルヴァリーは唇を噛みながら、コウタカに抗議する。 「しかし、アレは隊長が貰い受けた特注品で――――――!」 「コウタカが良いって言ってるんだから、良いんでしょう。部下なら上官の言うことぐらい聞きなさいよ」 テオは、臍を噛むシルヴァリーに侮蔑を交えた視線と共に言い放つ。 彼の怒りは、一気に沸点まで沸き上がる。 「な、なんだとこの女・・・・!いますぐ切り刻んでやる!!」 「やめろと言っている、シルヴァリー」 シルヴァリーは、テオに向けた手の平を忌々しげに振り払った。 そして、何も言わずに背を向ける。 コウタカはそんな彼にため息をつくが、すぐにテオに向き直る。 「テオ、急ぐことも、情けをかけることも必要ない。自分が納得いくまでよく考えろ」 「・・・・わかりました」 そう言って、テオはジオフロントを後にした。 コウタカはその背中に手を振るが、彼女は気付かない。 テオが去ったかと同時に、シルヴァリーがコウタカに詰め寄った。 「一体どういうつもりですか、隊長!いつもは冷静沈着で、大局を見極める貴方が・・・なぜ!?」 「私は・・・チャンスを、与えたかったんだ。あの子に」 「チャンス・・・・?」 「そうだ、道を選ぶチャンスだ。これからの人生を二分する、分かれ道の・・・・」 物憂げな表情で、淡々とコウタカは言う。 その目は、何も映してはいない。 ただ、思い返していた。先ほどまでのテオとのやり取りを。 『ねえ・・・なんで、すぐに会いに来てくれなかったの?』 『・・・・』 問い掛けてくるテオに、コウタカは答えない。 彼は、会場の奥に設けられた一室。 そこに置かれているソファーに横になっていた。 そして彼の厚い胸板の上には、テオが寝そべっている。 彼女が着ている浴衣は、すっかり乱れていた。 その姿は、親子というより、 まるで長年連れ添ったパートナーというイメージが強い。 『・・・なんで、生きていたの?』 『何故、そんなことを聞く』 『貴方はあの時確かに、首を落とされた。それはその瞬間一番近くにいた私が良く知っている』 『確かに、私の肉体はあの時に滅んだ。だが私はあの戦いの前に、自分に呪詛をかけた・・・。  “転輪廻”の術をな・・・・』 テオは、コウタカの体の上で身を起こした。 『それはありえないわ・・・転輪廻は成功する確率が一億分の一以下なのよ?』 『ああ、不完全すぎるとして、もう何百年も使われていない蘇生術・・・・しかし、事実私は蘇った。死の淵の向こうから。その信念により』 『何なの・・・・一体何が、コウタカをそこまで突き動かすの?』 すぐに答えは返ってこない。 コウタカの目は、虚ろだった。 何も映してはいない。 きっと、記憶の彼方にある、深淵を見つめているのだろう。 心の中に穿たれた、自分を絡めて放さない鎖。 『お前も知っての通り、私の一族は村ごと焼き払われた・・・。あの“大乱獲”の際に。そして私は、実行犯である『上条』の一族への復讐を誓った』 『ええ・・・良く憶えているわ。あの日コウタカは上条最後の生き残りである男に挑んで・・・・死んだ』 『そうだ、私はなんの復讐も果たせず。一度事切れた・・・・・・だが、蘇ったのだ』 『また、『上条』への復讐を?』 『違う―――――』 否定の言葉。 上条への、復讐はもうしない。 では、何故彼は死の淵から舞い戻ってきたのか。 話の辻褄が合わない。 『本当の敵は・・・上条ではなかったのだ』 『どういうこと?』 『私が倒すべき相手は同胞である上条ではない。“人間”だ』 『え・・・・?』 『知っているか、テオ?あの“大乱獲”を仕組んだのは、人間だ・・・!人間が仕組み、そして同胞である我らを殺し合わせたのだ。  お前は、疑問に感じたことはなかったか?』 『何をですか?』 『なぜ、“人間”より遥かに優れている我ら“別脈種”が、人間に隠れて永らえているのか。なぜ、“人間”が世界を牛耳っているのか。  強者が弱者を淘汰するのは自然界の摂理。では何故強者である別脈種が弱者である人間に付き従う?』 『それは・・・・“人間”が弱者という考えが間違っているからです。コウタカ』 『何を言うか・・・!!』 コウタカは、激情してソファーから立ち上がる。 その上に寝そべっていたテオは、振り落とされるように床に転げ落ちる。 乱れていた浴衣が、さらに輪をかけて乱れる。 床に膝をつきながら、テオはコウタカを見上げる。 そこにあるのは、頑強で雄々しい巨躯。女である自分の体躯とは比較にならない。 『では問う、テオよ。何ゆえ人間を弱者ではなく強者と捉え得る?』 『それは、私が人が別脈種に無い強さを持っていることを知っているからです。コウタカ』 『何だ、何なのだ、それは!我ら別脈種のみに授けられし“変換式”を超えるものを、人間が有しているというのか!?』 『逆です。それは、“変換式”を持たぬゆえの強さ。つまり、人間の真に強き理由は、その“変換式”を持たぬという『差を埋める』屈強さ・・・。  生まれながらにして、“変換式”という強大な力を持つ別脈種には到底に到達できない。生命としての根本の“強さ”です』 『それが答えか・・・・下らん、実に下らん。十数年しか生きておらんお前らしい答えだよ、テオ』 コウタカは、嘲笑もせず冷徹に言い放つ。 しかし、その目は、今はもう虚ろではない。 燃えるような憎悪を孕んだ、修羅の眼差し。 『そんな考えは、今すぐに捨てるんだ。そして私と共に歩もう。お前と私で、別脈種の新たな未来を切り拓くのだ・・・。全ての人間を粛清して』 差し伸べられる、コウタカの手。 その手を取ることを、テオは躊躇った。 取ることなど、到底出来なかった。 今は、自分は一人ではない。 自分一人の問題ではないのだ。 私がここで採る選択によって、多くの者が苦しむ。 『・・・・いま、ここで貴方の手を取る事は――――できない。私は貴方の娘、『テオ』であると同時に、KOTRT隊長、『香坂貴子』でもある・・・!』 『上に立つ者としての責任か・・・』 無言で、首を縦に振った。 出来ることなら、今すぐにでもコウタカと共に歩みたい。 それが喩え、血塗られた道でも構わない。 この人と一緒に歩むなら、その先が地獄だって何だって良い。恐れるものなど何も無い。 けれど、胸の中のもう一人の自分が叫ぶのだ。 良いのか、それで。 本当にそれで良いのか。 昨日までの自分に。 昨日までの友に。 昨日までの同志に。 昨日までの・・・・想い人に・・・。 決別するのか。 全て無かったことにしてしまうのか。 全ての『昨日』に、嘘をついて。 そうやって、自分の建前ばかりを繕って生きるのか・・・・。 『私は、いまここで道を選ぶことは出来ない・・・・・・・!』 『良い。それで』 自問自答の連鎖に苛まれるテオを、コウタカは優しく抱きとめた。 突然の事に、テオは息を呑む。 ぶ厚い筋肉に覆われた、腕が、胸が、屈強である彼の肉体が・・・・。 今は、こんなにも柔らかい。 自分が、どれだけこの人に思われているのか。 それが、抱きしめるという行為で伝わってくる。 『そうだ。考えれば良い。考えて、己が納得のいくまで考えるのだ。そうして、道を選べば良い。どちらと決別するのかを』 『はい・・・・!』 コウタカの腕が、解かれる。 少し名残惜しかったが、口には出せない。 心が揺らぐ。 『これを持って行きなさい。再び合うときに、これと共に答えを聞こう』 コウタカは、ソファーの横から何かを引きずり出し。 テオの前に差し出した。 形容するならば、それは角材に似ていた。 工事現場などに見られる、木の柱。 全長は異様に長く、下手をしたら150センチ台のテオの身長よりも大きい。 形は角材似なのだが、太さが桁違いだった。 目測での確認だが、恐らくは女性の胴ほど太さである。 『持ってみなさい』 コウタカの手から、テオの手へと大きなソレが渡された。 途端に、テオの腕に信じられない重みがかかる。一体何十キロあるのだろうか。 ソレは布で厳重に巻かれていたので、テオはそれを一つ一つ丁寧に解いて行く。 その手つきは、微かに震えている。 これほどの重量。 これほどの大きさ。 これほどの、ガンオイルの匂い・・・。 普段からスパスなどの銃に精通しているテオには、手渡された瞬間に分かった。 包んでいる布越しに伝わる。 濃密なまでの、鉄と油の匂い。 『これは・・・・!?』 そして、ソレはとうとうベールを脱いだ。 何重にも布に包まれ、その身を隠していた化け物。 それは、大きな漆黒の『銃』だった。 いや、大きいなどというレベルではない。 これは既存のどの銃器より巨大だ。 全体的なシルエットは、まるで“鉄柱”といった印象をうける。 大きな黒い鉄柱に、ストックとトリガーとグリップを強引に取り付けた。そんな無骨さが滲み出ている。 だが、それを遥かに凌駕する威圧感もまた、滲み出ていた。 テオは、恐る恐る“鉄柱”を手に取った。 グリップを握り、構える。 桁違いな重量が、手首に負荷としてかかる。 重すぎる。 これは、この“鉄柱”は個人が携行する兵装としては、あまりに重い。 『コウタカ、これは一体・・・』 『私が、今作戦のスポンサーから受け取った物だ。この手の物にあまり知識は無いのだが、何でも最新の携行型レールガンだそうだ』 『携行型の・・・レールガン、それも実用化された・・・』 震える手で、テオは構えたレールガンを降ろした。 そして、困惑の目でコウタカを見据える。 『貴方は・・・・一体何と手を組んだのですか・・・!?』 『すまない。お前がこっちに来ると言わない限り、それは言えん』 テオが去っていったゲートを、コウタカは飽きずに眺めていた。 その脇には、シルヴァリーが付き添っている。 どれほどの時が経とうとも、二人は動かなかった。 「隊長・・・」 「なんだ、シルヴァリー」 口火を切ったのはシルヴァリーだった。 しかし、コウタカは振り返ろうとはしない。 全く微動だにせず、ゲートを見つめていた。 「UCAVの迎撃が確認されたました」 「・・・・本当か?」 「はい、散布されたナノマシンを経由してでの情報ですから、信憑性はお分かりのはずです。迎えに参りますか?」 「ああ、頼む。チェルノボグも同伴させろ」 「了解しました」 シルヴァリーは振り向くと、チェルノボグに視線を送った。 「いつまで休んでいるつもりだい?行くよ、増援を迎えに」 「増援ですか?」 サングラスをかけた黒色の男、サハリンが首を傾げた。 増援とはどういうことか。 仲間は、いまこの東京に投入されている者で全員のはずだ。 「KOTRTからのオーバー・ザ・フェンス亡命さ、前々から予定されていた事だよ」 「・・・信用できない」 「確かに、その考えには僕も同意だ。しかし、これは隊長の決定だ。いまから迎えに行くぞ」 「わかった・・・」 隊長。 その言葉をだされれば、黙るしかない。 彼らチェルノボグ――――――いや、この“シグルドリーヴァ”にとって、コウタカは絶対的な存在であり。 そして、掛け替えのない恩人でもある。 だから、彼らはコウタカに全力を持って応える。 それが、“シグルドリーヴァ”を最強たらしめる複数の要因の一つだ。 「行くぞ!」 シルヴァリーに率いられ、チェルノボグは出撃していった。 外は、何時の間にか夜が明けていた。
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