土煙が、風に吹かれて徐々に晴れつつあった。 しかしその向こうに、人の形を留めているモノがあろうなどとは誰も思ってはいなかった。 そう、英翔さえも。 一段と強い風が吹き、晴れかけていた土煙を一息にかき消した。 そこから現れたのは、アスファルトに刻まれた無数の弾痕。 そして。 顕在する、英翔の姿。 あれだけの銃撃の中で、依然として人の形を保っている。 その事実に、チェルノボグは一様にして仰天した。 三人の構えるアサルトライフルによる掃射だ。喩え別脈種であっても、避けられるはずが無い。 それに、確かに手応えがあった。 撃ち洩らした等とは、考えられない。 「・・・・終わりか」 唖然とするチェルノボグに英翔は冷ややかに訊ねる。 それは、先までの英翔とは明らかに違った。 これが、ガンバレルを解放した、真の実力なのか。 段違いも甚だしい。これは、まるきり別人と言ってもなんら差し支えは無い。 何もかもが桁違いだ。 現に、彼から放たれる気迫は先の実に十数倍である。 逆を言えば、彼はそれほどまでセーブして戦っていたのか。 「・・・はは、リミッター外せば、はい最強ってか・・・?――――――ふざけんな!」 怒号と共に、アラタニはホルスターから拳銃を引き抜き、 撃った。 九ミリ口径の、乾いた炸薬音。 それは、風船が弾けるように呆気なく。虚しい。 銃身から撃ち出された弾頭は、ライフリングに従って回転し、目標へと向かって疾駆する。 「ごめん、もうそんな玩具は効かないんだ」 疾駆した弾丸は、英翔の肉体へと穿たれ――――るはずたった。 だが、現実は残酷で明確だった。 飛翔する弾丸を、英翔は飛んでいる蟲を摘むかのように掴み取った。 握った手から、白煙が昇る。 そして、ゆっくりと開き、受け止めた弾丸を地面へと落とした。 鐘のような、凛と切れる金属音が鳴る。 それは、もしかしたら彼らへの警鐘だったのかもしれない。相対する者の異常さを伝える、掠れる様に乾いた、微かな慟哭。 「・・・化け物、が―――――ッ!」 「そうだよ。知らなかった?」 吐き捨てるアラタニに、英翔はあくまで笑みで答える。 それが、何に向けた笑みなのか。 誰に向けた、謝罪なのか。 「少し痛いけど我慢してね。大丈夫、すぐに終るから」 そう言って、英翔は日本刀モドキを構えた。 あの時のように、離したりしない様に。しっかりと。 今度は、鞘は無い。むき出しの刃を、三人へと向けて突きつける。 そして、柄と刃の境目に設けられたボタンを押した。この日本刀の最大にして唯一の武器。 超振動刃。 あらゆる物体を事も無げに切断するこの、刃。もし少しでも扱いを誤れば、相手を殺めてしまうかもしれない。 だが、そんなつもりは微塵も彼には無かった。 「喩え相手が鬼神であろうと・・・我々の成すべき事は変わりません。我々は、シグルドリーヴァ最強にして最高の・・・チェルノボグ!  勝利以外に進める道など無い!」 サハリンの宣誓と共に、チェルノボグは散開した。 三人が、全く別の方向へと散り散りになっていく。 英翔は一瞬、また先の周囲から隙を伺っての奇襲かと思ったが、違う。 それに、同じ手を二回も使うほど彼らは愚鈍ではない。 恐らく、奥の手に等しい必殺の戦術。今までの彼らからの実力をみて、ほぼ間違いないだろう。 お互いに背を向けあうようにして散開した彼らは、ある程度の距離まで離れると、振り返った。 そして、それぞれが懐から拳ほどもあるモノを取り出した。 それは正真正銘、本物の手榴弾だった。 先ほどの音響閃光手榴弾等とは違う、殺傷を目的とした爆弾。 それらを、彼らは一斉に英翔めがけて放り投げた。 そこまできて、英翔はやっと敵の意図が掴めた。 彼らの、お互いに背を向けて走り出す散開方法。 この手段により、彼らは英翔をチェルノボグ三人を頂点とした三角形の陣形の中心に据えていたのだ。 ピンの抜かれていない手榴弾が、三つ。それぞれが英翔に目掛けて放物線を描く。 あのままでは、普通手榴弾は爆発しない。 だが、彼らが扱えば別だ。 アサルトライフルの、掃射される音が聞こえた。 同時に、空中を舞っていた手榴弾がライフル弾に撃ち抜かれ。 三つ同時に爆発した。 爆炎と黒煙の柱があがった。 三方向からの、手榴弾の同時爆破。 その中心にいる者は、三方向から押し寄せ鬩ぎあう爆風に晒される。 手榴弾の威力を、最大限に活かしたとも言えるこの戦法。 だがこれは、爆破するタイミングが少しもずれてはならない。もし僅かでも誤差があれば、爆風はお互いに鬩ぎ合わず、逃げていってしまう。 完璧なタイミングにより、完全に同じ瞬間による爆破。 これはもう十分に神業と讃えるに値するだろう。 三位一体に息が合った、彼らにこそ成せる偉業だ。 「・・・やったか」 濛々と立ち昇る炎と、黒煙の柱を前にマーロフは呟いた。 目を細め、燃え盛る炎を見つめる。 その瞬間だった。 赤々と燃え上がる炎の海を割って、英翔が姿を現す。 その手には、揺らめく炎を波紋に映した刀が握られている。 磨き上げられた刀身は鏡のように煌き、まるで実際に炎を纏っているかのように見える。 「速―――――ッ!?」 狼狽するマーロフに構わず、瞬くより速く間合いを詰めた英翔は、超振動刃を起動している日本刀モドキを容赦無く一閃した。 その速度は、ライフルを構えていたマーロフにトリガーを引く暇すら与えないほどだ。 軌道を、銀色の残光がなぞる。 その一閃で、マーロフが構えていたAKの機関部が両断される。 鏡のように光る断面、そして切り開かれた機関部からはスプリングやボルトやらが零れ落ちた。 あっという間に、AKが完全にお釈迦になる。 「この野郎――――!」 「遅い・・・・・・!」 素早くスリングベルトごとAKを投げ捨てたマーロフは、太股のホルスターに収まっている拳銃へと手を伸ばす。 だがその行為は、ガンバレルを解放した英翔には、愚行としか映らなかった。 マーロフが拳銃に触れる前に、英翔は日本刀モドキの柄を鳩尾に叩き込んだ。 「うがッ!?」 強烈な一撃を喰らったマーロフは昏倒し、そのばに崩れるように倒れた。 一応は手を抜いておいたので、精々気絶程度で済むだろう。 英翔は気絶したマーロフを直ぐに後にし、別のターゲットへと向った。 未だ勢いが衰えない炎と黒煙に身を隠し、爆破される前の記憶を頼りに、他の二人へと近づいていく。 腰を低くし、なるべく足音を殺して慎重に相手の位置を探っていく。 「・・・・・そこか」 熱に揺れる景色の向こうに、英翔は人影を見つけた。 その影を目指し、黒煙を味方にしながらゆっくりと近づいていく。 だが。 「甘いぜ、坊ちゃん!」 アラタニの怒号と共に、ライフルが掃射された。 それは、煙に隠れているはずの英翔の姿が筒抜けになっているかのような、正確な射撃だ。 「そんなもので――――!」 だが、そのライフルの掃射は、英翔にとって何ら脅威ではなかった。 今の彼はガンバレル解放により、変換式と共に身体能力も著しく飛躍している。 元々ガンバレルを封印している時でさえ、並みの別脈種以上の能力を誇っていた彼だ。 真の実力を発揮して、銃などに遅れを取るはずなど有りはしない。 ライフル弾は、確かに英翔に命中していた。 アラタニのライフルの掃射は狙撃のように的確で、弾丸は確実に英翔を捉えていた。 更には、その内の何発かは眉間や心臓などの急所にも当たっている。 だが、そんなものはもう英翔には効きはしなかった。 身を砕く弾丸も、今の彼にはちょっとした痛みでしかない。 「七ミリクラスの弾丸じゃ傷もつかねえのかよ!」 ライフル弾の直撃に全く動じることなく突撃してくる英翔にアラタニが毒づく。 だが、次の瞬間アラタニは驚くべき行動に出た。 まだ弾を撃ち尽くしてすらいないAKを、スリングベルトごと放り捨てたのである。 先のマーロフは機関部を破壊されたうえでの苦渋の決断だが、アラタニは違う。 作動不良を起こしたわけでもないのに、ライフルをかなぐり捨てる。 それは、英翔の目には冷静さを欠いた行動としか映らなかった。 アラタニは腰の後ろに手を回すと、そこからゆっくりとナイフを引き出した。 特殊部隊などに良く見られる、大振りのコンバットナイフだ。 それを逆手に構えると、アラタニも英翔へと向けて疾駆した。 あっという間に肉薄し、両者はその手に構えたそれぞれの得物を繰り出す。 英翔が振り下ろす日本刀モドキを、アラタニはナイフで何とか受け止める。 刀とナイフ、そのリーチの違いは明白だ。 一見して、刀が圧倒しそうなこの勝負。 しかし、現実は違う。刀は、ナイフに比べて振りが大きく、逆にそれが弱点となる。下手に斬りかかれば、がら空きになった懐に滑り込まれる事態に陥るだろう。 そんなことは承知の上で、両者は拮抗した。 英翔が袈裟に斬りかかる。が、それをアラタニはフットワークで軽く流し、大きな振りによって空いた隙を打つ。 振り下ろした体勢の英翔に、容赦なくナイフを繰り出した。 それは狙い違わず、英翔の目へとその矛先を伸ばす。 「ガンバレル、術式解凍。三番から二番廻廊起動!」 その繰り出された一撃を前に、英翔は咄嗟に左手をその間に割り込ませた。 そして、左腕に組み込まれた変換式を起動する。 通常の感覚神経を改造し、変換式とするガンバレル。 しかしガンバレルは、単に増設された変換式の働きだけを行う訳ではない。 確かに変換式の働きとして内気の抽出も可能だが、感覚神経を改造するさいに術式を組み込むことで、複雑な高位錬精術を詠唱無しで発動することが可能なのだ。 「 内臓術式、出力最小、第九十九焔術“インドラの矢” 」  英翔の左腕に刻まれた紅い紋様が輝き、内気が溢れ出す。 そして、アラタニが繰り出したナイフに向かって術式を発動した。 瞬間、弾ける音と共にナイフの刃が消えた。 コマ落としのように、ナイフの刃が消失してしまった。まるで、テレビのマジックショーを見ているかのように。 突然のことに、アラタニは状況が飲み込めずにいた。 (なんだ!いったい、何が起きた!コイツは・・・・・・・・・何をした!?) そんな疑問が頭の中を駈け巡る。 彼は、柄だけになってしまったナイフを呆然と見つめている。 その隙を、英翔は逃さなかった。 パニック状態に陥っているアラタニの顎に、すかさず掌底を叩き込んだ。 その衝撃に脳は揺さぶられ、あっというまに昏倒する。 「・・・悪く思わないでくれ。これも君達のためだ」 気絶して、仰向けに倒れているアラタニに謝る。 こういう職業柄の人間で、一部のものは手加減されて命拾いをすることを嫌う手合がいる。 恐らく、この三人もそういう部類の人間だろう。だから、彼らの誇りのためには此処で殺すべきだ。 だが、そんなことは自分には到底できない。 喩え、後で彼らに不殺主義の偽善者と罵られ、後ろから刺されるような事態になっても、だ。 「あと、一人・・・・」 英翔は、もう勢いが弱まり鎮火を始めた黒煙に紛れ、再び移動を始めた。 残るは一人。あのサングラスをかけた黒肌のリーダー格の男だ。 アラタニに発見されたことを考えると、喩え煙に身を隠していても見つかる可能性は高いだろう。 そうなれば、こちらから奇襲するどころか、相手から奇襲されるかもしれない。 どうするべきか。 「・・・これは驚いたな」 サハリンは、未だ立ち上る黒煙に向って話し掛けた。 彼は、先の戦闘を聞いて、二人がやられたことは承知していた。発砲音から、苦戦していることも分かっていた。 だが、彼は動かなかった。 それは彼が、この場にいる誰より、自分達と英翔との戦闘差を正確かつ明確に理解していたからである。 アレは、今まで自分達が狩ってきた獲物とは訳が違う。 喩えどれだけの装備を用意し、周到に罠と包囲を張っても・・・・・アレには勝てない。 どんな不利な戦況をも引っ繰り返し、鬼神の如く歩み寄る。 自分達が迎え撃つには、あまりに強大すぎる。 「まさか、白旗でも揚げに来たのですかな?」 マーロフは黒煙――――そして、その前に佇む英翔に向って訊ねた。 煙に隠れても確実に見つかる、ならどうするか。 英翔が取ったのは、正々堂々、正面切っての真っ向勝負だった。 下手に隠れて不意打ちを食らうより、真っ向から行って捻じ伏せる。 力勝負で、自分が先ず負けることは無い。だが、真っ向勝負では、相手を殺さずに倒すことは難しい。 背後から隙を突いて気絶させることほど楽なことは無いが、一度相対した相手を気絶させるのは容易ではない。 「・・・降参、してくれませんか」 「それを選ぶなら、私は死を選びます。そして、仲間の後を追う」 「・・・貴方の二人の仲間は―――――まだ、生きています」 世界が暗転した、その言葉を聞いた瞬間。 景色は色を無くし、全てがモノトーン調に姿を変える。 生きている。 まだ、アラタニとマーロフが生きているというのか。 殺されたのではなく、気絶させられたというのか。 「何たる・・・嗚呼、何たる体たらくだろうか!いくら人と化け物という差があるとは言え―――――気絶?気絶させられたのか?  戦いの中に置いて情け涙で救われる事ほど無様なことはない!」 「喩え無様だろうと、命をそんな簡単に捨てちゃダメだ。生きて生きて、時には踏みつけられようと、罵られようと、精一杯生きなきゃ!  だから絶対に、どんなに惨めな思いにあっても人は――――生命は生きるんだ!」 「それは貴方のような超越者の理想論にしか過ぎない。我々のような弱者には、そんなものは背負えない!」 「そんな事は無い!こんなただ過ぎる力しかない私よりも、貴方達のような普遍的な者達の方が生きる強さに満ち溢れている!  背負う、背負わないは問題じゃないんだ・・・・・これは元々、貴方達人間が持った志なんだ!だから、君達が出来ない道理なんか無い!  生きるんだ!生きて、その中で輝きを見つけていくんだ!」 「優良種の慈悲など、我々は欲してはいません!」 「違う、そうじゃない!ただ、私は君たちに生きて欲しいんだ!」 「なら、貴方には死んで頂きましょう!!」 「生きる道を選べ!死に誘われちゃダメだ!」 サハリンは、ライフルを容赦無く掃射した。 だが、それを英翔は避けない。全身で、その銃撃の嵐を受け止めた。 身体の至る所に銃弾が直撃する、が、それは英翔を傷付けることは出来ない。 ガンバレルによって真の力を解放した英翔の身体は、弾丸ていどのものなど受付もしない。 常人なら肉を穿つ弾丸も、その皮膚を裂くことも無く威力を相殺。 撃ちだされた弾頭は、力なく地に落ちる。 「うおおおおおおお!」 ライフルを掃射しながら、サハリンは英翔にむかって疾走した。 片手でフルオートでAKを撃ち続けながら、片手にナイフを構える。 いくら英翔の皮膚が弾丸を受け付けなくても、目は違う。 目は、どんな生物にも共通する絶対の弱点だ。いかに硬質の守りを持っていようと、ここを攻撃すれば一発で勝負が決まる。 「死ねえええええええええ!化け物がああああああ!!」 「生きて・・・・・・!」 疾駆し、自分に向ってナイフを振り上げてくるサハリンの形相は、筆舌に尽くしがたかった。 顔は、絶望と狂気と憤怒に歪み、目からは訳も分からず涙が溢れている。 凄惨、としか言いようの無い、表情とは呼べない表情だった。 それを、英翔も涙を流して迎え打つ。 狂乱して突っ込んでくるサハリン、そのがら空きの腹部に英翔は正拳を見舞う。 それは狙い違わずサハリンの腹部に直撃し、拳に内臓の感触が伝わってくる。 そのたった一撃で、サハリンの意識は混濁し、気絶した。 立ち尽くす英翔の頬には、いつまでの涙が伝っていた。 「・・・・殺せ」 呻くように、そうとだけ呟いた。 声に力は無く、今にも消えそうなロウソクのようだ。 「第一声がそれですか、子供でも、もう少しマシなお礼の言葉を言えますよ――――――」 「いいから、殺せ」 頑として変わらない呟きに、英翔は肩を竦めた。 あの後、英翔は気絶したチェルノボグの三人を鋼鉄のワイヤーで縛り上げ、身に付けていた武器を全て取り上げた。 反撃は勿論のことだが、何よりも彼ら自身の自害を心配しての事だった。 そして、つい先ほど彼らは目を覚ました。 「殺せ、それが勝者の権利であり――――義務だ」 「そんな権利、この世に生きるどの生物にもありはしない。そう、喩え神にだって・・・」 英翔もまた、彼ら以上に頑なだった。 絶対に殺さない。それは今の英翔の信念であり戒めであり―――――――願いだった。 「・・・・・・なら、もう良い、頼まない」 「そうか、ようやく決心してくれ―――――――ッ」 その瞬間、英翔は言葉をなくした。 サハリンの、ブーツの底に目が釘付けになっていた。 ブーツの底、そこは改造されて、若干のスペースができるようになっていた。 その若干のスペース。そこには、手の平ほどの大きさの粘土のような物が詰まっていた。 粘土には、それぞれコードが突き刺さっており、それは縛られたサハリンの手へと伸びている。 あの状況で、一体何時の間に・・・。 「それは・・・・!」 「C4だ、丸めてブーツの底に仕込んである。いつでも、自分達で尻拭いを出来るように―――――」 呆然と立ち尽くす英翔に、サハリンは微笑む。そこには、これから死に行く者とは思えない・・・不敵な笑みが浮かんでいた。 恐らく、他の二人のブーツも同じ仕組みだろう。 「やめろおおおおおお!!」 咽喉が掻き切れるような叫びと共に、英翔は走り出していた。 人間離れした脚力で、瞬く間に肉薄する。 だが、走り寄るのと、爆弾のボタンを押すのと、どちらが速いのか。差は明確にして歴然。 いくら英翔が両極で、想像を絶する身体能力を有していても、ボタンを押すまでの間に、走り寄って爆破を止めさせる術など無かった。 「さらばだ、別脈種」 「じゃあな、甘ちゃん」 「バイバイ、地獄でな」 それぞれが、それぞれの言葉を遺した。そのときの表情は、相変わらず不敵な笑みだった。 死ぬのは当たり前。 あくまでそれを受け入れ、それに抗う英翔を笑っていた。 ほんの一瞬でも、こんな自分達を引き止めてくれて―――――――ありがとう、と。 こんな、血と硝煙にまみれた自分達を、それでも引き止めようとしてくれて。 絶対に殺さないと、明日を見て生きろと、夢見させてくれて。 ほんの一瞬でも、明るい未来を夢想させてくれて―――――。 ありがとう、と。 「わあああああああああああああ!!」 英翔の絶叫と共に、黒煙が上がった。 駆け寄る英翔に向って衝撃と炎をが押し寄せ、近づくことを拒んだ。 押し寄せる熱波に、英翔は思わず目を伏せた。 そして、恐る恐る頭を上げた。 腕が、自然と震えていた。 そこに残っていたのは、もう何が何だったのか分からない消し炭だけだった。 それ以外には、もう何も残ってはいなかった。 何も、何も・・・・。 血も、汗も、涙も、全てが炎に焼かれていく。 身も、骨も、心臓も・・・・・・その燃え盛る、真紅の葬礼者によって灰に帰していく。 「っう・・・うう、っく――――あ、ああ、みんな・・・みんな燃えてしまった、彼らの心が・・・命が、思いが・・・!全て!!」 力なく膝を折り、地にかしずく。 目からは涙が栓が壊れたように溢れ、熱に乾いた地面に沁み、やがては消えていった。 涙だけが、乾いた彼らの心とその生涯を弔うかのように、地に落ちていく。 「ぐ、うう、―――――――――――コウタカ・・・!」 手に、力が篭る。指先は、その過剰な力に手の平に食い込み、血が滲む。 彼らを、ここまで死に固執させた要因は、明らかにあの男だ。 コウタカは、彼らの心の拠り所でも、ましてや最後の『故郷』などでもない。 死神だ。 彼の曲がった信念は彼らの道を奪い、死に導いた。 偽りと仮初の郷愁で、彼らを後戻り出来ないようにした。 喩えそれが意図せずした事にあっても、許せはしない。 放り出した日本刀モドキを、英翔は再び手に取った。 コウタカ、私はお前を決して殺しはしない。 だが、私は貴様を裁く。 然るべき場で、然るべき法で、貴様を――――――。 チェルノボグの遺体を丁重に弔った後、英翔は市ヶ谷駐屯地地下。 ジオフロントへと向った。 この一連の出来事の、清算のために。 「だいじょうぶ、お姉ちゃん?」 「・・・うん、大丈夫よ結ヱ・・・これぐらい、平気」 結ヱの不安そうな声をよそに、霧恵は黙々と歩き続けていた。 その背には、未だ気を失った貴子が背負われている。 あの後、霧恵は結ヱの懸命の治療で直ぐに回復し、英翔を探しに再び歩き始めた。 その際に、先の戦いで気絶させてしまった貴子を背負って。 結ヱは霧恵に、何度も貴子を連れて行くことを反対した。 しかし、彼女はそれを頑として聞き入れなかった。 絶対に、連れて行く。そして全員一緒に、英翔に会うのだと。 そう言って、結ヱを説き伏せた。 「・・・傷は、だいじょうぶ?」 「それも大丈夫だよ、結ヱのおかげですっかり。本当にありがとう」 そう言って、結ヱに微笑む。 霧恵は、治療に関しても、今までの結ヱの行動全てに感謝している。 不甲斐ない姉の身を案じて、危険に敏感に気付き、注意を促してくれた。だが、自分がそれを聞き入れなかったために、酷い怪我をさせてしまった。 それを、今はとても悔いている。 こんなにも思ってくれている者が近くにいる、それはとても心強く、とても嬉しい。 それに、結ヱの治療には、錬精術にあまり詳しくない霧恵でも舌を巻いた。 貴子に徹底的に殴られた顔の痣は見事に無くなり、全身の細かな傷に至るまで全てが完全に治癒していた。 自分には、とても不釣合いな妹だ。こんなにも、自分に尽くしてくれるなんて。 その時だった、霧恵と結ヱを突如、不快な気配が襲う。 そのあまりの嫌悪感に、霧恵は全身に鳥肌が立った。 まるで、自分が何か大きな生物に丸呑みにされたような、生暖かく湿り、それでいて刺すように痛い。 そんな言い知れぬ、不快な空気だ。 「結ヱ、これって・・・!?」 「これは、最適化!?でも、ありえないわこんなの・・・こんな濃密な内気が、ほぼ東京全体を覆うなんて――――」 「!?・・・・・まさか、英翔さん!」 「え!?」 「行こう、結ヱ!」 戸惑う結ヱの手を引っ張り、霧恵は走り出した。 それはまるで貴子を背負っていることなど感じさせないような、軽やかな足取りだった。 そうして二人は、一直線に市ヶ谷駐屯地へと向って走り出した。 英翔に、会うために――――――。 市ヶ谷駐屯地地下、ジオフロント。 そこには数人の部下と、コウタカ。そして無数の人質だけが居た。 内の一人が、無線機を片手にコウタカの歩み寄り、耳打ちした。 「――――――そうか、チェルノボグがか・・・」 無感情に、そうとだけ呟いた。 再生された身体で中国を彷徨っていたときに拾った、シグルドリーヴァのメンバー、総勢五十数名。 上条に挑み、敗れ去ったコウタカの新たな目標。 人類の粛清。 それを成すためには最低限の戦力が必要と思い、この何処の馬の骨とも知れぬこいつ等を拾った。 その時は、彼らが実は取りこぼしスペツナズのだと聞いた時には仰天したものだ。仕方無しに拾った彼らが、まさかそんな拾い物だったとは。 以来、世界各国で内紛やテロに参加し、資金を稼ぐのには大そう重宝したものだ。彼らが居なければ、この“シグルドリーヴァ”は存在もしなかっただろう。 だが、少し腕のある別脈種に相対すればこれか・・・・・。 あのチェルノボグの三人は、他のスペツナズ隊員よりも使えると思っていたが、買い被りだったか。 存外に脆いものよ。 所詮は人間、超越者である我ら別脈種には毛頭敵わぬというわけか。まあ、当然といえば当然の結果だ。 あの子も・・・・テオもそれを早く認めるべきだ。 そうすれば、理想と現実の狭間で擦り切れ、心を痛める事もない。 だが、あの子の意思はあの子の意思だ。それは、親として尊重したい。 それが、親として最低限のこともしてやれなかったあの子への手向け。 「チェルノボグがやられたとすると、もう持たんな・・・・東京都内にいる全隊員に連絡しろ、コードB9に従い、即時行動せよと」 「コードB9ですか・・・!?隊長、我々に逃げろと仰るのですか!」 「そうだ、もう作戦の遂行は不可能だ。だから、せめて、お前達だけでも脱出しろ。しんがりは私が受け持つ」 その言葉に、会場に居た全シグルドリーヴァ隊員が押し黙った。 隊長の命令は、自分達にとっては絶対なのだ。 それを、自分達は忠実にこなすだけだ。それが隊長に仕える自分達に出来る最大限のことであり、何より隊長の為になるのだと。 そんなことは、シグルドリーヴァの全員が承知していた。 「では全員、外骨格装甲服を装備し、レールガンを携帯した後に脱出しろ。いいか、くれぐれも慎重にな」 「はっ。隊長も、どうかご無事で」 「・・・私は、十分に生きた」 そう言って、コウタカは会場にいる部下全員を送り出した。 彼らが、さらに他の隊員に連絡して、すぐに隊全体に命令が下るだろう。 そして、せめて無事に脱出して欲しい。 こんな茶番には、もう誰もつき合う必要などない。 「さて、私もそろそろ最後のステージに移動するか・・・」 コウタカは、近くの机の上に乗っているナプキンを手に取った。 そして、近くに転がっている人質の胸ポケットから勝手にボールペンを拝借し、メッセージを残す。 それは、直ぐにでもここに駆けつけるはずの、あの男宛てに。 書き終えると、それをテーブルの上にあった食事用のナイフで壁に貼り付ける。 終えると、コウタカは足早にジオフロントを後にした。 コウタカが、残したメッセージ。それは、いずれこの地下会場にたどり着くであろう英翔に宛てた物だった。 そこには、達筆な字でこう書かれていた。 『 ご足労ありがとう、この会場の人質の処理は君に任せる。      私は、この市ヶ谷駐屯地の東にある一番大きなビルの屋上で待っている。          ・・・来るか来ないか、それは自由だ。私は、君が来てくれることを大いに期待しているよ。 』 その明らかに挑発的な手紙は、数分後。 駆けつけた英翔の手で握りつぶされた。 重く、沈むようなモーターの駆動音が、狭い室内に響いていた。 頭上のパネルには、いまどの階まで昇っているのか一目瞭然だ。 エレベーターは、黙々と上がっていた。 市ヶ谷駐屯地に突入した英翔は人質の救出をしながら、あの手紙を見つけた。 明らかな挑発がありありと書かれた文面を、戦慄く手で握りつぶした。 市ヶ谷駐屯地内にある通信設備で、仮設本部のガルボに一報を入れ、逃げる人質の処理を任せた。 だが、どうやら向こうは大変なことになっているらしい。 なんでも、国連の多国籍軍の代表が今回の事件の全指揮権を急にKOTRTから国連へと移し、強引に事を進めているそうだ。 ・・・そして、東京都内から脱出するシグルドリーヴァの隊員を、戦車師団で駆逐しているとも。 その、あまりに残虐かつ非道な行為に英翔は気が遠くなりかけた。そんなことをして、一体何になるというのか。 最後に、ガルボから聞かされた言葉は、英翔の肩をもっと重くさせた。 国連が、核攻撃の時間を早めたということだった。 英翔が最初に聞いた時は、三十六時間の猶予があった。ガルボとの対人格闘修了に数時間使い、この作戦に入ってからも何時間も過ぎている。 だが、それでもまだ十時間ほどの余裕があったのだ。 それが、急遽。残りあと三十分へと変更されたのだ。 それを聞いた時、英翔は憤慨せずにはいられなかった。前線に出ている自分達が、どれほど苦労しているのか彼らは知っているのだろうか。 こんな前例もない事態の中、事件の解決のために動いてきた今までの頑張りは一体何だったと言うのか。 これでは、まるで道化だ。ただ書類にしか目を通さない者達の盤上で踊る人形ではないか。 かつてないほどに激怒していた英翔を、無線越しにガルボはなんとかなだめた。 怒るのは、解決せずに時間が切れたときにしろ。今はまだ時間もチャンスも十二分にある。本当に憤るには、まだ、早い――――。 その言葉を聞いて、英翔は口を噤んだ。 確かに、ガルボの言うとおりである。今はまだ、希望が完全に潰えたわけではない。まだ、時間も可能性もある。 なら、いま自分のすべきことは、その中でいかに最善を尽くし、事態を解決に導けるかである。 腐れている暇などない。 そういって、怒りを堪えて英翔は立ち上がり、市ヶ谷駐屯地東に位置するビル―――――その屋上へと走った。 そうして今は、あの男がいるであろう屋上へとエレベーターで昇っている。 このビルは今年建てられたばかりのビルで、東京都で二番目に大きな建築物として注目されていた。 それを売りにしよとしたのか、屋上には展望スペースが設けられている。展望スペースと言っても、東京タワーなどの立派なものとは全く違う。 言うなれば「展望スペース」の名を借りた、ただの屋上である。安全を考慮された不自然なほどに高いフェンスに囲まれただけの。 そんな、ただのビルを、何故あの男は決戦の場に選んだのだろうか。 まさかとは思うが、何かの罠や、特殊な錬精術が布陣されているのではないだろうか。 だが、そんな考えは直ぐに自分自身で打ち消す。 あの男が、この結末をそんなお粗末な物で終わらせるはずがない。 なら、何故か。皆目、見当がつかなかった。 思考を巡らせている内に、エレベーターが屋上へと到着したことを告げる、ベルが鳴った。 このビルは高さを自慢しているだけあって、普通のビルでは考えられないがエレベーターが屋上へと直通している。 そのため、途中で階段を登るということはない。 分厚い鉄扉が、ゆっくりと開いた。同時に、吹き荒れるような風がエレベーターの室内に流れ込んでくる。 流石は東京で二番目に高いと自負しているだけあって、相当な高さだ。風も強い。 ドアが開いた向こう、広がる空の下に取り残されるように浮かんだ屋上に―――――コウタカは佇んでいた。 英翔に背を向けて、ただただ空を仰いでる。 周りには、他のビルの姿がない。それほどに、今いるこのビルは高層なのだ。 雲が近く、もう少し手を伸ばせば手が届きそうな感じだ。風は荒ぶ様に吹いているが、不思議と優しい。 それは、ここが地と天の狭間だからだろうか。 限りなく空と、その向こうにある宇宙に近く。限りなく地上である、この超高層ビル。 ・・・コウタカが、ここを終着駅とした理由が、何となく分かったような気がする。 ここは、紛れもなく地上だが、限りなく宇宙に近い場所。 「分かるか、狼よ」 英翔は英翔に何時の間に気がついていたのか、振り返る素振りもせずに話し始めた。 何時、気付いたのか。いや、来たことは、英翔がこのビルに入った時から気付いていたのかもしれない。 「ここは、有と無の境目。天と地の狭間。そして天国と地獄、生と死の分かれ目だ・・・」 「コウタカ・・・。私は、お前を絶対に赦しはしない。これから、私はお前を――――――――ッ」 英翔は、腰に差していた日本刀モドキを引き抜いた。 その切先を、コウタカの背中、その真芯へと向けた。 漲る闘志が、その刃に映る。 「お前を・・・・・・・断罪する―――――――」 「・・・お前も、立ちはだかるのか。そこまでして、奴らを庇うのか」 「奴ら?」 「お前の飼主・・・・・人間のことだ。お前も、人間様のために、同胞へと牙を向けると言うのか」 「一つ、問いたい。お前がこの東京を占拠した理由は、何だ?」 「私の故郷は・・・・・今から三十年ほど前に滅びた。何故だか分かるか」 「三十年前・・・?――――まさか、“大乱獲”!?」 「そうだ、今から三十年前に起きた別脈種大量虐殺――――私の村は、その途方もない犠牲の内の一つだ。  知っているのか、お前は。あれは実際に手を血に染めたのは別脈種だが・・・・指図したのは―――――人間だ!」 「・・・ああ、知っているさ。あれは、本当に酷い出来事だったと聞いている。だが――――ッ」 「だが・・・何だ」 「お前は・・・その恨みを晴らすために、東京を占拠して、多くの人間を殺したのか?」 「私はいま、人類を全て粛清するために生きている。これはその足掛かりに過ぎん」 「貴様――――ッ!!」 血が逆流するほど、身体を憤怒が駈け巡った。心臓は憎しみに早鐘を打ち、目は怒りに輝いている。 まるで、全身が炎になったかのようだ。 「お前は、とんだ甘えん坊だ・・・ああ、世界で一番の腑抜けだ」 「なに――――?」 「殺されたから殺す?殺したから殺される?・・・・お前みたいな、現実を見ない奴が居るから―――今も世界には涙が溢れるんだ!!」 「・・・分かるのか、故郷を焼かれ、追われ、死の淵を彷徨った私の怒りが・・・」 「そんなもの、私が知ったところじゃない。だけど、謂れのない暴力に打たれたからと言って、それに力で憤って、本当に解決になると思ってるのか?  その先には、一体何があるんだ?お前が殺したら、また誰かがお前を殺そうとするんじゃないのか?」 「全ては覚悟している。そんなものは百も承知の上で、私は修羅の道を選んだのだ」 「違う。お前は覚悟もなにも出来ちゃいない―――――逃げたんだ、現実から。本当の修羅の道から」 「言わせておけば抜け抜けと好き放題言いおって・・・なら問おう!真の現実とは、修羅の道とは何か、お前に答えられるのか!?」 「本当の修羅の道、それは暴力も誰かの涙も血もない――――――和解と解決の、誰もが手と手を取り合う道・・・。  それが、暴力に泣き、苦しみ、血を流した者だけが出来る本当の戦いだ!現実から目を逸らし、真実を履き違えるな!!」 「・・・・くくく・・・はーっははははは!何だ、何を言うかと思えば――――和解と解決?何を言っている、本当の腑抜けはお前のほうだ」 「・・・ああ、分からないだろうな。怒りにと悲しみに捕らわれ、憎しみの連鎖に全てを塞がれたお前には、何も響くまい」 「では、その暴力の前に死んでいった者はどうなる。遺された者達はどうなる。その者達の行き場のない感情はどうなるというのだ!!」 「だから、それを争いの螺旋に捕らわれず、誰もが手を取り合うように―――――――」 「っは!それが何だ、いったい何になると言う!誰もそんな物は望んでいない、そんなものはただの綺麗事の押し売りだ!人が真に欲しているのは、  憎しみにより乾くことのない心に降る、復讐という名の雨だ!傷ついた者の心を癒す、唯一のな!」 「お前は、そうやって永久に憎しみを紡いでいくのか・・・!」 「そうだ、生きるということの本質は憎しみと争いと破壊、それ以外にない!」 もう、この男に何を言っても無駄だ。 己が内に抱える感情のままに動き、全てを憎しみに染める。 この男を今此処で倒さなければ、途方もない涙が流れる。 心の、傷が生まれる。 そんなことは、耐えられない。 なら今ここで、この狂った復讐鬼を止める。 もう、誰にも涙を流させたくはない。 その決心と共に、英翔は刀を構え。腰を落とした。 今、最後の幕が上がろうとしていた・・・・。
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